artscapeレビュー
谷澤紗和子「Emotionally Sweet Mood─情緒本位な甘い気分─」
2022年05月15日号
会期:2022/03/19~2022/04/09
studio J[大阪府]
「切り紙」という媒体を通して、美術史における女性作家の周縁化や規範化された女性表象に対して、どう問い直すことが可能か。切り紙による平面作品やインスタレーションを主に手がける谷澤紗和子は、本展において、高村智恵子とアンリ・マティスという、ともに病を得た晩年に切り絵を手がけた2人の作品を引用し、問題提起する。
ヒヤシンスの球根を漉き込んだ和紙に、ヒヤシンスの鉢植えの切り絵を配した《情緒本位な甘い気分》《Emotionally Sweet Mood》はともに、3点しか現存しない高村智恵子の油彩画のひとつを元にしている。タイトルは、智恵子の死後、夫の高村光太郎が綴ったエッセイ「智恵子の半生」の一文から取られている。智恵子は光太郎と出会う前の若い頃の油彩画をすべて処分したが、光太郎は実見していないそれらについて「幾分情調本位な甘い気分のものではなかったかと思われる」と憶測した。光太郎には搾取している意識はなかったかもしれないが、『智恵子抄』など「光太郎の眼を通した智恵子像」が浸透してしまっている。だが谷澤作品をよく見ると、ヒヤシンスの植木鉢に眼と口が切り抜かれており、「智恵子自身が語る言葉を聴きたい」という思いが伝わってくる。
また、晩年に精神を病んだ智恵子が手がけた「紙絵」作品をモチーフにした別の作品群では、「I am so sweet!」「NO」といった言葉が切り抜いて添えられ、他者からの一方的な規定を逆手に取り、肯定的なものとして自らの手に取り戻し、「NO」と声を上げる抵抗の身振りが示される。だが、作品を縁取るフレームをよく見ると、金具や引き戸の付いた古い木材であることに気づく。解体された家屋の廃材を再利用したものであり、「古い家制度の解体」を示すと同時に、なおも閉じ込められているようにも見え、両義的だ。
一方、マティスの晩年の切り絵作品「Blue nude」シリーズを引用した谷澤の「Pink nude」では、固有の顔貌を奪われて抽象化された裸婦に、眼と口を切り抜いて「顔」が回復されると同時に、全身にトゲのような「ムダ毛」が生えている。さらにもう一作では、マティスの切り絵に、アニメのセーラームーンの変身シーンが重ねられている。「男性キャラクターの添え物」ではなく、女の子自身が戦う姿を描いた点で画期的だった同作だが、見せ場の「変身シーン」では裸のシルエットが光り輝いたり、「10頭身の美少女」として描かれるなど、規範的なジェンダー観の強化や性的消費につながる側面も併せ持つ。谷澤の「Pink nude」は、「ブルー」に対して「ピンク」を対置する点では短絡的に映るかもしれないが、赤やピンクに加え、紫やどす黒い赤までが混ざり合った色彩は、「怒りの色」にも見える。怒りの色に全身を染め、ムダ毛=トゲで武装した彼女たちは、他者による一方的な身体の理想化や記号化、性的消費に対して戦っているのだ。
2022/04/09(土)(高嶋慈)