artscapeレビュー
杉江あこのレビュー/プレビュー
上野リチ:ウィーンからきたデザイン・ファンタジー展
会期:2022/02/18~2022/05/15(※)
三菱一号館美術館[東京都]
※展示替えあり
本展を観る前、タイトル「ウィーンからきたデザイン・ファンタジー展」のファンタジーという言葉が引っ掛かっていた。デザインとファンタジーが同列で並ぶこと自体、何か違和感があったのだ。しかし本展の解説のなかで次のように書かれていて、なるほどと思う。「リチは、制作には『ファンタジー』が重要であると繰り返し説いていたという。リチのいう『ファンタジー』とは、想像力をはばたかせて唯一無二の独自性を獲得する、といったことを意味していた」。つまり彼女はファンタジーの力でデザインに貢献した人物なのだ。
上野リチというウィーン生まれのユダヤ系女性が、日本人建築家との結婚を機に、戦前戦後の日本でデザイナーおよび教育者として活躍していたことを、恥ずかしながら私は知らなかった。しかし彼女の出身であるウィーン工房や師匠のヨーゼフ・ホフマン、群馬県工芸所で共に働いたブルーノ・タウトといった周辺情報のいくつかについてはもちろん知っていた。にもかかわらず、なぜだろう。おそらく、これまであまり注目されてこなかった人物ではないか。むしろ戦前戦後の日本を訪れた外国人女性といえば、少し後の世代になるが、工芸指導顧問として招聘されたフランス人デザイナーのシャルロット・ペリアンの方が断然有名である。彼女らの間に何か接点はなかったのかと気になったが、いまのところ確たる答えは見つかっていない。
さて、ブルーノ・タウトもシャルロット・ペリアンも日本全国に根づく伝統工芸にモダンデザインを取り入れた人物だったが、上野リチの方向性は違った。花や樹木、鳥、魚といった身近な自然物をモチーフに、大らかで伸びやかな線や豊かな色彩を使い、生命力あふれるデザインをもたらした。テキスタイル中心のデザインだったからというのもあるだろう。彼女が日本の伝統文様に深く関心を示したという点にはうなずける。日本の伝統文様も自然物をモチーフに単純化した図だからだ。つまり文様という価値観で、彼女のデザインは日本で受け入れられたのではあるまいか。1世紀近く時代を経たいま観ても、そのデザインは充分魅力的に映る。ファンタジーとは、本来、空想という意味合いだ。やや浮世離れしたニュアンスがあるが、しかし空想が人々を幸せにすることもある。人々を幸せにする限り、それはデザインの役目を果たしていると言える。本展はそんな上野リチのデザインの全貌に迫る世界初の回顧展である。
公式サイト:https://mimt.jp/lizzi/
2022/02/25(金)(杉江あこ)
どうぶつかいぎ展
会期:2022/02/05~2022/04/10
PLAY! MUSEUM[東京都]
これほどタイムリーなテーマの展覧会があるだろうか。私が本展に足を運んだのは、奇しくも、ロシアがウクライナに軍事侵攻を開始した翌日だった。21世紀に入り、世界を大きく揺るがす侵略戦争がまさか起こるとは思ってもみなかったというのが正直な気持ちだ。
本展は1949年に出版された絵本『動物会議』を基にした展覧会である。作者はドイツ人のエーリヒ・ケストナーとヴァルター・トリアーのコンビ。本展の第1幕は「まったく、人間どもったら!」と怒り散らす、ゾウ、ライオン、キリンたちの集会から始まる。彼らの怒りの矛先は、人間が戦争を始めようとしていることに向かっていた。その被害者は紛れもなく子どもたちであることを嘆くのだ。そう、この絵本が書かれた背景には第二次世界大戦があった。ナチスが台頭するドイツ国内で、作者ら自身も翻弄され、それぞれが国外逃亡することで生き延びたのだという。その作者ら自身の怒りが、絵本では動物たちの姿を借りて表現されていた。
さらに絵本では以下のように物語が展開していく。動物たちは一致団結して立ち上がり、最初で最後の「動物会議」を開き、人間たちに毅然とこう突きつける。「二度と戦争がおきないことを要求します!」。その交渉は難航するが、「子どもは世界の宝」のとおり、子どもたちを愛する気持ちは動物たちも人間たちも同意であることをテコに、動物たちの作戦勝ちで、最後には平和を手に入れる。
