2019年03月15日号
次回4月3日更新予定

artscapeレビュー

高嶋慈のレビュー/プレビュー

国立女性美術館(National Museum of Women in the Arts)

国立女性美術館(National Museum of Women in the Arts)[アメリカ合衆国ワシントンD.C.]

ワシントン訪問の際に訪れた国立女性美術館(National Museum of Women in the Arts)は、全米で唯一、女性アーティストの作品を専門的に収蔵する美術館である。女性の絵画コレクターによって1987年に設立され、16世紀から現代まで、約1000人の女性アーティストによる5000点以上の作品を収蔵している。特別展はあいにく準備中だったが、2つの階にまたがるコレクション・ハイライトを見ることができた。

中2階のクラシックな展示室は、16世紀から20世紀までの肖像画に焦点を当てている。聖母子など聖書や神話の登場人物/実在の王侯貴族や著名人にかかわらず、いずれも「女性画家が女性を描いた」ポートレートである点が特徴だ。時代を超えた女性画家の層の厚みを示すとともに、一見すると華やかだが、「男性像が1点もないこと」が女性画家の置かれた時代的制約を物語る(ヨーロッパやアメリカの絵画アカデミーにおいて、女性の入学は排除あるいは制限されており、絵画のヒエラルキーの最上位とされた歴史画や宗教画に従事できず、より下位とされた肖像画や静物画が主な活動領域であった)。

一方、上階の展示室では、16~19世紀と近現代の作品を組み合わせた展示構成を取り、「Body Language」「Domestic Affairs」「Herstory」「Natural Women」のテーマで多岐に渡る作品を紹介している。上述のように、活動領域を肖像画や静物画に制限された女性画家の歴史的制約を示すとともに、現代の女性作家が男性主導の表象の歴史をどう批判的に検証し、表現の主体性を取り戻そうとしていったかが示される。「Body Language」では、第二次世界大戦下で母親を殺害された個人史から出発し、手と首を欠いた人物群を麻布で造形するマグダレーナ・アバカノヴィッチの作品がまずは出迎える。性別や人種を捨象された抽象的な人体像だが、黙したまま抵抗の座り込みを続けているようにも、拷問の匿名的な犠牲者を表わしているようにも見える。


マグダレーナ・アバカノヴィッチ《4 Seated Figures》

また、日常的な光景として女性ヌードを描いたシュザンヌ・ヴァラドンの絵画の隣に、ジリアン・ウェアリングの《Sleeping Mask》が配される。寝顔を象ったマスクだが、就寝時さえも(他者の眼差しによって形成される)自己表象の仮面からは逃れられない状況を暗示する。自然な様態/究極の虚構性という両面から、女性身体が「見られること」を照射する一角だ。


左:シュザンヌ・ヴァラドン 右:ジリアン・ウェアリング《Sleeping Mask》

一方、「Herstory」では、歴史的な肖像画に加え、ジェンダーやエスニック・アイデンティティの表現を主題化した現代の作品群が並ぶ。「Natural Women」では、南米スリナム(18世紀のオランダ領ギアナ)に赴き、植物や昆虫の精緻な博物画を描いたマリア・ジビーラ・メーリアンの隣に、アン・トゥルイットのミニマルな柱状彫刻が配される。ギリシア神話の木の精の名を冠したタイトルと鮮やかなグリーンが、厳格な幾何学性と有機的な自然、工業性と人体といった二項の奇妙な融合を示す。


マリア・ジビーラ・メーリアン『スリナム産昆虫変態図譜』(左壁面) アン・トゥルイット《Summer Dryad》(右)


これらの展示室の最奥には、「もし女性が世界を支配したら」という文言をネオンサインであしらったヤエル・バルタナの《What If Women Ruled the World》が燦然と輝く。その他、メアリー・カサット、フリーダ・カーロ、ジュディ・シカゴ、リンダ・ベングリス、ルイーズ・ブルジョワといった著名作家も多数並ぶ。



