2024年02月15日号
次回3月1日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

画廊からの発言 新世代への視点2023

会期:2023/07/24~2023/08/05

藍画廊+ギャラリイK+ギャラリーQ+ギャラリー58+ギャラリー椿+ギャルリー東京ユマニテ+コバヤシ画廊[東京都]

今日も東京は36度。年々気温は上昇するわ観客は高齢化するわで、この時期、画廊巡りをするのも命がけになってきた。あと何回見られるだろう……てか、あと何回続くだろう。画廊のオーナーも高齢化は進んでいるからな。バブル崩壊直後に10画廊から始まったこの企画展も、2年に一度になったり毎年に戻ったり、参加画廊も増えたり減ったりして、今年はひとつ減りひとつ増えて7画廊。減るのは寂しいけど、増えると回るのが大変だし。

出品作家は40歳未満で、今回は7人中6人が女性。いまどき性別にこだわる必要もないが、 近年とみに女性作家の比率が高まっている。そのこと自体はいいのだが、問題はその後、たとえばコマーシャルギャラリーで個展を開いたり、美術館の企画展に呼ばれたり、ステップアップしていくうちに徐々に女性の比率が下がっていくのではないかということだ。この展覧会は貸し画廊が中心になっているので、ここに出している作家はようやく登竜門を通過したばかりのいわば駆け出し。これからどのように生き残っていくかが問われるのだ。以下、目に止まったものを3つほど。

東菜々美(ギャラリーQ)は、太い線を垂直・水平に何本も交錯させた絵画を出品。これだけならどこかで見たことあるような絵だが、よく見ると、太い線は20-30本の異なる色彩による細い線の集合体で、それぞれグラデーションをなしている。だから、たとえばベルナール・フリズのように一気に引く線のような勢いはないけれど、逆に偶然性に頼らない計画的な色彩表現や、錯視的な立体感が実現している。

中内亜由美(ギャラリー58)は糸を用いた繊細な作品を展示。数十本の赤い糸を天井からたわませるように吊るし、たわんだ部分に黒い糸を何十本も掛けてみたり、1本の糸をくるくる巻いて鎖状にしたり。作者によれば「かすかだが確かにある存在感の表現を模索している」そうで、確かにこういうフラジャイルな作品には惹かれるけれど、そんなはかなく頼りない仕事をいつまで続けられるかだ。そもそも糸を使ったインスタレーションでは池内晶子という先達がいるが、彼女は30年以上も続けてようやく美術館で個展が開けるようになった。

東尾文華(ギャルリー東京ユマニテ)は版画。ぼくは個人的に、版画は絵画に準ずるメディアという偏見をもっているので、ほとんど取り上げたことがないが、例外的に版であることを追求したり自虐したりする版画や、版の概念を覆すメタ版画は評価するにやぶさかではない。東尾は主に女性をモチーフに木版と銅版を併用して制作しているが、おもしろいのは、縦長の版画を掛け軸に仕立てたり、同じ版を天地逆につなげて長さ3メートル超の絵巻状にしたり、円形の画面から手や頭がはみ出てシェイプトキャンバスになったり、支持体が版画を逸脱していることだ。特に軸仕立ては2点あって、1点はレオン・バクストの《『牧神の午後』のニジンスキー》を彷彿させるアール・ヌーヴォー調、もう1点は松のような木に女性が絡む水墨画風と描き分けている。これは見事。


公式サイト:http://galleryq.info/news/news_newgeneration2023.html

関連レビュー

池内晶子 あるいは、地のちからをあつめて|村田真:artscapeレビュー(2022年02月01日号)

2023/07/31(月)(村田真)

尻博2023

会期:2023/07/20~2023/07/31

文房堂ギャラリー[東京都]

会場の文房堂ビルに着くと、エレベーター前には人だかりができている。え、まさかこれみんな尻博? そう、みんな尻に吸い込まれていくのだ。さほど広くない会場には50人以上は入っているだろうか。男性が大半だが、女性もいる。と思ったら尻を出しているではないか! あ、尻出し男もいる。作品だけでなく、本物のお尻も鑑賞できるんだから、入場料千円でもこんなに人が集まるんだ。

