artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
第20回 岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)展
会期:2017/02/03~2017/04/09
川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]
今年20回を迎えたTARO賞展、今回の応募総数は499点という。昨年より微増だが、それ以前の10年ほどは600-800点だったから間違いなく減っている。それでも幸いなことに質は落ちていないようだ。今年のTARO賞は、展示室中央のガラス部屋にインスタレーションした山本直樹の《Miss Ileのみた風景》。内部に角砂糖を積み上げて都市風景をつくり、ガラス面におそらく砂糖で「保育園落ちた日本死ね!!!」とか「弱者排斥」「盛り土」といった挑発的な言葉や人物の顔を描き、観客が近づくとセンサーで閃光が走り爆音が響くという仕掛け。タイトルの「ミス・イル」という朝鮮半島の人名を連想させる言葉は、もちろん「ミサイル」のもじりで、砂糖の甘さと現実の危機をストレートすぎるほど対比的に表わしている。岡本敏子賞の井原宏蕗の《cycling》は、ヒツジ、ブタ、シカなどの動物の糞を漆でコーティングした黒い小さな固まりをつなげて、その動物の姿を再現するという作品。見た目はパッとしないが、排泄物からその生き物を再生させ、糞を漆で工芸化させる逆転の発想が鮮やかだ。
この井原作品に見られるように、今回は多数の要素を集積させてつくった作品、および技巧を凝らした工芸的な作品が多かったように思う。例えば、F1マシンとオオサンショウウオを合体させた井上裕起の《salamander[F1]》(特別賞)は、手業とは思えない見事な仕上げになってるし、同じく特別賞の黒木重雄の《One Day》は、海岸に打ち上げられた無数の瓦礫に群がる無数のカラスを描いた絵画だ。ほかに、多数の絵画でひとつの作品を形成した後藤拓朗とユアサエボシにも注目したい。後藤の《先端絵画掲示板》は、材木を組んだ掲示板に写実的な風景画を中心に20点ほど展示したもの。この巨大な掲示板が全体の支持体となり、また額縁の役割も果たしている。そして、今回もっとも感銘を受けたユアサの《GHQ PORTLAITS》。角が欠けた瓦にアメリカ兵の肖像を描いた作品で、なんと150枚ある。これは敗戦後、日銭を稼ぐためそこらに落ちてる瓦に描いて売った進駐軍の似顔絵が、70年ぶりにアメリカで発見されたというストーリーにもとづく。いわゆる戦争記録画(153点)も意識したはず。汚れた瓦という素材選びといい、的確な描写力といい、架空のストーリーといい申し分ない。勝手に村田真賞だ!
2017/02/05(日)(村田真)
N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅
会期:2017/02/04~2017/06/11
森美術館[東京都]
ハルシャなんて聞いたことなかったけど、インド南部のマイスールを拠点に活動するアーティスト。聞いたことないといっても、10年ほど前に森美術館で開いた「チャロー! インディア:インド美術の新時代」展に出品していたので、見たことはあった。いわれてみればたしかにこんな作品あったなと思い出したが、まあその程度にしか覚えてないアーティストによくぞ個展を開かせるもんだと、森美術館の度量の大きさに感心したりもする。もちろん彼がインド現代美術のワンノブゼムではなく、ベスト・アーティストであるとの確信のもとに今回の個展は企画されたはずだが、そこがよく伝わってこない。作品は絵画を中心に、立体、インスタレーション、観客参加のワークショップもあるが、印象に残るのは数百数千もの人を克明に描いた絵画と、上を見上げる人々を描いた絵を床に敷き、その上を歩くインスタレーションくらい。前者はモチーフの繰り返しという意味ではプリミティブだが、よく見ると一人ひとりの違いを描き分けている点できわめて明晰だし、後者は人の上に立ち顔を踏みつけるという優越感とうしろめたさに、下からのぞかれている(特にスカートの女性は)という羞恥心も同時に味わわせてくれる佳作だ。でもそれ以外はあんまり……。