ヤエル・バルタナ《What If Women Ruled the World》


男性主導の美術(史)への批判的検証は、フェミニズム思想とともに70~80年代に開始され、この美術館の設立もそうした時代状況に呼応したものと見なせる。ただ、(今回の展示作品のラインナップを見る限り)大半が欧米圏の作家で占められており、「女性」を掲げてはいるが、内部には地域的な偏差を抱えていることは否めない。アフリカン・アメリカンの作家はいるものの、「女性」という枠組みのなかにさらに細分化されたマイノリティがいることが、展示構成のネガとして浮上していた。

2018/09/16(日)(高嶋慈)

Rachel Whiteread

会期:2018/09/16~2019/01/13

National Gallery of Art, Washington[アメリカ合衆国ワシントンD.C.]

ワシントン訪問の際に、National Gallery of Artを訪れた。ターナー賞受賞経験もある現代彫刻家、レイチェル・ホワイトリードの回顧展が開催中だった。初期作品から、家具や扉、窓を型取りした彫刻の代表作品、ドローイングや写真などの平面作品、近年のサイトスペシフィックなパブリック・プロジェクトの記録までを辿る。2017年秋に始まったTate Britainを皮切りに、欧米各地を巡回している。日本ではまとまって見る機会の少ない作品群をじっくりと鑑賞できた。



一部屋の内部空間そのものを石膏で型取りした《Ghost》

導入部に展示された「トルソ」シリーズの作品が、湯たんぽを石膏や樹脂で型取りし、「トルソ」と名付けることで人体に見立てられているように、ホワイトリードの関心の出発点は、家具やインテリアなど、日常的に人の身体と接触する物体を型取りして彫刻化することで、目に見えない記憶や身体的な痕跡を示唆することにある。湯たんぽに始まり、椅子、マットレス、浴槽など、「人体との接触面」を型取りによって取り出し、内部の空洞を石膏や樹脂で物質的に充填することで、日常的にその表面に触れ、あるいはそこを埋めていた人体の存在が逆説的に浮かび上がる。「型取り」の技法を用いるため、サイズは原寸大が保たれるが、石膏や樹脂といった素材で置換されるため、再現的なディティールは削ぎ落される。内部を見通せない石膏の不透明さや鈍重さ。対照的に、薄く色づいた色彩の透明感が、非物質的な軽さへと上昇する樹脂の儚げな佇まい。澱のように凝固した不可解な量塊と、亡霊的なまでの物質感の希薄さ。それらは記憶の原型のようなものに近く、「記憶に質量はあるのか」「記憶の形象化は可能か」といった問いを触発する。



手前:椅子の下の空間を型取りした《Untitled(Twenty-Five Spaces)》 奥:「トルソ」シリーズ

そこにはまた、「ミニマル・アートへの美術史的参照」も含まれる。例えば、古い建物の床を型取りした正方形のプレートを敷き詰めた作品はカール・アンドレを、母親の遺品を詰めた段ボール箱を型取りした立方体の作品は、ロバート・モリスを連想させる。だが、ミニマル・アートを形態的には示唆しつつ、そこに人の痕跡や気配の残存が加わることで、類型的に並べられる形態は、その類似性や反復性の向こうに、それをかつて使用していた人々の身体的、習慣的差異へと連想を誘う。そこには、男性主導のミニマル・アートへの批判的眼差しも読み取れるだろう。



窓や扉を樹脂で型取りした作品群

近年のホワイトリードは、個人的な記憶(父親が死んだ際のマットレス、母親の遺品が詰まったボックスなど)から、よりパブリックな記憶(ホロコーストのメモリアルなど)へと展開している。それらの大掛かりでサイトスペシフィックな作品のドキュメントとともに、作家が拾ったり集めたさまざまな日用品やオブジェが小さなスケッチブックとともにガラスケースに収められ、思考の魅力的な小宇宙を形成していた。



拾遺物やスケッチブックなどを収めたケース

2018/09/16(日)(高嶋慈)

