artscapeレビュー

ホエイ『喫茶ティファニー』

2019年06月15日号

会期:2019/04/11~2019/04/21

こまばアゴラ劇場[東京都]

2018年に上演した『郷愁の丘ロマントピア』が第63回岸田國士戯曲賞最終候補作に選出されたホエイ。新作の舞台はレトロなアーケードゲームの卓が残る古びた喫茶店だ。初めて店を訪れたらしい男(尾倉ケント)は連れの女(中村真沙海)からマルチ商法まがいの「ビジネス」に誘われている。女の上司(斉藤祐一)、男の友人(吉田庸)らも合流し、「ビジネス」の話を進めようとするうち、男女がともに在日コリアンであることが明らかになり──。

「正義」や「常識」は相対的なものであり、多くの人がそれを「正しい」と信じているという程度のことでしかない。茶碗をめぐるマナーひとつとっても韓国と日本とでは違いがあり、それがときに摩擦やイジメを生む。物語の主軸をなすのは在日コリアンの置かれた困難な状況とその抜け出しがたさだが、それらを生み出す構造は世のあちこちに見出すことができる。

「詐欺してますよね」「だまされてますよ」とマルチ商法であることを指摘し「人助け」をしようとした女性客(赤刎千久子)が逆に店から追い出されてしまう場面が印象的だ。そこでは彼女の言動は「正義」とは見なされない。直前に彼女がいかに自らが「正当な」日本人であるかを説明していたことも影響したのかもしれない。「ビジネス」に望みをかけ、何とか現状を打破しようとする人々にとって、彼女の言葉は邪魔なものでしかない。

©三浦雨林

ところで、これまでのホエイのほとんどの作品では、ある意味で「学芸会」的ともいえる簡素な舞台美術が採用されてきた。そこにはないものを「見る」ための想像力を刺激する戦略としてだろう。しかし今作では「リアルな」喫茶店のセットが組まれている。しかも、照明こそ換わるものの、喫茶店以外の場面もそのセットのままで演じられるのだ。このことは何を意味しているのだろうか。

見えていないものを想像することはもちろん重要だ。だがそのためには、そもそも自分には見えていないものがあるのだという自覚がなければならない。友人の出自、異性の抱える困難、あるいは自国の歴史。それが遠い外国のことであれば「知らない」と自覚することは比較的容易、かもしれない。だが、目の前に「見えているもの」があればその分だけ、その向こうに「見えていないもの」があることは想像しづらい。喫茶店のかたちで観客の目の前にはっきりと存在する「今ここ」とは異なる位相で語られるエピソードは登場人物には「見えていないもの」として、観客にのみ開示される。

作品のほとんど最後に至ってさりげなく、物語上は特に意味のないかたちで「クノレド」という単語が登場するのも示唆的だ。なるほど、本作は在日コリアンを中心とした物語だったかもしれない。だがその向こうには無数の同型の、同時にまったく違った問題がある。そもそも在日コリアンについてだって私はロクに知ってはいないのだろう。「知っている」ことの安全圏の外側を、私は想像し続けることができるだろうか。

©三浦雨林

公式サイト:https://whey-theater.tumblr.com/
ホエイ『郷愁の丘ロマントピア』レビュー:https://artscape.jp/report/review/10142986_1735.html

2019/04/21(山﨑健太)

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