本展もこの物語に沿い、8人のアーティストたちの作品で構成されていた。圧巻は薄暗い空間に設えられた第5幕「子どもたちのために!」と、第6幕「連中もなかなかやるもんだ」である。動物たちを模した獣毛の塊に角や牙、影絵、皮絵などの展示のほか、動物たちの糞が再現されていたり(匂いはなかったが)、時折、鳴き声が響き渡ったりすることで、動物たちが本当に会議を開いているかのような臨場感にあふれていた。よって動物たちの怒りもひしと伝わるようだった。「まったく、人間どもったら!」と、いまこそ私も声を大にして言いたい。ロシアの侵攻に対し、呆れているのは動物たちだけではない。そのほか大勢の人間たちも同様だ。『動物会議』はいまこそ世界で広く読まれるべき絵本である。と同時に、この絵本に着目した本展に敬意を払いたい。
公式サイト:https://play2020.jp/article/the-animals-conference/
エーリヒ・ケストナー原作、イェラ・レープマン原案、ヴァルター・トリアー絵、池田香代子訳『動物会議』(honto本の通販ストア):https://honto.jp/netstore/pd-book_01709939.html
2022/02/25(金)(杉江あこ)
初沢亜利 写真展「匿名化する東京2021」
会期:2022/01/11~2022/01/30
Roonee 247 fine arts[東京都]
あと10年くらい経ったら、我々はコロナ禍を振り返り、「あのときは大変だったよね」としみじみするのだろうか。2020〜2021年は(おそらく2022年も)誰にとっても忘れられない年になった。後にこの時期の写真や映像を見返した際、皆の顔に一斉にマスクが着いていることをどう捉えるだろうか。これまでの街の風景を一変させたもの、それは紛れもなくマスクだったに違いない。
コロナ禍が始まって以来、私はずっとそんなモヤモヤした気持ちを抱えてきたのだが、そのモヤモヤをクリエーションとして鮮やかに表現していたのが本展だった。それはコロナ禍の東京を舞台に街行く人々の姿を追ったドキュメンタリーで、写真家の初沢亜利は「写真は現在を歴史に置き換える作業だが、コロナ禍東京の自画像がどのように未来を予見するか、撮影者にとっても興味深い」とメッセージを寄せていた。展示写真はなんというか生々しく、アグレッシブで、モヤモヤがいっそうザワザワした気持ちにもなった。コロナ禍がまだ現在進行形のせいだろうか……。タイトルの「匿名化」とは、言うまでもなく皆の顔に一斉にマスクが着いていることを指す。晴れ着姿の新成人たちが笑顔で撮る記念写真もマスクであれば、桜の下でも初詣でもマスク、デモでも選挙活動でもマスクである。いつの間にかマスクが日常化してしまった世の中を記録に残しておきたいという衝動は、クリエーターとして然るべきなのだろう。
また、続くタイトルの「東京2021」は別の意味でも記憶に残る年になった。歴史上、初めてパンデミック下でオリンピックが開催されたからだ。開催の是非を巡って翻弄されたのは、紛れもなく東京に暮らす我々市民だった。展示写真はその記憶さえもしっかり留めていた。「もうカンベン オリンピックむり!」と窓ガラスに貼り紙して訴えた病院の上の高架を、オリンピックマスコットがあしらわれた電車が走り行く皮肉な瞬間。人気のない国立競技場から盛大に上がる花火。市民の痛烈な叫びや虚しさ、やるせなさといったものがそこには漂っていた。
公式サイト:https://www.roonee.jp/exhibition/room1-2/20211124184908
2022/01/29(土)(杉江あこ)
世界のブックデザイン 2020-21
会期:2021/12/18~2022/04/10
印刷博物館 P&Pギャラリー[東京都]
ニュースアプリやSNSをはじめ、既存の新聞や雑誌もデジタル版へと移行し、電子書籍も市民権をすっかり得たいま、我々はデジタル上で活字を目にする機会が圧倒的に多くなった。紙の書籍はもう遺産となりつつあるのか。そんなデジタル時代に突入したからこそ、かえって書籍への愛おしさが増すような気がする。本展を見てつくづく感じたのは、書籍は体験のデザインであるということだ。
