artscapeレビュー

2021年03月15日号のレビュー/プレビュー

八戸の文化施設をまわる

[青森県]

西澤徹夫+タカバンスタジオが設計した《八戸市美術館》の現場を訪れた。すでに工事はおおむね終了しており、広場などが整備され、オープンを待つ状態だったが、やはり印象的だったのは、高さ18mに及ぶ「ジャイアント・ルーム」である。頭上から明るい光を導き、工場のような空間だった。


偶然かもしれないが、実は八戸は、臨海部に工業地帯を抱えた工場のまちでもある。それゆえ、2013年から「八戸工場大学」(八戸工業大学の間違いではない。念のため)という事業を推進している。これは工場景観や産業遺産を学んだり、プロダクトに関連するワークショップを開催するほか、アートプロジェクトを行なうものだ。例えば、2018年に解体される煙突をライトアップする「さよなら、ぼくらの大煙突」が実施されている。かつて刊行されていた青森エリア限定でとりあげる建築雑誌『Ahaus(アーハウス)』3号(2005)でも、八戸セメント株式会社や八戸火力発電所など、八戸の産業遺産が紹介されていた。こうして考えると《八戸市美術館》は、そのスケール感覚において地域の文脈を継承したのかもしれない。



床に示された、新しい《八戸市美術館》のプラン


八戸の工場を推したり、《八戸市美術館》の活動場所にも使われているのが、《八戸ポータルミュージアム はっち》(2011)だ。はっちとは、「市の玄関口となる博物館」をコンセプトに掲げ、産業、産物、歴史など、様々な切り口からまちの魅力を展示する小さなブースやエリアの集合体である。インフォメーション・センターが立体化したような建築だが、レジデンスや展覧会など、アートプロジェクトも推進している。



《八戸ポータルミュージアム はっち》外観



《はっち》内にある、八戸の工場紹介コーナー



《はっち》内にある展示ブースの様子



八角形をした《はっち》の吹き抜け


実は、まちづくり文化推進室が、はっちや《八戸市美術館》を担当しており、ほかに書店を運営する《八戸ブックセンター》(2016)や、屋内型広場の《マチニワ》(2018)なども関わっている。すなわち、アートと文化によるまちづくりを明快に打ちだしており、一連の流れにおいて《八戸市美術館》は位置づけられているだ。2011年から南郷アートプロジェクトも継続しており、突然、ハコものが整備されたわけではない。



《八戸ブックセンター》店内の様子



《マチニワ》の内部


なお、《八戸市美術館》は、建築計画の佐藤慎也が館長に就任し、さらに《十和田市現代美術館》、《青森県立美術館》、《国際芸術センター青森》、《弘前れんが倉庫美術館》と、青森県内の建築デザインが特徴的な5館の連携協議会を発足している。オープン後、どういう展開をするか楽しみだ。

参考サイト:
青森アートミュージアム5館連携協議会:https://aomorigokan.com

2021/01/22(金)(五十嵐太郎)

宮島口旅客ターミナルと尾道駅

[広島県]

広島の建築とミュージアムをまわった。広島駅も大々的な改修中、ならびに駅ビルの建て替え工事を行なっていたが、ツーリズムやインバウンドを意識して、交通関係の新しい施設が登場している。乾久美子が設計した《宮島口旅客ターミナル》(2020)は、あいにくコロナ禍のために、商業関係のエリアはほとんど休業中だった。もっとも、緩やかに傾斜する大きな屋根と、白い柱のリズムと、小分けにしたボックス群のプロポーションと構成が、建築の特徴となっており、ひと気が少なくても空間は凛としている。屋根の下は、中央を走るトップライトから光が落ち、明るい半屋外の空間であり、遠くに海も見える。さらにフェリーの乗船時は、桟橋をおおう水平屋根が、きれいに海の風景を切り取る。なお、このプロジェクトは単体の計画ではなく、まちづくりグランドデザインの一部であり、今後、さらに隣接する広場や駅舎など、周囲の整備が進むという。乾は《延岡駅周辺整備プロジェクト》(2018)でも、地域を再編成する力量を示していたが、全体像が姿を現わしたとき、再び訪れたい。



