artscapeレビュー

2021年12月01日号のレビュー/プレビュー

アントワーヌ・ヴィトキーヌ『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』

2017年、レオナルド・ダ・ヴィンチ作とされる《サルバトール・ムンディ》がオークションで、美術作品の最高額を大幅に更新する約510億円で落札されて世界を驚かせた。しかもこの作品、2005年にわずか13万円で売買された代物。その後、修復してレオナルドの真作である可能性が高いと判断されたとたん、一気に値が釣り上がり、最終的に510億円で落札されることになった。わずか12年間で40万倍(!)にも高騰したことになる。この映画は、なぜ作品価格がこれほど釣り上がったのか、その裏ではなにが起きていたのか、そしてこの作品は現在どうなっているのかを、関係者の証言を交えながら追跡したドキュメント。 以前から専門家のあいだでは、レオナルド工房の《サルバトール・ムンディ》という絵があるといわれていたが、レオナルド本人が制作に関与したかどうかは不明だったし、そもそも作品自体も見つかっていなかった。裏を返せば、レオナルドの真作がどこかに存在する可能性がゼロではなかったことが、今回の狂騒のキモだ。

発端は、ニューヨークの美術商が競売会社のカタログを見て「これはひょっとして」と思い、13万円で購入。美術商はこれを知り合いの修復家に預けたが、彼女は修復の範囲を超えて加筆修整まで施してしまう。その甲斐あってか(?)、ロンドンのナショナル・ギャラリーで複数の専門家が鑑定したところ、真作であるとの意見が多数を占めたため、同館の「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」に新発見の真作としてお披露目された。ナショナル・ギャラリーといえば美術界の権威中の権威、彼らがお墨付きを与えたということで、2013年には別の美術商が100億円で購入し、ロシアの大富豪に157億円で転売する。これが不当な売値であるとして富豪は美術商を提訴。ここまでで上映時間の半分以上を費やしている。

そして2017年、大富豪はオークション会社のクリスティーズにこの作品を委ねるのだが、クリスティーズの「煽り」がすごい。まず、美術オークションは通常「古典」「近代」「現代」の時代別に行なわれるが、《サルバトール・ムンディ》は古典美術ではなく現代美術の部門で扱われたのだ。理由は、現代美術の顧客は古典の知識が乏しいこともあってさほど真贋にこだわらないこと、また、芸術性よりも話題性のある作品、値の上がりそうな作品に興味を示すからだ。さらにクリスティーズは、オークション前の内覧会で作品の脇にカメラを据え付け、絵に見入る人たちの表情を捉えてPV化した。暗い背景の中で呆然と見つめる者、驚嘆する者、涙を拭う者などさまざま。同名のよしみか、ディカプリオも登場する。そんな宣伝効果も手伝ってか、《サルバトール・ムンディ》はオークション史上最高値の510億円で何者かによって落札された。

映画の終盤は、これを落札した人物と、《サルバトール・ムンディ》の行方を追う。落札者はその後、サウジアラビアの皇太子ムハンマド・サルマーンと噂される。同国のジャーナリスト殺害に関与したと疑われるヤバイ人物だ。作品は2019年にパリのルーヴル美術館での大規模な「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」に出品される予定だったが、所有者側は《モナ・リザ》の隣に展示されることを望んだのに対し、美術館側はあくまで「参考作品」としての扱いだったため交渉は決裂、出品されずに終わった。結局この作品、超高値で売買されたにもかかわらず真作か否か曖昧なままで、落札されてから一度も公開されていない。ひょっとしたら、皇太子は偽物をつかまされたってんで頭にきて破棄したんじゃないかとぼくはにらんでいる。そもそもイスラム国の指導的立場の人間が、救世主イエス・キリストの絵を大枚はたいて買うこと自体ありえない話。所有者の素行を見る限り、この絵を標的に「ダーツ遊び」しても不思議じゃないからなあ。

ぼくは実物を見たことないけど、報道を読んで《サルバトール・ムンディ》にレオナルドの手が入っている可能性はフィフティ・フィフティだと思っていたが、映画を見た後は限りなくゼロに近くなった。結局この映画が教えてくれるのは、レオナルドの偉大さでも芸術の奥深さでもなく、世界を躍らせるアートマーケットの耐えられない軽薄さであり狡猾さである。

公式サイト:https://gaga.ne.jp/last-davinci/

2021/10/22(金)(村田真)

T3 PHOTO FESTIVAL TOKYO

会期:2021/10/22~2021/10/31

東京スクエアガーデンほか[東京都]

