artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
開館10周年記念展 キース・ヘリングと日本:Pop to Neo-Japonism
会期:2017/02/05~2018/01/31
中村キース・ヘリング美術館[山梨県]
八ヶ岳山麓にある中村キース・ヘリング美術館が開館10周年を迎え、この“落書き小僧”と日本との接点を探る企画展を開いている。そもそも中村ってだれ? なんで八ヶ岳にキースの美術館が? と疑問に思うかもしれない。30年ほど前、医薬品開発支援を手がけるシミックホールディングスのCEO中村和男氏が、ニューヨークの店頭で偶然キース・ヘリングの絵を見かけてひと目惚れしたのが始まり。以来キースの作品ばかりを集め、10年前に故郷の山梨県に美術館を建てるまでになったのだ。赤い外壁が目立つ建物の設計は北川原温。山腹の傾斜をそのまま生かして、暗い闇の部屋から光に満ちた明るい部屋へと徐々に上昇していく仕掛けだ。
今回の展示は、1983年に初来日して以来日本で制作した作品を中心にしたもの。巨大な招き猫の表面いっぱいにドローイングしたものや、パルテノン多摩で500人の子どもと共同制作した壁画(公開は期間限定)、墨で描いて軸装したドローイングなどもある。この墨のドローイングは83年の作品で、ぴあ株式会社のコレクション。じつはその前年の暮れ、ぴあに在籍していたぼくはキースを取材するため急遽ニューヨークに飛ばされたのだ。わずか10日足らずだったが、昼は彼のアトリエで取材し、夜は地下鉄のグラフィティ描きやギャラリー巡りにつきあい、とても貴重な体験をさせてもらった。今日は10周年記念座談会があり、そんな話もした。
2017/04/08(土)(村田真)
佐藤翠展─Reflections─
会期:2017/03/31~2017/04/23
六本木ヒルズA/Dギャラリー[東京都]
作品は大別して2種類あり、例のクローゼットやシューボックス(下駄箱とは似て非なる)をモチーフにした大きめのキャンバス画と、鏡の表面に花を描いた小さめの作品群だ。どちらも銀色を使っているのが特徴的で、特にキャンバス作品のほうはあらかじめ彩色した上に銀で「地」の部分を塗り、服や靴を「図」として浮き上がらせている。ふつうは地塗りの上に図を描くものだが、ここではその関係が逆転している。鏡のほうは、モネの睡蓮のようなタッチを生かした花から、抽象パターン化した花までさまざまあるが、いずれも部分的に塗り残すことで鏡としての機能を保たせている。全面を塗りつぶしたら鏡に描く意味がなくなるからな。しかしこの場合、鏡の上に描かれた花が図なのか、鏡に映る自分が図なのかという大きな問題に直面するはず。ともあれ、こちらにも銀が使われているが、もともと鏡と銀は相性がいいというか、鏡の原料には銀などが使われているくらいだから同根といってもいい。おそらく画材に鏡と銀を選んだのは同時期か、どちらかがどちらかを呼び寄せたのだろう。とすると、キャンバス画の銀は鏡の代用かもしれず、やはり地と図の関係は逆転しそうだ。
2017/04/07(金)(村田真)
ストリートミュージアム
会期:2017/03/17~2017/04/16
東京ミッドタウン・プラザB1[東京都]
紅白のコーンを螺旋状に積み上げたり、頭が尖ってる人物や髪の毛で覆われた人物の木彫を並べたり、開けたトランクの中に水たまりをつくったり、みんな奇妙なイメージをかたちにしている。案内状には「プラザB1のストリートをジャック」なんて威勢がいいけど、作品はこぢんまり台座に乗せられて破壊力は希薄。これじゃ単なるディスプレイじゃないか。もっと暴れろよ。
2017/04/07(金)(村田真)
千田高詩との対話
会期:2017/03/27~2017/04/08
BankARTスタジオNYK[神奈川県]
長く横浜を拠点に活動を続けた千田高詩の生誕100年を記念する回顧展。戦前に東京美術学校を出て、50-60年代には読売アンデパンダン展に出品、来日したアンフォルメルの推進者ミシェル・タピエにも注目されたという。会場には「モダーン」という言葉が似合う抽象絵画が並ぶが、彼の功績は作品そのものよりもむしろ美術教育者としての側面にあるようだ。1965年に弘明寺に「創造のアトリエ」を開き、「ワークショップ」という言葉がなかった時代から創造性を重視する美術教育を実践。彼の提唱した「みんなみんなアーティスト」は、思想的背景は異なるとはいえ、世代的に近いヨーゼフ・ボイスの「人間はだれでも芸術家である」を思い出させる。世が世なら千田も世界的に影響力を持っただろうか。
2017/04/02(日)(村田真)
ヴォルス 路上から宇宙へ
会期:2017/04/01~2017/07/02
DIC川村記念美術館[千葉県]
ぼくが「現代美術」を知った70年代には、ヴォルスをはじめアンフォルメルの評価はもっと高かったように思うが、その後、抽象表現主義の評価の高まりとは対照的に徐々に低下していったような気がする。これは戦後美術におけるフランス(パリ)とアメリカ(ニューヨーク)の覇権争いも関係しているかもしれない。ともあれ、すっかり忘れたころにやってきたヴォルス展だ。導入は、というより前半は写真。点数でいえば約4割を写真が占める。第二次大戦前から戦中にかけて撮られたもので、モチーフはマックス・エルンストらのポートレートをはじめ、道端に寝そべる浮浪者、ぬれた舗道、ウサギや鶏肉、野菜や果物など。なんのために撮ったのかわからないところがいい。撮った意図はあるけど、発表する意図はないみたいな。
絵のほうは1930年代末から亡くなる51年までの10年余りのもので、紙にグワッシュか版画(ドライポイント)が大半を占め、油彩は5点しかない。でもこの小さなグワッシュ作品がなんともいえず病的で、心に染み入る。これはヴォルスの生来の特異な資質と、戦中を敵国人としてフランスですごした特殊な状況が生んだ絵画であって、モダンアートの尺度で計ってもあまり意味がないように思う。写真と同じく、描くモチベーションは高くても、それを発表したり残したりする意志は薄かったんじゃないか。ヴォルスの作品は、15歳年上の世話女房(もはや死語)がいなければ世に出なかったかもしれない。
2017/04/01(土)(村田真)