2021年04月15日号
次回5月17日更新予定

artscapeレビュー

杉江あこのレビュー/プレビュー

白 の中の白 展 白磁と詞という実験。

会期:2020/03/13~2020/07/05(※)

無印良品 銀座 6F ATELIER MUJI GINZA Gallery1[東京都]

※4月11日より臨時休館

本展は小規模ながら、白磁に焦点を当てたユニークな展覧会だ。白磁とは白い磁器。もともとは中国で誕生した青磁と白磁の歴史にもさらりと触れつつ、本展でハイライトとするのはバウハウスで発達したモダンデザインの白磁である。それについて本展では「白無地の価値を『発見する』」と表現している。主な展示品はティーポットとカップ&ソーサーで、白磁の素地と、お茶を淹れて飲むという機能は共通しながら、さまざまな形状や曲線の違いを見ることができた。例えばヴァルター・グロピウスがデザインしたティーポットとカップ&ソーサーには、どことなく建築的な佇まいを感じてしまう。

カジミール・マレーヴィチ、デザインのティーポット(1923) ©知識たかし

またロシア・アバンギャルドのひとつと言われる「シュプレマティズム」を宣言した芸術家、カジミール・マレーヴィチがデザインしたティーポットやカップも大変興味深い。代表作《White on White(白の上の白)》を彷彿とさせる形状で、まさに彼の世界観を表現していた。そして日本の白磁として取り上げられたのは柳宗理と森正洋の食器である。彼らは言うまでもなく、日本の食卓に白磁をもたらした代表的デザイナーだろう。本ギャラリーではモダンデザインを軸に企画展を開催していることから、本展でもいわゆる日本の産地に多くある、窯元や作家自身が形を考えてつくる白磁は登場しない。その点にやや物足りなさを覚えてしまうのは私だけか。

したがってモダンデザイン以前の白磁も登場しないのである。そもそも白磁(陶磁器)は6世紀の中国で誕生し、11世紀の宋時代に目覚ましい発展を遂げた。この時代に官窯(中国宮廷の窯)となった景徳鎮窯で染付を盛んに生産したことから、中国磁器=染付のイメージが広まるが、実は青磁を得意とする窯、白磁を得意とする窯などさまざまな窯が誕生した。この中国磁器に大きく影響を受けたのが、日本初の磁器産地となった有田だ。有田でも染付を多く生産し、のちに色絵も誕生するのだが、やはり青磁や白磁も生産していた。一方で15〜16世紀の李氏朝鮮では、染付の原料である呉須が産出されなかったことなどから、生産されたのは主に白磁だった。いわゆる「李朝白磁」である。これが東洋における白磁の大きな流れだ。

とはいえ、白磁に対する解釈はさまざまだ。むしろ本展で白磁を際立たせていたのは、タイトルにもあるとおり「詞」である。展示室の外壁には、日本の前衛詩人、北園克衛が残したコンクリートポエトリー《単調な空間》が印象的に用いられていた。モダンデザインの白磁に対する、この解釈はなかなか新鮮だった。

展示風景 ATELIER MUJI GINZA Gallery1 ©ATELIER MUJI GINZA 2020

北園克衛『煙の直線』(國文社、1959) ©ATELIER MUJI GINZA 2020


公式サイト:https://atelier.muji.com/jp/exhibition/680/

2020/04/06(月)(杉江あこ)

安西洋之『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?──世界を魅了する〈意味〉の戦略的デザイン』

発行所:晶文社
発行日:2020/02/25

本書は、イタリアが得意とするビジネス戦略を解き明かした一冊である。メイド・イン・イタリー、つまりイタリアの製品(主にファッション、食品、インテリアデザイン、自動機械)が、世界市場で存在感を発揮しているという事実に対し、著者は二つのキーワードを提示する。それは「意味のイノベーション」と「アルティジャナーレ」だ。両方とも聞き慣れない言葉かもしれない。前者は「モノやサービスがもたらす意味を変えること」で、必需性や利便性、機能性とは関係なく、言うならばユーザーが熱烈に愛してやまないモノやサービスを開発することである。後者は「職人的」を意味するイタリア語だ。この二つを得意としながら、イタリアの企業は「狭く深い」市場を開拓する。それは大量生産を基本とする米国や中国、ドイツなどの企業や産業とは対極的な手法である。

