2019年12月01日号
次回12月16日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

窓展:窓をめぐるアートと建築の旅

会期:2019/11/01~2020/02/02

東京国立近代美術館[東京都]

ルネサンス時代にアルベルティが『絵画論』で、「私は自分が描きたいと思うだけの大きさの四角のわく[方形]を引く。これを私は、描こうとするものを通して見るための開いた窓であるとみなそう」と述べて以来、窓は絵画の比喩としてしばしば用いられてきた。つまり絵画とは、外界を見通すために壁にうがたれた穴のようなものだと。このような考えから遠近法が発明され、写実絵画が発達していくわけだが、それだけでなく、アルベルティも述べているように、絵画と窓は「四角」くて「枠」があるという共通点もある。いや絵画だけでなく、そこから発展した写真も映画もテレビもコンピュータのディスプレイも、すべて四角い枠に囲われている。言い換えれば、四角い枠から人間はいまだ抜け出せずにいるのだ。目にも脳にも四角い枠などないにもかかわらず。

この展覧会は絵画、写真、映像、インスタレーションを問わず、窓に関わる作品を集めたもの。会場に入ると、いきなりバスター・キートンの映画の一部が流れている。キートンの上に建物のファサードが倒れてくるシーンだが、ちょうど2階の窓の位置に立っていたため無事だったというオチ。あまり美術とは関係ないが、窓とは壁の欠如であり、四角い空白であることがわかる。会場を進むと、ニューヨークの窓辺を撮った郷津雅夫、ショーウィンドウに飾られたヌード画を見る人々の反応を捉えたドアノー、窓を境に室内と屋外風景を描いたマティスらの写真や絵画が続く。これらは窓を撮ったり描いたりしているけど、実際には窓そのものではなく、その内外を描いていることに気づく。透明なガラスを除けば、窓は枠にすぎないのだ。

正方形を入れ子状に描いたジョセフ・アルバースや、画面に矩形を並べたマーク・ロスコらの色面抽象は、外界を見通せないものの、絵画の枠を問題にしている点で窓に近い。キャンバスの裏側を描いたリキテンスタインの《フレームIV》は、窓枠に布を張った「覆われた窓」と解釈することもできる。これらモダニズム絵画とは距離を置いたところで、林田嶺一の作品は異彩を放つ。幼少時にレストランの窓から目撃した上海事変の光景を、40年以上たってから窓枠ごと再現したものだ。作者のなかでは窓と屋外の出来事が不可分に結びついているのだろう。

立体では、フランスによくある両開きタイプのフレンチ・ウィンドウのガラス部分に黒い幕を張った、マルセル・デュシャンの有名な《フレッシュ・ウィドウ》も出ている。タイトルは「なりたての未亡人」といった意味だが、もちろんフレンチ・ウィンドウに掛けたダジャレ。この《フレッシュ・ウィドウ》と同じ型の窓の向こうにノイズを流した、久保田成子のビデオ彫刻《メタ・マルセル:窓》もある。ここから映像、パフォーマンス、インスタレーション作品も登場してくる。現在ではコンピュータの画面でも「ウィンドウ」が活躍するくらいだから、いくらIT化が進んでも四角い窓枠はなくならないどころか、ますます重宝されていくに違いない。

展示で思わずうなったのが、関西を拠点とするザ・プレイの《MADO》という作品。1980年、兵庫県立近代美術館の企画展に参加要請を受けた彼らは、展示室の大きな窓を外して展示することを提案。美術館は作品を守るため外界と遮断しなければならず、窓を外すなんてもってのほかだが、彼らは一つひとつ問題をクリアして実現させてしまった。この場合、外した窓が作品というより、窓を外す試み自体が作品なのだ。今回もそれを再現したらおもしろかったのに、幸か不幸か東京国立近代美術館の展示室には窓がなく、当時の写真や設計図などの資料展示となった。

「窓展」を知ったとき、もう40年以上も前に、MoMAで「鏡と窓」という伝説的な写真展が開かれたことを思い出した。写真を自らを写し出す鏡と、外界を客観的に見通す窓にたとえたもので、これを絵画でもやってくれないかと思っていたが、考えてみればほぼすべての絵画が鏡か窓に当てはまってしまうはず。今回は窓だけだが、それでもあれこれ入れてほしかった作家や作品がいくつも思い浮かぶ。例えば、景色を眺められるように四角い窓を開けた小屋をつくる母袋俊也とか、使用済みの窓に写真をプリントした鈴木のぞみとか。そうやってツッコミを入れながら楽しめる展覧会だった。

2019/10/31(木)(村田真)

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府中市制施行65周年記念 おかえり 美しき明治

会期:2019/09/14~2019/12/01

府中市美術館[東京都]

