artscapeレビュー
石黒健治「HIROSHIMA 1965」
2018年10月01日号
会期:2018/07/27~2018/09/30
石黒健治は1965年3月から8月にかけて、原爆投下後20年を迎えた広島を訪れて写真を撮影した。『日本読書新聞』の連載記事「ヒロシマから広島へ」のための取材が目的だったが、はじめて広島に入ったとき、「なんだろう、これは」と思ったのだという。その「焦げたエアーに隙間なく包み込まれる感覚」は、撮影中ずっとつきまとうことになる。石黒は、そんな微かな違和感を手がかりにして、広島の街を歩き回り、シャッターを切り続けた。この時の写真と、その後何度か広島を訪れて撮影した写真をあわせて、1970年に深夜叢書社から「石黒健治作品集Ⅰ」として刊行されたのが、『広島 HIROSHIMA NOW』である。
今回のAkio Nagasawa Galleryでの展示は、当時のヴィンテージ・プリントを中心とするもので、新たに編集された写真集『HIROSHIMA 1965』(Akio Nagasawa Publishing)も同時に刊行された。あらためて石黒の広島の写真群を見直すと、それらがそれまでの報道写真的な取り組みとは、とはまったく違う解釈、視点で成立していることがわかる。戦後20年を経た広島は「日常の生活空間に復帰」しており、「原爆ドームも観光的なモニュメントに」なってしまっている。そんな広島の眺めを、石黒はあくまでも「焦げたエアー」という皮膚感覚、生理感覚を梃子として撮影していく。そのような「社会性」よりも「私性」に重心を置いた見方は、1960年代後半に形をとってくる「コンポラ写真」の先駆といえる。さらに言えば、石黒の「HIROSHIMA 1965」は、笹岡啓子の「PARK CITY」や藤岡亜弥の「川はゆく」など、より若い世代の広島の写真を予告するものでもあった。その先駆性を再評価すべきだろう。
2018/09/21(飯沢耕太郎)