artscapeレビュー
2016年12月01日号のレビュー/プレビュー
ART×BIKE:自転車、たおやかに…
会期:2016/10/14~2016/11/06
ギャラリー 工房親[東京都]
街歩き、路上観察を趣味とする人間からすると、自転車の速度は微妙だ。のんびり走っていても怒られない、好きなところで止められるのは、確かに自転車の利点なのだが、その速度では意外に街のあれこれを見落としてしまう。見落とさないように走っていると、ついつい進路に注意が及ばなくなってしまって危険なのだ。もちろん安全に走行しても自動車や電車による移動と比較すれば視界に入ってくる距離あたりの情報量は圧倒的に多いのだが、徒歩に比べれば少ない。またもうひとつの問題は、自転車で出かければ自転車で帰ってこなければならないことだ。レンタサイクルという手もあるのだが、どこでも借りることができるわけでなく、元の場所に戻って返却しなければならないという縛りがある。風を感じる、自然を感じる手段として自転車は好きなのだが、つまるところ街歩きに自転車は微妙なのだ。さて、こうした自転車に対する筆者の日頃の複雑な思いと本展とどう関係するのかというと、本展出品者アベキヒロカズらの作品がまさに路上観察をテーマにしたものだったからだ。ギャラリーから半径約1キロメートルを描いた布製の地図に、街角で採集したヘンなものの写真を缶バッジにしてプロットしている。移動に使われたのはA-bikeという超小型の折りたたみ式自転車。車輪の直径はわずか15センチメートルほど。重さは約7キログラムで電車やバスに持ち込んで運ぶことも容易だ。歩くよりは当然速いがそれほどスピードが出るわけでもない。特徴的な形状から無駄に衆目を集めてしまう恐れはあるが、価格を考慮しなければ街歩き、路上観察にも魅力的な乗り物と思われるので機会があれば試してみたい。
さて、本展は「自転車」を共通のテーマに、絵画、写真、グラフィック、インスタレーションなどでゆるくつながるアートの展覧会の第二弾だ。昨年の「夢走する自転車 ART×BIKE」(筆者は未見)から引き続いて本展のシンボルとして出品されているのは、マルセル・デュシャンの「自転車の車輪」を現代の自転車の車輪で再制作した「デュシャンに習いて」。アートだけではなく、ロードバイクの名品やサイクリング・ウェアまで出展されているところは、本展キュレーターの深川雅文、アートディレクターのクボタタケオの趣味が色濃く反映されている。興味引かれたアート作品のひとつは藤村豪による映像(と、それをテキスト化したもの)だ。自転車店を始めた男性に、なぜ自転車店なのかという質問を日をおいて繰り返し繰り返し尋ねるのだが、回答はそのときどきで同じ部分もあれば異なる部分もある。繰り返される同じ質問と、そのたびに生じるずれがとても面白い。[新川徳彦]
2016/10/29(土)(SYNK)
KYOTO EXPERIMENT 2016 AUTUMN 池田亮司 the radar [kyoto]
会期:2016/11/01~2016/11/06
ロームシアター京都 ローム・スクエア[京都府]
本展は「KYOTO EXPERIMENT 2016 京都国際舞台芸術祭 AUTUMN」の展示プログラムのひとつ。長辺10メートル以上の巨大スクリーンが屋外に設置され、映像作品が日没から午後10時まで上映された。その内容は、幾何学的な図像やカラフルで有機的な図像が、ソナー音とともに展開するもの。具体的には、展示される地点の緯度・経度で観測できる宇宙を、膨大なデータベースからマッピングしたイメージの集積である。人間の感覚を遥かに超えた宇宙のスケールを表わすのに、巨大スクリーンは最適である。圧倒的なビジュアルと音響に身を包まれながら、映画『2001年宇宙の旅』のスターゲートの場面を思い出した。また、これだけ巨大な画像であるにもかかわらず、高解像度が保たれていることにも驚きを禁じ得なかった。
関連フォーカス
舞台芸術を支えるローカルな土壌と世界的同時代状況への批評性──KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2016 AUTUMN|高嶋慈:artscapeフォーカス
2016/11/01(火)(小吹隆文)
グッドデザインエキシビション2016
会期:2016/10/28~2016/11/03
東京ミッドタウン、渋谷ヒカリエ8/COURT・CUBE、GOOD DESIGN[東京都]