タイトルだけ見てもそそられないが(サブタイトル「『明治の微笑み』をあなたに」を見るとなおさらしおれる)、しかしチラシの絵を見たとたん、行くことに決めた。絣の着物を着てカゴを背負った娘が菊の花を摘んでいる図で、隅々まできちんと丁寧に描かれている。なのに、というか、だからというか、違和感が満々なのだ。いわゆる洋画でもなければ日本画でもない、そもそも美術史に登場するのが場違いのような絵というか。似たような違和感を覚える絵に最近出会ったと思ったら、「リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展」に出ていたビーダーマイヤー様式の絵画だ。なにか絵画芸術を飛び越して見る者の琴線に触れるというか、大衆の情をなでるというか。その意味では童画やイラストに近いのかもしれない。

作者は笠木治郎吉。幕末に生まれ、横浜で外国人相手に日本の風俗を描いた水彩画を売っていたという。だから作品は主に海外で流通し、日本ではほとんど知られていなかったのだ。笠木はほかにも漁師の娘、木こり、猟師の老人、花売り娘などを描いた水彩画が10点以上出ているが、どれも草の葉1枚1枚、髪の毛1本1本まで細密描写するクソリアリズムなのに、笑っちゃうほど現実感に乏しい。それはひとつには、日本の昔ながらのモチーフを、西洋的な描写で表すというチグハグさもあるが、それよりなにより、第1次産業に従事している娘が、モデルのように肌が白くて美しいなんてありえないだろって話だ。

同展にはほかにも、徳川慶喜や五姓田芳柳、渡辺幽香らによる日本画とも洋画ともつかない風景画や肖像画、百武兼行、牧野義雄、武内鶴之助ら留学組の西洋の風景画、チャールズ・ワーグマンをはじめ、ジョン・ヴァーレー・ジュニア、アルフレッド・パーソンズら明治期に来日した画家による日本の風景画、さらに彼らに影響を受けた三宅克己、大下藤次郎、丸山晩霞らによる水彩画、多くの画家が絵にした富士山や日光東照宮など、水彩画を中心に油彩、スケッチなど300余点が出ている。ふだんお目にかからない絵や未知の作品にたくさん出会えて、得した気分。

美術史のメインストリームを正面から紹介するのではなく、主流から外れたり忘れられたりした知られざる作家や作品を発掘・再発見するのも、各地にある公立美術館の役割のひとつだと思っている。府中市美術館はまさに公立美術館の鑑だ。

2019/10/27(日)(村田真)

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四國五郎展

会期:2019/10/01~2019/12/27

平和祈念展示資料館[東京都]

敗戦後、大陸にいた日本兵のうち、ソ連軍に連行されて極寒のシベリアで強制労働させられた者は57万人以上といわれ、うち約1割の5万5千人が飢えや寒さで死亡したとされる。無事帰還した人のなかには画家もたくさんいたはずで、とりわけ抑留体験を描いたことで知られるのが、香月泰男、宮崎進、そして四國五郎だ。

彼らに共通するのは、帰国してすぐにつらかった抑留体験を描くのではなく、それを絵にするまでに何年もの歳月を要したことだ。香月は帰郷後まもなく2、3点描いてみたものの納得がいかず、本格的に手がけるのは10年ほど経た50年代末から。宮崎も自らの体験を描いてはいたけれど、公表するのは90年代半ばからのこと。四國にいたっては、退職後の90年代にシベリアに慰霊の旅をしたのがきっかけで描き始めたというから、実に半世紀近くを要したことになる。ことほどさように時間がかかったのは、それほどシベリア体験が彼らに大きくのしかかっていたからで、それを自分のなかで咀嚼し、芸術に昇華するには何十年もの歳月を必要としたということだ。

特に四國は、香月や宮崎と違って美術学校を出ておらず、市役所に勤めながら絵を描いたアマチュア画家。したがって制作活動に専念できたのが退職後だったこともひとつの理由だろう。また、彼は1947年に帰国命令を受けたものの、日本を目前にしたナホトカに1年間自らの意志で残り、雑誌の表紙絵やカットを描くなど宣伝活動に従事したという。詳しいことはわからないが、抑留中に社会主義思想に染まってソ連に残留した元日本兵はけっこういたらしい。おそらく四國も、シベリアで栄養失調で死にかけたとはいえ、病院で絵を学ぶなどそれなりの恩恵も受けたようで、香月ほどの強い恨みを抱かなかったのかもしれない。

だが、それより四國の心を動かすもっと大きな出来事があった。それが原爆だ。彼は生まれが広島で(ちなみに香月も宮崎も隣の山口県出身)、帰国後実弟が原爆で亡くなったことを知る。そのため戦後はシベリア抑留という個人の体験を封印し、はるかに過酷で切実な被曝問題に向き合わざるをえなかったのだ。1955年には仲間とともに「広島平和美術展」を組織し、同展を舞台に代表作である「母子像」を発表することで、平和のメッセージを送り続けた。その彼が抑留体験を描き始めるのは、67歳のときシベリアに墓参りと鎮魂の旅に出てからのこと。そのときのスケッチとそれを元にした油絵などが今回の展示の中心となっている。したがって油絵は抑留体験から約半世紀を隔てて描かれたものばかり。

