artscapeレビュー

飯川雄大「デコレータークラブ:未来のための定規と縄」

2023年10月15日号

会期:2023/07/14~2023/09/10

霧島アートの森[鹿児島県]

「壁で隔てられた向こう側で何が起こっているのか」を、どのように想像できるか。あるいは、誰にも気づかれなかったとしても、不確定な「向こう側」へ向けてアクションを起こせるか。既存の堅固なシステムの内部に寄生するように、別のシステムが走っていることを想像し、その駆動に参加することは、どのように可能か。飯川雄大の作品は、ポップな見た目やユーモアとともに観客の能動的な参加を誘いつつ、常に視覚の全能性を疑いながら、こうした示唆的な問いを投げかける。

本展は、千葉市美術館(2021)、兵庫県立美術館(2022)、彫刻の森美術館(2022-2023)に続く、大規模な飯川の個展。展示室に加え、野外彫刻が点在する広大な敷地にまで作品が展開する。建物や木立に一部が隠れ、全貌が見えないピンクの猫の巨大な立体作品《デコレータークラブ─ピンクの猫の小林さん》(2007-)や、忘れ物のように見えるが重すぎて持ち上げられない《デコレータークラブ─ベリーヘビーバッグ》(2010-)に加え、観客がハンドルを回すとロープが動き、展示空間のどこかで新たな事象が起きる《デコレータークラブ─0人もしくは1人以上の観客に向けて》(2019-)のアップデート版が制作された。

美術館に入る前から、エントランスの芝生の上にカラフルな太いロープが伸び、屋上へと続いている。館内に入ると、別の太いロープが観客を誘導するように展示空間へと続く。展示室内は一見何もないように見えるが、壁や天井からカラフルなロープがいくつも垂れ下がる。綱引きのように引っ張ると、際限なくロープが壁の穴から出てくる(だけだ)。特に太いロープは一人の力では引っ張れず、居合わせた観客どうしの協働作業が自然発生する。「わあ、動いてる!」という歓声に振り向くと、ロープがひとりでに穴の中へ吸い込まれていくのが目撃される。だがそれは私が引っ張ったロープなのか、別の誰かがどこかで引っ張ったロープなのか、判別できない。私が引っ張ったロープはどこかで「誰か」に目撃されたのか、誰にも目撃されないまま動いていたのかも、わからない。



[撮影:阪中隆文]


また、壁に取り付けられたハンドルを回すと、「ギギギ」という音と重い手ごたえが伝わる。展示室内の壁や天井には縦横無尽にピンと張られたロープからスポーツバッグがぶら下がり、外壁にもリュックが吊られているのだが、どのハンドルと連動して上下するのかは不明だ。さらに、別の外壁には滑車とロープを組み合わせてできた文字があり、観客が室内でハンドルを回すと、ロープが巻き取られ、文字を構成するロープの色が少しずつ変わっていく。



[撮影:阪中隆文]



[撮影:阪中隆文]


また、野外空間には、広大な敷地を縦断するように、蛍光ピンクの太いチューブが伸びている。《デコレータークラブ─未来の猫のための定規》と題された本作は、理論上は制作可能な「長さ400m、高さ270m、奥行き50mの猫の小林さん」の巨大さを体感的に想像するためにつくられた。



[撮影:阪中隆文]


ここで、飯川の参照項として、梅田哲也、金氏徹平、加藤翼の作品と比較してみよう。梅田哲也のインスタレーション作品でも、展示空間で「何かが(不意に)動く」のを目撃するが、「動力」は水の落下や重力といった物理現象、即席ミラーボールやターンテーブルの回転などである。対して、飯川の場合、観客の介入がないと何も起こらない。また、「穴を通したモノの交通により、内/外の境界を有機的に流動化させる」構造は、金氏徹平のドローイングや映像作品《tower (MOVIE)》(2009)および派生したパフォーマンス作品《tower (THEATER)》(2017)を想起させる。金氏の「tower」シリーズでは、直方体の構造物に空いた穴から、チューブやロープなどの物体、煙や風船(気体)、水(液体)が出現するが、「パフォーマーが内部で動かす/観客が外側から眺める」という境界線は強固に保たれたままだ。一方、飯川作品では、美術館という巨大な箱をひとつの上演装置と捉え、「展示室内部で観客がロープやハンドルを動かすと、“箱の外側”でモノの運動が上演される」ことで、内部/外部、観客/パフォーマーの境界を流動化させていると言える。だが、その「上演の観客」は不確定で「無人」に終わる可能性もあり、「上演のタイムライン」も不安定だ。

また、本展での新作では、これまでの「ハンドルを回す行為」から、「ロープを直接引っ張る行為」に変わった。ハンドルという媒介がなくなることで、直接的な体感が増すとともに、「固定ハンドル=個人作業」から解放され、協働作業に観客を巻き込む。そして「ロープを複数人で引っ張る」行為は、加藤翼の参加型作品を想起させる。ただ、加藤の場合、巨大な構造物をロープで引っ張り、「引き倒す(=ナンセンス)/引き興す(=震災からの復興)」という意味づけがあり、「引き倒し/引き興し」を皆で目撃する瞬間に最大のカタルシスが生まれるが、飯川作品では、どこで何が動くのかも「目的」すらも曖昧・不在であり、「動く瞬間を観客自身は目にすることができない」点に最大のポイントがある。

自分自身では「目撃者」となれず、どこか別の場所で「目撃者」を発生させてしまう(かもしれない)。飯川の作品は、二重の意味で観客の「観客性」を剥奪する。同時に、空調の配管や電気系統、順路といった「美術館の物理的システム」とは別に、まったく別系統で動くシステムが建築物のなかを複雑に走っていることを想像させる。「ロープ」は、そうした想像力の具現化を助けるための媒体である。「観客が能動的に動かす」ことで成立する飯川の作品だが、実は「想像力の起動」こそが賭けられているのだ。



[撮影:阪中隆文]


飯川雄大「デコレータークラブ:未来のための定規と縄」:https://open-air-museum.org/event/event-41150


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2023/09/10(日)(高嶋慈)

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