artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

幸本紗奈「unseen bird sing」

会期:2022/07/09~2022/07/23

東塔堂[東京都]

幸本紗奈が2019年に刊行した『other mementos』(Baci)はクオリティの高い、とてもいい写真集だった。今回展示された「unseen bird sing」は、それに続く作品ということになる。だが、出品されている写真は最近のものだけではなく、かなり前、あるいは『other mementos』の時期に撮影されたものも含んでいる。というより、幸本の作品世界は、あまり時間的な経過には関係なく、むしろさまざまな時空の断片を拾い集め、組み立ててゆくものなので、過去作かどうかはあまり問題にならないのではないだろうか。

前作と同じく、今回もまたプリントのクオリティへの強いこだわりを感じる。ブルーのトーンを基調として、赤や緑を染み込ませるように配置し、手が届きそうで届かないような夢のような感触を与えている。鏡、水、鳥、植物などのイメージを相互に関連づけていく取り扱い方も、さらに洗練されてきた。

だがこのままだと、何を伝えたいのか曖昧なまま、居心地のよい世界に安住することになりかねない。幸本に必要なのは、個々の写真を結びつけ、つなぎ合わせていく骨格=テキストなのではないだろうか。展示を見て、写真が言葉を欲しているように見えてきてならなかった。幸本には文学への関心もあり、タイトルの付け方ひとつを見ても、言葉をしっかりと使うことができる能力を備えていることがわかる。むしろ断片的なものでいいから、各写真とテキストとを並置するような展示、あるいは写真集をぜひ見てみたい。

2022/07/16(土)(飯沢耕太郎)

高橋万里子「スーベニア」

会期:2022/07/12~2022/07/25

ニコンサロン[東京都]

高橋万里子は2002年のphotographers’ galleryの創設時からのメンバーで、同ギャラリーでコンスタントに個展を開催してきた。最初の頃はカラフルな食べもの、人形などのオブジェを画面全体に撒き散らすように配置して撮影する、やや少女趣味の作風だったが、2007~08年に開催した「月光画」の連続個展のあたりから作品の雰囲気が変わってきた。母親、同世代の友人たちを、おぼろげなソフトフォーカスのトーンで撮影したポートレートに加えて、モデルたちにふさわしいスーベニア(お土産物)の写真を、付け合わせるように撮影していった。ノスタルジアと痛みとを両方同時に感じとることができるようなそれらの作品群は、独特の風合いをもち、その魅力を言葉にするのはむずかしい。だが、長く記憶に残って、夢のなかにも出てきそうな奇妙なオーラを発していた。

今回のニコンサロンでの個展では、19歳の時に撮影したという、エクレアを口に頬張る初々しいセルフポートレートから近作まで、高橋の写真家としての軌跡を辿るような構成になっていた。中心になっているのは、むろん「月光画」以降の作品で、高橋の構想力の高まりを受けて、作品が枝分かれしつつ展開していくプロセスを、あらためて確認することができた。あわせて、やはり初期作品を含む代表作を掲載した写真集『Souvenir(スーベニア)』(ソリレス書店)も刊行されている。展示や写真集を見てあらためて感じたのは、彼女が20代、30代、40代と歳を重ねていく人生の軌跡と、写真作品のそれとが、思いがけないほどに重なり合っているということだ。一見、はかなげな幻影のような高橋の作品世界は、意外にリアルな感触を備えているのではないだろうか。

2022/07/15(金)(飯沢耕太郎)

川口和之「OKINAWAN PROSPECTS」

会期:2022/07/14~2022/07/24

photographers’ gallery[東京都]

東京・新宿のphotographers’ galleryを拠点に、「PROSPECTS」シリーズを発表し続けている川口和之だが、今回は被写体を沖縄に絞り込んでいる。沖縄には1976年にはじめて訪れ、それから何度も足を運ぶようになった。今回の出品作は、2008-2018年の撮影だという。

川口の「PROSPECTS」シリーズは、その客観性に特徴がある。建物、街路の事物の細部までくっきりと鮮やかに撮影されており、主観的な感傷に溺れるということがない。それに加えて、近年では雨などの気象現象を積極的に取り込むようになり、色味の丁寧なコントロールと相まって、街の質感や空気感がしっかりと写り込んでいる。沖縄の写真というと、どうしても感情移入が強まりがちだが、川口の正確無比な描写は、逆に南の地域の風物のあり方を確実に捉えきっていると思う。川口によれば、ここ10年余りで、那覇のような都市の眺めはかなり変わってしまったという。農連市場や新天地市場のような、沖縄独特の風情を持つ場所も消え去ってしまった。川口の写真は、失われていくもののドキュメントという意味ももち始めているということだ。

