artscapeレビュー
快快 - FAIFAI- 『CATFISH』
2017年03月01日号
会期:2017/02/15~2017/02/17
CLASKA Room 402[東京都]
快快は小指値と称していた頃から、筆者にとって一貫して〈演劇における役者の疎外〉にフォーカスしてきた劇団だ。例えば『Y時のはなし』の冒頭、スクリーン上にセリフがディスプレイされる前で、役者はそのセリフを読んだり読まなかったりした。戯曲があれば、物語の内容は伝わる。であれば、役者は何のためにいる? 役者はセリフを読む奴隷だ。それも、自分が奴隷であることを隠す奴隷だ。本作は、快快が扱ってきたこの役者性をあらためて主題化した作品となった。「catfish」とは英語でナマズのことだが、スラングとしては「なりすまし」の意味がある。本作はそのタイトルどおり、登場人物は誰もみな「なりすまし」人間。「山崎3世」は泥棒。スーツは背中が透明で裸の状態。「後藤」はやり手のコンサルタントだが、ハゲを隠している。若い「女」は巨乳だが、どう見てもそれは風船だ。会場も「なりすまし」で、目黒のホテルCLASKAの広い一室が劇場になっているのだ。途中、劇は中断し、パーティが始まる。日本酒や寿司が販売される。観客は「劇場の観客」であることをキャンセルさせられ、その間は「パーティの客」にさせられる。いや、日本酒のコップには「観客役10」とさりげない指示が。そう、観客もまたここでは「観客」役になりすましている。そのことを、こうやって煽るのだ。言い忘れていたが、観客には台本があらかじめ配られている。ある役のセリフには、いま自然にしゃべっているようだけれど、実は全部セリフなのだという内容の言葉さえ出てくる。そして、「観客」役のためのセリフがありそれを突然観客に読ませたりもする。そうして、すべてのことが真偽定かならず、真実なのかなりすました嘘なのかわからない空間が出来上がった。実際に身重の役者大道寺梨乃は、狂言回しの「なまず」役を半分降りて、7カ月目の自分はしかしただ妊婦の想像をしているだけなのではと漏らす。身体に起こる出来事さえどこかリアリティに欠けている。なるほど私たちはまさにそんな世界を生きている。「オルタナティヴ・ファクト」なんて言葉が、からかい半分流行ったり。そんな世界に生きる不安を、ユーモアまじりに劇化した。
2017/02/17(金)(木村覚)