2017年10月15日号
次回11月1日更新予定

artscapeレビュー

2017年10月01日号のレビュー/プレビュー

村田峰起 +

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会期:2017/08/19~2017/09/09

ギャラリーハシモト[東京都]

身体パフォーマンスとドローイングを手がけている美術家、村田峰起の個展。白いワイシャツを着たままその背中にドローイングを描いたり、鉛筆の芯を食べたり、引きちぎった辞書を積み上げたり、自らの身体を極限まで酷使しながら「絵画」や「彫刻」という既成のジャンルを内側から突き抜ける作品が特徴だ。本展では、同じく身体パフォーマンスを中心としたインスタレーションや写真、ドローイングなどの新作を発表した。タイトルの「+」には、さまざまなクリエイターやアーティストの力を借りながら作品を制作したことの敬意が含まれている。
こう言ってよければ、村田のパフォーマンスは極めて独善的である。言葉もないまま、ただひたすら机の上にボールペンを走らせるパフォーマンスは鬼気迫るほどの迫力があり、見る者を寄せつけない。しかし、本展で映像によって紹介されたパフォーマンスは公園で行なわれたせいか、好奇心を刺激された子どもたちが次第に集まり、村田の真似をして机に殴り書きをするようになるところに、彼のパフォーマンスの真骨頂がある。それは、閉じながらも、逆説的に開くような、特異なかたちで社会的な磁力を発するのである。
だが、そもそもパフォーマンスないし非言語的な身体表現とは、そのような逆説にもとづいているのではなかったか。こちらから積極的に他者に働きかけるというより、あちらから自己に働きかけるように暗に仕向けること。言い換えれば、世界との関係性を切り結ぶためにこそ、まずは世界との関係性を切断すること。そのためにまず自発的に動き出す身体の運動性こそが、パフォーマンスの純粋な動機だったはずだ。スタンドのマイクを両手で包みながら歌い上げるロックミュージシャンのように、カメラの前で延々と炭を食べ続けるパフォーマンスにしても、当初はそのナンセンスな振る舞いに笑いを抑えることができないが、乾いた咀嚼音を耳にしながら対峙しているうちに、次第にパフォーマンスの純粋性に心が打たれるようになる。閉じれば閉じるほど、ナンセンスを極めれば極めるほど、私たちの視線は村田の身体表現に釘付けになり決して眼を離すことができない。それは彼のパフォーマンスがじつは他者を渇望していることが、私たちの脳裏にありありと浮き彫りになるからである。
まず、閉じよ。「関係性」とやらのいかがわしい言葉に踊らされて、安易に世界と関わるな。孤立を恐れず、むしろ徹底的に社会と隔絶することで、逆説的に社会的になりうることは、十分にある。パフォーマンスの真理を、村田はその肉体で語っているのである。

2017/08/22(火)(福住廉)

ロバート・フランク:ブックス アンド フィルムス, 1947-2017 神戸

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会期:2017/09/02~2017/09/22

デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)[兵庫県]

巨匠写真家ロバート・フランクと出版人ゲルハルト・シュタイデルがタッグを組んで実現した展覧会。世界50カ所を巡回しており、日本での開催は昨年11月の東京展以来となる(現時点では日本で最後になる模様)。会場はデザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)の広い吹き抜け空間で、体育館ほどの床面積と天井高を持つ。本展では会場の特性を利用して新聞のロール紙を懸垂幕状に吊るす展示スタイルを採用。広大な空間に負けない広がりと余裕のある空間を実現した。また、吹き抜けに隣接する天井の低い空間は映画上映(長編、短編とも)やコンタクトシートの展示に当てられ、やはり空間づくりの上手さが感じられた。筆者にとってロバート・フランクといえば『THE AMERICANS』であり、その次にザ・ローリング・ストーンズのレコーディングやツアーに帯同した一連の写真、映像が思い浮かぶ。しかし本展を見ると、それらは彼の仕事の一部に過ぎず、意欲的にさまざまな主題や表現手法に取り組んでいたことが分かる。特に写真と手書き文字の組み合わせは興味深かった。ちなみに筆者は、今年の年初から神戸の某画廊主を通じて本展のプランを聞いていたが、その時点で開催の可能性は五分五分だった。この素晴らしい機会を実現してくれたスタッフに、感謝と労いの言葉をかけたい。

2017/09/02(土)(小吹隆文)

人長果月展─Biosphere─

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会期:2017/09/05~2017/09/16

galerie 16[京都府]