てわけで、コロナ禍の2020年に始まった「尻博」も、4回目を迎える今回は秋葉原から神保町に場所を移しての開催となった。出品は写真、絵画、彫刻、イラスト、映像、花器とさまざま。お尻のドアップ写真が多いなか、三島哲也と吉岡雅哉の絵画は貴重だ。三嶋は古典技法を駆使して官能的な尻を写実描写し、吉岡雅哉は軽快なタッチの尻画というか、もはや猥画としかいいようのない絵を出している。いいのか? 映像は、お尻に風鈴つけたり尻の上でかき氷つくったり、季節感あふれる作品もある。また、尻博と上野木型製作所の共同企画として、3Dスキャン技術と5軸マシニングセンターのNC切削(なんだそれ?)により、男女の尻を彫刻した等身大リアル《OTOKOJIRI》《ONNAJIRI》なんてのもあって楽しめる。

それにしても、なぜわれわれは尻に敷かれるのか? じゃなかった、尻に惹かれるのか? なぜ「乳博」でも「股博」でも「ヘソ博」でもなく、「尻博」なのか? なぜ男だけでなく、女も異性の尻に惹かれるのか? 心情的には理解できるけど、いまだ言語化できずにいる。


公式サイト:http://www.bumpodo.co.jp/gallery/exhibition.html

2023/07/29(土)(村田真)

虫めづる日本の人々

会期:2023/07/22~2023/09/18

サントリー美術館[東京都]

江戸時代を中心に虫を描いた作品を集めたもの。虫の絵というとすぐ思い浮かぶのは、最近国宝に指定された若冲の《動植綵絵》(c.1757-1766)のなかの《池辺群虫図》(c.1761-1765)、《芍薬群蝶図》(c.1757-1760)あたりだが、この展覧会には出ていない。同じ若冲の《菜蟲譜》(c.1790)は出ているが、期間限定だ。もちろん若冲以外にもたくさんある。

西洋では虫の絵というと、博物誌を別にすれば、17世紀の静物画に描かれたハエやチョウが思い浮かぶくらいで、日本の比ではない。そもそも西洋で虫というのはとるに足りない邪魔な存在なので、愛でる気持ちなどこれっぽっちもなかったはず。日本人は虫の音を言語と同じように意味ある音として聞くが、西洋人は無意味な雑音にしか聞こえないとどこかで読んだことがある。だから西洋では虫は無視されたのだ。

展示は、鎌倉時代の《蝶蒔絵香合》(13-14世紀)から能装束、陶器、現代の「自在」と呼ばれる動く彫刻まであるが、大半は絵巻や掛け軸、浮世絵、図譜など絵画だ。ざっと見たところ、いちばん多く描かれているのはチョウで、やはり見栄えがいいからだろう。三熊花顛の《群蝶図巻》(18世紀)や松本交山の《百蝶図》(19世紀)などの細密描写が美しい。チョウに続いて多いのはトンボ、バッタ、クモ、セミあたりか。ちなみに当時はカエルやカニ、トカゲ、コウモリまで虫として扱われていた。意外と多いのがホタルだが、特性上白い点や線で表わされることもあっておもしろい。いずれにせよ、虫は小さいせいか主役として登場することは少なく、たいていは花鳥風月のおまけか、虫狩りの人たちとともに描かれる。なかには歌麿の《夏姿美人図》(c.1794-1795)や上村松園の《むしの音》(c.1914)のように、虫本体がどこにも描かれておらず、気配だけの虫の絵もある。

同展は作品ばかりでなく、演出もなかなか凝っている。入り口を通るとき虫の音が聞こえてくるのはよくあるが、階段を降りた吹き抜け空間の上方に光を点滅させてホタルを表わしたり、展示室の空きスペースに紙細工の虫を吊り下げてスポットライトを当てたり、作品鑑賞に集中していると見過ごしてしまいそうなところにも、ちょっとした仕掛けが施されているのだ。こういう目立たないところに趣向を凝らすのも、それを見つけて楽しむのも、「虫めづる日本の人々」ならではのセンスかもしれない。