写真雑誌や写真教室を企画・運営してきたシー・エム・エスを母体とするTOKYO INSTITUTE PHOTOGRAPHYが主催する写真イベント「T3 PHOTO FESTIVAL TOKYO」が、東京駅周辺のいくつかのスペースを会場として開催された。同イベントは2017年には上野公園界隈で開催されたこともあり、地域的に拡散しがちな写真フェスティバルを、限られた場所に集約して行なうというアイデアは悪くないと思う。今回は「仮囲いやオフィスビルの公共空間(公開空地等)を使い、東京という都市を見つめてきた日本の写真家たちの作品と言葉を『雑誌』のように展示」するという「Tokyo Photographers Wall Magazine 2021」を中心に、いくつかの写真展、フォトマーケット、オンライントークなどが開催された。

予算規模の問題が大きいのだろうが、残念なことに活気のあるイベントとしては成立していない。石川直樹、尾仲浩二、藤岡亜弥、野村佐紀子、有元伸也、山谷佑介、インベカヲリ★など、いいメンバーが参加しているにもかかわらず、彼らの写真や言葉を一定のスペースに囲い込み、同じレイアウトで提示することで、メッセージが均一化してしまっているのだ。30人ほどの展示パネルを、バラバラに見せるだけでは物足りなさが残る。もっと人数を増やすか、逆に絞り込んで一人あたりの点数を増やすことも考えられそうだ。これも管理上むずかしいかもしれないが、ゲリラ的に建物や街路全体を埋め尽くすような展示ができないだろうか。とはいえ、このような企画にまったく可能性がないとは思えない。展示場所の設定を含めて、試行錯誤を繰り返すことで、実りの多い成果に結びつくことを期待したいものだ。

公式サイト:https://t3photo.tokyo

2021/10/24(日)(飯沢耕太郎)

柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年

会期:2021/10/26~2022/02/13

東京国立近代美術館[東京都]

「民藝」とはなにか、なにがおもしろいのか、よくわからなかった。同展カタログによれば、「民藝」とは「1925年に柳宗悦、濱田庄司、河井寬次郎によって作られた新しい美の概念で、『民衆的工藝』を略した言葉」だそうだ。「工芸」が一般に巧みな技術によって創造された美的産物で、大量生産品より芸術性があり高価なものだとすれば、「民藝」はそれをより大衆化した安価なものらしい。いや、順序が逆か。そもそも「民藝」は人々の暮らしのなかに息づいていたが、そのなかから「芸術」を目指して美的にも技術的にも洗練されたものが「工芸」として差別化され、民藝は工業製品に押されて先細りになっていった。だから柳宗悦らはそれを「再発見」し、守らなければならなかったのだろう。あ、少しわかってきた。

ところで、「工芸的」という形容は、少なくとも美術作品に対してはホメ言葉ではなく、おおむね否定的に使われるが、「民藝的」といわれればどうだろう? 工芸的よりさらに格下かと思ったらそうでもなく、むしろ素朴で暖かく、人間味が感じられ、一周回って肯定的に受け止められないだろうか。うーん、やっぱりよくわからない。

展覧会のほうは、作品に興味を持てないのでほとんど素通りしたが、いくつか引っかかる点があった。ひとつは、民藝運動が単なる好事家たちの趣味などではなく、生活道具をとおして社会を美的に変革しようという文化活動、思想運動であったこと。これって、ウィリアム・モリスの提唱したアーツ&クラフツ運動と似てなくね? 確かに展覧会でもカタログでもアーツ&クラフツには触れられているけれど、両者にどれほどの影響関係があったのかは不明だ。もっともアーツ&クラフツは民藝より半世紀ほど前の運動だし、モリスも19世紀末には亡くなっていたから、民藝が関心を持ち始めたころにはすでに美術館入り(つまり「芸術化」「歴史化」)していたのかもしれない。

もうひとつは、彼らが『月刊民藝』に掲載した「民藝樹」という図。1本の木から枝が3本に分かれ、それぞれ「たくみ工藝店」「日本民藝館」「日本民藝協会」という実がなっている。これは民藝運動の三本柱を示すもので、たくみ工藝店は民芸品を販売するセレクトショップ、日本民藝館は民芸品の収集・保存・展示を行なう美術館、日本民藝協会は機関誌『工藝』『月刊民藝』などを出版する本部のこと。それぞれ市場価値を決定するマーケット、美的価値を保証するミュージアム、社会的価値を広めるパブリシティという三位一体を表わしているのだ。ここからも彼らがきわめて戦略的に運動を進めていたことがわかる。

