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KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2017 山城知佳子「土の唄」
2017年05月15日号
会期:2017/04/15~2017/05/14
堀川御池ギャラリー[京都府]
山城知佳子の近作から、最新作《土の人》までを紹介する個展。全体を貫く通奏低音として、「声と身体」というキーワードを強く感じた。
《あなたの声は私の喉を通った》(2009)は、サイパン戦の生き残りである老人が、目の前で家族が自決した光景について震え声で語る証言を、山城が身体的にトレースする映像作品。男性の語りに合わせて口の動きを模倣する山城の顔が映し出されるが、初めは「口パク」状態で、被せられた男性の声が違和感を与える。涙を流しながら口を動かし続ける山城の姿は、耐えがたい痛みに共感しているのか、他者の記憶を物質的な「声」として身体に入れる苦痛に耐えかねているのか。だが終盤、山城の顔の上にうっすらと男性の顔の映像がオーバーラップすると、2人の声は重なり合い、ラストは山城自身の「声」だけが響く。他者の声の憑依、記憶の共有の困難さと苦痛、そして「声」の回復と継承への可能性を感じさせる作品だ。
また、類似した歴史を持つ沖縄と韓国の済州島で撮影された《土の人》(2016)は、あいちトリエンナーレ2016でも実見したが、本展で強く感じたのは、多言語の声による音響世界の多層性だ。ブツブツと発せられ、死者の声も混ざっているのではと思わせる、聞き取りがたい呟き。歌うような節回しで繰り返される、韓国語の響き。沖縄戦の記録映像に被せてヒューマンビートボックスが発する爆撃音は、いつしか、クラブで爆音でかかるダンス音楽の熱狂へと変貌する(それは、戦争とポップカルチャーという「アメリカ」の二面性を聴覚的に示す)。「ボゴぼごボゴぼご……」という呟きは、言葉遊びを駆使して音響的に戯れながら、地下の湧き水のような豊かな水脈を持つ「母語」について語る:「ことばを持たない自立はない」。
長い眠りから目覚めた「土の人」たちが通り抜ける地下空間や洞窟は、「母語」の空間、共同体的な記憶の空間であり、それは鍾乳洞の内部を撮影した写真作品《黙認のからだ》(2012)において、内臓や乳房といった肉体や胎内のイメージとして差し出される。「他者の声の憑依と記憶の継承」から始まる山城の試みは、「声が通りぬけ、蓄積される器」としての身体を、沖縄の鍾乳洞という現実の場所やそれがはらむ歴史と結びつけながら、より神話的なスケールと深度へと拡張してきたのである。そうした作品どうしの関連性と展開の厚みが十分に示された、充実した個展だった。
KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2017 公式サイト:http://www.kyotographie.jp/
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