展示風景



公式サイト:https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2023_3/index.html

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伊藤若冲《菜蟲譜(さいちゅうふ)》11mに並んだ小さな命──「河野元昭」|影山幸一:アート・アーカイブ探求(2008年07月15日号)

2023/07/21(金)(村田真)

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デイヴィッド・ホックニー展

会期:2023/07/15~2023/11/05

東京都現代美術館[東京都]

出品作品127点。うち東京都現代美術館の所蔵品は91点なので、大半が同館コレクションとなる。お、すげえな、単館のコレクションで「ホックニー展」がほぼ成立するんだと一瞬感心しそうになるが、うち90点はリトグラフやエッチングなどの版画かフォト・コラージュ(2点)で、タブローは1点のみ。版画美術館か? 展覧会全体でも油彩もしくはアクリルのタブローは16点だけで、しかも初期のブリティッシュ・ポップや西海岸の青い空、プール、シャワー、友人たちを描いたいわゆるホックニーらしいタブローはその半分しかない。なーんだがっかり……と思うのは早計だ。確かに昔ながらの「ホックニー展」を期待していた向きには寂しいが、その代わり、21世紀以降に手がけた大作が何点も見られるのは嬉しい限り。なにしろ日本では27年ぶりの大規模な個展なので、これらの近作は初公開となる。

ホックニーがデビューした1960年代初頭は抽象絵画の全盛期。やがてミニマル・アートやコンセプチュアル・アートが台頭してアートシーンが行き詰まるなか、ホックニーはマティスのように明るい色彩の具象絵画を描き続け、大衆的な人気を集める。1980年代に入るとピカソのキュビスムに触発され、写真をたくさん貼り合わせてひとつの画面をつくる「フォト・コラージュ」を開始。ここから遠近法にとらわれない多焦点的な空間表現が広がっていく。いわばマティス的な色彩にピカソ的な造形が加わって、ある意味20世紀最強の画家になっていく。

だがホックニーのすごいのは、21世紀に入ってからも新しいメディアを制作に取り入れる貪欲さだ。1991年には早くもコンピュータ・ドローイングを始め、2010年からiPadで描くようになる。近作の《ノルマンディーの12ヶ月 2020-2021年》は、コロナ禍の1年を通してiPadで描いた風景画をつなぎ合わせ、長さ90メートルという長大な画面に再構成した作品。ここには四季折々の風景や1日の時間の移り変わり、天候の変化などが1枚の画面に次々と展開していき、日本の絵巻物やモネの連作を想起させる。でもタブローではなく紙にプリントだから、印刷物を見てるのと変わらないけどね。

手描きでは、50枚のキャンバスをつなげた《ウォーター近郊の大きな木々またはポスト写真時代の戸外制作》(2007)が圧巻。なにしろ4.6×12メートル以上というホックニー史上最大の超大作なのだ。しかもこれ、屋外でわずか6週間ほどで描き上げたというから驚く。描かれているのは郊外の林で、広角で木立全体を捉えながら枝の1本1本まで描き込んでいる。巨大画面は、いわば木を見て森も見るというミクロとマクロの視点を融合させるために必要だったのだろう。全体のイメージを画面ごとに分割して再構成しなければならないため、制作にはデジタル技術の助けを借りたというが、それにしても70歳にしてこれを1ヶ月半で描き上げるというのがすごい。カタログには、ビールを前にタバコ片手に微笑む満84歳の近影(2021)が載っている。まだまだやらかしてくれそうだ。


公式サイト:https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/hockney/

2023/07/14(金)(村田真)

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テート美術館展 光 ─ターナー、印象派から現代へ

会期:2023/07/12~2023/10/02

国立新美術館[東京都]

蔡國強の「原初火球」をやってる美術館の2階で「光」の展覧会とは、引火でもしたのか? 同展はイギリスのテート美術館のコレクションから「光」をテーマに作品を集めたもの。「テート美術館」とはあまり聞き慣れないが、イギリス美術に特化したテート・ブリテン、近現代美術専門のテート・モダンに、リバプールとセントアイヴスの分館を合わせた組織で、かつてのテート・ギャラリーのことだろう。だからコレクションはイギリス美術と世界の近現代美術が中心となる。

