artscapeレビュー
2023年10月15日号のレビュー/プレビュー
レスリー・キー「LIFE」
会期:2023/08/22~2023/10/03
キヤノンギャラリーS[東京都]
シンガポール生まれのレスリー・キーは、リチャード・アヴェドンに憧れて写真家になることを志し、1994年に来日して東京ビジュアルアーツで学んだ。同校卒業後は、日本に居を定めて作品発表を続けている。
2000年代以降、レスリーが主に活動の舞台にしてきた広告・ファッション写真のジャンルは、かなり厳しい状況に陥りつつある。新聞や雑誌などの印刷媒体に広告を出す企業の意欲が減退し、ネット広告にシフトしていくなかで、かつてのような「夢」を生み出し、共有していくような広告・ファッション写真家の仕事も、大きな影響を受けざるをえなくなった。そんななかで、レスリーのポジティブなエネルギーを感じさせる写真のあり方は、逆に際立って見えてくる。25年間にわたって撮り続けてきた写真から、180点あまりを選んで展示した今回のキヤノンギャラリーSの個展でも、むしろ彼の写真表現の真っ当さが力強く伝わってきた。
セレブのモデルたちと向き合い、彼らのパワーを受け止めて投げ返したモノクロームのポートレートも悪くないが、レスリーの写真の真骨頂といえるのは、カラーの群像写真のほうだと思う。こちらの写真群には「主役はない」。だが、グループとしてのまとまりをきちんと打ち出しながらも、一人ひとりの生の輝きもしっかりと捉えきっている。批評するのではなく、モデルの発するパワーを受けとめ、投げ返すという姿勢を、どの作品からも感じとることができた。レスリーはいま、LGBTのポートレートを撮影する企画「OUT IN JAPAN」など、いくつかのパブリックな企画にも関わっている。今後は、いち写真家としての役割を超えた、多面的な活動も期待できそうだ。
レスリー・キー「LIFE」:https://canon.jp/personal/experience/gallery/archive/leslie-50th-sinagawa
2023/09/04(月)(飯沢耕太郎)
吉田多麻希「Brave New World」
会期:2023/09/02~2023/10/29
東條會舘写真研究所[東京都]
2022年の京都国際写真祭で開催された「10/10 現代日本女性写真家たちの祝祭」展で、吉田多麻希の「Brave New World」シリーズを初めて見たとき、なかなか面白い仕事だと感じた。野生動物を被写体にしているにもかかわらず、いわゆる「動物写真」の範疇にはおさまることのない、ピクトリアルな画面構成が新鮮な驚きだった。その後、同年度の木村伊兵衛写真賞の最終候補にノミネートされるなど、注目を集めつつある彼女の同シリーズを、今回の個展でまとめて見ることができた。
会場となった東京・半蔵門の東條會舘は、創業111年という歴史を誇る名門の写真館である。その暗室や地下スペースのたたずまいを活かしつつ、吉田の作品世界の可能性をさらに大きく広げようとしている。その試みは、とてもうまくいっていたのではないだろうか。インスタレーションとして、見応えのある展示になっていた。今回が本格的な写真の個展としては最初だそうだが、今後もぜひ意欲的な展覧会を開催していってほしい。
ただ、ネガフィルムの現像に失敗して、染み(ムラ)ができてしまった画像を、「それはまさしく、わたしたちが自然に対して行なっている行為そのものだった」と捉え返し、作品制作行為の根幹に置くというコンセプトについてはやや疑問が残る。作品を見ると、エコロジー的な視点は言い訳に過ぎず、むしろ動物たちのイメージを「材料」として、視覚的な効果を追求しているようにしか見えないからだ。逆に、その反自然的な破壊行為をより徹底して追求することで(現時点ではまだ中途半端)、自然そのもののコントロール不可能な様相が、よりクリアに見えてくるのではないかとも思える。さらなる展開を期待したい。
東條會舘写真研究所:https://www.instagram.com/tojo_kaikan_photo_lab/
関連レビュー
KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2022|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2022年06月15日号)
2023/09/05(火)(飯沢耕太郎)
浜昇「From Scratch」
会期:2023/09/05~2023/09/19
