artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
上田義彦「Materia」
会期:2012/02/10~2012/04/10
Gallery 916[東京都]
上田義彦が東京都港区海岸の倉庫の一角に、600m2という大きなギャラリーをオープンした。ニューヨークならいざ知らず、これだけの広さと天井の高さの美術館並みのスペースは、日本ではほとんど考えられない。維持するのは大変だろうが、新たな写真表現の発信源としての役割を果たすことが期待される。
そのこけら落しとして、新作20点が展示された。上田は1990年代にアメリカ西海岸の原生林を撮影した『QUINAULT』(京都書院、1993)を発表したことがある。震災直後に屋久島に入って撮影したという今回の「Materia」は、その延長線上の仕事と言えるだろう。だが、ICP(ニューヨーク)のキュレーター、クリストファー・フィリップスが展覧会のリーフレットによせた「森の生命」で指摘するように、前作とはかなり異なった印象を与える。「Materia」では「多くの写真家が技術的ミスと呼びたくなるようなものを、意図的に表現手段に転化」しており、これによって「絶えず変化し続け、予測不可能な、この森の生命のありようを視覚的に提示」しているのだ。たしかに、ブレやボケ、偶発的に画面に飛び込んでくる枝や葉、光と影の極端なコントラストなどによって、写真にダイナミズムが生じてきている。ただ、それが「絶えず変化し続け、予測不可能な」森の全体像を提示しきっているかというと、まだ不充分なのではないかという思いがぬぐい切れない。
先日、ホンマタカシの「その森の子供」展(blind gallery)の関連企画として開催された千葉県立中央博物館の菌学者、吹春俊光とのトークで、吹春が教えてくれた「赤の女王の仮説」というのが頭に残っている。ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』で赤の女王が言う「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない(It takes all the running you can do, to keep in the same place.)」という言葉から来ているもので、原生林のような場所ではあらゆる生命体が全速力で走り続け、生命の維持と更新の活動を展開しているというのだ。上田の作品には、このひしめき、うごめいている生命の速度感があまり感じられない。意欲作だが、さらに次の展開が見たい気がする。
2012/02/10(金)(飯沢耕太郎)
ノモトヒロヒト写真展 LIFE
会期:2012/02/03~2012/02/25
TEZUKAYAMA GALLERY[大阪府]
東日本大震災の発生から数週間後に津波の被災地を訪れて制作した2つのシリーズを発表。《Facade》は、津波により破壊された建物を真正面から捉えたもので、いわゆるベッヒャースタイルの作品である。ノモトは本作の制作にあたって仮設住宅等に住む建物の持ち主を訪ね、制作意図の理解と許諾を得たうえで撮影している。また、完成作1点をそれぞれの建物の持ち主に贈呈したそうだ。《Debris》は瓦礫置き場の鉄骨や漁具などをアップで撮影し、コンピュータで合成してシュールな情景をつくり出したものだ。過酷な現実と真正面から向き合い、あくまで客観的眼差しをを保ちつつも決して冷血ではない2つのシリーズ。ノモトは困難な仕事をしっかりと成し遂げた。
2012/02/10(金)(小吹隆文)
小松浩子 写真展 ブロイラースペース時代の彼女の名前
会期:2012/02/07~2012/02/12
目黒区美術館 区民ギャラリー[東京都]
