2019年05月15日号
次回6月3日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

中村ケンゴ「モダン・ラヴァーズ」「JAPANS」

会期:2018/12/04~2018/12/22

メグミオギタギャラリー[東京都]

ひとつの画廊で2人が個展を開くのはよくあるが、ひとつの画廊で1人のアーティストが同時に2つの個展を開くのは初めて聞いた。「モダン・ラヴァーズ」と「JAPANS」の2本で、どちらも「日本」がテーマ。「モダン・ラヴァーズ」とは近代的な愛人ではなく、近代を愛する人、つまり西洋近代に恋いこがれた日本人を指す。《日本アルプス(近代山脈)》は、7.5×546センチという極端に横長の画面にさまざまな山岳風景を稜線がつながるように描いたもの。タイトルにだまされて、洋画家が日本の山を描いた絵を連ねたものかと思ったら、実は西洋人による山の風景画をトレースしたものだという。そもそも「日本アルプス」の名称自体ヨーロッパのパクリだし。《お花畑》は3枚の縦長パネル(畳サイズ)にさまざまな花をぎっしり描き込み、上4分の1ほどを余白に残した作品。一見日本画的な印象があるものの、ゴッホやルドンらの花の絵をコラージュしている。どちらも元絵は西洋絵画なのに日本的な香りがするのは、支持体が絵巻や襖絵といった伝統的な日本絵画を彷彿させる形式である上、和紙に岩絵具や顔料など日本画材を使って油絵をなぞっているからだ。

「JAPANS」のほうは「日本のかたち」を日本画を通して探る試み。2点の正方形の画面のうち1点は《スピーチ・バルーン・イン・ザ・ヒノマル》。大きな赤い円のなかに白抜きのフキダシがびっしり描かれたもので、これはクール・ジャパンのシンボルマークにぴったりではないか! もう1点には100個の歪んだ赤い楕円が描かれていて、なんだろうと思ったら、風になびく日の丸の旗の赤い円を採取したものだそうだ。タイトルは《風に吹かれて》。ボブ・ディランのプロテストソングと日本の愛国心のシンボルを重ねている。ほかにも、日本列島の島々とかつて植民地化した東アジアの地域をコラージュした《キュビスム(東アジア)》、南鳥島、沖ノ鳥島、与那国島、択捉島という日本の東西南北端の島を描いた4点組《within borders》など、日本の地理と歴史が学べるタメになる展覧会だ(笑)。中村は日本画を伝統的な日本の美を表わすためのメディウムではなく、現代日本のシビアな現実を表現するための最適な手段として捉え直そうとしている。日本画ゆえの限界と可能性をみずから示した個展。

2018/12/07(村田真)

青木野枝展 ふりそそぐもの/赤

会期:2018/11/15~2018/12/09

ギャラリー21yo-j[東京都]

厚さ1センチほどの鉄板を直径30-60センチほど、幅5センチくらい、大きいほうの輪の内径が小さいほうの輪の外径になるように2つの円形に溶断し、その2つを直角に溶接する。それをひとつの単位とし、床から2本上につないでいき、5メートル近くある天井いっぱいに8の字を描くように設置した。と文章で説明してもわかりにくいと思うが、それは文章がヘタなだけで、作品がそんなに複雑なかたちをしているわけではない。簡単にいえば、笠がつながった巨大なキノコが2本立ってる感じ。いや睡蓮の茎と葉を水底から見上げた感じかな。円形のところどころにリズムをつけるように、ステンドグラス用の赤いガラスが入っているのが特徴的だ。

驚くのは、この大きな鉄の構築物が、さほど大きいとはいえないこの展示空間いっぱいに収まっていること。いったいどうやって入れたのか。作品が大きすぎて引きがないので、いつも閉じている庭側の扉を開放して外から見られるようにしてあるが、この開口部よりずっと大きいので、いくつかパーツに分けて持ち込み、この場で組み立てたのは間違いない。とはいえ、天井附近で大きく広がっているため重心が上のほうに偏っている鉄の構築物を、だれがどうやって持ち上げ、どうやって溶接したのか、考えるだけで途方に暮れそうだ。そんな苦労を感じさせず軽快に見せてしまうところが、青木野枝らしい。

2018/12/06(村田真)

君は『菫色のモナムール、其の他』を見たか?

