artscapeレビュー
杉江あこのレビュー/プレビュー
交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー
会期:2022/12/17~2023/03/05
東京都庭園美術館[東京都]
モダンデザインとひと口に言っても、その概念は幅広く、人々が抱くイメージもまた種々様々である。本展は1910年代から30年代までの欧州と日本にスポットを当てた、モダンデザインの黎明期を探る展覧会だ。一般にモダンデザインというと、バウハウスや建築家のル・コルビュジエに代表されるような合理主義かつ機能主義的な傾向を連想しがちだが、実はそれだけでは括れない動きが当時にはあった。意外に思えるが、大衆消費社会が進んだことで、つねに新しくあるために装飾することに価値が置かれたというのだ。この「機能」と「装飾」という二項対立をはらんだモダンデザインに、本展は切り込んでいる。
そもそもモダンデザインの父と称されるウィリアム・モリスが、壁紙をはじめとする装飾美術をきわめたことが、アーツ・アンド・クラフツ運動へとつながった。本展でキーとなるのは、そのアーツ・アンド・クラフツ運動の影響を受けたウィーン工房である。同工房は生活全般における「総合芸術」を標榜したことから、機能的でありながら、優れた装飾性を兼ね備えたことで知られていた。また同工房と交流のあったファッションデザイナーのポール・ポワレや、影響を受けたとされる建築家・室内装飾家のロベール・マレ=ステヴァン、また家具デザイナーのフランシス・ジュールダンらの作品を展示し、当時の装飾的モダニズムを紹介している。同時に伝えるのは、欧州中で作家やデザイナーらが互いに影響し合った事実だ。
本展を観ると、結局、装飾は何のためにあるのかという永遠の疑問に行き着く。当時からすでに消費を促すための価値付けとして装飾が用いられていたようだが、この大量消費社会自体を見直すべきときに来たいま、装飾の役割をもう一歩踏み込んで考えなくてはならないのだろう。結局、人間はロボットではないのだから、身の回りのものに機能ばかりを求めたとしても、所詮、味気のない暮らしになってしまう。おそらく感動や生きる喜び、心の豊かさ、また暮らしのリズムなどを与えてくれるのが装飾なのだ。当時、合理主義かつ機能主義的な傾向がありながらも、人間の内なる欲求として彼らが装飾を求めた様子がひしと伝わった。
公式サイト:https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/221217-230305_ModernSynchronized.html
2023/01/27(金)(杉江あこ)
世界のブックデザイン 2021-22
会期:2022/12/10~2023/04/09
印刷博物館 P&Pギャラリー[東京都]
本展は、ドイツ・ライプチヒで毎年開かれる「世界で最も美しい本コンクール」の受賞図書をはじめ、その前哨戦である各国のブックデザインコンクールの受賞図書が一堂に会す展覧会である。書籍などの執筆・編集に携わる身としては、いつも多くの刺激をもらえるので楽しく観覧している。今年も痛感したのは、欧文のタイポグラフィの自由度だ。象形文字や表意文字をもつ日本や中国と違って、欧米諸国は表音文字しかもたない。したがって一つひとつの文字自体に意味がない代わりに、彼らは書体に意味を持たせる。日本では考えられないほど文字を大胆にレイアウトしてそのページに何かしらの意味を持たせるのも、もしかしてそのためではないかと想像する。
文字の扱いが大胆になると、写真の扱いも大胆になるのか。今年、私がもっとも目を引いた本は金賞受賞の『Met Stoelen』だ。これは「椅子」をテーマにしたオランダの学生作品で、まさに目から鱗が落ちるような写真のレイアウトに挑んでいた。同書の特徴は、椅子の写真を見開きで何ページにもわたり載せていることなのだが、これがひと癖ある手法になっていた。最初は右から左へとページを繰るかたちを取るのだが、途中から椅子の写真が90度傾いた状態で登場するため、読者は自然と本を90度傾け、上から下へとページを繰るかたちを取る。そこで気づくのは、片ページに椅子の背もたれ、もう片ページに椅子の座面が来るように写真がレイアウトされていることだ。つまり本を開いた時に垂直になる形態を生かし、写真でありながら椅子の立体性を再現したのだ。本は2Dであるとばかり思い込んでいたところ、綴じ目であるノドを上手く使えば、3Dにもなることに気づかされたブックデザインだった。