人長果月はインタラクティブなビデオインスタレーションをつくり続けているアーティストだ。今回の作品は「biosphere」(生物圏)と題されており、森の木々や草花、動物たち、池の水面や魚などを撮影した映像が幾重も重なったものだ。そして画面の前を人が横切る、動くなどすると映像のレイヤーがほころんで、隠れていた映像が垣間見える。また展示室の端には光源と回転するレンズが設置されており、そこから放たれた光が映像に干渉する仕組みにもなっている。タイトルからも窺えるが、本作のテーマは近年変調が著しい地球環境への危機感であろう。また本作のもうひとつの特徴は、音楽の効果的な使用だ。レガートな和音から成るオリジナル楽曲は、「カノン進行」と呼ばれる有名なコード進行でつくられており、映像に荘重さを加えていた。それはまるでレクイエムのようであり、作品を見続けるうちに、自分が人類滅亡後の世界にひとり生き残って、失われた自然を懐かしんでいるかのような気持ちにさせられた。

2017/09/05(火)(小吹隆文)

今井祝雄─余白の起源

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会期:2017/09/02~2017/09/30

ozasakyoto[京都府]

本展は、今井祝雄が異なる時期に制作した2つのシリーズ作品を中心に構成されていた。ひとつは2010年から11年にかけて発表した《フレーム考》12点、もうひとつは1971年に行なわれた具体美術協会のグループ展(同協会にとって最後の展覧会)に出品した《絵画または余白─A》と《同─B》の2点である(ほかには石版作品が数点)。2つのシリーズには共通の特徴がある。それは真っ白なキャンバスの四辺にメディウムが盛り上げられており、ほかには何も描かれていないことだ。また興味深いことに、今井は2010~11年の作品を制作した際、1971年の作品を完全に忘れていたという。つまり2つのシリーズは不連続だが、それでいて何がしかの共通性と時代精神を宿していることになる。1971年の作品を考えるとき、同時代の「もの派」やコンセプチュアル・アートとの関連が連想される。一方、2010~11年のアートシーンに40年前のような流行はなかったと記憶しているが、今井のセンサーは何を感じ取っていたのだろうか。筆者が思うに、2つのシリーズに共通するのは、絵画とそれが置かれる空間との関係、描くことをギリギリまで削ぎ落した表現、描くことの意味を問い直すこと、である。この推測が正しいか否かはさておき、ひとりの作家が40年の時を経て、エコーのように同系の作品を制作していたという事実が面白い。展覧会初日に行なわれた今井と平井章一(京都国立近代美術館主任研究員)のトークを聞いていれば、作家の意図がより明確に理解できただろう。参加できなかったことがいまになって悔やまれる。

2017/09/05(火)(小吹隆文)

六甲ミーツ・アート 芸術散歩2017

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会期:2017/09/09~2017/11/23

六甲山カンツリーハウス、自然体感展望台 六甲枝垂れ、六甲有馬ロープウェー、六甲ガーデンテラス、六甲高山植物園、六甲オルゴールミュージアム、六甲ケーブル、天覧台、TENRAN CAFE、六甲山ホテル、六甲山牧場(サテライト会場)[兵庫県]

神戸市の六甲山上に点在するさまざまな施設を会場に行なわれる芸術祭「六甲ミーツ・アート 芸術散歩」(以下、「六甲~」)。その名の通り、散歩感覚で山上を歩き、芸術作品との触れ合いながら、六甲山の豊かな自然環境や観光資源を楽しめるのが大きな魅力だ。今年は39組のアーティストが参加し、例年のごとく多彩な展示が行なわれている。筆者のおすすめは、六甲山カンツリーハウスの川島小鳥、六甲高山植物園の豊福亮と楢木野淑子、六甲オルゴールミュージアムの奥中章人と田中千紘、六甲山ホテルの川田知志である。一方、今年の展示は全体的に小ぶりで、やや地味な印象。「六甲~」自体も2010年の第1回から8年目を迎えたこともあり、そろそろマンネリ回避策を考えねばならない。具体的には、これまでの総括と、新たなテーマ設定、目標設定だろう。それと関係しているのかもしれないが、第1回から企画制作を担当してきた「箱根彫刻の森美術館」の名が今回から消えていた。筆者は、この芸術祭のクオリティーが保たれてきたのは、彼ら美術のプロたちの存在が大きかったと思っている。今後の「六甲~」はどこへ向かうのだろう。若干の不安を覚えたのもまた事実である。

2017/09/08(金)(小吹隆文)

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