浜昇が、自ら主宰する写真公園林から1990年に刊行した『フロムスクラッチ』はとても好きな写真集だ。写っているのは、街を徘徊するなかで見出された小さなスクラッチ(傷)である。壁やガラス窓や道路などを含む日常の事物の表面に、微かなスクラッチを見出し、それらにカメラを向けてシャッターを切る、ただそれだけの行為の集積だが、そこにはじつに味わい深い眺めが出現していた。スクラッチそのものは、意図的というよりは偶発的にできあがったものだろう。だが、その事物の材質、光の状態、反射や映り込みなどが相まって、偶然とは思えない精妙なテクスチャーが浮かび上がってくるのだ。
今回の展示で、1970年代後半から80年代初頭にかけて撮影されたこのシリーズに、時代的な背景があったことがわかった。1960年代末から70年代初頭にかけての、イデオロギー主導の「政治の季節」の終焉とともに、これみよがしのテーマや方法論を前面に押し出すのではなく、むしろ個々に「穴」を穿つような姿勢があらわれてくる。そこに、浜の展覧会のためのコメントを引用すれば、「反権力でも反エスタブリッシュメントでもない、コンセプチュアルフォトでもない、1970年代のドキュメント」が成立していった。人やモノそのものではなく、むしろその痕跡に目を向けた本シリーズも、「この時代のリアル」をミニマムに追求する傾向のあらわれだったということだろう。
35ミリのフィルムで撮影され、黒枠をつけて8×10インチサイズに引き伸ばされた写真群(未発表作を含む)のたたずまいは、饒舌ではないが説得力がある。あらためて注目してよいシリーズといえるのではないだろうか。
浜昇「From Scratch」:https://pg-web.net/exhibition/from-scratch/
2023/09/06(水)(飯沢耕太郎)
織作峰子「光韻」
会期:2023/09/05~2023/09/10
金沢21世紀美術館 市民ギャラリーA/石川県政記念しいのき迎賓館 ギャラリーB[石川県]
石川県小松市出身の織作峰子は、このところ、自ら「箔フォトグラフィ」と名づけた技法を極めようとしている。故郷の石川の伝統工芸である金箔や銀箔、あるいはプラチナ箔などを地に敷いた和紙に、UVプリントで画像を吹き付けて定着していく。伝統工芸と最先端のデジタル印刷技術の結合というべきこの技法によって生み出される風景作品は、琳派や山水画などの美意識を取り入れた、華麗かつ繊細な風景表現に結びついていった。
それは、デジタル時代におけるピクトリアル・フォト(絵画的写真)の追求という側面も持つのだが、今回、金沢21世紀美術館と石川県政記念しいのき迎賓館で併催された展覧会では、風景作品だけでなく、「箔フォトグラフィ」のポートレートにもチャレンジしていた。金箔地のポートレートと聞いて、きらびやかだが、単調な作品になるのではないかとやや不安だったのだが、予想はいい意味で裏切られた。金箔という媒体は意外なほどの柔軟性があり、むしろ渋みすら感じさせるマチエールと、石川に関わりのある100人(織作の父母も含む)をモデルにしたポートレートのたたずまいが、しっくりと溶け合っていたのだ。
それとともに、モデルとなる人物たちの非凡さ、個性をこれみよがしに強調するのではなく、むしろ親しみのある「普通の人」として捉えていこうとするという織作の撮影の姿勢がうまく働いていて、味わい深いシリーズとして成立していた。風景だけでなく、ポートレートの表現としても、新境地を開きつつあるのではないだろうか。
織作峰子「光韻」:https://www.shiinoki-geihinkan.jp/event/index.cgi?mode=pickup&ctg=gly&cord=643
関連レビュー
織作峰子写真展─光韻─|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2021年11月01日号)
2023/09/08(金)(飯沢耕太郎)
飯川雄大「デコレータークラブ:未来のための定規と縄」
会期:2023/07/14~2023/09/10
霧島アートの森[鹿児島県]
「壁で隔てられた向こう側で何が起こっているのか」を、どのように想像できるか。あるいは、誰にも気づかれなかったとしても、不確定な「向こう側」へ向けてアクションを起こせるか。既存の堅固なシステムの内部に寄生するように、別のシステムが走っていることを想像し、その駆動に参加することは、どのように可能か。飯川雄大の作品は、ポップな見た目やユーモアとともに観客の能動的な参加を誘いつつ、常に視覚の全能性を疑いながら、こうした示唆的な問いを投げかける。
本展は、千葉市美術館(2021)、兵庫県立美術館(2022)、彫刻の森美術館(2022-2023)に続く、大規模な飯川の個展。展示室に加え、野外彫刻が点在する広大な敷地にまで作品が展開する。建物や木立に一部が隠れ、全貌が見えないピンクの猫の巨大な立体作品《デコレータークラブ─ピンクの猫の小林さん》(2007-)や、忘れ物のように見えるが重すぎて持ち上げられない《デコレータークラブ─ベリーヘビーバッグ》(2010-)に加え、観客がハンドルを回すとロープが動き、展示空間のどこかで新たな事象が起きる《デコレータークラブ─0人もしくは1人以上の観客に向けて》(2019-)のアップデート版が制作された。
