artscapeレビュー
2016年12月01日号のレビュー/プレビュー
アカデミア美術館所蔵 ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち
会期:2016/10/22~2017/01/15
国立国際美術館[大阪府]
イタリアのアカデミア美術館が所蔵する、15-17世紀のヴェネツィア派の絵画を約60点紹介するもの。本展は、ルネサンス黎明期のジョヴァンニ・ベッリーニ、カルロ・クリヴェッリ、ヴィットーレ・カルパッチョ等から始まり、16世紀にヴェネツィア絵画の黄金期を築いたティツィアーノ、同世紀後半に活躍したティントレット、ヴェロネーゼ、バッサーノの三巨匠、そして共和国の統領など高位官職者や女性たちの内面までをも映し出すかような肖像画の数々、17世紀バロック様式への架け橋となった後継者たちの作品、による5つの柱から構成される。見どころは、ティツィアーノの《受胎告知》(1563-65頃、サン・サルヴァドール聖堂所蔵)。4メートルを超える巨匠の作品は、やはりとても迫力がある。もうひとつ同じように晩年の作ながら、《聖母子(アルベルティーニの聖母)》(1560頃)も合わせて、聖母とイエスの深い精神性に満ちた表情の交感性に魅入られる。通覧すれば、レオナルドやミケランジェロのようにデッサンと構図を重んじたフィレンツェ派と、着彩を重んじ感覚に訴えるヴェネツィア派との違いがよく理解できる。見応え充分な展覧会。[竹内有子]
2016/10/12(土)(SYNK)
THE PLAY since 1967 まだ見ぬ流れの彼方へ
会期:2016/10/22~2017/01/15
国立国際美術館[大阪府]
1967年に結成され、関西を拠点に活動している美術家集団「プレイ(THE PLAY)」。彼らの特徴は、パーマネントな作品をつくることではなく、一時的なプロジェクトの計画、準備、実行、報告を作品とすることだ。例えば《現代美術の流れ》という作品は、発泡スチロールで矢印型のいかだをつくり、京都から大阪まで川を下った。また《雷》では、山頂に丸太で約20メートルの塔を立て、避雷針を設置して、雷が落ちるのを10年間待ち続けた。中心メンバーは池水慶一をはじめとする5人だが、これまでの活動にかかわった人数は100人を超えるという。彼らの作品は形として残らないため、展覧会では、印刷物、記録写真、映像などの資料をプロジェクトごとに紹介する形式がとられた。ただし、《雷》《現代美術の流れ》《IE:THE PLAY HAVE A HOUSE》など一部の作品は復元されていた。資料展示なので地味な展覧会かと思いきや、彼らの独創性や破天荒な活動ぶりがリアルに伝わってきて、めっぽう面白かった。プレイの活動のベースにあるのは「DO IT YOURSELF」の精神と「自由」への憧れではないだろうか。時代背景が異なる今、彼らの真似をしてもしようがないが、その精神のあり方には憧れを禁じ得ない。
2016/10/21(金)(小吹隆文)
遅咲きレボリューション!
会期:2016/10/15~2017/01/29
クシノテラス[広島県]
櫛野展正は日本で唯一のアウトサイダー・キュレーター。長らく広島県福山市の鞆の津ミュージアムで他に類例を見ない独自の企画展を催してきたが、このほど独立して同市内にアウトサイダー・アートを取り扱うギャラリー「クシノテラス」をオープンさせた。本展は開館記念展に次ぐ第二回目の企画展で、高齢者になってその才能を開花させた表現者たちを一堂に集めている。
参加したのは、ダダカンこと糸井貫二をはじめ、福祉施設を退職後にダンボールなどに絵を描き始めた長恵、50歳になってエロチックな自撮り写真を撮り始めたマキエマキ、そして70歳を超えてから写真を学び、パソコンソフトを駆使しながら、セルフポートレートを撮っている西本喜美子の4人。何かと「コンセプト」や「文脈」を重視しがちな現代美術とは対照的に、いずれも内なる衝動に素直に突き動かれた、きわめて純粋な表現者たちである。
なかでも突出していたのが、熊本県在住で、今年88歳の西本喜美子。その写真は、物干し竿の衣服に袖を通したり、ゴミ袋に身を包んだり、老女である自分を笑い飛ばすようなユーモアあふれるものばかり。そこに、老人をむげに扱いがちな現代社会への痛烈な批評性を読み取ることもできなくはないが、それ以上に伝わってくるのは西本のひたむきな表現欲動である。息子の写真教室で基本的な技術を習得し、やがて撮影した写真をパソコン上でデジタル加工する水準にまで自分で自分を引き上げた底力がすばらしい。軽トラックに轢かれているように見える写真は、停車した車両の前に倒れ込んだ自分を撮影した後、パソコン上で画像処理することで、あたかも軽トラックが高速で前進しているかのように見せたものだ。面白い写真を撮るために知恵と工夫を凝らし、その継続が結果的に写真と自分をともに高めているのだろう。その発展的な軌道に西本が乗っていることが感じられるからこそ、私たちの視線はますます釘づけになるのである。
