artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

特別展アリス─へんてこりん、へんてこりんな世界─

会期:2022/07/16~2022/10/10

森アーツセンターギャラリー[東京都]

アリス好きにとってはたまらない展覧会だろう。「アリスの誕生」「映画になったアリス」「新たなアリス像」「舞台になったアリス」「アリスになる」の5部構成で、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』(1865)と『鏡の国のアリス』(1871)が、アートとカルチャー・シーンにどのような影響を及ぼしてきたかをたっぷりと見せている。文学、美術、写真、映画、演劇、音楽、ファッションなどにまたがる、そのめくるめく広がりを、あらためて堪能することができた。

特に今回は、キャロルの母国でもあるイギリス・ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館の企画・構成による展覧会なので、同館のコレクションからも貴重な作品・資料が出品されている。そのことが、とりわけアリス物語の出現の前後を追う「アリスの誕生」のパートに厚みと奥行きを加えていた。

筆者のような写真プロパーにとって特に興味深かったのは、ルイス・キャロルことオックスフォード大学の数学講師、チャールズ・ラトウイッジ・ドジソンが、1860年代から撮影し始めた写真作品が、かなり多数出品されていたことだった。キャロルは、ガラスのネガを使用する湿版写真の技術を身につけ、『不思議の国のアリス』を捧げたアリス・リドゥルをはじめとする、家族ぐるみで親しくしていた少女たちを中心として、生涯に3,000点もの写真を撮影したといわれている。技術的にはかなり高度であり、何よりも、彼の繊細な美意識が画面の隅々にまで反映した写真が多い。今回の出品作にも、多重露光を試みたり、衣装やポーズに工夫を凝らした作品が含まれていた。残念なことに、本展もそうなのだが、写真家としてのルイス・キャロルにスポットを当てた本格的な展覧会は、日本ではまだ実現していない。やはりヴィクトリア・アンド・アルバート美術館が所蔵する、女性写真家の草分け、ジュリア・マーガレット・キャメロン(彼女もアリス・リドゥルを撮影している)など、同時代の写真家たちの作品も含めて、ぜひどこかで「写真家・ルイス・キャロル」展を実現してほしいものだ。


公式サイト:https://alice.exhibit.jp

2022/07/27(水)(飯沢耕太郎)

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浅田政志 ぎぼしうちに生まれまして。

会期:2022/04/09~2022/06/05

BAG -Brillia Art Gallery-[東京都]

本展は「ぎぼしうち」を故郷として住まう人々へのインタビューと写真で構成されている。「ぎぼしうち」とは何かというと、江戸時代の幕府直轄だった橋があったエリアの内側のこと。平民が使える橋は江戸では京橋、日本橋、新橋だけにあって、ほかの橋と区別するため欄干には「擬宝珠」という飾りが付けられた。「ぎぼしうち」は、近世以降の日本の中心というわけである★1。ということで、いまもってオフィスビルが連なる経済の中心がその栄華をより一層誇るための展覧会なのかというと、そういうことではなかった。むしろ、示そうとされているのは「普遍的」であることだ★2

インタビューを受けたのは、和洋料理「きむら」の木邑芳幸さん、白木屋伝兵衛の中村悟さん、半江堂印房の松田美香さん、和菓子屋桃六の林登美雄さんだ。いずれも老舗の当代で、「きむら」の創業60年がもっとも若いということに小さく驚く。壁面にはそれぞれの名前、過去を振り返ることができる写真、インタビューの抜粋とそれぞれの一日のルーティーンの情景の描写の言葉。仕事終わりに釣りのYoutubeを見ることが癒しだったり、百円ショップの台頭で商売が変わったり、家族一緒にアイドルグループの嵐を応援したり、借金を返したり、町会での17年ぶりの新生児が祝福されたりする。


「印鑑店主」展覧会風景


「和帚店主」展覧会風景


歌人でコピーライターの伊藤紺による言葉は生活の身振りがありありと伝わるもので、まんまとお店に行きたくなったわたしは「きむら」で、同席した人からめくるめく華やかな世界がいかにcovid-19で影響を受けたのかという話を聞きながら晩ごはんを食べた。豪華メンバーによる展覧会をきっかけにプロモーションにもなる取材をされる「ぎぼしうち」。ただ、浅田がここで見出した「普遍」は、オフィスビルが乱立する都市開発の権化のような場所にとって、あるいは核家族ですらなく単独世帯が基調となる時代にとっては希少な風景なのではないだろうか。

なお、本展は無料で観覧可能でした。


★1──以下を参考にした。松村博『論考 江戸の橋―制度と技術の歴史的変遷』(鹿島出版会、2007)
★2──浅田政志による展覧会ステイトメントでは以下のように書かれている。「生まれた場所は特殊かもしれませんが、故郷を大切にしながら家族と暮らす姿はどこにでもある普遍的なものでした」。


公式サイト:https://www.brillia-art.com/bag/exhibition/04.html

2022/07/25(月)(きりとりめでる)

「A Quiet Sun」田口和奈展

会期:2022/06/17~2022/09/30 ※予定

メゾンエルメス8・9階フォーラム[東京都]

太陽の光は否応なしに写真を劣化させ、なすがままにしておけば、いつかイメージを蒸発させる。田口和奈は本展で自身が収集したファウンドフォト、ファウンドフォトになった絵画や立体作品などがモチーフとなった写真作品「エウリュディケーの眼」シリーズ、その他作品を多数出展している。ガラスが全面を覆う銀座メゾンエルメスの会場には、やわらかな外光が降りそそいでいた。