今年のグッドデザイン賞は、応募数4,085件から1,229件が受賞。東京ミッドタウンでは受賞全点を展示する(パネル展示を含む)「グッドデザイン賞受賞展」、ヒカリエ会場では歴代グッドデザイン賞受賞デザインから私たちの暮らしにおける安心・安全・防災のためのデザインをセレクトした展示「そなえるデザインプロジェクト」、GOOD DESIGN Marunouchiでは「2016年度グッドデザイン・ロングライフデザイン賞受賞展」が開催された。10年以上にわたって販売されている製品に与えられるロングライフデザイン賞を受賞した商品のひとつが充電式ニッケル水素電池「エネループ」だ。白いボディにシンプルで美しいロゴが「Panasonic」ロゴに変わり残念に思っていたが、海外では現在でも「eneloop」ロゴで販売されており、今回の受賞も海外用製品としてのものなのだそうだ。 本年度のグッドデザイン賞大賞は「世界地図図法[オーサグラフ世界地図]」(慶応義塾大学 政策・メディア研究科 鳴川研究室+オーサグラフ株式会社)。1569年にメルカトルが発表し、現在でも多くの世界地図で使用されているメルカトル図法には、緯度が高くなるほど実際よりも面積が大きく表示されるという欠点がある。これに対して、オーサグラフは、各大陸の大きさや形の歪みを抑えてより正確に世界をとらえるための地図だ。地球という球体の表面にある大陸のかたちや位置関係を平面に正確に展開する方法として思い出されるのは、地球の表面を多面体上に投影したうえで平面に展開するダイマキシオンマップだ。バックミンスター・フラーが1946年に発表したダイマキシオンマップは、展開のしかたによって大陸間の関係、大洋間の関係をかなり正確に表すことができる。しかしながら、ダイマキシオンマップでは大陸に注目して多面体を展開すれば大洋が分断され、大洋を優先すれば大陸が分断されてしまう。正四面体に投影した地球をベースに描かれるオーサグラフでは、大陸のかたちを正確に写しつつ、メルカトル図法の欠点である面積のゆがみを抑え、大洋を連続させることでダイマキシオンマップの欠点をも克服しようというものだ。さらにオーサグラフに特徴的なのは、この地図を反転してつなげていくことで、行き止まりのない、連続した球面としての地球を平面上に展開できるところだ。たとえば南アメリカから南極を経由してオーストラリアに至り、さらにユーラシア大陸を経て北アメリカに続くルートをひとつの平面上に表現できるのだ。オーサグラフが汎用的な世界地図として普及するかどうかは未知数だが、デザインによって世界の見方を変えようという壮大な試みに大賞が贈られたことに注目したい。[新川徳彦]
公式サイト:https://www.g-mark.org/gde/2016/
2016/11/02(水)(SYNK)
KYOTO EXPERIMENT 2016 AUTUMN 木ノ下歌舞伎『勧進帳』
会期:2016/11/03~2016/11/06
京都芸術劇場 春秋座[京都府]
現代演劇の演出家とタッグを組んで歌舞伎の古典演目を上演する木ノ下歌舞伎は、演出に杉原邦生を迎え、主君に対する弁慶の忠義の物語として知られる『勧進帳』を、現代における複数の境界をめぐる物語として読み直した。平家を倒すも、兄・頼朝に謀叛の疑いをかけられ追われる身となった義経一行は、山伏に変装して関所を越えようとする。義経一行ではないかと疑う関守の富樫に対し、機転を利かせた弁慶は、「本物の山伏」の証明として、ニセの巻物を「勧進帳」に見せかけて暗唱し、難を逃れる。だが、
だが木ノ下版『勧進帳』は、戦略的なキャスティングによって、批評的なエッジが際立つものとなった。弁慶には巨漢のアメリカ人俳優を、義経には性別適合手術を受けて「女性」となった俳優を配役。実際の歌舞伎では女形が演じることの多い義経だが、発声や容姿は両性具有的な存在感を放ち、特に「関西弁をしゃべるガイジン」が演じる弁慶は、標準語で話す一行の中でひときわ異質さを際立たせる。ここでは、セリフとしては一切明示されないものの、俳優の身体的条件が(日本)社会の中でのマイノリティを体現し、それゆえ彼らは「通過」を許されず「排除」の対象と見なされるのだ。
加えて秀逸なのが、義経の部下/富樫の部下を、同じ4人の俳優たちが場面ごとに入れ替わって演じる仕掛けである。役が固定されず流動化することで、状況次第で排除する側/排除される側のどちら側にもなりうることを示唆する。また、彼らの衣装が警備員や特殊部隊を思わせることも、ここでの「関所」が現代的な状況として敷衍されるものであり、国境線の通過を許可/拒否する入国審査や検問所、そこで人種や国籍などの差異を根拠として排除が正当化されることを強く示している(このテーマは、同じく「KYOTO EXPERIMENT 2016 AUTUMN」で上演された松根充和『踊れ、入国したければ!』と共通するものであった)。
だからこそ、「和気あいあいとした義経一行に憧れるも、コミュニケーションが苦手でうまくなじめず、疎外感とともに一人取り残される富樫」をやや感傷的に描くラストの落としどころは、作品の持つ批評的な方向性から浮いている感じがして惜しまれた。「現代の若者像の等身大の日常」へ収束してしまったように感じられ、テーマ性への掘り下げがあと一歩欲しいと思わせた。
