2019年05月15日号
次回6月3日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

増山士郎展 Tokyo Landscape 2020

会期:2018/11/23~2018/12/02

Art Center Ongoing[東京都]

2010年から北アイルランドのベルファストに住んでいる増山の、日本では4年ぶりの個展。テーマは増山が北アイルランド移住後に起きた東日本大震災と原発事故。これを2年後の東京オリンピックに結びつけて、インスタレーションとして見せている。作品は、天井から吊るした細長い透明アクリル板の上に、タブレット端末、やかん、黒く焦げた4つのアクリルボックスなどを配置してコードでつなげ、3人組の白い石膏像を20-30体ほど設置したもの。その上には5色の電気コードによる5輪のマーク。タブレットには放射線量が表示され、黒焦げのアクリルボックスは福島第1原発、やかんは原子炉を表わし、上下する照明(核エネルギー)とも連動して沸騰する。3人組の石膏像はよく見ると「見ざる言わざる聞かざる」で、日本国民のこと。こんなに近くに危機が迫っているのに、なにごともなかったかのようにやりすごそうとしているからだ。彼らが乗ったアクリル板は揺れるので、床には落ちた石膏像の破片が散らばっている。

これを発想したきっかけは、オリンピック誘致の際に首相が「福島原発は完璧に制御されている」と断言した演説に、違和感を抱いたこと。また、その演説に日本国民が大した反応を示さなかったことだという。こうした国内の出来事については日本にいるより、むしろ海外にいたほうがバイアスがかからずダイレクトに伝わるのだろう。作品も図式的ともいえるほど直球勝負で、すがすがしいほど。ただ、日本人は「見ざる聞かざる言わざる」だといわれると、その「上から目線」というか「外から目線」に抵抗を感じないわけではないが、あまりにストレートでユーモラスな表現に好感を抱いてしまう。まあそんなノンキなことがいえるのも、ぼくがどっぷり日本のぬるま湯に浸かっている証拠かもしれない。

2018/12/01(村田真)

開館40周年記念 産業の世紀の幕開け ウィーン万国博覧会

会期:2018/11/03~2019/01/14

たばこと塩の博物館[東京都]

渋谷の公園通りから下町のスカイツリーのふもとに移転して初の訪問。なんか閑散とした街だなあ。なんでこんなとこに「たば塩」が移ってきたんだろう、と思って地図を見たら納得、近くに日本たばこ産業生産技術センターをはじめJT関連のビルがひしめいているのだ。でもなんで「たば塩」で「ウィーン万博展」をやるんだろう。よくわからないけどうれしい。なぜなら、ウィーン万博は日本政府が初めて公式に参加した万博というだけでなく、その準備のため前年に湯島聖堂で日本初の「博覧会」が開かれ、それが現在の東京国立博物館につながったこと、また、この出品を機に「美術」という日本語が生れたこと、この後ヨーロッパにジャポニスム旋風が吹き荒れることなど、近代日本美術の形成にも大きな意味を持っているからだ。

ウィーン万博は1873(明治6)年に開催。日本を含め35カ国が参加し、半年間で726万人を動員した。日本からは湯島の博覧会にも出された金のシャチホコをはじめとする古器旧物や装飾工芸品を出展。そのとき万博事務局から届いた出品目録に「kunstwerke」とあり、これを「美術」と訳したそうだ。目録を見ると「鉱山ヲ開ク業ト金属ヲ製スル術ノ事(鉱業)」から「少年ノ養育ト教授ト成人ノ後修学ノ事(教育)」まで26区分されていて、見ていくと最後のほうの第二十二区に、「美術ノ博覧場ヲ工作ノ為ニ用フル事(美術品展示の有益性)」、第二十四区に「古昔ノ美術ト其工作ノ物品ヲ美術ヲ好ム人并古宝家展覧会ヘ出ス事(古美術)」、第二十五区に「今世ノ美術ノ事(美術)」とある。これが「美術」という新語を使った最初期の例だろう。
でも同展には大花瓶や大皿、蒔絵、人形、羽子板、そしてたば塩ならではのメアシャム製のコテコテの装飾がついたパイプなど、工芸品は出ているものの絵画・彫刻の類は1点もない。実際、当時の展示写真を見ても、金のシャチホコと大花瓶ばかりが目立ち、絵画はほとんど目立たない。考えてみれば当たり前だ。当時日本で油絵を試みていたのは高橋由一と五姓田一家くらいで、本場西洋に太刀打ちできるような作品はなく、「日本画」もまだ確立する前のこと、外国人に見せられる絵画などなかったのだ(浮世絵はあったが、見せる価値がないと日本人は思っていた)。でもこうした工芸品が人気を呼び、以後19世紀末にかけて続々と開かれる欧米の万博に出展され、ジャポニスム旋風が巻き起こることになる。その際、壊れやすい陶磁器などを包んでいた二束三文の浮世絵版画が見直され、印象派にも影響を与えていったことはよく知られている。