会期:2018/11/03~2019/01/27

モリムラ@ミュージアム[大阪府]

地下鉄四つ橋線で南下して北加賀屋駅から徒歩5分ほど、殺風景な住宅街に森村泰昌の個人美術館がある。家具屋だった建物の2階を改装し、2本の「80年代展」(国立国際美術館と高松市美術館)のオープニングに合わせて開館した。そのため開館記念展は「森村泰昌 もうひとつの1980年代」として、「君は『菫色のモナムール、其の他』を見たか?」というタイトル。出品はすべて80年代のもので、初期の写真やグラフィック作品から、デビュー作の《肖像(ゴッホ)》、赤松玉女との共作《男の誕生》など計30点ほど。興味を惹いたのは、1986年に開いたセルフポートレートによる初個展「菫色のモナムール」を、奥の展示室で再現していることだ。

森村というと「ゴッホ」の記憶が強烈だったせいか、どうしてもコテコテのお笑いアートみたいなキワモノ的イメージがつきまとうが、この個展を見ると印象がガラッと変わる。セルフポートレートといいながら首がなかったり、手足が欠けていたり、包帯が巻かれていたり、全身を赤や黒に塗られていたり、なにか暗くてドロドロとしたドス黒いものが感じられるのだ。考えてみればゴッホだっていまでこそ人気画家だが、当時は怒りっぽい貧乏画家で、みずから耳を切り落とし、精神疾患を患い、最後は自殺した(他殺説もあるが)異端児。そんな画家に扮する森村も相当の異端児なのではないか。ゴッホだけではない。ニジンスキーもフリーダ・カーロも三島由紀夫も、彼が扮してきた芸術家はみんなすさまじい情念の渦巻く異端児だ。そんな森村の原点というか素顔がかいま見られる展示だった。

2018/12/02(村田真)

ニュー・ウェイブ 現代美術の80年代

会期:2018/11/03~2019/01/20

国立国際美術館[大阪府]

金沢21世紀美術館始発の巡回展「起点としての80年代」に続いて、大阪でも「80年代展」が開かれている。金沢の出品作家が19人と少なかったのに対し、こちらは3倍以上の65人と大盤振る舞い。おまけにコレクション展でも「80年代の時代精神から」(時代精神に「ツァイトガイスト」のルビが!)をやっているので、見に行かない手はないでしょ。会場入口にはさっそく、アメリカのポップ・カルチャーを極彩色で表現した中西學の立体《THE ROCKIN’ BAND》が、展覧会を代表するかのように立っている。よくも悪くもこれが80年代ニューウェイブの典型かもしれない。

会場に入ると、河原温の《Today》シリーズの「JUNE 23, 1980」をトップに、作品が80-81年、82-83年と2年ごとに紹介されている。80-81年はまだミニマル、コンセプチュアル系の70年代的空気におおわれているが、辰野登恵子の表現主義的な絵画だけが唯一80年代を先駆けていた。それが82-83年になると、杉山知子、横尾忠則、日比野克彦、中原浩大、山倉研志など一気に色彩と具象イメージが現れ、84-85年、86-87年には先の中西をはじめ、森村泰昌、山部泰司、関口敦仁らが出そろい、ニューウェイブ全盛となる。最後の88-89年になると、福田美蘭や小田英之ら90年代のネオポップ路線につながる作家たちもチラホラ。

きわめてわかりやすい展示だが、いくつか気になる点がある。ひとつは、出品作家が多い半面、1人1点(または連作1セット)に絞られているので、必ずしも代表作が出ているわけではないということ。たとえば、辰野は80年代の初めと終わりでは作品が変化しているので1点では足りないし、石原友明は皮革の立体より初期の写真を使ったレリーフのほうがふさわしいと思うし、中原は絵画も彫刻も手がけているので両方出すべきではないか……と、言い出せばキリがない。また、80年代後半にもなってなぜ吉野辰海が入って、岡崎乾二郎や大竹伸朗が入っていないのか。これも言い出せばキリがないが、この3人に関しては明らかに違和感がある。

もうひとつは、70年代後半から80年代への橋渡しをした「ポストもの派」の視点が欠けていること。ポストもの派とは、70年代に支配的だったもの派をはじめとするミニマリズムやコンセプチュアリズムを、試行錯誤しながら超えようとした作家群のこと。彼らがいなければその後のニューウェイブが登場する余地はなかったし、またその必然性も生れなかったと思う。絵画でいえば辰野のほか、彦坂尚嘉(不出品)、堀浩哉、岡崎乾二郎(不出品)、諏訪直樹あたり、彫刻でいえば戸谷成雄、遠藤利克(不出品)、黒川弘毅ら、インスタレーションでは川俣正が代表格だ。彼らはもの派がゼロに還元した美術表現を再起動させるため、当時もはや死語といわれた「絵画」「彫刻」「美術」などの概念をもういちど問い直し、一から表現を組み立て直そうとした。そうした成果の上に、欧米からの新表現主義の動向を組み入れたニューウェイブが登場できたと理解しているが、そのポストもの派の重要作家が何人も欠けている。