薄暗い第1室に足を踏み入れると、正面にターナーの晩年の絵が目に入る。確かにターナーの晩年の作品は海も空も船も人も光に包まれ溶け込んでしまっている。なかでも正方形に近い3点は、画面の周縁にいくに従ってボケて視野が円形になっている。これは望遠鏡でのぞいたような、あるいはピンホールカメラで撮ったようなイメージではないか。ターナーはもはや肉眼そのものが光学機器と化していたとしか思えない。おそらく「光」というテーマは、イギリスが生んだ唯一の大画家ターナーを起点に考えられたものだろう。その隣に巨大なエイリアンの卵みたいなオブジェが鎮座しているが、これはアニッシュ・カプーアの作品。各展示室に1点ずつ現代美術作品が置かれているのだ。でもカプーアの作品はタイトルこそ《イシーの光》(2003)ではあるけれど、光ってもいなければ闇に徹するわけでもなく、なんか中途半端。

その向こうにはウィリアム・ブレイク、ジョン・マーティン、ジョセフ・ライト・オブ・ダービーらの作品が続く。マーティンの《ポンペイとヘルクラネウムの崩壊》(1822)、ライトの《噴火するヴェスヴィオ山とナポリ湾の島々を臨む眺め》(c.1776-80 )という同主題のカタストロフ絵画が並ぶさまは壮観というほかない。全7室あるなかで、最初のこの薄暗い部屋がいちばん光り輝いていた。

第2室は、コンスタブルにラファエル前派と印象派を加えた構成。ラファエル前派はラファエロ以前の中世の職人に戻れっていう時代錯誤の集団だから、あまり光の表現には縁がなさそうだが、唯一ジョン・エヴァレット・ミレイの《露に濡れたハリエニシダ》(1889-90)は、朝露に輝く草木を描いた珍しい風景画。いわれなければラファエル前派だと気づかない。モネが2点あるのは納得できるが、印象派のなかでは目立たないシスレーも2点あるのはなぜだろうと思ったが、両親がイギリス人だからに違いない。アメリカ生まれのホイッスラーもイギリスに住んでいたせいか、《ペールオレンジと緑の黄昏──バルパライソ》(1866)が出ている。これがおもしろいことに、場所と朝夕の違いを除けばモネの《印象・日の出》(1872)とほぼ同じ構図で、モネより数年早いのだ。ちなみにこの部屋の現代美術は、穴の開いた鏡面6枚で組み立てた草間彌生による立方体の作品。

第3室のハマスホイを抜けて、第4室はドローイングや写真など紙作品が大半を占める。興味深いのは、金属球に窓が反射する様子を描いたターナーの紙作品。ロイヤル・アカデミーでの講義のために作成した図解で、本人こそ映っていないもののエッシャーの自画像を思い出す。第5室は、カンディンスキーからバーネット・ニューマン、マーク・ロスコ、ブリジット・ライリー、ゲルハルト・リヒターまで抽象絵画で統一されている。でも濡れた路面を想起させるリヒターの「アブストラクト・ペインティング」以外は「光」を感じさせない。

最後の第6、7室はオラファー・エリアソン、ブルース・ナウマン、ジェームズ・タレルらによるライトアート(懐かしい響き!)が勢ぞろい。でも本物の光を出されてもなんだかなあ、光を使わずに「光」を表現する作品が見たかった。こうして見ると、後半は抽象とライトアートばかりで、具象絵画が見当たらない。とりわけ、ターナーに次ぐイギリスの大画家ホックニーの作品がないのはなぜだろう。カリフォルニアの明るい日差しを描いた絵はともかく、カメラ・ルシーダをはじめとする光学機器を使った絵画技法の研究成果や、モネの連作を思わせる光の移ろいを描いた近年の大作はテートにもあるはずだ。それとも東京都現代美術館の「ホックニー展」に取られちゃったのか。


公式サイト:https://tate2023.exhn.jp/

2023/07/11(火)(村田真)

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