中央のトップライトから光が落ちてくる《宮島口旅客ターミナル》



《宮島口旅客ターミナル》のディテール。分節された直方体のヴォリューム


海から見た《宮島口旅客ターミナル》の全景


翌日、アトリエ・ワンがデザイン監修で関わった《尾道駅》(2019)に足を運んだ。これも屋根が印象的な建築である。分節しつつも、全体としては、背後の山を意識した大きな傾斜屋根にも見えるデザインだ。昼の時間帯だったので、駅ナカのカフェでランチを食べようと思っていたのだが、衝撃だったのは、JR直営の1階のコンビニ以外の全店舗とホステルが、おそらくコロナ禍を受けて、撤退していたことである。場所を読み、什器レベルの細かいデザインによって、人々のふるまいを仕掛けた建築なのだが、誰もいないために、生き生きとしていない空間は寂しい。



傾斜屋根が印象的な《尾道駅》



什器までデザインされた《尾道駅》の駅ナカ。いかんせん、人がいない


こうした状況ならば、倉庫をカッコよくリノベートした《ONOMICHI U2》(2014)は、どうなっているかが気になったので、駅から10分くらい歩いて向かった。こちらは時間短縮しながらも、それぞれの店舗や hotel cycle(ホテル・サイクル)が営業を継続していた。ちなみに、レストランなど、店舗の価格帯は《U2》の方が高い。そうすると駅の方のテナントは、すぐ隣に大型の商業施設があるのだが、そもそも賃料が高すぎたのだろうか。



《ONOMICHI U2》の外観



《ONOMICHI U2》の内部空間


2021/01/29(金)(五十嵐太郎)

西澤明洋『ブランディングデザインの教科書』

発行所:パイ インターナショナル
発行日:2020/12/04

近年、よく耳にするようになった「ブランディングデザイン」。エイトブランディングデザイン代表の西澤明洋は、ブランディングデザインを専門とする日本でも数少ないデザイナーのひとりだ。ひと昔前のブランディングと言えば、グラフィックデザイナーやアートディレクターがCIやVIを基盤にやんわりと携わることがほとんどだった。西澤の仕事は、そうした類の仕事とは一線を画す。なぜなら彼が関わる領域はロゴだけでなく、商品企画や経営戦略にまで及ぶからだ。クライアントに対し、彼は「僕は御社のデザイン部長みたいなものです」と説明するという。その喩えは非常にわかりやすいし、親しみがある。私も個人的に西澤を知っているが、とても気さくな“あんちゃん”とでも言うべき人物だ。そんな彼が上梓した最新作が本書である。

そもそもブランディングとは何か。本書では「焼印を押す(Brander)」という語源に触れ、「ブランディング=差異化」と明確に答える。さらに「ブランディング≒伝言ゲーム」と独特のフレーズでその真意を伝える。本書が魅力的なのはそうした印象的な言葉のみならず、ところどころで「Q. ブランド(Brand)の語源はなんでしょうか?」などと質問を立てて強調し、懇切丁寧に解説した後、各項目の最後に必ず「まとめ」を用意している点である。ブランディングについてなんとなくわかったようなつもりでいる人でも、本書を読めばかなりクリアになるだろう。これから勉強したい人や関心のある人にはうってつけの教科書である。

私もブランディングデザインについておおよその理解はしていたが、理路整然と書かれた本書を読んで、頭がずいぶんクリアになったし、西澤の仕事の方法を詳しく知れたのは興味深かった。この明晰さは、彼が大学でグラフィックデザインではなく、建築を勉強してきたからだろう。いわば、建築思考なのだ。ちなみにブランディングデザインについては、在学中に「デザイン経営」の研究に没頭し培われたという。彼のような正統派ブランディングデザイナーがこれから日本に増えていくことを願いたい。いまだにデザインの概念を誤解している人が多いと感じるからだ。そんな人にはまずデザインには「狭義のデザイン」と「広義のデザイン」があることから知ってもらいたい。

2021/02/05(金)(杉江あこ)

神奈川の新しい大学建築

[神奈川県]