公式サイト:KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2016 AUTUMN
関連フォーカス
舞台芸術を支えるローカルな土壌と世界的同時代状況への批評性──KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2016 AUTUMN|高嶋慈:artscapeフォーカス
関連レビュー
「境界」と「越境」をめぐるイマジナリー──松根充和『踊れ、入国したければ!』
2016/11/03(木)(高嶋慈)
KYOTO EXPERIMENT 2016 AUTUMN 松根充和『踊れ、入国したければ!』
会期:2016/11/03~2016/11/06
京都芸術センター[京都府]
松根充和の『踊れ、入国したければ!』は、アメリカ国籍のダンサーが、「アブドゥル=ラヒーム」というイスラム系の名前を理由にイスラエルの空港の入国審査で止められ、ダンサーであることの証明として「その場で踊ること」を強要された実話に基づくパフォーマンス。舞台(フィクション)と客席(現実)を隔てる「第4の壁」は、上演開始とともに早々に取り払われ、松根は「松根充和」という個人としてそこに立ち、観客に向けてフランクに語りかける。偶然、ネットのニュースで事件の記事を見つけたこと、このダンサーの所属する「アルヴィン・エイリー・アメリカン・ダンスシアター」は1958年に創設された名門であり、ゴスペルやブルースをモダンダンスと融合させ、当時の黒人公民権運動とともに黒人の自由を訴えるものであったこと……。ここで突きつけられるのは、自由と尊厳を勝ち取るための表現だったダンスが、人種差別の下に管理や強制の対象になってしまうという皮肉な事実だ。松根は「DVDを見て習得した」このダンスカンパニーの代表作の1シーンを、自らの肉体を駆使して実演してみせる。踊ることの自由や解放が、ハードな身体訓練を経て渾身の力を振り絞って踊ることの肉体的苦痛へと変容し、私たち観客はいつしか、踊りを強要した入国審査官の立場に立たされていることの気まずさを味わう。
一方で松根は、当の事件に関するドキュメンタリー的要素を一切不在にしたまま、「情報」の背後にあるものへと想像力を向けさせようとする。彼はどんなダンスをどのように踊ったのか。入国審査官はどんな反応を見せたのか。彼らが笑顔で拍手を捧げたことはありえないだろうか。松根自身による「ダンスの実演」においても観客は、「本来は群舞のシーンであり、周囲で踊る他の8人のダンサーがいること」を想像しながら見るように促される。「想像すること」は硬直化した現実を揺るがす武器となる。イントロダクションで、松根が「眉毛を顔から消してください」「眉毛を口ヒゲの位置に下げてください」と観客に課す。それは、作品中で、松根自身が「剃った眉毛を口ヒゲとして貼り付けた」顔写真を抗議者のように掲げ、それが実際に証明写真として認可されたパスポート(!)を見せるシーンにおいて、「見知らぬ私」として固定化されたアイデンティティを解除するエクササイズであったことが了解される。
終盤、松根は字幕を通して語りかける。「子どもの頃、海を見るのが好きだった。(……)世界を自由に旅することを夢見た。僕はうまく踊れていますか? 入国審査官たちは入国を認めてくれるだろうか? 僕は、水平線の向こう側まで行けるでしょうか?」それは、くだんのダンサーの立場を自らの身に引き受けながら、ラディカルな問いかけと想像力をもって、あらゆる物理的/想像的なボーダーを越えていこうとする強い意志の宣言である。
また、上演会場内では松根による企画展『世界の向こう側へ』が開催され、「境界」「越境」をテーマとした国内外の美術作家8名(榎忠、ムラット・ゴック、アルド・ジアノッティ、マレーネ・ハウスエッガー、レオポルド・ケスラー、ミヤギフトシ、パトリシア・リード、ジュン・ヤン)の作品が展示された。なかでも、トルコとシリアの国境線のフェンスを切り取り、ハンモックを吊るして寝そべる命がけのパフォーマンスを敢行したムラット・ゴックの作品は、自らの肉体的駆使とユーモアによってオルタナティブな想像の回路を提示する姿勢において、松根作品と通底していた。
公式サイト:KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2016 AUTUMN
関連フォーカス
舞台芸術を支えるローカルな土壌と世界的同時代状況への批評性──KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2016 AUTUMN|高嶋慈:artscapeフォーカス
関連レビュー
古典のラディカルな読み替えと「通過」の分水嶺──木ノ下歌舞伎『勧進帳』
2016/11/04(金)(高嶋慈)