イタリアの紳士服をはじめ、スパークリングワイン「プロセッコ」、スローフード運動、ショパンピアノコンクールで公式ピアノの一社に採用されたというピアノ、ノートブランド「モレスキン」、イタリア北部の都市レッジョ・エミリアが行なう先進的な幼児教育など、本書で紹介するメイド・イン・イタリーの事例は幅広い。結局、ユーザーが熱烈に愛してやまないモノやサービスをつくるには、その開発者自身がまず欲しいと思うかどうかが問われる。自分が愛せないものを他人が愛せるのかという原点に行き着くわけだ。その点でイタリア人は「好き」「美しい」「おいしい」といった審美眼に長けているだけでなく、それを主張することをいとわないため、意味のイノベーションを実現しやすい。アルティジャナーレを重視する点と合わせ、実に人間的なビジネス戦略だと実感する。日本の企業がもっと積極的に学ぶべき点は、この意味のイノベーションだろう。本書ではその具体的な手法も説き明かされているので参考にしたい。

いま、イタリアと言えば、新型コロナウィルス感染者が世界でもっとも多い国のひとつとしても動向に関心が集まっている。そんなタイミングで出版された本書は、やや不運にも思えるが、一方でこのコロナ禍で見えてきたのは、イタリア人の文化や習慣、人間性だ。例えば三世帯同居率の高さや、身内や親しい人同士でのハグやキスの多さは、真偽のほどはわからないが、感染を広げた原因としても指摘された。しかしどんな苦境に陥っても、窓やバルコニーから身を乗り出して、皆で歌を歌い励まし合う姿を捉えた映像には心を打たれた。いずれもイタリア人の人間性を物語る一面ではないか。本書を読んで驚いたのは、イタリア人経営者のひとりが「ルネサンスの偉大なアーティストたちのDNAを引き継いでいる」と発言していること。どうやらイタリア人の多くにこうした自負があるようだ。この誇り高さにはまいった。

2020/03/27(金)(杉江あこ)

安藤忠雄(原作)/はたこうしろう(絵)『いたずらのすきなけんちくか』

発行所:小学館

発行日:2020/03/03

建築家の安藤忠雄が、大阪・中之島公園内に子ども向け図書館「こども本の森 中之島」を設計し、大阪市に寄贈した(2020年3月1日開館予定だったが、新型コロナウィルス感染拡大の影響で、現在、開館が延期されている)。その開館に合わせて刊行されたのが本書である。なんと安藤が初めて挑んだ絵本ということで興味を惹かれ、手に取ってみた。当然、同図書館の紹介を切り口としながらも、途中から「建築とは何か」という安藤の思想に迫る内容となっていた。

主人公は小学生くらいの兄妹。父に連れられて「こども本の森 中之島」を訪れるが、父とは入り口で別れ、兄妹だけで館内を探検する。3フロア吹き抜けの構造や壁一面に設けられた本棚など、館内を一望する絵がまず大きく描かれる。肝はここからだ。本棚の脇から伸びる細い廊下を発見した兄妹は、「ひみつの においがする」と興味津々で突き進む。すると天井が高い円筒形の空間にたどり着いた。なんとも不思議な空間にワクワクする兄妹の前に、黒い服を着たおじさんが現われる。このおじさんこそ、安藤忠雄らしき人物だ。本物よりやけにスレンダーで若々しいのが気になるが、髪型はそっくりに描かれている。兄妹からおじさんへ素朴な質問が次々と投げかけられ、おじさんは率直に答える。これが実に興味深い。この円筒形の空間のように、よくわからない変な場所は何のためにあるのか。キーワードとして、おじさんは「いたずら」という言葉を使う。頑丈で機能的な建物は便利だけど、それだけではつまらない。「だから ぼくは、たてものに いたずらを しこむんだ」と。

