artscapeレビュー
2017年09月01日号のレビュー/プレビュー
鎌鼬美術館 常設展示
鎌鼬美術館[秋田県]
都心から8時間、秋田の中でも辺境に位置する田園地域の田代に、鎌鼬美術館が2016年の秋に開館した。写真集『鎌鼬』は、写真家の細江英公が舞踏家の土方巽と連れ立って、1965年9月の2日間、田代に滞在して生まれた。美術館の名は、この写真集に由来している。古民家を改装した美術館では、各国で販売された写真集や細江と土方の活動を紹介する資料が展示されている。美術館の周囲で、写真集に残された数々のハプニングが実際に行なわれた。展示以上に、この美術館の醍醐味は、館外に広がる田園への聖地巡礼にあるのだった。とても親切な館員に、幸いにも、車で聖地を案内してもらった。土方の躍動する身体が、村民を驚かせ、そそのかし、笑わせ、パフォーマーに仕立てた。その奇跡のような出来事の残り香を、車に乗りながら、嗅いでみる。田園地域の貧しい農民の暮らしをベースに、土方は暗黒舞踏と呼ぶ新しいダンスを生み出した。しかし、当の土方は秋田市に生まれ育った、比較的都会っ子だった。若くして当地のモダンダンス系の教室に足を運んでいたところを見ても、土方は知的でモダンな人間だった。いわば100年前のパリの画家たちが、アフリカ文化に新しい芸術の霊感源を求めたように、土方は田代のような村落の暮らしに新しいダンスの根拠を求めたわけだ。田代の今日的活用ということを、土方もまたこの美術館の運営者も考えている。そういう意味では、両者は同じ地平に立っているのかもしれない。しかし、その目的は異なる。土方は芸術のために、美術館は田代の活性化のために、田代の資源に可能性を見た。両者は互いの価値に寄生しているわけだが、芸術の活性化と地域の活性化が相乗効果を生み出せるか、どちらかだけではともに形骸化してしまう。そもそも舞踏の形成になぜ田代が、秋田の田舎の暮らしが必要だったのか、その本質に迫って初めて、活路が見えてくるのだろう。
2017/08/13(日)(木村覚)
AMBIENT 深澤直人がデザインする生活の周囲展
会期:2017/07/08~2017/10/01
パナソニック 汐留ミュージアム[東京都]
携帯電話などの電子機器から家電、家具、インテリアまで、深澤直人がこれまでにデザインしてきた多彩な仕事を紹介する展覧会。展覧会タイトルの「ambient」を辞書で引くと「周囲の、環境の」という訳が出る。この「ambient」を、深澤は「ものとものの間にある空気」と説明する。そこで思い出したのは、2009年に21_21 DESIGN SIGHTで開催された深澤直人の展覧会「THE OUTLINE 見えていない輪郭」だ。深澤直人のプロダクトと藤井保による写真で構成された展覧会が提示していたのは、プロダクトそのものではなく、プロダクトとその周囲との関係によって現われる「輪郭」だった。写真は当然静的なものだったが、照明を入れた乳白色アクリルの上に展示されたプロダクトの輪郭は、それを見る人の視線の移動によって絶え間なく変化する。平面図には現われないかたち、視線の移動によってシームレスに変化する輪郭の美しさを見せる展覧会だった。そして今回の展覧会は「ambient」。「周囲」が意味するものは、「輪郭」が示す「線」ではなく「空間」あるいは「空気」。その「空気」を見せるために、展示室はキッチン、ダイニング、リビング、浴室などの居住空間に見立てて造作され、そこに深澤がこれまでに手がけたプロダクトが配されている。観覧者はケースに展示されたプロダクトを単体で鑑賞するのではなく、モデルルームのような室内に置かれた作品の周りをめぐり、空間とプロダクトの関係性が生み出す「空気」を体感することになる仕掛けだ。
そのような生活空間一式が深澤の仕事のみで構成できていることはその仕事の多彩さを語っており、またメーカーがさまざまであるにも関わらず、価格帯もさまざまであるにも関わらず、そこには一貫したスタイルを見ることができる。しかしその一貫性は、アーティストの作品スタイルに見られるそれではなく、デザイン思想によって生み出されるもの。深澤のデザインはしばしば「アノニマス(無名の)」と呼ばれる。たとえば、無印良品の壁掛式CDプレーヤー(1999)やパナソニックのドライヤー(2006)は、デザインに詳しい者ならば深澤直人の仕事と知っているが、メーカーは深澤の名前を出していないので、この製品のユーザーのどれほどがそのことを知っているだろうか。筆者はこの夏、無印良品の店頭で新しいスーツケースを試してみて、シンプルでとても使い勝手が良く手頃な価格の製品という印象を持ったのだが、本展を見てはじめてそれが深澤デザインだということを知った。消費者は、深澤直人のプロダクトをデザイナーの名前ではなく、いいデザイン、しっくりくるデザイン、使いやすいデザインという視点で手にとるのだ。そしてメーカーが深澤に期待していることもまた、スター・デザイナーのブランドで売るのではなく、造形的な差別化ではなく、触れたとき、使ったときに違いが分かるデザインということなのだろう。総数100点以上のプロダクトが紹介されている展示空間は、デザイン関係者のみならず、ふつうの生活者にとっても、「よいデザインとは何か」という問いに対するひとつの指針、デザインが場にもたらす「空気」の存在を教えてくれる。[新川徳彦]
2017/08/15(火)(SYNK)
美術館ワンダーランド2017 イロ・モノノ ハコニワ
会期:2017/07/08~2017/09/01
安曇野市豊科近代美術館[長野県]