美術館に入る前から、エントランスの芝生の上にカラフルな太いロープが伸び、屋上へと続いている。館内に入ると、別の太いロープが観客を誘導するように展示空間へと続く。展示室内は一見何もないように見えるが、壁や天井からカラフルなロープがいくつも垂れ下がる。綱引きのように引っ張ると、際限なくロープが壁の穴から出てくる(だけだ)。特に太いロープは一人の力では引っ張れず、居合わせた観客どうしの協働作業が自然発生する。「わあ、動いてる!」という歓声に振り向くと、ロープがひとりでに穴の中へ吸い込まれていくのが目撃される。だがそれは私が引っ張ったロープなのか、別の誰かがどこかで引っ張ったロープなのか、判別できない。私が引っ張ったロープはどこかで「誰か」に目撃されたのか、誰にも目撃されないまま動いていたのかも、わからない。
また、壁に取り付けられたハンドルを回すと、「ギギギ」という音と重い手ごたえが伝わる。展示室内の壁や天井には縦横無尽にピンと張られたロープからスポーツバッグがぶら下がり、外壁にもリュックが吊られているのだが、どのハンドルと連動して上下するのかは不明だ。さらに、別の外壁には滑車とロープを組み合わせてできた文字があり、観客が室内でハンドルを回すと、ロープが巻き取られ、文字を構成するロープの色が少しずつ変わっていく。
また、野外空間には、広大な敷地を縦断するように、蛍光ピンクの太いチューブが伸びている。《デコレータークラブ─未来の猫のための定規》と題された本作は、理論上は制作可能な「長さ400m、高さ270m、奥行き50mの猫の小林さん」の巨大さを体感的に想像するためにつくられた。
ここで、飯川の参照項として、梅田哲也、金氏徹平、加藤翼の作品と比較してみよう。梅田哲也のインスタレーション作品でも、展示空間で「何かが(不意に)動く」のを目撃するが、「動力」は水の落下や重力といった物理現象、即席ミラーボールやターンテーブルの回転などである。対して、飯川の場合、観客の介入がないと何も起こらない。また、「穴を通したモノの交通により、内/外の境界を有機的に流動化させる」構造は、金氏徹平のドローイングや映像作品《tower (MOVIE)》(2009)および派生したパフォーマンス作品《tower (THEATER)》(2017)を想起させる。金氏の「tower」シリーズでは、直方体の構造物に空いた穴から、チューブやロープなどの物体、煙や風船(気体)、水(液体)が出現するが、「パフォーマーが内部で動かす/観客が外側から眺める」という境界線は強固に保たれたままだ。一方、飯川作品では、美術館という巨大な箱をひとつの上演装置と捉え、「展示室内部で観客がロープやハンドルを動かすと、“箱の外側”でモノの運動が上演される」ことで、内部/外部、観客/パフォーマーの境界を流動化させていると言える。だが、その「上演の観客」は不確定で「無人」に終わる可能性もあり、「上演のタイムライン」も不安定だ。
また、本展での新作では、これまでの「ハンドルを回す行為」から、「ロープを直接引っ張る行為」に変わった。ハンドルという媒介がなくなることで、直接的な体感が増すとともに、「固定ハンドル=個人作業」から解放され、協働作業に観客を巻き込む。そして「ロープを複数人で引っ張る」行為は、加藤翼の参加型作品を想起させる。ただ、加藤の場合、巨大な構造物をロープで引っ張り、「引き倒す(=ナンセンス)/引き興す(=震災からの復興)」という意味づけがあり、「引き倒し/引き興し」を皆で目撃する瞬間に最大のカタルシスが生まれるが、飯川作品では、どこで何が動くのかも「目的」すらも曖昧・不在であり、「動く瞬間を観客自身は目にすることができない」点に最大のポイントがある。
自分自身では「目撃者」となれず、どこか別の場所で「目撃者」を発生させてしまう(かもしれない)。飯川の作品は、二重の意味で観客の「観客性」を剥奪する。同時に、空調の配管や電気系統、順路といった「美術館の物理的システム」とは別に、まったく別系統で動くシステムが建築物のなかを複雑に走っていることを想像させる。「ロープ」は、そうした想像力の具現化を助けるための媒体である。「観客が能動的に動かす」ことで成立する飯川の作品だが、実は「想像力の起動」こそが賭けられているのだ。
飯川雄大「デコレータークラブ:未来のための定規と縄」:https://open-air-museum.org/event/event-41150
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