前田英一『Every day is a new beginning』

会期:2018/09/05~2018/09/07

ロームシアター京都 ノースホール[京都府]

ダンサーと現代音楽家のセッションに加え、本物の物理学者が「出演」し、素粒子物理学の研究が舞台上で同時進行するという、異色の舞台公演。ダムタイプの舞台作品に出演し、パフォーマーとして活動する前田英一が初めて演出を務めた。

舞台奥には、人の背丈を超える高さの巨大な黒板が壁のように設置されている。ふらりと登場した男性(理論物理学者の橋本幸士)が、ブツブツと呟きながら、黒板にチョークで物理の数式やグラフを一心に書きつけていく。「ニュートリノ、重力波、電磁波」といった単語が辛うじて聞き取れ、「宇宙空間で起こった物理現象が地球に到達してどう影響を与えるか」についての壮大な思考実験が繰り広げられているようだ。黒板の両脇には2人の音楽家が配され、ピアノとパーカッション(ヤニック・パジェ)、アコーディオン・シンセ(ryotaro)のライブ演奏とともに、前田を含む4名のダンサーがシンクロした反復的な動作に従事し始める。思考に没頭する物理学者、厳密に振付けられた反復運動を同調させるダンサーたち、電子的に増幅された音を紡ぎ出す音楽家。舞台上には3つのレイヤーが同時進行的に共存する。


[Photo: SAJIK KIM]

とりわけ、同じ舞台空間上に、手前のパフォーミングエリア/奥の思考空間というレイヤーの共存ないし対比をもたらすのは、ダンサーと物理学者、それぞれが従事する行為の質的差異である。直線的な手足の動き、機械的な反復性、そのユニゾンは、これらが「厳密に振付けられた動き」であること、その再現可能性を強調する。一方、巨大な黒板=普段の研究環境に向かう物理学者は、台本として決められた数式をただ反復的に再現するのではなく、今まさにライブで思考中なのであり、再現不可能な、一種の即興的なパフォーマンスに従事しているとも言える。その、目に見えない物理法則や作用についての抽象的思考の痕跡は、情報量が圧縮された数式として可視化され、上書きされては消えていく。一方、ダンサーの身体は、目に見える運動の軌跡を刻一刻と空間のなかに刻んでいく。

「重力」や「引力/斥力」といった力の作用を印象づける小道具も登場する。例えば、暗闇を照らすランプを挟んで相対する2人のダンサーのシンクロした動きは、輝く恒星の周囲を旋回する2つの惑星を思わせる。脚立の上から落とされるボールは、無数の放物線を描いて飛び回る。終盤、湧き上がる雲や波のようにゆっくりと動かされる黒い風船の束は、空気の抵抗や微風のそよぎを伝えるとともに、破局的な終末が訪れた後の静寂のなか、新しい胎動の始まりを告げるようでもある。ライブ演奏の熱気とともに、詩的な連想を誘うイメージが次々と繰り出される舞台だった。



[Photo: SAJIK KIM]

ダンスと物理学という一見異色に思える取り合わせは、小道具を効かせた演出もあり、ダンスが地上の物理法則に抗えないこと、制約のなかにあるからこその自由を浮かび上がらせる。また、単に演出上の目新しさを狙うだけにとどまらず、「振付と即興」をめぐるより根源的な問いへと向かう可能性を秘めているのではないか。本作品は、ダンスにおけるこの問いの追求という点では物足りなさを感じたが、「研究が創造的行為であること」をまさに俎上に上げたという点では成功していた。

2018/09/07(金)(高嶋慈)

プレビュー:KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2018

会期:2018/10/06~2018/10/28

ロームシアター京都、京都芸術センター、京都芸術劇場 春秋座、京都府立府民ホール “アルティ”、元離宮二条城ほか[京都府]

9回目を迎えるKYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭(以下「KEX」)。公式プログラムでは、12組のアーティストによる計15の公演や展示が行なわれる。

