2022年05月15日号
次回6月1日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

松江泰治 マキエタCC

会期:2021/11/9~2022/1/23

東京都写真美術館[東京都]

松江泰治といえば俯瞰した風景写真を撮る人、くらいしか知らなかった。でもその写真は、被写体が自然だろうが都市だろうが影が少なく乾いていて、ひと目で松江が撮った写真だとわかった。ま、その程度の認識しかなかった。今回の展覧会はここ10年あまりの都市の写真ばかりを集めたもの。松江の作品をまとめて見たいという思いもあったが、なにより地図や俯瞰写真を眺めるのが好きなので見に行ったというのが正直なところ。なんだろうね、俯瞰するのが好きという性癖は。朝トイレに入るときは必ず備え付けの地図帳を開くし、飛行機に乗っても窓側で晴れていればずーっと外を眺めている。それは大げさにいえば「神の視点」を得られるからではないか、と思ったこともある。

で、展覧会。出品作品には都市の俯瞰写真ばかりだが、「ATH」とか「UIO」とか「JDH」といったアルファベットに数字を併記したタイトルしか記載されていないので、それがどこの都市なのかわからない。でも建物の様式や色合い、密度などでだいたいヨーロッパか中東か東アジアかくらいは見当がつく。そうやって楽しんでいると、あれ? なんかおかしいぞ、これ実景じゃないじゃん、と気がつく。実景と、都市の模型の2つのシリーズが混在しているのだ。あらためて解説を読むと、タイトルの「マキエタCC」の「CC」はシティ・コード、つまり「ATH」とか「UIO」などの都市の略号で実景の写真、「マキエタ」はマケットのポーランド語、つまり都市の模型を撮った写真のことなのだ。いやーまんまと騙されるところだった、てか、そのくらい予習してから行けよ。まーとにかく、どちらも同じ手法で撮影されているので最初は気づかなかったが、数えてみると「CC」より「マキエタ」のほうが多いではないか。

松江の風景写真に共通しているのは、よく晴れていること、画面に地平線や水平線が入っていないこと、場所が特定できる建造物は避けること、高所から斜めに俯瞰していること、画面全体にピントを合わせていること、順光で撮影していること、などだ。そのため影がほとんどできず、遠近感もあまりなく、匿名性が強く、平面的に感じられる。絵でいえば、奇妙なことに、風景画よりむしろオールオーバーな抽象画に近い。現代美術として評価されるゆえんだろう。「マキエタ」のほうもほぼ同じ条件で撮っているらしく、タイトルも「CC」に準じているので紛らわしいことこのうえない。とりわけ紛らわしいのが最後の展示室にあった「TYO」の4点。何度見ても模型とは信じられないくらい精巧につくられた「マキエタ」なのだ。

もうひとつ特筆すべきは、4つの展示室のそれぞれ中央に水平に置かれた作品。最初の1点は博物館の内部を俯瞰した写真で、ほかの風景とは趣を異にするが、よく見ると小さく写っている人物が動いており、映像であることがわかる。次の1点は逆に群衆が騒がしく動き回る青果市場、残りの2点は「CC」と同じ都市風景で、粒のような人や車が動いている。視点が固定されているので、誰かが言ったように「動く写真」というほかない。これを見ると、建築や都市は写真でも映像でも静止しているので同じだが、人や車はその隙間を血液のように絶えず動き回っていることが改めてわかる。もし静止し続けている人がいれば死人だろう。また、もしこれを1万倍速で撮れば、もはや人や車は消え、今度は建築や都市が生き物のようにニョキニョキとうごめくのが見て取れるはず。これは時間的な「神の視点」といえるかもしれない。さまざまに妄想が膨らむ写真展である。

2021/11/26(金)(村田真)

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日野之彦「窓辺」

会期:2021/10/15~2021/11/20

SNOW Contemporary[東京都]

タイトルどおり窓辺にたたずむ少女像を含む絵画4点に、小品やドローイングを加えた展示。最初の1点は、窓をバックにした少女の胸から上の像で、日野独特の大きく見開いた目が特徴だが、今回はその背後に描かれた窓の外の鮮やかな緑の風景にも焦点が合っている。また、窓の縁の垂直線を画面の左右端に入れることで、窓ガラスを挟んで屋内の少女と外の風景が別の世界であることを示すと同時に、矩形の絵画形式を強調してもいる。もう1点は窓辺に寄りかかり、片手を窓ガラスに触れた同じ少女の全身像。こちらは窓枠と床の線で縦長の画面が4分割され、そこに少女の長い手足が左上から右下へと斜めに横切る構図だ。目を引くのは窓の描写で、表面に手や雑巾の拭き跡が残っていて、その曇りガラス越しに外の風景がうっすらのぞいていること。それだけでなく、モデルの腕の反射まで描き込んでいる。

