artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

総合開館20周年記念 山崎博 計画と偶然

会期:2017/03/07~2017/05/10

東京都写真美術館[東京都]

展覧会終了後1カ月たたずして亡くなってしまった。癌だったから、今回が最後の個展になるだろうことは覚悟していたはず。同じ日に田原桂一の訃報も届いた。なんてこった。山崎さんと初めてお会いしたのは70年代末、新宿東口駅前にあった喫茶店だ。太陽の光跡を長時間露光で捉えた「HELIOGRAPHY」のシリーズをどこかで見て、インタビューしたいと思ったのだ。そのときどんな話をしたのかほとんど忘れてしまったが、ときおり眉を寄せて早口でしゃべる表情はよく覚えている。
展覧会は「HELIOGRAPHY」の前段階の「AFTERNOON」「OBSERVATION 観測概念」シリーズから始まり、ガラッと変わってそれ以前の土方巽や赤瀬川原平、黒テント、寺山修司、山下洋輔など前衛芸術のドキュメント写真が続く。スタートは60年代末なのだ。ということは、先輩たちが破壊し尽くした表現のゼロ地点から始めなければならなかったことを意味する。だからカメラを選んだ彼は、写真の原点であるニエプスのヘリオグラフィーに立ち返る必要があったのだ、と思う。そこから「HELIOGRAPHY」「水平線採集」シリーズに発展していく。その後「櫻」シリーズみたいな色ものもあるが、山崎博といえばやはり太陽の光跡であり、水平線に尽きる。ほぼ同世代の同じ博の名のつく写真家に「水平線」を持っていかれたことを、どう思っていたのか。

2017/05/10(水)(村田真)

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躍動する個性─大正の新しさ

会期:2017/04/08~2017/06/18

神奈川県立近代美術館葉山[神奈川県]

砂澤ビッキを見に行ったら、もれなく見られるコレクション展。日清・日露戦争が終わり、日中戦争が始まるまでのつかの間の平和を謳歌した大正時代の絵画に焦点を当てている。岸田劉生が5点、関根正二は6点もある。ただしテーマ性が薄いコレクション展なので、比べるのも酷だが、このあと見る「リアルのゆくえ」が激おもしろかったせいか、記憶から消えてしまった。

2017/05/07(日)(村田真)

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木魂を彫る─砂澤ビッキ展

会期:2017/04/08~2017/06/18

神奈川県立近代美術館葉山[神奈川県]

最初の会場に入ると、中央に大きな木の固まりがドーンと立っている。《神の舌》と題する木彫だ。いわれればたしかに巨大な舌のようにも見える。ほかの作品も、仮面に見えたり虫に見えたり遊具や玩具みたいだったり、ちょっとユーモラスで素朴な木彫ばかり。それより素描のほうが気になった。初めのころの素描は彫刻のプランを描き止めただけのものが多く、わざわざ台座まで描いたりして、どうやら絵は得意ではなかったのかなと思ったが、あとのほうに出てくる《午前三時の玩具》などは力強い線描の連なりで、イマジネーションの広がりが感じられる。もっとスゴイのは裸婦デッサンで、ロダンのそれをしのぐほどエロっぽく、相当な助平だったのではないかと推察される。なぜ木彫で裸婦像を試みなかったんだろう。

2017/05/07(日)(村田真)

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リアルのゆくえ──高橋由一、岸田劉生、そして現代につなぐもの

会期:2017/04/15~2017/06/11

平塚市美術館[神奈川県]

日本の近代絵画における「リアリズム」の受容と変容をたどる興味深い展覧会。冒頭、高橋由一の《鮭》と磯江毅の《鮭─高橋由一へのオマージュ─》が並ぶ。これが日本のリアリズム絵画の始まりと現在、どちらが真に迫っているかな? というわけだ。いったい由一以降の、例えば堀和平や田村宗立や、ここには出ていないが、山本芳翠らに見られる独特の妖しげな暗さや、露悪的ともいえる「デロリ」とした感触はなんだろう。以前から気になっていたことだが、この暗いリアリズム(デロリズム?)は明るさを招来した黒田清輝以後も、岸田劉生、河野通勢、椿貞雄、高島野十郎、靉光と連綿と受け継がれていく。
同展を見て少しわかったのは、ルネサンス以降の西洋絵画は基本的にリアリズムで、遠近法や陰影法を駆使して外界を正確に再現しようとしてきたが、それは現実をありのまま描く(つまり醜い面もあえて描く)いわゆる「リアリズム絵画」とは違う。例えば布のシワは描くけど、女性の顔のシワやホクロは描かないし、陰毛も省略する。つまり夾雑物を排除し、理想化して画面に構成し直すのが西洋絵画の王道なのだ。ところが日本人が油絵を導入したとき、細部まで忠実に再現することに熱中して理想化と構成を忘れ、美も醜も描き込んでしまったのではないか。さらにそこに、世界を階層づける一神教とは異なった、細部に魂が宿るアニミズム的世界観も反映されているはず。日本のリアリズム絵画の独自性はここに由来する(リアリズムではないけれど、岡本太郎の抽象画も同じ理由でデロリとしている)。
ところが情報化社会になると、写真イメージをそのまま写し取ったスーパーリアリズム(フォトリアリズム)が登場し、機械的な正確さが増すのに反比例して急激に画面の厚みや匂いが薄まっていく。同展には写真を忠実に写し取る画家もいれば(吉村芳生、本田健ら)、対象を凝視して描く画家もいるが(磯江毅、水野暁ら)、いずれにせよ写真イメージの氾濫する現代ではかつてほどの訴求力は失われている。磯江の鮭は技巧的に見事というほかないが、由一の《鮭》の発するデロリとした生臭さはない。

2017/05/07(日)(村田真)

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浮世絵・神奈川名所めぐり

会期:2017/04/15~2017/06/11

平塚市美術館[神奈川県]

「リアルのゆくえ」のついでに見る。広重の《東海道五十三次》や北斎の《富嶽三十六景》から、明治の小林清親、昭和の川瀬巴水あたりまで、おもに神奈川の名所風景を描いた浮世絵の展示。川崎・砂子の里資料館館長の斎藤文夫氏のコレクションだそうだ。浮世絵は元来手にとって鑑賞するものだから、サイズは小さいし線も細く、美術館で鑑賞するには向いてない。おまけに大量に刷られた印刷物だから、画集で見れば十分だ。とつねづね思っているので、約200点を5分ほどで通過。1点1.5秒の計算だが、そうやって作品の前を通りすぎることで、やっぱり北斎は飛び抜けているなとか、明治以前と以後とでは徐々に空間把握が変化しているなとか、違いが見えてくることもある。なんてね。

2017/05/07(日)(村田真)