今年のKEXの大きな特徴は、「女性アーティストあるいは女性性をアイデンティティの核とするアーティスト/グループ」で構成されることだ。プログラムディレクターの橋本裕介によれば、「性およびジェンダーが文化的であるだけでなく、いかに政治的なものであるかへの問い」、さらに集団芸術としての舞台芸術と父権主義的な統率システムとの関係をめぐる問いが根底にあるという。加えて、「#MeToo」のムーブメントや性的マイノリティの権利擁護といった世界的動向、女性差別の事例が後をたたない国内状況への批判的視線も想起させ、極めてタイムリーかつ意義深いテーマ設定だ。

ただし、「女性アーティスト」という括りや「女性性」の強調は、一方で、男性/女性というジェンダーの本質論的な二分法の強化や再生産に結び付いてしまう可能性がある。そうではなく、「女性(性)」をめぐる考察を経由した先に、(ジェンダーに限らず)あらゆる本質論的なカテゴリーの無効化を見通せるかどうかが賭けられている。以下では、上演作品どうしの横の繋がりとして、筆者なりの視点から、いくつかポイントを抽出してみたい。

1)女性が(消費される客体としてではなく)「性」について主体的に語り、表現すること。ヘテロセクシャルな男性主体による社会通念や支配的規範からの脱却。

2011 年にフェスティバル/トーキョーとアイホール(兵庫)で『油圧ヴァイブレーター』を上演し、重機との妄想的な性愛をパフォーマンスに昇華させた作品で衝撃を与えた韓国のジョン・グムヒョンは、医療の教育現場で男性患者のダミー身体として使われる人形と「共演」する『リハビリ トレーニング』を上演する。無機的な人工物と生命、主体と客体の境界が曖昧に流動化していくなか、「モノ」としての身体に投影される欲望や反転した自己愛が剥き出しとなり、震撼させる作品になるだろう。

また、3度目の登場となるドイツの女性パフォーマンス集団She She Popは、老若男女の出演者と共演。自らの身体を「教材」とし、教師と生徒役を入れ替えながら「性教育の教室」を演じる『フィフティ・グレード・オブ・シェイム』を上演する。

1975年の設立以来NYのアートシーンを牽引する劇団、ウースターグループは、1971年の女性の解放に関する激しいディベートを記録した映画に基づき、『タウンホール事件』を上演する。

気鋭の劇作家・演出家・小説家の市原佐都子/Qは、『毛美子不毛話』『妖精の問題』の代表作二本立てを上演する。時に観客の生理的嫌悪をかきたてるほど、動物的な欲望や性のメタファーを女性の視点から生々しく描写する作風が特徴だ。


ジョン・グムヒョン『リハビリ トレーニング』
[Photo by Mingu Jeong]

2)記憶の継承と他者への分有。フィクションとドキュメンタリーの交差によって可能となる語りを、舞台の一回性の経験として生起させること。山城知佳子、ロラ・アリアスに加えて、上述のウースターグループは1)と2)を繋ぐ存在と言える。

出身地の沖縄を主題に、パフォーマンス、写真、映像作品を制作する山城知佳子は、あいちトリエンナーレ2016で発表され、反響を呼んだ《土の人》を展示。また、同作から展開されるパフォーマンス作品を発表する。沖縄戦の記録フィルムにヒューマンビートボックスによる銃撃音がかぶさるシーンや、満開の百合畑で天に差し出された無数の手が拍手のリズムを奏でるラストシーンが、生身のパフォーマーにより演じられるという。映像から飛び出し、生の舞台空間へと展開する山城の新たな挑戦に注目したい。

また、2度目の登場となるロラ・アリアスは、現実とフィクションを交錯させ、ドキュメンタリー演劇の分野で活動している。上演予定の『MINEFIELD―記憶の地雷原』は、1982年、イギリスとアルゼンチンの間で勃発したフォークランド紛争/マルビナス戦争に従軍した元兵士たちが、映画セットを模した空間で、当時の記憶を再訪するという作品だ。