2017/02/03(金)(村田真)
森山大道展「記録33号」
会期:2017/02/01~2017/02/19
六本木ヒルズA/Dギャラリー[東京都]
粒子が粗く明暗のコントラストの強いモノクロ写真の展示。まあ要するにいかにも大道的写真なのだが、タイトルの「記録33号」ってなんだろう? じつはこれ、「今日一日に写したカットだけで一冊『記録』を作ってみたい」というコンセプトに基づいた写真集『記録』の最新巻33号より、2016年10月29日の池袋を撮った作品なのだ。モノクロで、しかも場末の風景が多いせいか、2、30年前の写真かと思った。
2017/02/03(金)(村田真)
オルセーのナビ派展 美の預言者たち─ささやきとざわめき
会期:2017/02/04~2017/05/21
三菱一号館美術館[東京都]
ナビ派ってなんか地味だよね。19-20世紀の印象派、ポスト印象派からフォーヴィスム、キュビスムへとつながるモダンアートの流れから抜け落ちてる、ていうか、影が薄い。それは彼らが象徴性や装飾性を重視したからなのか、それともグループ自体が神秘主義的な傾向が強かったからなのか、あるいは単に作品に魅力がなかっただけなのか。ナビ派はゴーギャンを慕う若い画家たちによって結成されたグループ。そのきっかけになった作品が、最初の章に出てくるポール・セリュジェの《タリスマン(護符)、愛の森を流れるアヴェン川》だ。これを描くとき、ゴーギャンはセリュジェに「これらの木々がどのように見えるかね? これらは黄色だね。では、黄色で塗りたまえ。これらの影はむしろ青い。ここは純粋なウルトラマリンで塗りたまえ。これらの葉は赤い? それならヴァーミリオンで塗りたまえ」とアドバイスしたという。結果、できた絵画は3原色がひしめく半抽象だった。でも実際の絵は思ったより小さく(27×21.5cm)、色もくすんでいてパッとしないが。
このエピソードを伝えたのがモーリス・ドニで、彼の「絵画とは、一定の秩序の下に集められた色彩で覆われた平坦な表面のこと」という定義は、絵画の平面性を強調する抽象絵画を予言した言葉としてあまりにも有名だが、彼の作品はボナールやヴュイヤール、ヴァロットンほどおもしろみがない。いるんだよこういう理論家肌の優等生タイプ、グループにひとりくらい。ところで、ナビ派の作品に共通するのは平坦な塗りとくすんだ色彩だが、これってフレスコ画に近いのではないか。特にドニとヴュイヤールにそれを感じる。印象派・ポスト印象派が絵具と筆の流動性を強調したヴェネツィア派の末裔だとすれば、ナビ派はひょっとして、フレスコ画を前提として線描を重視したフィレンツェ派への先祖帰りといえるんじゃないか。
2017/02/03(金)(村田真)
第65回東京藝術大学 卒業・修了作品展
会期:2017/01/26~2017/01/31
東京藝術大学構内[東京都]
芸大に展示されていた先端芸術表現科の修士の作品を見逃していたので再訪する。注目したのはふたり。菅沼朋香は昭和レトロなインスタレーションのなかで、本人がオウムのピーちゃんと腹話術をしている。現代社会に背を向けて趣味の世界に耽溺しつつ、それを作品化して公表してしまう根性が見上げたもんだ。レトロな趣味もここまでやれば先端だ。でも会期中ずっとパフォーマンスしてるんだろうか。濱口京子は黒い絵とモノクロームの壷の絵の写真を数組並べている。これは黒い絵具で壷を描いていき、最後は画面全体を真っ黒に塗り込めてしまうのだが、その過程を1枚の写真に蓄積して壷のイメージを浮かび上がらせるという仕掛け。いささか理屈っぽいが、黒く塗り込める行為とそこに痕跡を見出す行為が共感を呼ぶ。
2017/01/30(月)(村田真)