artscapeレビュー
オルセーのナビ派展 美の預言者たち─ささやきとざわめき
2017年03月15日号
会期:2017/02/04~2017/05/21
三菱一号館美術館[東京都]
ナビ派ってなんか地味だよね。19-20世紀の印象派、ポスト印象派からフォーヴィスム、キュビスムへとつながるモダンアートの流れから抜け落ちてる、ていうか、影が薄い。それは彼らが象徴性や装飾性を重視したからなのか、それともグループ自体が神秘主義的な傾向が強かったからなのか、あるいは単に作品に魅力がなかっただけなのか。ナビ派はゴーギャンを慕う若い画家たちによって結成されたグループ。そのきっかけになった作品が、最初の章に出てくるポール・セリュジェの《タリスマン(護符)、愛の森を流れるアヴェン川》だ。これを描くとき、ゴーギャンはセリュジェに「これらの木々がどのように見えるかね? これらは黄色だね。では、黄色で塗りたまえ。これらの影はむしろ青い。ここは純粋なウルトラマリンで塗りたまえ。これらの葉は赤い? それならヴァーミリオンで塗りたまえ」とアドバイスしたという。結果、できた絵画は3原色がひしめく半抽象だった。でも実際の絵は思ったより小さく(27×21.5cm)、色もくすんでいてパッとしないが。
このエピソードを伝えたのがモーリス・ドニで、彼の「絵画とは、一定の秩序の下に集められた色彩で覆われた平坦な表面のこと」という定義は、絵画の平面性を強調する抽象絵画を予言した言葉としてあまりにも有名だが、彼の作品はボナールやヴュイヤール、ヴァロットンほどおもしろみがない。いるんだよこういう理論家肌の優等生タイプ、グループにひとりくらい。ところで、ナビ派の作品に共通するのは平坦な塗りとくすんだ色彩だが、これってフレスコ画に近いのではないか。特にドニとヴュイヤールにそれを感じる。印象派・ポスト印象派が絵具と筆の流動性を強調したヴェネツィア派の末裔だとすれば、ナビ派はひょっとして、フレスコ画を前提として線描を重視したフィレンツェ派への先祖帰りといえるんじゃないか。
2017/02/03(金)(村田真)