では、それぞれはどう置かれているのか。会場には絵画の複写のファウンドフォトが、直射日光を避けるようにしてガラスケースに鎮座し、額装されたシリーズ作品「エウリュディケーの眼」もまたガラス窓に対して垂直に、あるいは陽を背にするように設置されていた。しかし、そのなかで、ペラっと壁に直貼りされた作品群は光を目一杯浴びていた。それが必要なことであるかのごとく。

複写が無限のイメージをつくりだす様がまるで惑星の創世のような《11の並行宇宙》(2019)や《A Spirit Conservation》(2022)といった着彩された図版が複写された作品はいずれも、写真は撮影によって無限の造形が可能であること、撮影された絵画は写真なのではないか、と投げかけてくる。あるいは、それらが紙なり本なりウェブサイトなりに定着した時点において、個別の生を歩むのではないかと。

では、ここでの作品にとっての光とは何なのかと言うと、経年の契機であり、個別の瞬間、瞬間に存在してきた証を写真に付与するものであり、このような意味において、田口の壁に直貼りされた作品群は特に、複写された瞬間に作品から乖離して別の生を始めてしまう、生成する存在としての写真なのだろう。

なお、本展は無料で観覧可能。


「A Quiet Sun」制作風景(2022)
A scene from the making of "A Quiet Sun" | 2022
Courtesy of Fondation d'entreprise Hermès


《エウリュディケーの眼 #5》(2019-22)ゼラチン・シルバー・プリント、14.7x10.5cm
the eyes of eurydice #5 | 2019-2022 | Gelatin silver print | 14.7x10.5cm
Courtesy of Fondation d'entreprise Hermès



公式サイト:https://www.hermes.com/jp/ja/story/maison-ginza/forum/220617/

2022/07/20(水)(きりとりめでる)

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中村ハルコ「光の音 Part II- echo」

会期:2022/07/07~2022/09/04

カスヤの森現代美術館[神奈川県]

中村ハルコ(1962-2005)は、2000年の写真新世紀展に自らの出産体験を撮影した「海からの贈り物」を出品してグランプリを受賞した。一方で、1993年から98年にかけてイタリア・トスカーナ地方をたびたび訪れ、その土地に根ざして生きる老夫婦と家族の写真を撮り続けていった。それらは、彼女の没後に写真展で展示され、写真集『光の音-pure and simple』(フォルマーレ・ラ・ルーチェ、2008)にまとまる。今回のカスヤの森現代美術館での展示は、その続編というべき企画である。

トスカーナ地方の人々、風物を捉えきった、生命礼賛、慈しみの感情にあふれる描写は、中村にしか撮れない世界ではないだろうか。日本からはるばる訪れたという距離感も、とてもうまく働いたのではないかと思う。農家の人々が、彼女をあたかもマレビトのように受け入れ、手放しで、心から歓待している様子が伝わってくる。何よりも、差し込む光と吹き渡る風の描写が素晴らしい。フィルムで撮影していることによって、プリントに微妙な揺らぎが生じ、それが見る者に快い波動となって伝わってきた。彼女が惜しまれつつ亡くなってから17年、前回の発表から10年以上も過ぎているわけで、より若い世代の観客に、このような形で中村の仕事を引き継いでいくのは、とても大事なことだと思う。

今回の展示には間に合わなかったが、『光の音 PartⅡ』を写真集として刊行する計画もあるようだ。中村のほかの仕事も含めて、あらためて、彼女の写真家としての軌跡をふり返ってみる時期に来ているのかもしれない。

2022/07/17(日)(飯沢耕太郎)

土田ヒロミ『Aging』

発行所:ふげん社

発行日:2022/06/23

土田ヒロミの「Aging」シリーズは、まさに破天荒としかいいようのない作品である。土田は1986年7月に、すでに老化の兆しを感じ始めていた自分自身の顔を「毎朝の洗顔のように」撮影しようというアイデアを思いついた。区切りがいいということでいえば、翌年の1月1日からだが、そこまで待つと計画が流れてしまいそうに感じて、同年の7月18日から撮影を開始する。以来その営みは36年にわたって継続されることになる。今回、ふげん社から刊行された写真集には、1986-2021年撮影の全カットがおさめられている。何らかの理由で撮影ができなかったり、データが消失してしまったりした日もあるので、総カット数は約1万3千カットということになる。

土田はこれまで、この「Aging」を個展の形で2回発表している。撮影10年目の1997年に銀座ニコンサロンで、そして撮影33年目の2019年にふげん社で。この2回目の個展に展示した写真群に、その後の3年分を加えたものが、今回の写真集制作のベースになった。そこでは、これだけの量の写真を写真集という器の中にどうおさめるかが最も重要な課題になったのは間違いない。写真集のデザインを担当した菊地敦己も、だいぶ苦労したのではないだろうか。結果的に、写真を顔がぎりぎりに識別できる最小限の大きさまで縮小し(11.5×14.5㎜)、横18コマを21段重ねた27.2×28.7㎝の方形のフレームに、1年分の写真がおさまるようにレイアウトした。写真図版の対向ページには、撮影年月日を記したコマが並び、それぞれの写真と対応するようになっている。

現時点ではベストといえるレイアウト、デザインだと思うが、問題は「Aging」シリーズがこれで完結したわけではないということだ。土田は80代を迎えてもまだまだ元気であり、本シリーズもこの先まだ続いていくはずだ。あながち冗談ではなく「死ぬまで続く」はずの本作を、これから先どんな形で発表していくのか、おそらく土田のことだから何か考えているはずだが、どうなっていくのか興味は尽きない。

2022/07/16(土)(飯沢耕太郎)