artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
タカオカ邦彦「icons─時代の肖像」
会期:2012/01/14~2012/03/25
町田市民文学館ことばらんど[東京都]
「顔」は写真の被写体として最も強い喚起力を備えたものの一つだ。「顔」の写真はすぐに眼を惹き付けるし、そこにさまざまな意味を引き寄せ、まつわりつかせる。写真家にとっては、魅力的だが扱いづらい被写体とも言えるだろう。とりわけ「作家の顔」は、そのなかでも特別な吸引力を備えている。作家は、彼らの本の読者が、それを読むことによってある意味勝手に付与してしまったイメージを引き受けざるをえなくなってくる。写真に撮られるときも、そのイメージを意識しないわけにはいかないだろう。そこに微妙な自意識のドラマが発生し、それが当然写真にも写り込んでくるのだ。
タカオカ邦彦は、ライフワークとして30年以上にわたって「作家の顔」を撮影し続けてきた。今回町田市民文学館ことばらんどで開催された「icons─時代の肖像」展は、そのタカオカの小説家、詩人、作詞家、脚本家など文筆家たちのポートレート90点余りを展示したものだ。全体は「肖像-portrait」「心象-image」「書斎・アトリエ-studio」の三部構成になっている。「肖像」のパートはモノクロームの顔を中心としたクローズアップ、「心象」のパートは普段着の姿、「書斎・アトリエ」のパートは仕事場での作家たちの表情を主にカラー写真で追っている。「作家の顔」というと土門拳や林忠彦(タカオカの師匠でもある)の重厚なポートレートを想像しがちだが、タカオカの作品はオーソドックスではあるがあまり威圧感がない。どちらかというと親しみやすい、等身大の作家像の構築がめざされているということだろう。
ちなみに、僕自身も1990年代半ばにタカオカに撮影してもらったことがあり、その写真も会場に展示してあった。こういう経験はめったにないことだが、自分の顔に展覧会で向き合うのは正直あまり気持ちのいいことではない。自意識のドラマが生々しく露呈している様を、本人が見るということには、相当に息苦しい違和感、圧迫感がともなうことがよくわかった。
2012/01/13(金)(飯沢耕太郎)
細江英公 写真展 第一期 鎌鼬
会期:2012/01/06~2012/01/29
BLD GALLERY[東京都]
これから5月にかけて開催される、BLD GALLERYでの細江英公の連続写真展の第一弾である。以後、「シモン 私風景」「おとこと女+抱擁+ルナ・ロッサ」「大野一雄+ロダン」「知人たちの肖像」「薔薇刑」と続く。
あらためて見ると、暗黒舞踏の創始者土方巽をモデルとするこの「鎌鼬」のシリーズが、細江にとって特別な作品であったことがわかる。細江自身が30歳代半ばで、肉体的にも精神的にも最もエスカレートしていた時期であり、1960年代の疾風怒濤的な文化状況がその高揚感に拍車をかけていた。1968年3月に、このシリーズが「とてつもなく悲劇的な喜劇」というタイトルで初めてニコンサロンで展示されたとき、細江はその挨拶文に「絶対演出による日本の舞踏家・天才〈土方巽〉出演の、もっとも充血したドキュメンタリー」と書き記している。「絶対演出による」というのは、言うまでもなく土門拳が「リアリズム写真」を定義した「絶対非演出の絶対スナップ」という言葉を踏まえたものだ。つまり、一世代上の土門拳の方法論を、演劇的な手法によって解体・顛倒してしまうことがもくろまれているわけだ。それは、土方のたぐいまれな肉体とパフォーマンスの助けを借りて見事に成就している。
今回の展示には、そのニコンサロンの写真展のときの作品パネルがそのまま飾られていた。2000年に松濤美術館で開催された「細江英公の写真 1950-2000」にも同じパネルが出品されていたのだが、そのときに比べると画面の端の部分に印画紙の銀が浮き出して、染みのように広がっている面積がより大きくなっている。つまり写真自体が生成変化しているわけで、むしろそのことによって、土方の故郷でもある秋田県雄勝郡羽後町で繰り広げられるパフォーマンスが、凄みと生々しさを増しているように感じられた。
2012/01/09(月)(飯沢耕太郎)
窓の表面 スロー&テンス アトモスフィア2011
会期:2011/12/15~2012/01/29
雅景錐[京都府]
写真家でクリエイティブ・ディレクターのアマノ雅景が、オルタナティブスペース「雅景錐」を開設。今年3月の正式オープンを前にプレ企画展を開催した。その内容は、アマノ、有元伸也、ニック・ハネス、平久弥、ヴァンサン・フルニエの5組による写真&絵画展で、世界の諸相を、作品という窓を通して覗き込むというものだ。ニューヨークの同時多発テロ現場近くで、行方不明者を探す張り紙を見つめる人々、旧共産主義国家の廃れた施設、現実離れした宇宙開発基地などを捉えた写真などが並んでいる。本展はアマノが2009年から10年計画で取り組んでいるプロジェクトの第2弾であり、2月には規模を拡大して大阪のフランダースセンターにも巡回される。京都ではここ数年、さまざまなタイプのオルタナティブスペースが産声を上げており、新たなアートシーン形成の可能性を秘めている。雅景錐もそのひとつとして要注目だ。