その事例として直島の「ベネッセハウス」や大阪の「光の教会」、「住吉の長屋」など、安藤の代表的な建築作品が登場する。壁一面の十字架も、雨の日に部屋から部屋へ移動するときに傘をさして歩くことも、すべて安藤のいたずらだったのか! 子どもに向けたわかりやすい言葉として選ばれたとはいえ、いたずらという言葉は実に言い得て妙である。これは悪ふざけというよりは、「無駄なもの」という意味に近い。一見、無駄に思えるものこそ、「どんな風に使おうか」と人の想像力をかき立てるから面白いのだ。それが、安藤が建築に求める真髄だった。確かにその通りなのだ。便利なものは人の心にあまり残らないが、面白いものは心にずっと残り続ける。安藤の建築作品が印象的なのは、大人が真剣に考えて設計、施工したいたずらが仕込まれているからなのだ。

2020/03/05(木)(杉江あこ)

北澤美術館所蔵 ルネ・ラリック アール・デコのガラス モダン・エレガンスの美

会期:2020/02/01~2020/04/07(※)

東京都庭園美術館[東京都]

※2月29日〜3月31日は臨時休館(3月16日現在。最新の状況は公式サイトをご参照ください)

フランスは装飾美術に長けた国である。その根底にあるのが「ラール・ド・ヴィーヴル(生活の芸術)」という思想だ(「アール・ド・ヴィーヴル」という読み方もある)。つまり生活のなかに自分が好きなものや心惹かれるものを取り入れて、人生を豊かにしたいと考える人がフランスには多いのである。その出発点のひとつとも言えるのが、1925年に開かれた「パリ万国博覧会(アール・デコ博覧会)」だろう。同博覧会のメイン会場にガラスの噴水塔を製作し、注目を大いに集めたのがルネ・ラリックである。以後、ラリックはアール・デコを代表するガラス工芸家として君臨した。いつの世も、技術革新によって産業が発達する。ガラスは型吹きやプレス成型などを用いれば加工が容易で、量産に適する。しかも独特の透明感と輝きを持つため、ラリックは貴石に代わる新素材としてガラスに着目した。それまでジュエリー作家として培った経験と審美眼を存分に発揮することで、ガラス工芸で成功を収めたのである。

本展はラリックのガラス工芸品の全容を紹介する展覧会だ。何しろ、会場の東京都庭園美術館は旧朝香宮邸である。同邸宅は世界的にも貴重なアール・デコ建築で、正面玄関ガラスレリーフ扉はラリックの作品としても知られている。香水瓶をはじめ、食器や花瓶、ランプ、化粧道具、アクセサリー、印章、カーマスコットなど、ラリックはありとあらゆる生活道具を魅力的なガラス工芸品に変えた。その数は4300種類にも及ぶ。例えば欧州では1920年代以降に一般女性の間にも化粧の習慣が広がったのだが、そもそも貴婦人だけの習慣だった化粧道具には、金銀などの高級素材を使った装飾が施されていた。ラリックはそこにガラス細工を施し、同じような贅沢を一般女性にも提供したのである。特に女性は化粧をする行為自体に喜びやときめきが伴う。装飾美術にはそれをより一層高める役割があるとラリックは認識していたのだ。もちろんそれは商品の売れ行きにも直結する。