数年前、BCS賞の審査員を担当したときに気づいたのが、大学の施設に力作が多いことである。なぜか。公共施設は、炎上を避けるべく、コストを抑えながら、つくることが求められる。また商業施設も、話題のプロジェクトはあるが、バブル期に比べると、やはり冒険がなく、また海外の同じビルディングタイプと比べて、おとなしい。そうした状況にもかかわらず、少子化の時代において、学生を獲得することを考えて、特に私立大学は新しい施設に力を入れているのではないかと思われた。実際、学生が見学に訪れるオープンキャンパスにて、魅力的な空間は効果を発揮するだろう。最近、神奈川県に登場したすぐれた大学建築を2つ続けて見学する機会を得た。

ひとつは春にオープンする石上純也の 《神奈川工科大学KAIT広場》である。これはデビュー作がいきなり日本建築学会賞(作品)に輝いた《KAIT工房》(2008)のすぐ背後につくられた。《KAIT広場》のプロジェクト自体は、筆者の記憶によれば、2008年の豊田市美術館での個展「建築のあたらしい大きさ」において、すでに紹介されていたが(当時は「カフェ」だった)、なかなか着工せず、いつになったら完成するのだろうと思っていたが、それがついに完成したのである。おそらく、公共建築ならば、年度単位の予算執行などを考えると、こんなに待たされないだろう。ともあれ、土木的なスパンと身体・微細なスケールのありえない共存、光のうつろいを増幅する開口部など、再び奇跡的な空間が誕生した。見えない部分に錘を埋めるといった構造は、《テーブル》(2005)でも試みられていたが、《KAIT広場》はさらに大胆なデザインを展開している(なお、空間の詳細は、筆者が寄稿した『毎日新聞』2月17日夕刊を参照されたい)。



《KAIT広場》の内部。無数の開口部から光が差し込んでくる



天井と床が湾曲した《KAIT広場》内部では、遠くの人物の上半身が見えないこともある



《KAIT広場》の屋根部分。ランダムに配された矩形の開口部が見える



オープンから12年後の《KAIT工房》


オンデザイン(萬玉直子+西田司ほか)による《まちのような国際学生寮(神奈川大学新国際学生寮・栗田谷アカデメイア)》(2019)は、住宅街にあるため、外部への表出は控えめとし、その内部に驚くべき共有空間を創造した。「ポット」と命名された小さな居場所が階段の踊り場に設けられ、吹き抜けのあちこちに浮かぶ。またポットはすべて用途やデザインが異なり、圧倒的な多様性を実現するための設計も施工も大変だったと思われる。個室の面積は絞られているから、必然的に学生の出会いを誘発するだろう。



《神奈川大学新国際学生寮》外観



《神奈川大学新国際学生寮》内部に設置された「ポット」



《神奈川大学新国際学生寮》の吹き抜けと「ポット」


さて、歩くごとに様々なシーンが展開することに感銘を受け、現地で多くの写真を撮影したのだが、後で確認すると、なかなか写真で表現するのが難しい建築であることに気づいた。どの写真も、実際に見たときの印象の方がよい。《KAIT広場》は、刻々と表情が変化し、いつどのように撮っても絵になるフォトジェニックな空間だが、《新国際学生寮》の場合は、また別の撮影技術が必要なのだろう。

2021/02/08(月)(五十嵐太郎)

円盤に乗る派『流刑地エウロパ』

会期:2021/02/06~2021/02/08

BUoY[東京都]

『流刑地エウロパ』は円盤に乗る派の前身にあたるsons wo:が「最後の公演」として2018年に上演した作品。今回は初演のキャストから山村麻由美が小山薫子へと変わり、それ以外はキャスト(キヨスヨネスク、佐藤駿、田上碧、畠山峻、日和下駄)も戯曲も会場(BUoY)も変わらず、しかし3年の時を経ての再演となった。

戯曲には「正気を保つ」、「全ては明るい、全ては清潔だ」、そしてTLC“Waterfalls”と、円盤に乗る派として上演することになる作品のタイトル(『正気を保つために』『清潔でとても明るい場所を』『ウォーターフォールを追いかけて』)を示唆し、あるいは「僕は目の前に、空飛ぶ円盤があったら迷わず乗りたい」と団体名を予告するようなキーワードも散りばめられている。その意味で「sons wo: 最後の公演」にはすでに「未来」としての円盤に乗る派の可能性が埋め込まれていた。2018年の私にとって知るはずのない未来であったそれは2021年の私にとっては既知の過去となった。しかしもちろんまだ見ぬ未来も埋め込まれているかもしれない。

