2022年01月15日号
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artscapeレビュー

関口敦仁展 手がとどくけど さわれない

2021年12月01日号

会期:2021/10/16~2021/11/23

O美術館[東京都]

O美術館へは、たぶん4半世紀ぶりぐらいの訪問となる。学芸員の天野一夫さんがいた90年代前半まではよく通っていたが、行かなくなった理由はただひとつ、おもしろい企画展をやらなくなったからだ。最近はせいぜい品川区にゆかりの作家を企画展として取り上げるくらいで、あとは貸し会場化していたらしい。そんな「美術館」で関口敦仁の個展が開かれるというから唐突に感じたが、なんのことはない、関口は品川区大井の出身、地元ゆかりの作家なのだ。

関口敦仁といえば、80年代のアートシーンを牽引した作家のひとり。「ニューウェイブ」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは関口の名前と作品だ。もの派やミニマルアートを引きずったような70年代の禁欲的な表現(非表現といってもいい)を払い除けるように、既視感のない流動的なイメージを奔放な色彩と構成で表現してみせ、新しい時代の到来を予感させたものだ。しかし1990年前後からメディアアートに軸足を移し、またパリに長期滞在した後、岐阜のIAMAS(情報科学芸術アカデミー)の教授に就任してからは、少なくともぼくの視界から消えてしまった。同展には1979年の《水中花1》《水中花2》から新作まで、約60点の作品が時代順に並んでいるが、ぼくになじみがあるのは前半を占める80年代の絵画、レリーフ、半立体状の作品たちだ。

最初の《水中花》の連作は学部生のころの作品で、波紋のような青と白の円弧が画面を埋め尽くし、画面の左右には垂直線、上方には2本の斜線が入ってている。円弧はフリーハンドで奔放に絵具を滴らせ、左右の垂直線はそれを制御するような役割を果たす一方で、上方の斜線と相まってどこか日本の伝統絵画を想起させもする。当時の絵画に対する関心ごとを見事に反映させた作品といえる。1981年の《自画像》でセザンヌ風のモチーフとシェイプトキャンバスが現われ、《食卓の夢》や《水の中から》では、金属や樹脂など異素材を組み合わせたレリーフ状の作品に発展していく。

しかし1990年前後からCGプリントや映像インスタレーションなどメディアアートに移行し、作品自体も少なくなっていく。作品リストで数えてみたら、80年代までが26点、90年代が16点、2000年代が7点、10年代以降が18点と、徐々に減りつつ近年再び増加に転じているのがわかる。もっともこれは出品点数であって制作点数ではないが、おおむね作品量を反映していると見ていい。

ところで、1990年前後に作品形態は大きく変わったと書いたが、コンセプトはほとんど変わっていないようだ。それはなにかというと、関口の場合とても難しいのだが、カタログの言葉を援用すれば、「自身の存在自体に目を向けようかと思ったり、創造衝動と存在の確認を重ねてみたりと、極めて内向きな視線を外の世界に接続させよう」とすることだろう。それがタイトルの「手がとどくけど さわれない」感覚につながるのではないか。

もうひとつ変わっていないものがある。それはコンセプトにも関係するかもしれないが、「円」への偏愛だ。もちろんお金じゃなくて丸のほう。最初期の《水中花》の連作では円弧の連なりとして現われ、《自画像》《ピークトルク》では赤いリンゴとして描かれ、その後も《みぬま》《食卓の夢》《ガラス球》など大半の作品に円が登場する。メディアを変えてからも、「笑いの回転体」シリーズは円形をしているし、《地球の作り方 赤道》は赤道という円環だし、《景観新幹線》は円環状のレールの上を模型の鉄道が走り、《知覚の3原色123》は3色の円形だけで成り立っている。最後の《赤で円を描く》はタイトルどおり、画面を赤い円で埋め尽くした絵画だ。そしてこの作品が、会場を一周して最初の《水中花》の連作に向かい合うように展示されているのは偶然ではないだろう。彼自身の制作もぐるっと回って円環状につながっているに違いない。

2021/11/06(土)(村田真)

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