最近まで東京は桜上水にあった「ブロイラースペース」。写真家の榎本千賀子と小松浩子が共同運営しながら毎月一度それぞれ新作を発表するためのスペースで、2011年6月におよそ1年間の活動を終えた。本展は、そこで小松が発表した作品のなかから厳選した写真を展示したもの。600点あまりの写真を壁面に展示すると同時に、20メートルの印画紙にそのまま焼きつけた長大な写真を壁面に張り巡らせ、一部を床に寝かせて展示した。大空間をたったひとりで埋め尽くした、渾身の展示である。小松がレンズを向けているのは、かねてから土建業者の資材置き場だが、モノクロ写真には重機や装置、ブロック、タイヤ、各種の建材などを集積させた光景が映し出されている。そのおびただしい物量自体に迫力があるが、よく見てみると、それらの物を規則的に配列する秩序と、その外側に逸脱する力が、写真の中で激しくせめぎ合っていることに気づく。求心的に引きつける力と、外向的にあふれ出る力が、ひとつの写真の中で入り乱れ、そのダイナミズムが得体の知れない蠢きの気配を醸し出しているのだろう。それは、暗い森の中で何かの存在を不意に感じ取ってしまった、あの怖ろしい感覚に近い。
2012/02/09(木)(福住廉)
鷹野隆大「モノクロ写真“Photo-Graph”」
会期:2012/01/17~2012/02/29
Yumiko Chiba Associates viewing room Shinjuku[東京都]
昨年、松江泰治、鈴木理策、倉石信乃、清水穣と「写真分離派宣言」を出して話題を集めた鷹野隆大。どうやら、彼の銀塩写真へのこだわりは本気度を増してきたようで、今回のYumiko Chiba Associates viewing room Shinjukuの新作展には、文字どおりの銀塩「モノクロ写真」が出品されていた。
本展の開催は以前から決まっていたにもかかわらず、なかなか構想がまとまらず「何を撮っていいのかわからない」状態が長く続いていたのだという。言うまでもなく「3・11」の後遺症だったのだろう。そこでもう一度原点に回帰するという意味を込めて、「モノクロ写真」を撮影・プリントし始めた。そこに思いがけず出現してきたのは、鷹野自身の言い方を借りれば「崩壊した光の残骸」としか言いようのない、不分明で不定形のイメージ群だった。ロールサイズの大判プリント4点を含む写真のほとんどが、抽象画を思わせる光と影の染みであり、その間に繰り返し彼自身の影が写し込まれている。それは例えば、森山大道がよく画面の中に登場させる、くっきりとした物質感を備えたシャドーではなく、もっと希薄で、ぼんやりと揺らいでいる影の形だ。このような、これまでの鷹野の写真にはほとんど登場してこなかったファントムめいたイメージに固執せざるをえなかったところに、「3・11」が彼にもたらした衝撃と傷口の大きさをうかがうことができるように感じる。
だがこれはこれで、鷹野の再出発のスタートラインとして充分に評価できるのではないだろうか。ここにも「震災後の写真」のひとつのあり方が明確に示されている。
2012/02/07(火)(飯沢耕太郎)
栗原滋「螺旋 沖縄1973-1992 OKINAWA」
会期:2012/02/06~2012/02/19
蒼穹舎[東京都]
横浜在住の栗原滋は都市の路上や街並みを鋭角的に切り出してくる作品を発表してきた。その彼は1973年、22歳のときから沖縄に住みつき、93年に個人的な事情で島を出るまで20年あまりを過ごした。その間に撮りためた写真をあらためてまとめ直したのが「螺旋 沖縄1973-1993」のシリーズであり、蒼穹舍から同名の写真集も刊行されている。
こうして見ると、本土復帰直後の1970年代の沖縄が、写真家にとっていかに魅力的で撮影の意欲をそそる場所であったことがよくわかる。島全体から立ちのぼってくる生命力の波動、それを全身で受けとめ、ふたたび発散している人々のいきいきとした表情は、同時期の日本の他の土地には見られないものだ。栗原のカメラワークは、とりわけ群れ集う人々に向けられるときに精彩を発揮しているように思える。一塊であるように見えて、一人ひとりの姿を眼で追うと、そこには多様な個がひしめき合い、それぞれのやり方で自分自身を“表現”していることがわかる。だが写真集の後半部、1980~90年代の写真になると、「既視感と混沌とが併存する光景」が少しずつ秩序づけられ、ありきたりの都市の眺めに収束していく様子がうかがえるようになる。栗原はその過程も冷静に記録しているのだが、被写体との距離感がやや遠のきつつあるようにも感じるのだ。栗原が私淑していたという平敷兼七のような「内なる沖縄」からの視点ではなく、かといって本土から訪れて、撮影しては帰っていくような一過性の仕事でもない、独特の角度からの沖縄へのアプローチと言えるのではないだろうか。
2012/02/06(月)(飯沢耕太郎)