山城知佳子『土の人』
© Chikako Yamashiro, Courtesy of Yumiko Chiba Associates

3)「ダンス」の領域の新たな開拓。

KEX 2014で『TWERK』を上演し、クラブカルチャーとクラシックバレエ、猥雑さと技術的洗練のめくるめく混淆を強烈な音響とともに刻み付けたセシリア・ベンゴレア&フランソワ・シェニョー。上演予定の『DUB LOVE』では、ダブ・プレートDJと共演し、強力な音響機構が刻むビートと拮抗する身体を提示する。

ダンサー、振付家の手塚夏子は、ダンス作品をアーカイブ化し、未来と他者へと手渡す「ダンスアーカイブボックス」に参加。手塚から「漂流する小瓶」としてのインストラクションを受け取って上演したスリランカのヴェヌーリ・ペレラ、韓国のソ・ヨンランとともにユニット「Floating Bottle」を結成し、KEXに参加する。ダンスのアーカイブ、再演と解釈といった問題に加え、西洋近代化がもたらしたさまざまな「線引き」への再考も視野に含むという。

また、ヴェネツィア・ビエンナーレ2018舞踊部門での銀獅子賞受賞など、世界的な注目を集めるマレーネ・モンテイロ・フレイタスは、ギリシア悲劇『バッコスの信女』をモチーフとしたダンス作品を上演する。

2度目の登場となるジゼル・ヴィエンヌは、暴力やドラッグをテーマとする作家デニス・クーパーによるサブテキストを、一言も言葉を発しないまま、15人のダンサーによるムーブメントに置き換えた『CROWD』を上演。激しい興奮と音楽にかき立てられた若者の群れの熱狂を通して、暴力とそれへの欲望が描き出される。


セシリア・ベンゴレア&フランソワ・シェニョー『DUB LOVE』
[Photo by Laurent Philippe / Divergences]

4)上演が行なわれる具体的で固有の「場所」への介入や読み替え。

昨年のKEXで、光と影による繊細な表現で魅了した田中奈緒子は、二条城の二の丸御殿台所にて、空間との対話を試みる。

また、自身の身体を素材としたパフォーマティブな作品を制作するブラジルのロベルタ・リマは、インスタレーション作品の展示空間でパフォーマンスを上演。計3回のパフォーマンスの度に、展示空間は姿を変えていくという。



田中奈緒子『STILL LIVES』
[Photo by Henryk Weiffenbach]

最後に、もちろん、ここで紹介したポイントは一つの観点にすぎないし、実際に上演を見た印象は異なる場合もあり、より豊かなものとなるだろう。多彩で刺激的なラインナップを観客それぞれの視点から見比べ、あなたなりのポイントを見つけだしてほしい。

公式サイト:https://kyoto-ex.jp/2018/

2018/09/03(月)(高嶋慈)

メディアアートの輪廻転生

会期:2018/07/21~2018/10/28

山口情報芸術センター[YCAM][山口県]

開館15周年を迎えた山口情報芸術センター[YCAM]。アートユニット、エキソニモとの共同企画展として、メディアアートの保存や継承について考える本展が開催された。コンピュータや映像機材などを使用するメディアアート作品は、物理的なハードの故障や、OSのアップデートなど技術環境の変化によって動かせなくなることも多く、保存修復や継続的な展示の難しさが近年の美術館の大きな課題となっている。本展では、YCAMと関わりのある作家100名以上に対し、「作品の死や寿命」と「作品の未来」についてアンケートを投げかけ、寄せられた回答を記したバナーを会場に吊り下げた。また、会場中央には、古墳を思わせる小山型をした「メディアアートの墓」を設置。その暗い内部には、作家自身が「死を迎えた」と考える作品の「亡骸」が、ガラスの棺に収めるように展示ケース内に陳列されている。観客は、オーディオガイドから流れる合成音声による説明を聴きながら、計10個の「作品の亡骸」と向かい合う(オーディオガイドの再生機器は、iPhoneやiPadに加え、ラジカセやポータブル音楽プレーヤーなど新旧のメディアから自由に選ぶことができ、「メディアの変遷自体も鑑賞経験を通して実感できる」というメタな仕掛けになっている)。



