artscapeレビュー
2013年08月01日号のレビュー/プレビュー
美の響演──関西コレクションズ
会期:2013/04/06~2013/07/15
国立国際美術館[大阪府]
関西の国公立美術館6館(国立国際美術館、大阪市立近代美術館建設準備室、京都国立近代美術館、滋賀県立近代美術館、兵庫県立美術館、和歌山県立近代美術館)が所蔵する欧米美術、約80点を一堂に展観したもの。展示は次のとおり、「第1章:20世紀美術の幕開け」「第2章:彫刻の変貌とオブジェの誕生」「第3章:ヨーロッパの戦後美術」「第4章:戦後アメリカ美術の展開」「第5章:多様化する現代美術」の5部で構成される。20世紀初頭のセザンヌ、ピカソから始まり、ボッチョーニ、デュシャン、ブランクーシ、アルプ、コーネル、フォートリエ、ロスコ、ステラ、ウォーホル、リヒター、バスキア、シャーマン、21世紀初頭のジュリアン・オピー等々、選りすぐりの作品が揃う。これさえ見れば20世紀以降の美術のおもな展開を概観できるといって過言ではないほど、見どころがぎゅっと凝縮された展覧会である。[竹内有子]
2013/06/29(土)(SYNK)
Ariane Monod Drawing Wall & Paintings
会期:2013/07/02~2013/07/14
同時代ギャラリー[京都府]
京都の同時代ギャラリーが、スイス・ジュネーブのアート・スペース「エスパース・シュミネ・ノール」と提携し、1年おきに交換展を行なうことに。その第1弾として画家のアリアン・モノが来日し、作品展と公開制作を行なった。彼女の作品は、アルミ板の上に油絵具で描く抽象画だ。極端に横長の構図が特徴で、薄く溶いた絵具を何層も塗り重ねることにより、透明感と奥行きと変化に富む空間をつくり出している。作品の印象は、油絵にもかかわらず東洋の山水画に近く、これなら現代美術に不慣れな人や墨絵のファンでも違和感なく鑑賞することができるだろう。遠くヨーロッパからやって来た画家の内面に、われらと同質の美意識があることを嬉しく思う。
2013/07/02(火)(小吹隆文)
鈴木悦郎──エンゼル陶器の仕事
会期:2013/07/03~2013/07/15
あるぴいの銀花ギャラリー[埼玉県]
画家・挿画家の鈴木悦郎(1924- )は、中原淳一の雑誌『ひまわり』『それいゆ』や富国出版社の『少女世界』などの挿画、児童雑誌『ぎんのすず』などの絵本、教科書や書籍の装幀、シールやハンカチなどの雑貨、学習教材のパッケージやお店の包装紙など、さまざまな仕事を手掛けてきた。その多彩な仕事のひとつに陶磁器のデザインがある。鈴木悦郎は昭和30年代半ばから20年以上にわたって、200種類を超える陶磁器のデザインを手がけてきたきたという。当初は「みわ工房」という製陶所が制作にあっていたが、その後、岐阜県多治見の「エンゼル陶器」で制作・販売された。エンゼル陶器は20年以上前に廃業してしまったが、今回の展覧会では、経営者の手元に保存されていたサンプル製品のほか、悦郎がデザインした陶磁器の図面や版下、製品カタログが出品された。
中原淳一や内藤ルネが描いた少年少女像とは異なり、『ひまわり』『それいゆ』を飾った悦郎の挿画は、武井武雄や初山滋の童画の系譜につらなる、どこかエキゾチックで素朴な線が特徴である。陶磁器の仕事では絵付けや色彩が魅力的なことはもちろん、器の形も──その時代特有のものなのかも知れないが──古めかしいという印象を与えるものではなく、むしろモダン。なかには悦郎自ら器形をデザインし、特許をとった製品もあった。彼はただ意匠を提供しただけではなく製品全体に目を配り、エンゼル陶器のロゴマークや「ひびをたのしく」というキャッチフレーズも手がけている。一企業をトータルにコーディネートしたデザイナーでもあったのだ。