旧朝香宮邸正面玄関ガラスレリーフ扉(部分)1933、東京都庭園美術館蔵

日本には昔から工芸品には「用の美」という概念があるが、用の美と装飾美術とは、美の意味が異なる。前者はどちらかと言うと機能美や素朴な美を指し、暮らしに寄り添うものであるが、後者は詳細につくり込まれた美を指し、生活に彩りや刺激を与えるもののような気がする。アール・デコ博覧会以降、フランスでは装飾美術が「ラール・ド・ヴィーヴル」の下地となっていったのだろう。その後、欧州ではファインアートが発達し、近年はむしろ用をなさないものこそ芸術価値が高くなる現象が起きている。したがって装飾美術からファインアートへ、「ラール・ド・ヴィーヴル」の価値観も移行したのかもしれないが、その点ははっきりとはわからない。しかしラリックが残したガラス工芸品を見ていると、その境界すらも薄らいでいく。約1世紀前、フランスには優れた装飾美術に彩られた生活文化が確かにあった。

香水瓶《牧神のくちづけ》モリナール社、1928(右から3番目)ほか香水瓶各種 北澤美術館蔵[撮影:清水哲郎]


公式サイト:https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/200201-0407_lalique.html

2020/02/28(金)(杉江あこ)

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「コズミック・ガーデン」サンドラ・シント展

会期:2020/02/11~2020/05/10(※)

銀座メゾンエルメス フォーラム[東京都]

※3月3日〜3月22日は臨時休館(3月16日現在。最新の状況は公式サイトをご参照ください)

いま、世界中に新型コロナウィルスの感染が広がり大騒動となっている。本展を観たのは2月28日。ちょうど安倍首相が全国の小中高校に臨時休校要請を呼びかけた翌日のことだった。このあたりから全国の美術館の臨時休館が相次いで発表され、私は慌てて展覧会を観に出かけたのだった。マスクは言うまでもなく、トイレットペーパーなどの紙類まで売り切れるし、世の中全体が得体の知れない恐怖に対してパニックを起こしている状態である。この異様な状況は、3.11以後の社会に似ているとふと思い起こした。あのときも震災や津波の恐怖とともに、目に見えない放射線に脅えたのだった。放射線もウィルスも、目に見えないからこそ恐怖が増大する。

例外なく、私も漠然とした恐怖にさらされたひとりだった。マスクを着用し、外出先でもこまめに手洗いと消毒を行ないつつ訪れた本展は、そんな心境をまさに見透かすような内容だった。壁一面に塗られた青の世界にまず圧倒される。淡い青から濃い青へと徐々に変化する青のグラデーションのなかで、白い線画が浮遊している。白い線画は雲や霧、波しぶきのようであり、自分が鳥になって青空を駆け巡り、また海を見下ろしているような気持ちになった。なかなか爽快な眺めである。さらに奥へ進むと、紺碧の空間が待ち受ける。床には絨毯が敷かれ、靴を脱いで上がるよう指示される。絨毯にまで白い線画が飛び跳ねるように及んだそこは、無限の星が瞬く宇宙だった。果てしない宇宙の中に身を置き、寝そべって、静かに星々を眺める時間が用意されていた。

本展のアーティスト、サンドラ・シントが想定したシナリオは、おそらくこの空、海、宇宙の世界までだったに違いない。しかしこのとき、私が感じたのはウィルスの存在である。最初から薄々と感じてはいたが、この宇宙の中に入った途端、幻想的な星々がウィルスの大群に見えて仕方がなかったのだ。目に見えない恐怖が可視化された(ように見えた)瞬間である。だからと言って、恐怖が一層高まったのかと言うとそうではない。むしろ可視化された(ように見えた)ことで、肝が据わったのである。あぁ、もしかすると、こんな風にウィルスが人間の社会を取り巻いているのかもしれない。ならば覚悟を決めて、ウィルスとともに共生しようではないか。言うなれば、こんな心境である。シントが問いかけるのは、「カタストロフや混沌といった状況に直面した時、私たち人間が感情と向き合う時間」だと言う。まさにそんな時間を体験できた。


公式サイト: https://www.hermes.com/jp/ja/story/maison-ginza/forum/200211/

2020/02/28(金)(杉江あこ)

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