もうひとつ紹介したいのは、日本からの唯一の受賞作である銅賞受賞の藤子・F・不二雄『100年ドラえもん』である。豪華愛蔵版全45巻セットということで、とにかく豪華なつくりだった。まず、ドラえもんの道具のひとつである「タイムふろしき」に全巻が包まれているのが心憎い。ふろしきを解くと、15冊ずつ収まった三つの箱が現われる。箱の表面にはお馴染みのキャラクターたちが金の箔押しで描かれている。1冊1冊の本は小ぶりながらすべてハードカバーで、糸綴じで製本され、色鮮やかなシルクスクリーン印刷によって懐かしの漫画が蘇る。これは明らかに往年の大人のファンに向けたセットだろう。かつて廉価な少年漫画誌で連載された漫画が、まさかこんなにも豪華に生まれ変わり、世界で認められるとは。そのつくり手の気合に感服した作品だった。
公式サイト:https://www.printing-museum.org/collection/exhibition/g20221210.php
関連レビュー
世界のブックデザイン 2020-21|杉江あこ:artscapeレビュー(2022年02月15日号)
2023/01/21(土)(杉江あこ)
How is Life? ─地球と生きるためのデザイン
会期:2022/10/21~2023/03/19
TOTOギャラリー・間[東京都]
経済思想・社会思想を専門とする斎藤幸平の著書『人新世の「資本論」』を一昨年あたりに読み、相当感化された私にとって、本展は大変に興味深い内容だった。いま、SDGsが叫ばれる世の中だが、本当にこれらの項目を実行するだけで地球環境を劇的に変えられるのだろうか。以前から薄々と感じていたそんな疑問に対し、同書は否と明確に答えを突き付けてくれた。本展もまた然りである。ライブラリーコーナーに「キュレーター会議で取り上げられた」という書籍が何冊か並んでいたのだが、現に、そのなかに同書も入っていたことに頷けた。
近代以降、人類は経済成長のための活動をずっと続けてきたが、さまざまな面で限界に達したいま、これ以上の成長を望むことは正しいのだろうか。そんな根本的な問いに対し、本展は「成長なき繁栄」という言葉で返す。そう、人類をはじめ地球上に棲むすべての生物がこの先も持続的に繁栄していくためには、経済成長を前提とする必要はもうないのだ。生産、消費、廃棄といった従来のサイクルで物事を捉えることを我々はいったん止め、皆が真に豊かになれる方向へ大きく転換しなければならない。そうした考えに基づいた草の根運動やプロジェクトが、いま、世界中で実践され始めているという。塚本由晴、千葉学、田根剛、セン・クアンといった第一線で活躍する建築家・建築史家4人がそれらの運動やプロジェクトを収集し紹介したのが本展だ。
農業や林業、里山の仕組みを見直すといった類のプロジェクトも多く紹介されていたが、私がむしろ興味を引かれたのは都市のあり方である。特にパリをはじめ、ヨーロッパの都市が積極的に変わろうとしているのには好感を持てた。例えば車や鉄道に代わり、改めて着目されている移動手段は自転車だという。より人間に近いモビリティが求められているというわけだ。そこで問われるのが自転車道を優先した都市計画で、パリやチューリッヒなどではすでにそうした試みが始まっているという。
結局、既成概念にとらわれていては何も変えられない。この危機的状況を脱するには、より柔軟な発想が必要となる。最後に観た作品「How to Settle on Earth」は、その点で非常に刺激的な内容だった。建築家・都市計画家のヨナ・フリードマンが「地球の再編成」をテーマに軽妙なイラストながらラディカルな提案をしていて、目が釘付けになった。地球および人類の未来のためには、もしかすると国境すらも取っ払う必要が出てくるのかもしれない。
公式サイト:https://jp.toto.com/gallerma/ex221021/
2023/01/21(土)(杉江あこ)
百貨店展─夢と憧れの建築史
会期:2022/09/07~2023/02/12
高島屋史料館TOKYO 4階展示室[東京都]
1990年代、私が大阪に住んでいた頃、大丸心斎橋店といえばとても重厚な歴史的建造物だった。これを設計した建築家のヴォーリズは「メンソレータムの創業者(正しくは、メンソレータムを日本に輸入し広めたヴォーリズ合名会社の創立者のひとり)である」と、その豆情報が口々に伝えられていた。まるで西洋寺院のような荘厳な外観といい、きらびやかな装飾で覆われた天井やエレベーターホールといい、正直、ミナミにはもったいないほどの風貌を備えていた印象がある。2019年に建て替えられた際にも、ヴォーリズ建築の意匠が低層階の外観などに引き継がれたそうで、この建物がいかに心斎橋の顔として親しまれてきたのかを物語る。
