artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
佐々木睦 展 TOKYO LAYERS
会期:2012/01/20~2012/01/29
海岸通ギャラリー・CASO[大阪府]
吸い込まれるように上下動する無数の光の粒子。高層ビルの夜景をモチーフにした作品がDMに用いられており、その美しさに惹かれて画廊へと足を伸ばした。作家が在廊していたので質問したところ、それらは高層ビルのシースルーエレベーターに乗って移動しながら撮影したものであった。撮影には数十秒の露出時間を要するそうだが、その途中で何度かレンズを手でふさぎ、光を遮断しているという。人工美の極致のような情景をシャープなセンスで作り上げており、プリントの質感やパネル貼りの仕上げなど、細部にも抜かりがない。首都圏を拠点に活動している作家なので今後再会の機会があるのか定かではないが、もしチャンスがあれば見逃さないようにしたい。
2012/01/28(土)(小吹隆文)
佐藤信太郎「東京|天空樹 Risen in East」
会期:2012/01/13~2012/02/25
フォト・ギャラリー・インターナショナル[東京都]
写真集と展示の違いが際立って見える作品があるが、佐藤信太郎の「東京|天空樹 Risen in East」はそのいい例だろう。青幻舎から刊行された写真集を見たときには、前作の『非常階段東京─TOKYO TWILIGHT ZONE』(青幻舎、2008年)の延長線上の仕事に思えた。ところが、フォト・ギャラリー・インターナショナルの展示を見て、遅まきながら、その方法論自体が大きく変化していることに気づかされた。
まず最大で3,139×311ミリという画面の大きさが圧倒的だ。横が極端に長いパノラマサイズのプリントは、当然ながらデジタルカメラの画像をつなぎあわせたものだ。最大30枚以上の画像が使われているという。ということは、佐藤は4×5判の大判カメラを使っていた前作から、撮影とプリントのシステム自体を完全に変えてしまったことになる。結果として、ある特定の時間(黄昏時)、特定の眺め(ビルの非常階段から)にこだわっていた前作と比較して、表現の幅がかなり広がりをもつものとなった。それだけでなく、複数の時間、複数の視点がひとつの画面に写り込むことによって、あたかも絵巻物を見るように、伸び縮みする視覚的体験が生じてきている。
その中心に写り込んでいるのが、言うまでもなく建造中の東京スカイツリーである。この「天空樹」の出現は、誰もが気づかざるをえないように、東京の東半分の地域の眺めを大きく変えつつある。特に浅草の街並みや墨田区京島の戦前から残っている古い長屋などとくっきりとしたコントラストを描き出すことで、新たな景観が生み出されようとしている。まさに都市の生成途上の姿を捉えたドキュメントとしても、意味のある仕事と言えそうだ。
2012/01/26(木)(飯沢耕太郎)
古賀絵里子「浅草善哉」
会期:2012/01/20~2012/02/20
EMON PHOTO GALLERY[東京都]
古賀絵里子の「浅草善哉」のシリーズは、浅草で長年喫茶店を営んでいた老夫婦を、2003年から撮り続けた労作だ。中村はなさん(旧姓平田)は1912年、中村善郎さんは1921年生まれで、1955年から西浅草二丁目で喫茶店「あゆみ」を経営していた。古賀が浅草三社祭で偶然二人にあったころには店は閉じられ、晩年は二人とも病気がちだった。2008年に義郎さん、2010年にはなさんが相次いで逝去。古賀が撮影した二人の写真が残された。このシリーズは、2004年に銀座・ガーディアンガーデンで一度展示されているが、今回青幻舍から同名の写真集が刊行されたのをきっかけに、リバイバル展が開催されたのだ。
古賀の写真には、この種のドキュメンタリーにどうしてもつきまとう「こう見なければならない」という強制力が感じられず、穏やかで、開放的な雰囲気が備わっている。いつも寄り添うように近くにいる二人の存在のかたちが、柔らかに定着されていて見ていてストンと胸に落ちる。また、昔の二人が写っているスナップ写真の複写が効果的に挿入されていて、過去と現在の時間がゆるやかに混じりあうのもいい。ただ、このシリーズはやはり旧作であり、むしろ古賀がこれから先どんなふうに作品を発表していくのかが気になった。その意味では、会場を区切って展示されていた「一山」という6×6判、カラーのシリーズが注目される。高野山の四季を2年半にわたって撮り続けているものだが、そろそろひとつのかたちにまとまっていきそうな気配を感じた。
