2019年07月15日号
次回8月1日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

クリスチャン・ボルタンスキー ─Lifetime

会期:2019/02/09~2019/05/06

国立国際美術館[大阪府]

「ボルタンスキー展」は東京にも巡回するが、インスタレーションが中心なので会場ごとに作品の様相が変わるし、とくに大阪は力が入っていると聞いたので見に行く。ボルタンスキーといえば、国内では水戸芸術館、越後妻有、瀬戸内、庭園美術館などで発表しているけど、ある程度まとまった回顧展としてはこれが初めて。正直にいうと、ボルタンスキーってどこがいいのかわからない。闇のなかに死んだ子供の写真を並べてランプで照らし出すなんて、いかにも思わせぶりな演出だ。たしかに第2次大戦末期ユダヤ人を父に生まれた彼は、ぼくなんかには想像もつかないような体験を見聞きしてきたはずだが、それをこんなにわかりやすくストレートに出してしまっていいの?
 って思ってしまう。こけおどしに感じられるのだ。とブツクサ言いつつ見てみたら、なかなかどうして、悪くないんですねこれが。そう思えるのは、一つひとつの作品が独立していながら全体としてもつながっていて、ひとつの大きなインスタレーションとしても見ることができるからだろう。1点1点の細かい意味などどうでもよくなって、まるでお化け屋敷でも巡るかのようなスリリングな体験が味わえるのだ。ボルタンスキーの作品にもっともらしい解釈を加えたり、意味を読み取ろうとしないほうがいい。


クリスチャン・ボルタンスキー《モニュメント》1986 作家蔵
[© Christian Boltanski / ADAGP, Paris, 2019 撮影:福永一夫]


2019/03/15(金)(村田真)

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フェルメール展

会期:2019/02/16~2019/05/12

大阪市立美術館[大阪府]

「フェルメール展」は東京のプレス内覧会でも見たが、作品が何点か入れ替わったので様子を見に行く。《牛乳を注ぐ女》はオランダに帰ってしまったが、ドレスデンから《取り持ち女》が来ているので楽しみ。東京では大混雑が予想されたため予約制だったが、大阪は予約なしで見られるので気楽だ。でも多少は混んでるだろう、20-30分は並ぶかなと覚悟していたら、ぜんぜん並ばずに入れた。大阪人はフェルメールに興味ないんかい!?
展示構成は、まず左側のギャラリー4室で17世紀オランダの肖像画、物語画、風景画、静物画を見てから、右側のギャラリー1室で風俗画を鑑賞。残る3室でフェルメール6点だから余裕の配置だ。と思ったら、メツーの《手紙を読む女》と《手紙を書く男》の対作品がフェルメール部屋にあった。フェルメールとの表現の差異を際立たせるにはいいアイディアだと思ったが、おそらくフェルメール部屋がスカスカに空きすぎたんで持ってきたに違いない。

東京展の内覧会のときになかったのは《取り持ち女》と《恋文》の2点。後者は何度か日本に来ているが、《取り持ち女》は日本初公開という。ぼくはドイツが統一してまもない91年にドレスデンまで見に行ったので(ドレスデン国立古典絵画館にはもう1点《窓辺で手紙を読む女》がある)、28年ぶり2度目の対面。この作品は宗教画から風俗画に移行する初期の作品と見られ、サイズも大きいが、昔見たときより色がずいぶん鮮烈に感じられたのは気のせいだろうか、あるいは統一後、作品の洗浄が行なわれたのかもしれない。と思ってカタログを見直したら、果たして2002-04年に修復が行なわれたという。フェルメール作品は青以外、色彩についてはあまり語られないけど、こんなに鮮やかな色づかいをしていたとは驚き。

2019/03/15(金)(村田真)

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Oh! マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー

会期:2019/01/12~2019/03/17

兵庫県立美術館[兵庫県]

関西へ。まずは神戸の兵庫県美でやってる「Oh! マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー」へ。一見おチャラけたお祭り騒ぎのタイトルなので、てっきりウルトラマンとかアンパンマンが並ぶサブカル系の資料展かと思ったら、そんなお子さま向けではなく(サブカルもあるけど)、むしろ戦後の日本で美術がいかに政治や社会と向き合ったかを問うきわめてマジメな、そしてずいぶん踏み込んだ展覧会だった。タイトルの「Oh! マツリ☆ゴト」には「お祭り」と「政(まつりごと)」が重ねられ、その主役であるヒーローとピーポー(ピープル)が時代によりいかに描かれたかが概観されている。

展示は「集団行為」「奇妙な姿」「特別な場所」「戦争」「日常生活」の5章に分かれ、その合間に月光仮面、ゴジラ、ウルトラマンというトピックスと、会田誠、石川竜一、しりあがり寿、柳瀬安里による同展のための新作が挟まれる構成で、とくに時代順に並んでいるわけではない。最初の章で印象的だったのは、戦前の阿部合成による《見送る人々》と、戦後の内田巌による《歌声よ起これ(文化を守る人々)》だ。同展にはこうした群像表現がたくさん登場するが、この2点は、前者の人々が左を向き日の丸を振って熱狂しているのに対し、後者の人々は右向きで赤旗を立てて静かに見上げるという対照的な構図。この2点に描かれたピーポーは一見正反対だが、同じ日本人の10年後なのだ。画面の隅に1人だけ正面(こちら)を向いて覚めた人がいるのが救いというか、不気味というか。