これに関連して、80年代を理論面でも制作面でもリードしてきた彦坂尚嘉と椿昇が、同展だけでなくもうひとつの80年代展にも選ばれていないのは、いったいどういうわけだろう。とくに彦坂が指導していたBゼミでは、80年代初頭から銀座の画廊で「ニュー・ペインテッド・レリーフ展」や「ハッピーアート展」などのグループ展を戦略的に組織、これらが首都圏のニューウェイブにつながっていったことは間違いないが、そこらへんがすっぽり抜け落ちている。同展は大阪の美術館が企画したこともあって「関西ニューウェイブ」の作家が多いせいか、東京方面が手薄になったのかもしれないが、少なくとも80年代を生きてきた者の実感とはズレがある。

2018/12/02(村田真)

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めがねと旅する美術展—視覚文化の探究—

会期:2018/11/23~2019/01/27

静岡県立美術館[静岡県]

大阪に行く途中、静岡に寄ろうかどうか迷ったけど、これは寄ってみて正解だった。同展は静岡県立美術館、青森県立美術館、島根県立石見美術館という地方公立美術館3館による共同企画展の第3弾。より正確には、3館のというより3人の学芸員による共同企画というべきか。静岡の村上敬氏、青森の工藤健志氏、島根の川西由里氏の3人は2010年に「ロボットと美術」展を企画。これが好評を博し、めでたく美連協大賞・奨励賞を受賞。この「ロボ美」を機に3人は意気投合して「トリメガ研究所」を結成したという。3人とも眼鏡をかけていることから「トリプルメガネ」を略した命名だそうだ。この「めがね」が今回の展覧会のテーマにもつながっていくのだが、その前に第2弾として、2014年に3人で「美少女の美術史」展を企画。これも「ロボ美」同様サブカル的要素の入ったオタク的空気の漂う展示で、同じく美連協の奨励賞を受賞した。

そして第3弾の今回の「めがね」だ。めがねといってもここでは視覚を補正するための眼鏡だけでなく、遠眼鏡、色眼鏡、顕微鏡、レンズ、VRゴーグル、万華鏡、鳥瞰図、遠近法、錯視……と拡大解釈し、古今の日本美術を中心に幅広く渉猟している。西洋の遠近法を採り入れた江戸の浮絵や、司馬江漢による静岡ならではの富士山の洋風画、浅草凌雲閣を描いた浮世絵と西洋版画の対比など興味深い展示も多いが、めがねとはすぐに結びつかない。現代では、富士山の頂上を丸く拡大した中村宏の《望遠鏡・富士山(女学生に関する芸術と国家の諸問題)》、波状ガラスを使った山口勝弘の《ヴィトリーヌNo.47(完全分析方法による風景画)》、少女の顔が連続写真のように連なる金巻芳俊の彫刻《円環カプリス》、のぞくと小さな世界が見える桑原弘明の一連ののぞき箱(これはすばらしい!)、女の子の眼鏡を通して瞳に映る外界を描いたMr.のシリーズ、著名人の眼鏡越しにその人の文章を捉えた米田知子の一連の写真のように、お眼鏡にかなった?作品もある。いささか風呂敷を広げすぎの感がないわけではないが、めがねはひとつの契機にすぎず、裸眼ではなく「なにかを通して見る」ということについて考える展覧会になっている。

特筆すべきは、トリメガ研究所の企画として新作アニメを制作していることと、3人の時代がかったポートレート写真を展覧会にもカタログにも掲げていること。そこまでやるか? ウマの合う学芸員が展覧会を共同企画することは珍しくないけど、固定した3人がシリーズのように3回も企画展を続けるというのはあまり聞いたことがない。意地悪な見方をすれば、公立美術館の学芸員が税金で好き勝手なことをやっているともいえるが、ぼくは学芸員自身が楽しんでつくる展覧会ほどおもしろいものはないと信じているので、ぜひ第4弾、第5弾と続けてほしいものだ(と思ったら、これが最後らしい)。惜しむらくは3館とも首都圏(および関西)から離れていること。だからこそできたという面もあるかもしれないけど。

2018/12/02(村田真)

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