櫛野の挑戦がアウトサイダー・アートの外縁を拡張していることは間違いない。ジャン・デュビュッフェが命名した「アール・ブリュット」以来、それは精神疾患をもつ人による表現に注目しながら、西洋近代の芸術とは別の芸術を求めてきた。櫛野はこれまで社会福祉という領域に軸足を置きつつも、もう片方の脚を、従来のアウトサイダー・アートには含まれない、例えばヤンキーや死刑囚、スピリチュアルといったアウトサイダーまで伸ばし、あるいは純粋無垢な障害者というレッテルを貼られがちなアウトサイダー・アートに、社会福祉の世界では敬遠されがちなエロティシズムや暴力性をあえて持ち込んだ。こうした孤軍奮闘の取り組みが、隘路に陥って久しい現代美術の世界に痛快な風穴を空けた功績は、最大限に強調しなければなるまい。
だが、あえて批判的な論点を示すならば、アウトサイダー・アートの外縁を拡張する仕事は、どれほどその境界線を外側に押し広げたところで、美術そのものの「革命」には結びつかないのではないか。なぜなら、そのフロントをどこまでも拡大することができるのは、自らの立ち位置を「インサイドには置かない」という巧妙かつ周到な戦略によって担保されているからだ。言い換えれば、現代美術の歴史や文脈、構造と無縁な場所を確保することではじめて「別の芸術」の価値は生まれている。それが退屈な現代美術に飽き足らない人々にとっての求心力となっている事実は否定しない。けれども、はたして「別の芸術」の真価が、そのようなある種の例外にしかないとは到底思えない。少なくともデュビュッフェが提起したアール・ブリュットとは、西洋近代芸術のアジールとしてではなく、むしろその真価が体現された本来的な芸術として構想されていたはずだった。だとすれば、アウトサイダー・アートのフロントは、果てしなく外縁を拡張する方向性だけでなく、むしろインサイドを脱構築ないしは内破する方向性にも見出すことができるのではないか。
アウトサイダー・アートを糸口として現代美術の内側から根本的な変化を引き起こすこと。しかも、その革命を遂行するのは外側からやってきたアウトサイダーではなく、現代美術の内側を構成していることを自認する当事者自身でなければならない。そうでなければ、歴史が証明しているように、異端や例外はたちまち内側に回収されてしまうことは明らかだからだ。アウトサイダー・アートの最も大きな魅力は、そのようにインサイダー・アートを根底から突き崩す潜在的な批判性にある。
その意味で、櫛野が本展で糸井貫二を取り上げている点は興味深い。彼こそアウトサイダーに見えて、その実インサイダーの中心に内蔵されていることを示す美術家だと思われるからだ。櫛野にかぎらず、さまざまな論者がこの伝説の美術家について言及しているが、その多くは異端や例外として位置づけているにすぎない。だが、パフォーマンスの形式面でも、それを衝動的に導き出した表現欲動の面でも、ダダカンこそ、実は最も純粋かつ誠実に、あるいはまた正統に、美術の本質を体現した美術家ではなかったか。それが証拠に、ダダカンは自らが「異常」というレッテルを貼り付けられがちなことを十分に自覚していた。「あえて信ずることをおし貫き、純粋に生きようとすれば、あらゆる罵言、不当な反感、抵抗を覚悟しなければならない。だから私は言ふのである。「純粋であればあるほど、誤解されるのだ」(「光の版画」1964年11月24日付け、黒ダライ児『肉体のアナーキズム』p.435)。「純粋」なインサイドを自認するアーティストらは、ダダカンのこの言葉を耳にして、どのように感ずるのだろうか。外側に見ていた異端や例外が、内側の核心に棲んでいることを感知したとき、革命は始まるのだ。
2016/10/22(土)(福住廉)
さいたまトリエンナーレ2016
会期:2016/09/24~2016/12/11
さいたまトリエンナーレ[埼玉県]