戦争画も出ている。藤田嗣治の《十二月八日の真珠湾》、鶴田吾郎の《神兵 パレンバンに降下す》、川端龍子の《越後(山本五十六元帥)》、蕗谷虹児の《天兵神助》などで、記録画、肖像画、神話画とバラエティに富み、戦争画もひとつでないことがわかる。戦争関連でいうと、会田誠の新作《MONUMENT FOR NOTHING V 〜にほんのまつり〜》は圧巻だった。ねぶた祭で使われるハリボテの手法で、巨大な戦没兵士の亡霊が国会議事堂らしき墓碑(?)に触れているシーンを表わしたもので、これがいちばん「Oh! マツリ☆ゴト」というタイトルの両義性と矛盾を表現しているように思えた。

ところで、タイトルは「昭和・平成のヒーロー&ピーポー」と続くが、この昭和+平成のおよそ90年間のうち後半の作品が少なく、とくに1970-80年代(昭和でいうと最後の約20年間)がすっぽり抜け落ちていることに気づく。これは図式的にいえば、70年の安保闘争の敗北以来アートがモダニズムの終焉とポストモダニズムの台頭に振り回され、政治や社会から離れてしまったせいだろう。この間、東西冷戦下でつかの間の平和が保たれていたものの、それがアメリカの巨大な核の傘の下であったことを忘れていた、いや忘れようとしていたわけで、その事実を否応なく突きつけたのが1989-90年の昭和の終わりであり、ベルリンの壁の崩壊であり、冷戦構造の終焉にほかならない。その後90年代以降に登場する柳幸典や会田誠やChim↑Pomらが同展に選ばれているのは、いずれも政治や社会に再び回帰しているからだ。

2019/03/15(金)(村田真)

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VOCA展2019 現代美術の展望─新しい平面の作家たち

会期:2019/03/14~2019/03/30

上野の森美術館[東京都]

今年のVOCA賞は、金属板にグラフィティしたり、その表面を研磨して立体的なイリュージョンを醸し出す東城信之介の《アテネ・長野・東京ノ壁ニアルデアロウ摸写》。金属板の表面を研磨した作品はもう1点あって、三家俊彦の《Dream#4》がそれだが、比べてみると東城のほうが重層的で「絵」になっていることがわかる。VOCA佳作賞の遠藤薫は、ベトナムで雑巾を買って市場で古雑巾と交換し、その古雑巾を縫い合わせてつくった大きな平面を出品。そういう手続きを経ているので「ただの雑巾」でないのは確かだが、それでも少しずつ権威を帯びてきた感のある「VOCA展」のホコリを払拭するくらいの機能はあるだろう。

VOCA展の出品規定は250×400センチ以内の大きさで、奥行き20センチ、重さ80キロ以内の「平面」またはそれに準ずるものであれば原則的に受け入れる。そこに挑戦してくる作品も見どころのひとつだ。関川航平は壁に棚をつくってカラフルな積み木を積み上げ、9本の小さな塔を建てた。これは立体またはインスタレーションだが、巧妙にも積み木の表面に詩のような文字を彫っているため正面性があり、平面に準ずる作品と解釈できる。すぐ倒壊しそうな危うさも魅力だ。2階の奥に進むと、仮設壁を立てて入りにくくしているエリアがあって、その奥に1点だけ絵が飾られている。ずいぶん特別待遇だなと思って見ると、笹山直規の《Lines of Death》という死体を描いた絵だった。作品の物理的条件ではなく、死体とか猥褻とか政治的または宗教的な理由ではねられてきた作品はこれまでにもあったかもしれないが、こうした際どい作品はますます増えていくような気がする。

2019/03/13(水)(村田真)

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ラファエル前派の軌跡展

会期:2019/03/14~2019/06/09

三菱一号館美術館[東京都]

ラファエル前派の展覧会だが、冒頭はターナーとジョン・ラスキンの素描が何十点も続く。同展はラスキンの生誕100年を記念する展覧会だから仕方がない。いささか退屈だが、この理論家の素描がこれだけたくさん見られるのは貴重だ。続いて、ラスキンの思想に共鳴し、ラファエル以前の自然に忠実な時代に戻ろうという画家たちの集まり、ラファエル前派の登場となる。

でも自然に忠実にといいながら、同時代のフランスのレアリスムと違って、中世の伝説などをモチーフに甘美で不自然な絵を描いていたように見える。出品作品には水彩画も多いが、水彩と油彩の違いもあまり感じられず(つまり油絵らしさに乏しい)、どっちかというと絵画芸術というより「イラスト」に近い。ロセッティの女性肖像画など夢見る少女イラストだ。それだけに大衆受けはするだろうが、モダンアートの流れに逆行するため美術史の傍流に位置づけられていたのだ。まあ主流よりも傍流のほうがおもしろいという見方もあって、ラファエル前派が受ける理由は案外そんなところにあるのかもしれない。たとえばアーサー・ヒューズの《ブラッケン・ディーンのクリスマス・キャロル―ジェイムズ・サリート家》や、ウィリアム・ダイスの《初めて彩色を試みる少年ティツィアーノ》などは、一種のキッチュとして楽しむことができる。

2019/03/11(月)(村田真)

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