artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
クロダミサト「沙和子」
会期:2012/11/21~2012/12/15
神保町画廊[東京都]
クロダミサトは2009年に写真新世紀でグランプリを受賞後、「沙和子」と名づけたシリーズを撮影しはじめた。2010年にリブロアルテから写真集として刊行された『沙和子』は、同年代の若い女性のヌードをさまざまなシチュエーションで撮影したシリーズである。かなりあからさまに男性向きの「エロ本」のポーズを引用したこの作品では、写真家とモデルは楽しげに、のびのびと写真撮影の時空間を共有している。今回の神保町画廊での展示の中心になっているのは、個展の形では初めての公開となったこのシリーズだが、同時に新作の「無償の愛」も展示されていた。
「無償の愛」は同じモデルを、やはりヌードや下着姿で撮影した連作だが、『沙和子』とはかなり肌合いが違う。クロダの故郷でもある三重県の、なんとも素っ気ない即物的な風景の中で、モデルの彼女がシンプルなポーズをとっている。『沙和子』のような悪戯っぽい挑発性は影を潜め、どちらかといえば素っ気ない、自然体の表情の写真が並ぶ。わずか2年あまりの時間差であるにもかかわらず、ちょっとスリムになったひとりの女性の軀と心の変化が、鮮やかに刻み付けられているのが興味深かった。もう少し長く撮り続けていくと、また違った感触の写真が出てきそうな気がする。それとともに、愛おしさと探究心に突き動かされつつ、血の流れを感じ取れるくらいの近さでシャッターを切っていくクロダのスタイルは、他のモデルを撮影した場合でも、じわじわと面白い形をとっていくのではないかと感じた。
2012/11/29(木)(飯沢耕太郎)
百々俊二『遥かなる地平 1968-1977』
発行日:2012/10/10(木)
滅法面白い写真集だ。百々俊二はビジュアルアーツ専門学校・大阪の校長を務めながら、『楽土紀伊半島』(ブレーンセンター、1995)、『大阪』(青幻舎、2010)など力のこもった写真集を刊行し続けている写真家だが、この著作では1947年生まれの彼が20歳代の時期に撮影した写真を、再構成して発表している。「A1968年1月17日─21日──佐世保[原子力空母エンタープライズ寄港阻止闘争]」から「Z1976年─77年──大阪」まで、26の断章におさめられた400ページを超える写真群によって浮かび上がる「若き写真家の軌跡」は見応えがあり、同時に胸を打つものがある。
いうまでもなくこの時期には、若者たちの叛乱が日本全国を覆い尽くし、中平卓馬、森山大道、荒木経惟らの登場によって、日本の写真表現が高揚し、沸騰していた。その時代の息吹を、九州、大阪の地にあって受けとめ、投げ返そうとする百々の体を張った営みが、息苦しいほどの切迫感で伝わってくるのだ。社会状況に深くコミットメントする写真だけでなく、テレビのクイズ番組を勝ち抜いて招待されたというロンドン旅行の写真(1970)、1972年に結婚する妻、節子を撮影し続けた「私写真」なども入っているのが、いかにも彼らしいと思う。写真に加えて、巻末の鈴木一誌(ブックデザインも担当)による百々へのロング・インタビューをあわせて読むと、時代背景と写真家の位置づけが、より立体的に見えてくるだろう。
2012/11/29(木)(飯沢耕太郎)
鬼海弘雄 写真展 PERSONA
会期:2012/11/10~2012/12/24
伊丹市立美術館[兵庫県]
40年以上にわたり、強烈な存在感を放つ人々を真正面から捉えた《PERSONA》などの作品で知られる写真家・鬼海弘雄。彼の関西初の大規模個展となる本展では、《PERSONA》のほか、《東京迷路》《東京夢譚》《インディア》《アナトリア》から、厳選された約200点が出品された。展覧会の中心をなし、最も存在感を放っていたのは、やはり《PERSONA》の作品群。同一の構図&撮影場所という条件を設定することで、人物の個性が一層際立っていたからだ。よくもこれだけ濃い人を集められたものだ。鬼海の粘り強さとコンセプトへの執着には感心の二文字しかない。10数年の時を経て同じ人物の経年変化が見られたり、何度も写りに来るお馴染みのおばちゃんがいるのも、写真家と被写体の関係性を考えるうえで興味深かった。
2012/11/24(月)(小吹隆文)
志賀理江子「螺旋海岸」
会期:2012/11/07~2013/01/14