本展は2021年6月に発表されたドイツ・エディトリアル財団主催の「世界で最も美しい本2021コンクール」の受賞書籍を中心に、日本、ドイツ、オランダ、スイス、中国で開催された各国コンクールの入賞書籍を約130点展示したものだ。まさに世界最高峰のブックデザインが一堂に会した。この2年間、新型コロナウイルスの影響で中止や延期になった各国コンクールも多いと聞く。同コンクールの対象となる日本の「造本装幀コンクール」も2020年は中止されたようで、「世界で最も美しい本2021コンクール」への出品は叶わなかったようだ。しかしながら本展では「第54回(2021年)造本装幀コンクール」の受賞作品が展示されており、このなかから次回の入賞を期待したい。
さて、展示書籍をそれぞれ手に取り眺めたところ、編集や装丁の既成概念を覆す書籍がいくつか見受けられたことが印象に残った。例えば「世界で最も美しい本2021コンクール」銅賞を受賞した『Corinne』はスイスで編集された写真集なのだが、綴じていないのである。背の部分で二つ折りにして全ページを束ねただけの言わば印刷紙の束だ。これは読者が好きなようにページを再編集できるという意図なのだという。また銀賞を受賞した『说舞留痕-山东“非遗”舞蹈口述史』は中国で編集された伝統舞踊に関する資料集なのだが、ページごとにさまざまな風合いの素材や色の紙を使っており、さらに背から丸見えの糸の綴じも独特である。こうなるとクラフトの域だ。デジタル媒体にはできない体験を追い求めた結果、書籍は紙と戯れる時間を純粋に味わうためのプロダクトへと進化したのか。ただ文字や写真、絵を追うだけでなく、カバーを開き、紙や綴じ糸の質感に触れ、ページを繰り、ときにはページを再編集する楽しみを与える。そんな体験そのものに価値を見出す時代がやってきたようだ。
公式サイト:https://www.printing-museum.org/collection/exhibition/g20211218.php
2022/01/22(土)(杉江あこ)
奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム
会期:2022/01/15~2022/04/10
東京都庭園美術館[東京都]
本展タイトルを最初に見たとき、何やらすさまじい印象を受けた。サブタイトルが「装うことへの狂気」である。しかし実際に展示を観ていくうちに、企画の面白さに改めて気づき、その意図に非常に納得できた。モードが奇想であるのは、実はいまに始まったことではない。中世の頃から、いや、それより前から洋の東西を問わずあったのだ。例えば西洋のファッションに欠かせなかったコルセットがそのひとつ。女性のウエストを細く締め上げる行為は、冷静に考えれば尋常な発想ではない。同じく中国の伝統的な纏足もそのひとつだ。女性の足を強制的に小さくしようとする行為は痛ましさを感じる。いずれも(男性から見て)女性を理想的な身体のラインにしたいという欲望が根底にあり、それが行き過ぎた矯正となって現われた文化や風習である。
本展はそうしたモードの奇想さを20世紀の芸術運動、シュルレアリスムの理念に重ね合わせて検証した点がユニークだ。シュルレアリスムが表現しようと試みた無意識や夢、心の奥に潜む欲求などは、確かにファッションに表われやすい。日本の花魁の装いもその一例として紹介されていて、そうかと思い当たった。平成の頃に流行ったコギャルファッションもきっとその流れなのだ。あの独特な化粧や髪型、服装は、彼女らなりに美を追い求めるうちに表面化した形に過ぎない。それはシュルレアリスムの絵画と同じだったのだ。
毛髪で編まれたドレスや、リアルな鳥があしらわれた帽子、目玉が大きくプリントされたワンピース、かかとのない厚底靴など、展示作品は古典ファッションからコンテンポラリーアートまで幅広く網羅されていた。こうして一度に見渡すと、人はいつの時代も装うことへの執念を絶やすことがないのだなと感じる。結局、それが生きる原動力となっているのだろう。シュルレアリスムの知識がなくとも、しっかりとした解説により十分に楽しめる展覧会となっている。
公式サイト:https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/220115-0410_ModeSurreal.html
2022/01/22(土)(杉江あこ)