同展では、ウィーン万博を参考に国内向けに開かれた内国勧業博覧会についても紹介している。第1回勧業博が上野公園で開かれたのは1877(明治10)年のこと。当時の錦絵を見ると、会場奥の中央に日本初の「美術館」が建ち、内部では絵が3段掛けで展示されている様子がうかがえる。しかし名称からもわかるように、勧業博は殖産興業政策の一環として産業振興のために行なわれたもの。そこでは美術はお飾りにすぎなかった。海外向けにはジャポニスムの美術を売り出す一方で、国内向けには農工業製品を中心に扱っていたわけで、この構図はどうやら「クールジャパン」と名を変えたいまでも変わっていないようだ。

2018/11/23(村田真)

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名作展 異国の情景 アジアへの熱情

会期:2018/09/18~2018/12/19

大田区立龍子記念館[東京都]

地下鉄浅草線の西馬込駅から徒歩15分の住宅地に建つ川端龍子の個人美術館。こじんまりした建物だろうとタカをくくっていたら、予想外に大きくてびっくりした。ただ大きいだけでなく、ジグザグのかたちをしているではないか。設計は龍子本人。ジグザグは超大作を描いたり展示したりするためかと思ったらそうではなく、タツノオトシゴ(龍)のかたちだそうだ。

今回展示されているのは、龍子が1930-40年代に盛んに訪れた南洋諸島や中国に取材した大作十数点。満州事変に始まり日中戦争、太平洋戦争と続く戦争の時代なので、戦争画もいくつか出ている。たとえば中国山中を飛ぶ日本の戦闘機を描いた《香炉峰》。幅7メートルを超す大画面に収めた原寸大の戦闘機は迫力満点だが、なにより奇妙なのは、機体が薄絹のようにシースルーなのだ。《水雷神》にも驚かされる。水中を行く魚雷を3人の青い水の神が後押ししているのだ。油絵の戦争画がおおむね事実に即したリアルな記録画を目指したのに対して、龍子は日本画では写実表現においてかなわないと思ったのか、自由奔放な発想で豪快に描いている。

戦争以外のモチーフもあるが、この時代に龍子の描いたアジアはいずれもきな臭さが漂い、広い意味で戦争画といっていいかもしれない。たとえば《源義経(ジンギスカン)》。義経が大陸に逃れてジンギスカンになったという伝説は、中国に侵攻したこの時代もてはやされたものだ。ここではラクダを描くことでモンゴルであることを表わしている。《朝陽来》は奇抜このうえない。山並みの尾根に延びる万里の長城はまるでタコの足だし、なにより朝日が山の向こうではなく、山と山のあいだから昇っているのだ。どういう発想だ!? これはもはや戦争画というより、幻想画というべきか。

2018/11/22(村田真)

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バッドアート美術館展

会期:2018/11/22~2019/02/11

Gallery AaMo[東京都]

ひどい絵ばかりを集めた美術館が実在するそうだ。ボストンにあるバッドアート美術館で、通称MOBA(モバ)。コレクションは800点を超え、今回はそのなかから100点以上が初公開されている。会場は東京ドームシティ内のギャラリーアーモ。英語表記は「AaMo」で、AはArt、Amusementのイニシアル、aMoはand Moreだそうだ。展覧会も会場もキワモノっぽいが、これがなかなかアートについて考えさせてくれる。むしろキワモノゆえにアートの枠組みが浮かび上がってくる、というべきか。