「演劇をやっていていつも思うんだけど、本番がいちばん演劇ではない、通り過ぎてしまった記憶、まだ見ない何かの方が演劇みたいに見える」。『流刑地エウロパ』で唯一明確な名前を与えられた登場人物であるハレヤマ天文台は言う。私にとって『流刑地エウロパ』の再演は初演の記憶とともにあり、目の前で上演されつつある演劇へのまなざしは同時に過去へも向かう。舞台の三方を囲む配置の客席で、私はちょうど初演のときに座った席と向かい合う位置に座ることになった。記憶のなかで『流刑地エウロパ』を観る過去の私は未来=現在の私に視線を向けている。再演を観ることで思い出される初演の記憶は捏造され、過去と未来に挟まれるようにして立ち上がる上演が演劇としてそこにある。

[撮影:濱田晋]

ハレヤマ天文台という、明らかに作・演出を担当するカゲヤマ気象台のもじりである登場人物名が示唆するように、『流刑地エウロパ』はある種のパラレルワールドを扱っている。冒頭、オという記号めいた名前を与えられた登場人物のひとりは「地球を平面だと本気で思っている人たち」の集う「地球平面協会」の存在に触れ「なんというか本気になれば何でも信じられるんだなと思いました」と言う。どこからか聞こえてくる声(それは舞台上に登場する俳優たちの声のようだ)の語りによれば、木星の衛星エウロパに流刑された大犯罪者ケニー・G(ゴジマ)の生死を確認するため、探査隊タイタニックゴウが地球から木星へと旅立ってから2年が経つらしい。作品の中盤でまず明らかになるのは、その世界では「人間が二つの場所に同時に存在できる」テクノロジーが開発されており、登場人物たちは「あるいはエウロパへ向かい、あるいはこうして地球に残っている」ということ。だが、ピクニックに出かけた登場人物たちは土中からエウロパに流刑されたはずのケニー・G(ゴジマ)の日記を掘り出してしまう。そこには「俺はいくつもの森を抜け、沼を渡り、星の見えない暗い空間を何年間も進んで、(上演の日付)まで到達して戻ってきた」と記されていた。

[撮影:濱田晋]

[撮影:濱田晋]

結末に至り、冒頭で地球平面協会のことを話していたオは、ケニー・G(ゴジマ)と思しき男と邂逅したときのことを語る。ケニーによれば「やつら」によって1993年の9月にエウロパに地球がインストールされ、「その日にこの世界は始まった」のだという。「ここはずっとエウロパだった」。「真実」が露わになり、二つの世界が重なり合う。だがもちろん、ここがエウロパならば「本当の地球」がどこかにあるということになる。「きっと今ごろ、もう一人の私たちは、地球に帰り着いて、家族か、友達かに会って、ゆっくりお茶でも飲んでいるのかもしれない」。

「あの世界」「この世界」と分かたれた世界の足元は案外脆く、科学に裏打ちされた「たしからしい」世界も暫定的なものでしかない。科学とはその定義からしてそういうものだ。土中から見つかった日記のように、新たな発見は世界の「真実」を書き換える。

ハレヤマ天文台は言う。「だからと言って何かが変わるわけじゃなくって、僕たちは僕たちで、なんとか家に帰って、僕はちょうど演劇をやりたくなっているので、またみんなを集めて、まず話し合いからやろうと思います」。

既知となり過ぎ去った過去と未知としてこれから来る未来。テクノロジーの進歩をまたずとも人間はすでに二つの世界を生きていて、二つの世界を生きるしかない。

[撮影:濱田晋]


公式サイト:https://noruha.net/


関連レビュー

円盤に乗る派『ウォーターフォールを追いかけて』|山﨑健太:artscapeレビュー(2020年11月15日号)
円盤に乗る派『正気を保つために』|山﨑健太:artscapeレビュー(2018年08月01日号)
KAC Performing Arts Program『シティⅠ・Ⅱ・Ⅲ』|高嶋慈:artscapeレビュー(2019年02月01日号)

2021/02/08(月)(山﨑健太)

2021年03月15日号の
artscapeレビュー