◯◯トリエンナーレ(ビエンナーレ)が急増しているが見方がわからない。どうやっても、確保した時間内に展示のすべてを見きることはできない。映像作品が多いとなおさら、どこまで見たら見たことになるかわからない。ふと立ち止まったただの傍観者みたいにするほかないかとか、遠路はるばるやって来たのだから旅行客気分でいようかとか、いつまでもいわゆる「鑑賞者」の体裁を整えられず歯がゆい。とくに都市の場合、街中にすでに大量の情報が多層のレイヤーをなして存在しており、展示はそこに割り込む形になる。街にあふれるサインの方が刺激的で、アート鑑賞を気取るための静けさを獲得できない。都市にはレイヤーが多すぎるのだ。かたや、新潟や瀬戸内での展示は、レイヤーが乏しい。〈自然〉と〈人の営み〉と〈アート〉くらい。だから集中して見るし、結果として満足感が得られやすい。昨年、越後妻有アートトリエンナーレを大学生と見学旅行した際、ある学生が「スマホが繋がらなかったのが良かった」と言っていたのを思い出す。都市型のトリエンナーレはその点で不利だ。
さいたまトリエンナーレに行った。大宮区役所の岡田利規の展示、岩槻の旧民俗文化センター、武蔵浦和の旧部長公舎などを5時間くらいで巡った。都市型のトリエンナーレでしばしば起こる、会場エリアの地域性が反映されていないという批判には応答していて、どの作品もさいたまとその周辺を取り上げたものだった。岡田の作品は、役所職員のためのかつての厨房を劇場にし、かつてゴキブリやねずみの出た過去のその場の様子を台本化して役者が読み上げる、その様がカーテンをスクリーンにして映写された。あるいは岩槻ではアダム・マジャールが、駅のホームで電車を待つ人々を超低速の映像に収め展示した。「さいたま」を表象することは、越後妻有を表象するように「過疎」としてではないし、もちろん東京を表象するように「世界都市」としてでもない。同行したある学生が、この地域の特徴は「殺風景なところ」と称した。そう、まさに。行きの電車で見た高層マンションの群れ。「さいたまらしさ」とは、特徴のなさ、言い換えれば、日本の多くの街がそうであるような「のっぺらぼう」さなのだ。例えば、過疎地のトリエンナーレでは食が意外に重要なアイテムとなる。さいたまには食はあふれているが、ここでしか食べられないものは少ない(あるいは目に入りにくい)。とはいえ、多くの作家は「何か」を発見したくて掘り進む。その結果、縄文期に突き当たったのが高田安規子・政子《土地の記憶を辿って》。民家の障子などに、かつて住んでいただろう動物たちが描かれ、縄文期のこの場を想像させる。そうやって隠れたレイヤーを掘り起こす作業は確かにひとつのやり方だろう。でも、例えば縄文期というレイヤーは、さいたま以外のどの地域でも見出せるはずだ。
多数のレイヤーがありながら「のっぺらぼう」であるというさいたまのような地域の「地域アート」とは、過疎とも世界都市とも言い難い平均的な日本の暮らしを代表するものだし、その状況を批評すると結構興味深いものになりうるのではないか。けれども、市の事業としてある限り、どうしても「未来の発見!」のようなポジティヴなテーマを立てざるを得ず、結果「のっぺらぼう」というネガティヴな部分に向き合うことは難しくなる。しかし、ただの思いつきだが、あえて地元の悪口言い合うくらいのことをした方が、地元は盛り上がるかもしれない。本音を吐き出すことで、市民参加が促され、「未来の発見!」も進む、というものかもしれない。『翔んで埼玉』(魔夜峰央)の再ブームも記憶に新しい。そりゃあそんなことすれば、「ヘイトスピーチ?」との勘違いが起きたり、途端に騒がしい事態になることだろう。だからこそ秀逸な場のデザインが求められる。そういうところにアーティストの才が要請されるというものではないのかな。
2016/10/22(土)(木村覚)
見世物大博覧会
会期:2016/09/08~2016/11/29
国立民族学博物館[大阪府]
「見世物」とは、「料金をとって珍しい物や各種の芸を見せる興行」(明鏡国語辞典)のこと。江戸時代以来、盛り場や寺社境内などに見世物小屋を仮設することで興行を行なっている。
その定義は明快だが、内実は実に多様で幅広い。「物」に限って言えば、籠や貝、陶磁器などで造形物をこしらえる細工見世物や人間の肉体をリアルに再現する生人形、さらには奇獣珍獣を見せる動物見世物まである。「芸」に焦点を当てても、空中に張った綱や垂直に立ち上げた竹の上で離れ業を演じる軽業や、足だけで物品や人間を自由自在に操る足芸、独楽を巧みに回転させる曲独楽、とにかく重量物を持ち上げて力技を見せる曲持、はたまた女だけで相撲をとる女相撲、さらには乗馬したまま芝居や踊を演じる曲馬芝居などもある。つまり見世物とは、造型と身体パフォーマンスの両面に及ぶ民俗芸能である。
「物」と「芸」が芸術や美術の根幹にある基本要素であることを思えば、見世物は明治期に輸入された近代美術より先行する美術の原型と言えるのかもしれない。事実、木下直之は『美術という見世物』(1993)のなかで、「見世物は美術展が生まれ育った家なのである」(ちくま学芸文庫、p.17)と指摘している。「体操」が見世物小屋の曲芸師たちに出自をもつように、「美術」はある一定の秩序のもとで物を見せる見世物小屋に由来している。今日、見世物と美術の連続性は、ある種の学術的前提として定着していると言ってよい。