「年末回顧」を執筆しなければならないシーズンになり、『日本カメラ』(2012年12月号)に今年の写真展について書くように求められて、本展を「ベスト1」にあげた。実はその原稿の執筆時点では、まだこの展覧会を見ていなかったのだが、確信を持ってそう言い切ってしまったのだ。志賀理江子は、2012年7月に東川賞新人賞を受賞し、東川町フォトフェスタの展示に「螺旋海岸」のシリーズから数点を展示した。それを見て、会場に置いてあったせんだいメディアテークでの「連続レクチャー 考えるテーブル」(2011年6月〜12年3月)の草稿にも目を通していたので、彼女の今回の個展が「日本の現代写真の階梯を一段高めるものである」と自信を持って書くことができたのだ。
実際に仙台まで日帰りで往復し、展示を見て、その確信が決して間違いではなかったことがわかった。志賀が2008年以来、宮城県名取市北釜に住みついて、その地の住人たちとともに実践してきた写真行為の蓄積は、驚くべき強度と密度を備えたシリーズとして生長し、文字通り大地に根を張りつつある。せんだいメディアテーク6階の広いスペースに、木製パネルに直接貼り付けて、土嚢を重しにして立ち上がった243点の写真群は、あらゆる形容詞を吹き飛ばしかねない圧倒的なパワーを発していた。それらをどのように受け入れ、位置づけていくべきかについて思いを巡らすには、12月中に刊行予定のテキスト集『螺旋海岸ノート』と写真集『螺旋海岸アルバム』(いずれも赤々舎)を待つしかない。だが、会場の中心に置かれた「①遺影」の写真から、まさに螺旋状に円を描きながら「②私、私、私」「③微笑み(写真のなかの私)」「④ここはどこ(写真のなかの私)」「⑤さようなら(写真のなかの私)」「⑥眠り」「⑦皮」「⑧鏡」「⑨伝言」と広がっていく写真の間をさまよう体験は、忘れがたいものになった。「①遺影」以下の写真の分類はむろん志賀自身によるものであり、被写体となった人々の「まなざし」のあり方と、その行方を探り当てようとする独自の思考の軌跡が刻みつけられている。志賀が北釜で写真作品を制作しつつ、闇の中から手探りでつかみ取っていったこれらの思考の断片は、画像としてだけでなく言葉(詩的言語)としても比類ない高みに達しつつあるのではないだろうか。
2012/11/24(土)(飯沢耕太郎)
有田泰而「First Born」
会期:2012/11/22~2012/12/28
916[東京都]
有田泰而の名前を知る人もだいぶ少なくなっているのではないかと思う。1941年、福岡県生まれの彼は1960~80年代に、主に広告やファッションの領域で活動した写真家だ。だが、それ以上に純粋な表現者としての志向が強く、80年代以降は写真とともに絵画作品を発表し、91年に渡米してからは木工や彫刻の作品を中心に制作した。そのまま日本に帰ることなく、2011年にカリフォルニア州、フォートブラッグで逝去する。
今回の個展は、1980年代に一年ほど有田のアシスタントを務めたことがあるという上田義彦の手で実現したものだ。展示されたのは代表作である『カメラ毎日』連載作「First Born」(1973~74)を中心とした75点。このシリーズは当時結婚していたカナダ人女性、ジェシカと、72年に生まれたばかりの長男のコーエンをモデルとして撮影されている。写真家自身の妻子をテーマとする作品は、植田正治の戦後すぐの家族写真をはじめとしてかなりたくさんある。同時代にも、荒木経惟や深瀬昌久が傑作を発表している。だが、有田の「First Born」は、その徹底した演出的、遊戯的空間の創出という点で特筆すべきものがある。妻と子どもの身体をあたかも玩具のように扱って、次から次へとなんとも危なっかしいパフォーマンスを繰り広げていくのだ。それは、ジェシカ自身が「お互いのコミュニケーションがよくいっているときには、ほんとにいい写真ができる」(『カメラ毎日』1974年5月号)と述べているように、有田と家族との共同作業=ジャム・セッションの産物だったといえる。それがあまり長く続かず、2年あまりで終わってしまうのは、パフォーマンスのテンションを高く保ち続けるのが難しかったためだろう。だが、逆にそれゆえにこそ、「First Born」は現時点で見ても希有な輝きを発しているのではないだろうか。
あらためて、いま有田のこの「幻の傑作」の全貌が明らかになったのは素晴らしいことだと思う。暗室に2カ月近くこもって、プリントを全部焼き直したという上田義彦の献身的な努力が充分に報われたのではないか。なお、赤々舎から展覧会にあわせて同名の写真集(端正なデザインは葛西薫、増田豊)が刊行されている。
2012/11/22(木)(飯沢耕太郎)