再び安曇野へ行ったついでに、若手作家の企画展が開かれている豊科近代美術館に寄ってみた。美術館は一見ロマネスク風の瀟洒な建物に見えるが、中に入ってみると意外と安普請だったりする。1階は高田博厚と宮芳平の常設展示室で、2階が企画展示室。2階は中庭を囲むようにテラスがあり(ただし現在は立ち入り禁止)、テラスを囲むように展示室があり、展示室を囲むように回廊があり、回廊の外側にも展示室があるという入れ子状の構造で、外見ともどもヨーロッパの修道院を思い出させないでもない。ひとつだけ離れに大展示室があるほか、部屋は小さく分かれているため、今回のような個展の集合体としての企画展には向いているが、テーマ展には使いづらそうだ。
さて「美術館ワンダーランド」展は、80-90年代生まれの若手アーティスト6人による展示だが、どういう基準で選んだのか、カタログはつくってないようだし、会場にもチラシにも展覧会の趣旨を書いた文章は見かけなかったのでよくわからない。地方美術館の場合たいてい地元作家が選ばれるものだが、長野県出身は2人しか入ってないので特に優遇されてるわけではなさそうだ。そこでヒントを与えてくれるのが、サブタイトルの「イロ・モノノハコニワ」だが、漢字に返還すると「色・物の箱庭」となり、勝手に解釈すれば、色彩や物体の受け皿としての絵画・彫刻となろうか。これもなにか語っているようでなにも語っていないに等しい。ともあれ出品作家で知っているのは水戸部七絵と齋藤春佳のふたりだけで、作品もこのふたりが群を抜く。特に絵画と映像を出している齋藤は展示に工夫を凝らしていて、コーナーに台座を置いて0号の極小絵画を立て掛けたインスタレーションは、目立たないだけに心をくすぐられた。
2017/08/15(火)(村田真)
第11回 shiseido art egg:菅亮平展〈インスタレーション〉
会期:2017/07/28~2017/08/20
資生堂ギャラリー[東京都]
ギャラリーを入った正面のいちばん大きな壁面に、真っ白くて作品のない(でもベンチはある)展示室を右へ左へ正面へと次々通過していく映像《エンドレス・ホワイトキューブ》が映し出されている。映像内の展示室は実物ではないし、ミニチュアかとも思ったがそうでもなさそうだし、たぶん資生堂ギャラリー(の大きいほう)をモデルにCGで作成したものだろう。対面の壁には縦横それぞれ70-80個ずつ正方形のマス目が書かれた4枚の《マップ》が掛けられている。なにかと思ってよく見ると、各マスの天地左右のいずれかの辺またはすべての辺に切れ目があり、これを出入口と見立ててマス目を展示室と見なせば、超巨大美術館または無限美術館の(部分的な)平面図であることが理解できる。白くて正方形の展示室が無限に連なるホワイトキューブ地獄、といってもいい。映像作品はこの無限の展示室を巡っていたのだ。
奥のギャラリーには白いプリントが5枚。よく見ると画面内側にもうひとつ白い矩形が浮かび上がり、いや浮かび上がるというより、パースがかかっているので奥に引っ込んでいるように見え、ホワイトキューブの壁を表象したものであることがわかる。これを壁にうがたれたニッチ(壁龕)または陳列棚と見ることも可能だ。タイトルは個展名と同じく《イン・ザ・ウォール》。映像ともどもホワイトキューブの壁の向こうに延々と展示室が連なる幻想を誘発させる優品だ。
2017/08/16(水)(村田真)
藤田嗣治天井画 特別展示
会期:2017/08/11~2017/08/29
迎賓館赤坂離宮本館[東京都]
赤坂の迎賓館で藤田嗣治の天井画が公開されるというので見に行く。この情報を知ったのはもう予約が締め切られたあとなので、開門の朝10時前に正門前に駆けつけてみると、すでにかなりの人だかり。団体客のようだ。西門に移動し、セキュリティチェックで30分ほど待たされてようやく入場できた。迎賓館に入るのはもちろん、建物を見るのも初めてだ。思ったより大きいが、まるで西洋の宮殿のコピー。と思ったら、よく見ると屋根に鎧兜をまとった戦国武将の彫刻が載っていて、かなりキッチュだ。設計はジョサイア・コンドルに学んだ片山東熊。奈良博や京博の本館、東博の表慶館も彼の設計だ。館内に入ると、壁や柱には触れないようにとのお達しで、築100年以上たつのに壁は不自然に真っ白。数百年の歴史をもつ西洋の宮殿に比べれば青二才といった趣で、ホンモノなのにフェイク感が漂っている。
藤田の天井画は、1935年に銀座の洋菓子屋コロンバンの天井を飾るために描かれたもので、計6点ある。戦時中は戦火を逃れるために運び出されて保管されていたが、1975年に迎賓館に寄贈されたという。今回は本館の3室に分散され、いずれも天井ではなく白い仮設壁に掛けられている。大きさは各150号くらいだろうか、のちの《アッツ島玉砕》よりひとまわり小さい。主題は田園で2、3人の人物や天使が戯れるという甘美な、というより陳腐なもの。いずれにせよパリ時代の乳白色の裸婦に比べれば明らかに精彩を欠いており、60年を超す画業のなかでも最悪の作例だと思う。もしこのあと藤田が戦争画を描かなかったら、20年代にパリで狂い咲いたものの、帰国後はパッとしない陳腐な画家としてフェイドアウトしていたかもしれない。おそらく藤田もそれを自覚し、危機感を抱いていたはずで、だからこそ戦争画に活路を見出したのではないか。館内には小磯良平の作品も2点あって、それぞれ美術と音楽を主題にしたもの。小磯は戦争画だろうがバレリーナだろうが、なにを描かせても似たようなタッチで同じような完成度で仕上げてくる。藤田とはえらい違いだ。
2017/08/17(木)(村田真)