本展は、国立民族学博物館と国立歴史民俗博物館が連携しながら「見世物」の全体像を網羅的に紹介したもの(2017年1月17日より3月20日まで国立歴史民俗博物館に巡回)。見世物小屋を模した空間に、見世物の写真や映像、刷り物、使用された器材、絵看板、報道資料、解説文などが展示された。むろん見世物小屋がそのまま再現されていたわけではないし、「美術」との連続性を強調していたわけでもなかったが、それでもその知られざる実態を体感するには十分すぎるほど充実した展観である。
なかでも最も強烈な印象を与えたのが、「人間ポンプ」こと、2代目安田里美(1923-1995)。幼少の頃から見世物小屋で育ち、まぶたの力だけで水をたたえたバケツを振り回す「眼力」、口に含んだガソリンを吹き出しながら着火する「火吹き」、そしてさまざまなものを胃の中に飲み込んでは吐き出す「人間ポンプ」など、さまざまな芸を身につけた生粋の芸人である。会場では、1980年代にじっさいの見世物小屋で演じられた演目を記録した貴重な映像が上映された。
金魚を飲み込んで生きたまま吐き出すのはまだ序の口で、安田は剃刀、五円玉などを次々と呑みこんでゆく。驚くべきは、彼がその後釣り糸を呑み込むと、先端の針に金魚がかかっていたり、五円玉の穴に糸が通っていたりすることだ。にわかには信じられない光景だが、映像をとおしてでも、その尋常ではない芸の力に圧倒されるのだ。事実、現場の客の大半は子どもたちだったが、彼らの表情は驚愕というよりはむしろ理解不能といった様子で、しかしそのような唖然とした表情こそが、実は安田里美の芸の真骨頂を如実に物語っていたように思われる。それは、言ってみれば世界を停止させるような芸だったのではないか。
本展で紹介された見世物の数々を目の当たりにして痛感するのは、見世物が人間の五感に総合的に働きかける芸能だという事実である。視線を集中させるための空間的な配慮はもちろん、会場内の効果的な導線、観る者を決して飽きさせない劇的な展開を含んだ演目の構成、視覚的な強度を補強する濁声の口上など、数々の技術がふんだんに投入されていることがわかる。
その反面、結果として逆照されるのは、視覚を特権化したうえで整備された美術の制度である。木下が解明したように、美術館が導入される前、人々は油絵茶屋という見世物小屋で油絵を観ていたが、そこは視覚だけを優先させる美術館とは違い、芸人が口上を披露しながら、そして茶(珈琲)を飲みながら、絵画を鑑賞していた。いや、「鑑賞」という言い方にあまりにも近代的なバイアスがかかっているとすれば、それは「楽しんでいた」と言うべきかもしれない。いずれにせよ、「見世物」から「美術」へのパラダイム・チェンジの大きさをまざまざと感じざるをえないのである。
「美術」による「見世物」への侮蔑や憎悪に近い差別的な扱いが生じるのは、まさしくその双方のあいだに広げられた大きな隔たりのなかである。木下が言及している「それでは見世物にすぎない」という美術館関係者による常套句が、そのように差別化することで美術が美術であるための自己規定をもくろむ、きわめて政治的な身ぶりであることは明らかだが、本展で克明に浮き彫りになっているのは、そのような「美術」の自己規定を置き去りにするほど豊かな見世物の世界の論理と魅力である。あえて挑発的に言い換えれば、たとえ「美術」がなくても「見世物」があれば十分なのではないか。
例えば見世物研究の第一人者である川添裕は、見世物を次のように明快に定義している。すなわち「見世物とは、たんなる過去の遺物なのではなく、むしろ『世界』を更新する可能性の表現なのであり、さまざまな事物に新たな喜びや驚きを感じ、あるいは不可知なものへの不安にかられ、心底恐怖することのできる、特権的な『世界』である」(「常軌を超える力」同展図録収録、p.187)。安田里美の芸を目の当たりにした子どもたちは、五感を大いに刺激されながらも、おそらく世界が停止してしまったような感覚に陥ったはずだ。けれども、その後再び動き出した世界は、それまでとはまったく異なる姿として、彼らの眼球に映っていたに違いない。だが、そのような世界の更新こそ、実は今日の私たちが美術に求めてやまない超絶した力の正体ではなかったか。
見世物を侮るなかれ。それは美術の原型であり、立ち返るべき原点である。美術が隘路に陥っているとすれば、その打開策のひとつは見世物をとおして美術を再構築する道のりにある。
2016/10/23(日)(福住廉)