展覧会場の「あるぴいの銀花ギャラリー」は、フレンチ、イタリアンなどのレストラン、ショップなどから構成される「アルピーノ村」の一角にあるギャラリー。マダムの阪とし子さんが悦郎の大ファンということで、レストランには数々の悦郎作品が掛かっているほか、窓のステンドグラス、シンボルマーク、メニューやお菓子の包装紙に至るまで、そこここに悦郎デザインを見ることができる。ギャラリーのマークも悦郎による描き文字だ。ギャラリーでは1988年から年に2回、鈴木悦郎の絵画の個展が開催されていた。毎回全国からファンが訪れ、出品作品はたちまち売約済みになる人気であったとか。残念なことに、高齢もあって新作の個展は昨年末が最後の開催となったそうであるが、ご本人がお元気なうちにその仕事を包括的に振り返る展覧会を実現して欲しいと願う。[新川徳彦]
2013/07/03(水)(SYNK)
横谷研二 展
会期:2013/07/01~2013/07/06
Gallery K[東京都]
会場の天井から長い立方体が何本もぶら下がっている。表面には細かい網の目模様が全体に広がっており、よく見ると素材はダンボールだった。それらのあいだを縫いながら見て歩くと、来場者の動きに感応してわずかに回転するほど、軽いようだ。離れてみると、回転する立方体の表面に時折モアレが生じて見える。遠景を見透かすほどの浮遊感を覚えた次の瞬間、たちまち網の目がつぶれてソリッドな量塊性が飛び出してくるのだ。無機質な立方体でありながら、回転に応じてその表情を次々と変転させるところが、じつに面白い。求心性にもとづく彫刻の伝統を、これほどまでに軽やかに脱臼させる遠心性は、なかなかない。
2013/07/04(木)(福住廉)
田中美沙子『闇とルシフェリン』
会期:2013/07/05~2013/07/06
せんがわ劇場[東京都]
久しぶりに新しい才能に出会えたとわくわくした。上演時間の60分を飽きさせない知的な工夫が随所に施されていたからだろう。田中美沙子は、黒田育世が主宰するBATIKに所属するダンサー。確かに「女性性」の表現に黒田のセンスに通底するものを感じるのだけれど、そうした印象をはみ出す力強い可能性を見た気がしたのだ。舞台にはシングルサイズのベッドと黒い下着姿の女(田中)が1人。女は口に、トナカイの角に似た木の枝(先端には小さな電灯が飾られてもいる)をくわえている。なんとも滑稽で奇妙なジョイント。なぜ女がへんてこなオブジェをくわえる運命を生きることになったのか、それはわからない。わからないが無理やり繋がっている二つの存在に目が釘付けになる。田中の体からは、バレエのエッセンスを感じさせる動作が時折あらわれる。けれど、アンコウの体の一部のようでもありまたペニスのようでもある銀色の枝が、その美しさを打ち消してしまう。次に、ベッドが壁のように立てられると、女は闇から残骸らしきものを拾いはじめた。残骸のなかに、明らかにしゃれこうべとわかるパーツがあらわれる。おかしなポーズのおまじない(?)とともに、それらをベッドの向こうへ放り投げる。しばらくすると、今度は完全な形のしゃれこうべを手に田中が姿をあらわした。時間の逆行?魔法?なんだかよくわからないが、枝といいベッドといいこのしゃれこうべといい、ソロのダンスにこうしたアイテムがとても効果的に舞台に置かれているのは間違いない。オブジェが踊る身体を引き立てるだけの役割ではなく、むしろ身体と対等に並び、拮抗しているのがよいのだ。全体として音楽の選択もとても気が利いていた。印象的な音楽が流れるたびに、イメージが切り替わり、その都度、場が面白くなった。けれども、音楽が前に立ちすぎて、音楽に頼りすぎているように見えてしまうのは残念だ。音楽と拮抗し、ときに音楽を裏切り、あるいは音楽不在のダンスであっていい。正直、フライヤーに書かれていた作品についての田中本人の文章と、作品を見たぼくの印象とはあまり接点がない。そういう意味で、ぼくの誤解もあるのかも知れない。けれども、それにしても、風変わりで力強い作品を見ることができた楽しさは否定しようがない。
2013/07/06(土)(木村覚)