2012/01/07(土)(小吹隆文)
ホンマタカシ「その森の子供 mushrooms from the forest 2011」
会期:2011/12/17~2012/02/19
blind gallery[東京都]
ホンマタカシは大森克己と日本大学芸術学部写真学科の同級生だったはずだが、その写真家としての方向性はかなり違っていた。だが、「3・11」後の行動パターンがどこか重なり合ってきているのが興味深い。大森が福島県に桜を撮りに行ったのに対して、ホンマはきのこに目を向けた。実は福島第一原子力発電所の事故後に飛散した放射能の影響を最も大きく被った生きもののひとつは、きのこなのだ。政府は2011年9月15日に、福島県内で採集したきのこを出荷するのを禁じる通達を出す。森の隅々に菌糸を伸ばしているきのこは、その細胞組織に放射能を蓄積しやすいのだ。
ホンマはその後、福島の森に入り、きのこたちと彼らを取り巻く森の環境を撮影し続けた。本展にはそのうち22作品(隣接するブックショップPOSTにも2作品)が展示されていた。もっとも、ホンマはすでに震災前からきのこを撮影し始めており、その一部は昨年5月のLim Artでの個展「between the books[Mushroom…]」でも展示されている。今回の個展は手法的にも内容においてもその延長線上にあるものだが、たしかに震災によって写真の見え方が大きく変わってしまったことは間違いないだろう。
とはいえ、ホンマのきのこ写真を震災と関連づけて見るだけでは、その面白さを取り落としてしまうことになる。きのこはその形や色の多種多様さだけでなく、脆さ、儚さ、変幻自在さを含めて、いかにもホンマ好みの被写体なのではないだろうか。本展が「その森の子供」と名づけられていることに注目すべきだろう。彼には『東京の子供』(リトルモア、2001年)という写真集がある。バブル崩壊以後の都市の日常を生きる子供たちの、壊れやすい存在の形を繊細な手つきで写しとった写真集だが、これらのきのこ写真にも、どこか共通したたたずまいを感じるのだ。きのこについた土や落葉、ナメクジなどを含めて、白バックで、さりげなく、だが注意深く撮影することで、彼らの「森の子供」としての魅力がいきいきと伝わってくる。少なくとも僕の知る限り、きのこをこのように捉えた写真のシリーズはこれまでなかった。
なお、本展に合わせて同名の写真集(発行=blind gallery、発売=Lim Art)も刊行されている。田中義久のデザインによる、すっきりとした、端正な造本がなかなかいい。
写真=ホンマタカシ《その森の子供 #8》(2011)
タイプCプリント、267mm×337mm
2012/01/05(木)(飯沢耕太郎)
伊藤之一「隠れ里へ」
会期:2012/01/04~2012/01/15
RING CUBE[東京都]
伊藤之一は2000年に博報堂から独立して事務所を構えて以来、広告関係の仕事をするとともに独自の作家活動を展開してきた。その成果は2003年以来『入り口』『ヘソ』『テツオ』『電車カメラ』『雨が、アスファルト』といった写真集にまとめられている。写真集が送られてくるたびに、その明快なコンセプトと画像のセンスのよさに注目していたのだが、どうも写真家としての“芯”の部分がうまくつかめないもどかしさがあった。それが今回の個展を見て、さらにそこに掲げられていた『日本カメラ』編集長、前田利昭の「なにかを準備する写真家」という素晴らしい文章を読んで、少しずつ見えてきたように思う。
「隠れ里へ」というタイトルは、白洲正子のエッセイ「かくれ里」(1971年)を踏まえたものだという。白洲がそこで取りあげている琵琶湖沿岸の東近江地方を、伊藤も撮影している。だが、特に説明的な撮り方ではなく、水、雪、樹木、花々光などをスクエアな画面に断片的に切り取っていくやり方をとる。そのことによって、湖北・東近江という特定の地域に限定されることがない、人里の近くにひっそりと息づいている「隠れ里」の手触りや空気感がしっかりと写り込んでくる。前田が書いているのは,今回の写真群がこれまでの伊藤の作品の軽やかな試行とは違って、「なにか“屈託”のようなもの」を浮かび上がらせ、「“写真の不自由さ”と対峙している感じ」を与えるということだ。これは重要な指摘だと思う。「“写真の不自由さ”」に身を震わせ、もがくことで、写真家としての壁を乗り超えることができるのではないだろうか。少なくとも、ここにはコンセプトを自分の手で無化して(無視ではなく)いこうとする強い意志を感じることができる。
2012/01/04(水)(飯沢耕太郎)