どれも空は鈍色で、捕虜の兵士たちは一様に暗く、風景はほとんどモノクローム。現地を再訪して記憶が蘇った部分もあるのだろう、陰鬱な空気が漂う。香月も宮崎も同じく抑留体験の絵はモノクロームに近かったが、この2人が具象に限界を感じ、マチエールを重視した半抽象で表現したのに対し、四國はあくまで愚直なまでの具象で表わそうとした。その点で四國の絵は「記録画」、いや「「記憶画」というべきだろう。

興味深いのは《シベリアに連行される捕虜を写生する私》と題された作品。画面の左4分の3にソ連兵の監視下で連行される日本兵を描き、4分の1に1991年に墓参りに訪れたときの自分たちを描き込んでいるのだ。抑留中の自分を45年後の自分がスケッチしている「異時同図法」。会期後半に出品される《1946年埋葬者を運ぶ私を写生する1993年の私》もタイトルどおり、半世紀近い時差をひとつの画面に収めている。記録画のなかに記録する現在の自分まで記録しているわけで、二重の記録画になっている。

関連レビュー

四國五郎展─シベリアからヒロシマへ─|高嶋慈:artscapeレビュー(2019年07月15日号)

2019/10/25(金)(村田真)

リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展

会期:2019/10/12~2019/12/23

Bunkamuraザ・ミュージアム[東京都]

リヒテンシュタインといえばモナコ、サンマリノなどと並ぶ最小国のひとつだが、こんな名画を秘蔵していたとは知らなかった。と驚いたのは6年前に開かれた「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」展のとき。タイトルはたいして代わり映えしないが、前回がルーベンスをはじめとするバロック絵画に焦点を当てたハイライト展だったとすれば、今回は東洋磁器も多数出ていて、より繊細な工芸的作品が見どころとなっている。ま、小粒になったともいえるが。

繊細といえば、フランツ・クリストフ・ヤネックの《室内コンサート》や、ヨハン・ゲオルク・プラッツァーの《雅な宴》などロココ期の雅宴画が目を引く。これらの繊細で艶やかなマチエールはどこから来るのかと思ったら、銅板に油彩で描いているせいだった。もっと驚くべきは、19世紀のビーダーマイヤー期の細密画。とりわけヴァルトミュラーの《磁器の花瓶の花、燭台、銀器》は、みんな目が釘付けになっていた。素っ気ないタイトルからは想像できないほど細密かつ華麗な描写は、芸術を通り越してもはやキッチュの領域にはみ出している。ちなみに、同作品の制作年はダゲールが写真を発明したのと同じ1839年のことだが、写真がこの作品を超えるクォリティを獲得するには150年を要した。ビーダーマイヤー様式は美術史の主流からは完全に外れているが、もっと光が当たってもいい。

2019/10/11(金)(村田真)

ゴッホ展

会期:2019/10/11~2020/1/13

上野の森美術館[東京都]

生誕何年でも日蘭友好何年でもなく、サブタイトルもないストレートな「ゴッホ展」。ただ「人生を変えたふたつの出会い」というキャッチコピーがあるだけ。「ふたつの出会い」とは、ひとつは、さまざまな職業を転々とした後、画家として再出発して間もないころのハーグ派との出会いであり、もうひとつは、パリに出てからの印象派との出会いだ。同展はこの二つの出会いを軸に、両派の作品も交えて構成されている。ゴッホがいわゆるゴッホらしい絵を描くようになるのは、パリを経て南仏アルルに旅立ってからのことだから、この展覧会はいわゆるゴッホらしさが発揮される以前の初期作品に焦点を当てたものといえる。だから特に前半は、いわゆるゴッホ好きには物足りないかもしれないが、もっと奥を知りたい人には向いているかもしれない。

展示は初期のころのドローイングから始まる。労働者や農民らの貧しい生活を描いた拙い絵は、作者がゴッホでなければとっくに捨てられていただろう。急にうまくなったと思ったら、ヨゼフ・イスラエルスやアントン・マウフェ、アントン・ファン・ラッパルトといった、ゴッホの伝記にも名前が出てくるハーグ派の画家たちだった。パリに出ると色彩は徐々に明るくなっていくが、ここでもモンティセリ、モネ、ゴーガンら影響を受けた画家たちの作品が並んでいる。そして最後のほうはアルル以降のよく知られたゴッホだ。

これまで大がかりな「ゴッホ展」といえば、ゴッホのコレクションで知られるファン・ゴッホ美術館かクレラー・ミュラー美術館からごっそり借りてきたものが多かったが、初期の作品が中心の今回は、ハーグ美術館からの作品が24点、全体の3分の1強を占める。ちなみにファン・ゴッホ美術館からは1点、クレラー・ミュラーからは7点で、いずれも晩年の作品だ。

2019/10/10(木)(村田真)

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