会場風景[撮影:山中慎太郎(Qsyum!) 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]

「メディアアート作品の死や寿命」というと、ハードの故障や動作環境の更新を考えがちだが、そうした技術的要因に偏らず、バラエティに富むのが「出品作品」の大きな特徴だ。物理的・技術的要因に始まり、ネット環境や(情報)プライバシーに対する意識の変化、企業の意向、体験の一回性の重視、そして非物質的なコンセプトに至るまで、さまざまな「死」の要因が提示されている。例えば、ナムジュン・パイクの《ビデオシャンデリア No.1》(1989)に使用されていたモニター3台は、「故障」により取り外されたものだ。これは作品の構成要素の交換可能性の例だが、一方、パイク直筆のサインが施された別のモニターは、「交換可能な工業製品に唯一性のアウラが宿る」という矛盾を体現する。また、ネット黎明期に制作された江渡浩一郎の《WebHopper》(インターネット1996ワールドエキスポジションの日本ゾーンのテーマ館「sensorium」にて発表)は、ユーザーがアクセスするウェブサーバーの位置情報を可視化し、ウェブがまさに全世界的な通信網であることを示すものだ。だが、情報セキュリティに対する意識の変化によって展示不可能になったと判断され、「取り外されたハードディスク」が「亡骸」として展示された。一方、企業の技術的協力に依ることも多いメディアアート作品が企業側の意向により発表できなくなった例として、岩井俊雄の《サウンドファンタジー》(1994)がある。これは、ユーザーが画面上に描いた絵がサウンドに変換されるというスーパーファミコン用の音楽ゲームソフトだが、発売直前に中止となった。ケース内には、この幻のゲームソフトがパッケージやトリセツとともに収められた。また、エキソニモの《ゴット・イズ・デット》(2011)は、同名の語句が展覧会タイトルのように記されたポスターの作品である。実は日付に仕掛けがあり、開幕日が「翌日の日付」になったポスターが、毎日貼り替えられていた。「常に明日から始まる展覧会/永遠に始まらない展覧会」を想像することがこの作品の眼目だが、再展示した場合、「翌日」だった日付は「過去のある日付」を指し示し、「実在しない展覧会への想像」は「過去に実在した展覧会の証左」にすり替わってしまう。「コンセプトそのものの破綻」が本作の「死」の要因だ。

本展のポイントは、作品に「死」の宣告を下す判断を、生み出した作家自身に委ねている点だ。ここには賛否両側面が伴うだろう。作家の自作品に対する考え方が明確になるメリットがある一方で、実際の現場で「死の宣告/延命」の判断を下す主体は、キュレーターやコンサバターなど第三者であることが多いからだ。伝統的な絵画や彫刻は物理的な支持体や素材から成る以上、劣化や破損を免れえないが、美術館はその「生」を仮死状態に凍結させ、可能な限り「延命」を施して永続的な保存を目指してきた。だが、その「可能な限り未来へ引き延ばされた生」の背後に「死」が常に潜むことは、非永続的な素材を使用した現代美術作品やメディアアートによって加速的に示されてきている。

また、本展に対するもうひとつの疑問として、「輪廻転生」というタイトルと実際の展示内容とのズレや齟齬がある。作家自身の声に委ねているからこそ、(飛躍や再解釈、アップデートをも含んだ)「転生」のあり方の可能性を提示してほしかった。「保存修復」は後世の介入を最小限にとどめ、出来る限りオリジナルの状態を保持するという原則に依るが、作家自身が考える「作品のコア」をどう抽出し、どう現在の技術的条件でアップデートさせられるか。実験的な取り組みへのチャレンジを今後期待したい。


[撮影:山中慎太郎(Qsyum!) 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


展覧会公式サイト:https://rema.ycam.jp/

2018/09/02(日)(高嶋慈)

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