展覧会に合わせて、同名の写真集も刊行された。A4判の私家版写真集という形で発行され続けてきた『PROSPECTS』ももう7冊目、厚みと広がりのある写真集シリーズになりつつある。

2022/07/14(木)(飯沢耕太郎)

古屋誠一写真展 第一章 妻 1978.2-1981.11

会期:2022/06/10~2022/08/06

写大ギャラリー[東京都]

東京工芸大学は、この度、オーストリア・グラーツ在住の写真家、古屋誠一の作品364点をコレクションした。古屋は同大学の前身である東京写真大学短期大学部を1972年に卒業しており、日本だけでなく欧米でも評価の定まった写真家ではあるが、これだけの数のプリントを収集するというのは、かなり思い切った決断だと思う。今回の展覧会は、そのお披露目を兼ねたもので、古屋がグラーツで演劇と美術史を学んでいたクリスティーネ・ゲスラーと知り合い、結婚し、ともに過ごすようになった時期の写真(古屋自身による1990年代のプリント)50点が展示されていた。

クリスティーネがのちに精神的に不安定になり、1985年に自ら命を断つことを知っている者は、この時期の写真の眩しいほどの輝きが逆に痛々しく見えるかもしれない。古屋自身が画面に写り込んでいる写真も含めて、そこから見えてくるのは、出会ったばかりの恋人たちの、ナイーブだが充実した日々の記録である。ひとつ言えるのは、どの写真も、そこに写っているクリスティーネが、「撮られている」ことを意識し、古屋に強い眼差しを向けていることだ。いつでも、どこでも見つめ、見つめ返される眼差しの交換ができる、特別な信頼関係が二人の間に育っていたことがうかがえる。だが、1980年くらいになると、その二人の関係のあり方が微妙に揺らいでくる。第一子を身ごもったクリスティーネの、やや不安げな固い表情が印象的だ。いずれにしても、古屋が撮影したクリスティーネのポートレートが、これまでの写真史の流れにおいても、特異かつ特別な意味をもつものであることを、あらためて認識することができた。

なお2022年11月には、本展の続編として「第二章 母」のパートが展示される予定である。

2022/07/13(水)(飯沢耕太郎)

なぎら健壱「偶然に出遭えること!」

会期:2022/07/06~2022/07/23

Kiyoyuki Kuwabara AG[東京都]

フォークシンガーで、独特の風貌、語り口でTVなどへの出演も多いなぎら健壱は、筋金入りの写真マニア、カメラマニアである。その写真の腕前がただならぬものであることは、『日本カメラ』誌に2012年から連載していた「町の残像」(2017年に日本カメラ社から写真集として刊行)などで知っていたが、今回Kiyoyuki Kuwahara AGで開催した個展「偶然に出遭えること!」に出品した作品を見て、あらためてそのことがよくわかった。

今回出品された25点は、すべてモノクローム・プリントだが、逆にノイズを削ぎ落とすことで、彼の「偶然」を呼び込み、隙のない画面構成に仕立てていく能力の高さが、しっかりとあらわれていた。まさに正統派のスナップ写真であり、木村伊兵衛の空気感の描写と植田正治の造形感覚の合体といってもよいだろう。

少し気になったのは、居酒屋など、なぎらのテリトリーで撮影されたもの以外の路上の写真のほとんどが、影の部分を強調したコントラストの高いプリントになっていて、顔がほとんど識別できないことである。そのこと自体は、むしろ写真作品のクオリティを上げるという方向に働いていると思う。だが、もしそれが路上のスナップ写真につきまとう肖像権に配慮したものだとすると、少し残念な気もする。なぎらに限らず、肖像権の問題は多くのスナップ写真の撮り手に息苦しさを与えている。むろん、闇雲に顔を撮影すればいいというわけではないが、タブーがもう少し和らぐような状況を醸成していくことはできないだろうか。

2022/07/13(水)(飯沢耕太郎)