展覧会の会場構成は、『魯山』店主の大嶌文彦が行なった。書、器、鏡、錆の浮き出た家具などを配置した趣味のいいインスタレーションだが、少し要素を詰め込み過ぎて、やや写真が見づらくなっているのが残念だった。
2012/01/25(水)(飯沢耕太郎)
MP1 Expanded Retina|拡張される網膜
会期:2012/01/21~2012/02/05
G/P GALLERY[東京都]
MP1は、エグチマサル、藤本涼、横田大輔、吉田和生という1982~84年生まれの4人の写真家たちと、批評家の星野太によるグループ。2011年秋に横浜トリエンナーレの関連企画として、横浜・新港ピアで開催された「新・港村」で「拡張される網膜」展を開催して本格的に始動した。2012年は本展をはじめとして、都内のいくつかのギャラリーやウェブ上で複数のプロジェクトを進行する予定だという。
正直言って、作風、経歴にそれほど重なり合うところのない彼らが、グループとして活動していく強い理由を見出すのは難かしい。ただ、写真家たちによる自主運営ギャラリーの活動もそうなのだが、異質な要素が触媒的に働くことで、メンバーの作品が思わぬ方向に伸び広がっていくということは大いに期待できる。例えば今回の展示では、かなり過剰に「表現主義」的な傾きが強かったエグチマサルの写真+ドローイング作品が、すっきりとしたミニマルな雰囲気の画面に変質していた。反対に吉田和生は、被写体のエレメンツをしつこく反覆・増殖していく傾向を強めている。このような化学反応を、むしろ積極的に触発していってほしいものだ。そこから星野の言う「写実的な外界の痕跡でもなければ、表現主義的な内面の吐露でもない」、ちょうどその中間領域とでも言うべき「網膜」の表層性に徹底してこだわる、彼らのスタイルが模索されていくのではないだろうか。
なお、展示にあわせて500部限定のコンセプト・ブック『Expanded Retina|拡張される網膜』(BAMBA BOOKS)が刊行されている。きっちりと編集されたクオリティの高い作品集だ。
2012/01/25(水)(飯沢耕太郎)
長船恒利の光景 1943~2009
アートカゲヤマ画廊/ギャラリーエスペース/gallery sensenci[静岡県]
会期:2012年1月16日~22日/1月9日~22日/1月14日~2月12日
長船恒利は1943年北海道小樽市の出身。1964年から静岡の県立高校の教員となり、70年代半ばから写真家としても活動し始めた。ちょうど写真家たちによる自主運営ギャラリーが活性化し始めた時期であり、彼も藤枝で「集団GIG」を結成、1980年からは静岡のジャズ喫茶JuJuを舞台に積極的な展示活動を行なった。1980~90年代にはコンピュータ・アートを実験したり、プリペアド・ピアノの演奏を披露したりするなど、写真家の枠を超えた活動を展開、2003年に教職を離れてからは、チェコ、スロバキア、ポーランドなど中欧諸国の美術や建築のモダニズムを本格的に研究し始めた。その成果がようやく実り始めた矢先、腎臓癌を患い、2009年に逝去する。今回藤枝のアートカゲヤマ画廊、ギャラリーエスペース、静岡のgallery sensenciの3カ所で開催された「長船恒利の光景 1943~2009」は、遺族や友人たちが準備を重ねて、3年後に開催された追悼展である。
長船の写真の仕事は、写真そのものの根拠を問い直す「写真論写真」の典型と言える。1970年代後半~80年代に自主運営ギャラリーや企画展を中心に発表していた若い写真家たちの、写真を通じて「見る」ことや「撮影する」ことの意味を検証しようとする試みのなかで、長船の作品は最も高度なレベルに達していた。代表作である、4×5判の大判カメラで静岡や藤枝の日常的な光景を定着した「在るもの」(1977~79年)のシリーズなどを見ると、ほぼ同時代のドイツのベッヒャー派の写真家たちの仕事に通じるものがある。長船を含めた同時期の写真家たちの仕事は、美術館レベルの展覧会で再評価されていいと思う。
長船はまた、写真家の枠を超えた活動も展開していた。最晩年に手がけていた石を磨き上げた彫刻作品など、詩情と強靭な造形力が溶け合った見事な出来栄えである。音楽やパフォーマンスなどを含めた「表現者」としての長船の像も、もう一度再検証していくべきだと思う。追悼展を機に美術家の白井嘉尚の編集で刊行された、箱入り、7冊組の作品・資料集『長船恒利の光景』が、その最初の足がかりになるだろう。
2012/01/22(日)(飯沢耕太郎)