ひとくちに美術作品といってもピンキリで、最良のものは美術館やギャラリーで見られるが、最悪のものはまとめて見る機会がない。ならば最悪のものばかり集めようというのがバッドアート美術館だ。でも最良に比べて最悪を決めるのは難しい。なぜなら最良のものは厖大な作品の山の頂点にわずかしかないけれど、最悪のものは広大な底辺に無数に存在するからだ。いや底辺だけでなく、頂点のすぐ下にとてつもない最悪の作品が埋もれているかもしれず、いってしまえば頂点を除くすべてに最悪の可能性があるのだ。そんな最悪の山からどれを選ぶのかが悩ましいところ。ウィキペディアの「バッドアート美術館」によれば、「オリジナルであり、かつ真面目な意図を持った作品でなければならないが、同時に重要な欠点をそなえていなければならず、何より人を退屈させるものであってはならない」というのが選択基準らしい。重要なのは最後の「人を退屈させない」ことだろう。「笑える」といいかえてもいい。

実際どんな作品が集まっているのかというと、端的にいえばヘタな絵、変な絵、失敗作など。大半は素人で子供の絵もあるが、わざとヘタに描いた絵や故意に笑いをとろうとした作品はNGだ(NGはノーグッドだがバッドではない)。抽象がないのはわかるが(退屈だから)、アウトサイダーアートがないのは意外だ。すでにアートとして認められてしまったからだろうか。作品の横にはタイトル、作者名、制作年、素材などを記したキャプションがついていて、曲がりなりにも展覧会の体をなしているが、ところどころ2段掛けにしてあるし、大半は額縁に入ってないし、額縁がついてるものもかなり安物だし、絵の脇にしりあがり寿によるツッコミのフキダシがついていたりもする。これってひょっとして、ナチスによる「頽廃芸術展」に似てなくないか?

「頽廃芸術展」は前衛嫌いのヒトラー率いるナチスが、おもに表現主義絵画を美術館から押収して「頽廃芸術」の烙印を押し、狭い会場に並べて壁に侮辱的なコメントを記して嘲笑の的にしたというもの。その後、作品は外国に安く売り飛ばしたり、焼却された例もあったという。もちろんバッドアート美術館の場合、本人や遺族の了承を得て収集・展示されているはずだが、作者の意に反して笑いのネタにされているものもあるんじゃないか。逆にいまの時代、これらの作品が高く評価され、億単位で売買される可能性だってないわけじゃない。……それはないか。

2018/11/21(村田真)

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FUKUZAWA×HIRAKAWA 悪のボルテージが上昇するか21世紀

会期:2018/10/18~2018/11/17

福沢一郎記念館[東京都]

祖師ケ谷大蔵駅から徒歩5分ほどの地に、福沢一郎のアトリエを改装した記念館がある。アトリエとしてはかなり広いが、美術館とするには狭いので記念館にしたのかもしれない。故郷の群馬県富岡市には福沢一郎記念美術館もあるし。ここで個展を開いているのは、2011年に福沢一郎賞を受賞した平川恒太。平川は藤田嗣治の《アッツ島玉砕》や《サイパン島同胞臣節を全うす》などの戦争画を真っ黒に再現した作品で知られている。ちなみに福沢一郎賞は、福沢が教鞭をとった多摩美と女子美の優勝な卒業生に贈られるもので、平川は多摩美を卒業する際に受賞(その後、東京藝大の大学院に進んだ)。

「悪のボルテージが上昇するか21世紀」という時代がかった展覧会名は、福沢の晩年の作品名から採ったもの。福沢は戦前はシュルレアリスム系の画家として活動していたが、戦時中に治安維持法違反により、日本のシュルレアリスム運動の中心的存在だった詩人の瀧口修造とともに拘禁され、放免後は戦争画も手がけた。戦後、福沢のもっとも知られた作品のひとつ《敗戦群像》を制作。裸体が山のように折り重なったもので、もし「敗戦画」というジャンルがあるとすれば、丸木夫妻の《原爆の図》とともに代表的な作品に数えられるだろう。

《悪のボルテージが上昇するか21世紀》はその40年後、福沢88歳のときの作品で、《敗戦群像》と同じく裸体がもみ合い、いがみ合う群像表現。時あたかもバブル前夜、仮そめの平和を謳歌していた時代に、冷戦集結とともにタガが外れ、まさに「悪のボルテージが上昇」し続ける現在を予言するような絵を描いていたのだ。その197×333cmの大作を、平川は原寸大の黒一色で再現してみせた。黒一色といっても微妙な明度や艶の違いによりかろうじてなにが描かれているかが識別できる。まるで「悪のボルテージ」を強調するかのような、あるいは逆に抑え込むかのような黒だ。この黒と、藤田の戦争画に塗り込めた黒は果たして同質の黒か、考えてみなければならない。展示場所も、かつて福沢がこの作品を描いていた壁だという。

2018/11/14(村田真)

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