本展は、日本の百貨店に建築の側面から切り込んだユニークな試みだ。大丸心斎橋店をはじめ、1931年創業当時の松屋浅草店、いまは現存しない1928年創業の白木屋日本橋店のファサード模型が会場に所狭しと並び、百貨店建築の特徴を伝えていた。振り返れば、百貨店の屋上にはいろいろな娯楽施設が存在した。遊園地のほか、驚いたのは動物園まで存在したことだ。日本橋高島屋の屋上動物園へ象がクレーンで持ち上げられる昔の記録映像を見て、その尋常ではない雰囲気が伝わった。また松屋浅草店の屋上遊園地はハリウッド映画のクライマックスシーンにも使われたそうで、米国から見ると、それは不思議な光景に映ったのだろう。
そもそも日本の百貨店は、19世紀に欧州で生まれたデパートメントストアを手本にし、20世紀初頭から始まったものだ。知られているように、三越、高島屋、伊勢丹などの母体はいずれも呉服店だった。その後、鉄道会社が駅と直結した百貨店(ターミナルデパート)を生み、呉服店系と鉄道会社系の二系統で日本独自の発展を遂げていくことになる。実は呉服店系百貨店も資金援助を通じて駅との接続を図ったところが少なくないとのことで、鉄道や地下鉄の敷設とともに駅と直結するかたちで発展を遂げたのが、日本の百貨店の大きな特徴である。それは日本が、鉄道網が非常に発達した国である証拠だろう。ちなみに欧州発の百貨店に対し、米国発の商業施設はショッピングセンターである。百貨店は館全体の売上をベースに運営するのに対し、ショッピングセンターはテナントの家賃収入によって運営するのが大きな違いだ。そんな区別さえもいままで意識していなかったのだが、本展で改めて気づいた。百貨店にとってもっとも書き入れ時となる昨年末に、その歩みを興味深く眺めた。
公式サイト:https://www.takashimaya.co.jp/shiryokan/tokyo/exhibition/
2022/12/23(金)(杉江あこ)
月に吠えよ、萩原朔太郎展
会期:2022/10/01~2023/02/05
世田谷文学館[東京都]
個人的な話で恐縮だが、最近、短歌を詠み始めた。新聞の投稿欄に目を通すうちに興味を持ったのがきっかけだが、始めてみると、どんなときに短歌を詠みたくなるのか、つくり手の心情が少しだけわかるようになった。それはいつかと言うと、感情を動かされたときである。美しい景色を見たとき、何か些細な変化に気づいたときなどに、湧き起こる胸の内を言葉に表わすのが短歌である。また短歌は五七五七七のリズムに乗せるからこそ、その縛りに苦しむこともあるが、素人でも何とか形になる便利なツールであることにも気づいた。その点、自由詩は自由に詠める分、実は難しい表現方法なのではないかと思う。口語自由詩を確立し、「日本近代詩の父」と称された、萩原朔太郎の才能を昨年末に改めて目の当たりにした。
萩原朔太郎の没後80年に合わせた「萩原朔太郎大全2022」が、昨年秋頃から全国53カ所の文学館や美術館などで開催されている。萩原朔太郎にちなんだ独自企画の展覧会がそれぞれの会場で横断的に開かれたのだ。世田谷区は朔太郎が晩年を過ごした縁のある土地ということで、この地で書かれたとされる短編小説『猫町』の一節から本展は始まる。蛇腹に開かれた本と本との間を縫うような展示構成で、観る者を朔太郎の世界へと引き込んだ。詩集『月に吠える』や『青猫』などから抜粋した名詩をはじめ、書き残された原稿やノート、さらには朔太郎自らが描いた水彩絵、作曲した楽譜、デザインした椅子など、言葉に留まらないあふれる才能の片鱗に触れる機会となった。併せて、朔太郎に触発された現代作家たちによる絵画や漫画、インスタレーション、自動からくり人形などの多彩な作品にも囲まれた。
朔太郎が表現の源泉としたのは、圧倒的な憂鬱や苦悩、孤独だ。ある程度、裕福な家庭に生まれ育ちながら、最後まで理解し合えなかった父との葛藤を抱え、病的な神経質さで自身に対する憂鬱や苦悩、孤独を深めたとされる。そんな計り知れない負の感情を言葉に置き換えたからこそ、朔太郎は鮮烈な自由詩を生めたのだろう。しかも時代を超え、未だ現代作家にも影響を与え続けている現象を見ると、いつの世にも生きづらさを抱えた人らが必ずいて、救いを求めていることがわかる。朔太郎が吐き出した言葉の数々は、そんな彼らをそっと癒すのだろう。
公式サイト:https://www.setabun.or.jp/exhibition/20221001_sakutarohagiwara.html
2022/12/23(金)(杉江あこ)