最後に、「国立近代美術館を批判する」というコーナーを設けていたことにも注目したい。これは1958年に柳宗悦が『民藝』に発表した「近代美術館と民藝館」という批判記事に基づくもので、日本民藝館は「国立」「近代」「美術」を否定し、「在野」「非近代」「工芸」の立場に立つと主張したのだ。いってみれば日本民藝館は「在野立非近代工芸館」というわけ。その批判された近代美術館が民藝館からコレクションを借りて「民藝」展を開くと知ったら、柳は喜ぶだろうか、嘆くだろうか。

2021/10/25(月)(村田真)

百々武「生々流転」

会期:2021/10/26~2021/11/08

ニコンサロン[東京都]

百々武が前回ニコンサロン(当時は新宿ニコンサロン)で展覧会を開催したのは、2001年だという。ビジュアルアーツ専門学校大阪の卒業制作「西蔵公路」を展示したのだが、その頃の写真と比較すると、月並みな言い方だが彼の写真家としての成長を感じる。20年間という年月を経て、被写体に向ける眼差しに深みが加わり、事物の背後に広がる時空間を写真に取り込むことができるようになった。初個展から20年目の今回の展示は、彼にとってもひとつの区切りとなるのではないだろうか。

百々は2017年、吉野川の源流域で林業が盛んな奈良県川上村に、家族とともに移住した。今回の個展の出品作は、それ以後に撮影した写真から選んだもので、村民との交流、祭りなどの行事、集落の建物、さらに村を包み込む森や川などの自然環境を、6×6判のフォーマットの画面にしっかりと写し込んでいる。モノクロームのプリントは、川上村で伐採された檜造りのフレームにおさめられ、絶妙な距離感で並んでいた。その間に、やや大判のカラー写真が挟み込まれていたが、そのバランスがとてもうまくいっている。黒白写真は凝視力が強く、カラー写真は包み込むような雰囲気を感じさせる。もう少し大きな会場なら、点数をもっと増やすことができたはずだが、これはこれでよく考えられ、コンパクトにまとまった展示構成になっていた。

このシリーズはむろんこれで終わりというわけでなく、さらに続いていくはずだ。子供たちの成長とともに、百々の村でのポジション、人間関係も変わっていくだろう。それらを積極的に取り込んだ、文字通りの「生々流転」のドキュメントとして展開していってほしい。なお、Case Publishingから同名の写真集が刊行されている。

2021/10/27(水)(飯沢耕太郎)

北島敬三「UNTITLED RECORDS Vol.20」

会期:2021/10/17~2021/11/13

photographers’ gallery[東京都]

北島敬三は『日本カメラ』2012年1月号から「UNTITLED RECORDS」と題する連載を開始した。2013年12月号まで続いた同連載で、北島は編集部の「震災後の被災地の建物を」という希望に応えつつ、写真とテキストとを掲載していった。この時から、それまでの4×5インチ判のカメラに変えてフェーズワンデジタルパックP65を使い始めている。だが、同連載の終了後もまだ続けたい気持ちがあり、2014年3月から、年3回ほどのペースでphotographers’ galleryでの連続個展を開始した。それが今回のVol.20で完結ということになり、これまで展覧会のたびに発行してきた各16ページの写真集全巻を箱入りでまとめるとともに、全作品を一望できる『UNTITLED RECORDS INDEX〜 vol.1-20 INDEX』を刊行した。

それらを見直すと、この時期に北島が北海道から沖縄まで日本各地に足を運んだことの意味があらためて浮かび上がるとともに、一見バラバラに見える写真群が、一貫した視点と姿勢で撮影・選択されていることが見えてくる。それはたとえば以下のようなものだ。仮設であること:写っている建造物は永続的なものではなく、被災地の建物に典型的にあらわれているように、かりそめの相で定着されている。用途不明であること:それが何のための建物であるかは、ごく稀な場合を除いては明示されない。曇っていること:晴れた日には撮影されていない。曇り空の鈍い光が基調となる。触覚的であること:視覚的な要素よりは触覚的な要素が強調されている。

このような特質を備えた被写体に、緊張感を持って対峙しつつ、北島が常に抱いていたのは、何かが大きく変わりつつあるという実感だったのではないだろうか。1990年代末から進行し、東日本大震災以後より加速しつつある日本の風景の解体は、もはや後戻りできないところにまで達しようとしている。北島は無名の観察者に徹することで、それをまさに「名もない記録」として提示し続けようとした。その成果が全320点の写真群に凝結している。

2021/10/28(木)(飯沢耕太郎)

2021年12月01日号の
artscapeレビュー