2022年10月01日号
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artscapeレビュー

フィリア―今道子

2022年02月01日号

会期:2021/11/23~2022/01/30

神奈川県立近代美術館 鎌倉別館[東京都]

ベッドの上にたくさんのキャベツを敷きつめたり、コハダの切り身を重ねてブラジャーをつくったり、タコと点滴装置と人形の首を組み合わせたり……。今道子の写真を一言で表わせば「グロテスク」に尽きる。グロテスクの語源がグロッタ(洞窟)で、それが地中から発掘された動物や植物の入り混じった古代ローマの奇怪な装飾に由来するならば、つまり異質なもの同士の風変わりな組み合わせを意味するならば、今の写真はまさにグロテスクというしかない。それはまた、「解剖台の上でのミシンとコウモリ傘の不意の出会いのように美しい」と歌ったロートレアモンの詩に代表されるような、シュルレアリスムの美学でもあるだろう。その趣味嗜好は、モデルとして登場する数少ない人物が澁澤龍彦(遺影として)、種村季弘、四谷シモンらであることからも明らかだ。

ぼくが今の写真を初めて見たのは、1979年に横浜のギャラリー芝で開かれたグループ展「写真としての芸術、芸術としての写真」においてだった(展覧会歴を見ると、これが最初の発表らしい)。その直前に『ぴあ』の取材で出品作家たちに会い、話を聞いて記事にしたのでよく覚えている。でも4人の出品作家のなかで、顔も名前も作品も覚えているのは最年少の今だけで、ほかにだれがいたのか、どんな作品があったのかまったく記憶にない。それほど今の写真が際立っていた。ちなみに、今回の出品作品のなかでそのとき出ていたのは、冒頭のベッドの上にキャベツを並べた《キャベツ+寝台(1)》(1979)や、ストッキングに野菜を詰めてベッドに横たえた《野菜+ストッキング》(1979)だったと思う。

ついでにいうと、グループ展のタイトルにも使われた「芸術としての写真」というフレーズがにわかに注目を集めるのは、それから10年後の1989年、写真発明から150年目のことだった。この年、プロの写真家ではなく、アーティストによる写真を使った作品、つまり「芸術としての写真」を集めた企画展が何本も開かれ、今もいくつかに出品している。それまでも「芸術としての写真」がないわけではなかったが、大半は概念的なコンセプチュアル・フォトで、今のような物語性のある写真が続々と現われるのはこのころからだ。そういう意味で今は早かった。

しかしそれより今のすごいところは、作風こそ少しずつ変化しているものの、野菜や生魚や日用品を組み合わせて写真に撮るという基本コンセプトが、40年以上ほとんど変っていないことだ。だから展覧会場を見渡すと、モチーフが一貫しているのはもちろん、一部を除いて大半が黒い背景のモノクロームプリントだし、額縁もほとんど黒に統一されている。そのため写真が遺影のように見えるが、魚や野菜の「死体」を被写体にしているので、あながちそれも間違いではないだろう。展覧会全体としては単調ともいえるが、それ以上に一貫したテイストを持続させていることに舌を巻くのだ。

2022/01/09(日)(村田真)

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