あとの2点は小太りの男性を描いたもので、「窓辺」とは関係なさそうに見える。1点は太鼓腹もあらわに上半身裸で横たわったもので、見開いた目が気持ち悪いが、対象に文字どおり肉薄していて、色彩や筆づかいはルシアン・フロイドを思わせる。最後の1点はおそらく同一人物の顔を描いたもの。こちらは眼鏡をかけているが、じつはその眼鏡に窓が反射し、さらに窓の外の風景まで描いているのが見て取れる。なるほど、彼も窓辺にいるのだ。その眼鏡の反射の奥には大きな目も描かれ、その瞳にはどうやらこちら側が映っている。つまり、眼鏡に反射して窓が見え、その窓を通して外の風景が見える一方で、眼鏡を通して目が見え、その目に反射してこちら側が見えているということになる。眼鏡のガラス面という小さなスペース内に、イメージの反射と透過が幾層にも織り重ねられているのだ。言葉でいうのもわずらわしいが、それを絵に描くとなるとさらに困難な作業だったに違いない。

2021/11/19(金)(村田真)

第15回shiseido art egg 菅実花展「仮想の嘘か|かそうのうそか」

会期:2021/10/19~2021/11/14

資生堂ギャラリー[東京都]

新進アーティストを支援するプログラム「shiseido art egg」のひとつ。菅実花は写真や人形、鏡など広い意味での複製メディアを使って「人間とはなにか」を追求するアーティスト。とりわけラブドールの最新技術を用いた本人そっくりの人形とのセッションが知られている。今回も、人形とともに自撮りしたセルフポートレイトをはじめ、スタジオの再現、映像、フレネルレンズによるインスタレーションなどを展示。

とりわけ興味深いのが、本人と人形を一緒に撮ったセルフポートレイトのシリーズだ。菅自身が人形を描いているところを撮った写真や、菅が人形の写真を撮るところを撮影した写真もある。もともとこの人形は彼女の頭部を型取りしたものだから、それ自体が菅のセルフポートレイト(自刻像)といえるかもしれない。だとしたら、それを絵に描いたり写真に撮ったりしたものもセルフポートレイトといえるだろうか? なんとなく違うような気がするが、でも自画像を制作するときに鏡ではなく自撮り写真を見て描く人もいるから、自刻像を描いてもセルフポートレイトになるはず。さらにこれらの作品はそうした場面を撮った写真なので、「彼女たち」のセルフポートレイトであると同時に、セルフポートレイトのセルフポートレートでもあるだろう。しかも写真の背景には鏡が配置され、セルフポートレイトを増殖させている……あーややこしい! まるで「セルフポートレイトの国のアリス」ではないか。

2021/11/11(木)(村田真)

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平川恒太 「Talk to the silence」

会期:2021/10/02~2021/12/19

カスヤの森現代美術館[神奈川県]

久しぶりに訪れた横須賀のカスヤの森現代美術館。今回は、一貫したテーマの下に多様な作品展開を見せる平川恒太の個展だ。瀟洒な尖塔を持つ教会風の建物に入ると、右手にこれも教会風の木の長椅子が置かれ、その上に黒く塗られた赤いバラ(造花)がシリンダーに挿してあり、脇に聖書が置かれている。赤いバラは同館がコレクションするヨーゼフ・ボイスのアトリビュート(持物)ともいうべきもので、平川のボイスに対する敬意を表わしているようだ。 入り口の正面には《Sarcophagus-トリニティ、トリニティ、トリニティ(ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ)》と題された3つの石の箱が並んでいる。「sarcophagus」は石棺を意味し、「トリニティ」は三位一体を指すと同時に「トリニティ実験」といえば史上初の核実験のことで、核の時代の幕開けを表わす。これら3つの石棺は、向かって左から広島の議院石(国会議事堂の外壁に使われた)、長崎の諫早石、福島の三板石でつくられ、蓋の部分に「Reflection」「Action」「Faith」の言葉と▷△◁の記号が彫られている。これらは過去、現在、未来を表わしているそうだ。


展示風景[筆者撮影]


こうした被爆や戦争をテーマにした作品が展示の中心となっている。《Trinitite-サイパン島同胞臣節を全うす》は、藤田嗣治が戦争末期に描いた最後の戦争画を黒一色で再現した大作で、近寄って凝視しないとなにが描かれているのかわからない。この作品は2013年の制作だが、同じ黒い絵画シリーズの新作として《Trinitite-悲しみの聖母》《Trinitite-三位一体の人形》があり、この2作は広島と長崎の被爆を扱っている。ちなみに「trinitite(トリニタイト)」とは、トリニティ実験の際に高温で溶けて固まった人工鉱物のこと。

今回はトリニティに因んだのか3点セットが多く、「何光年も旅した星々の光は私たちの記憶を繋ぎ星座を描く」シリーズも、「夏の大三角形」「こいぬ座」「や座」の3点からなる。これらはいずれも天井から吊るしたモビール状の作品で、重りにした従軍勲章を星座に見立てたもの。敵を倒せば倒すほどたくさんの勲章がもらえるのなら、これらの勲章は倒されて星になった兵士たちを表わしていることになる。「死んだら星になる」のではなく、「殺したら星=勲章がもらえる」のだ。こうした勲章はいまではネットで安く手に入るというから、なにをかいわんや。その領収書を添付した星座のドローイングも出品されている。

《PRISMEN-約束と祈りの虹(広島)》は、バーコードみたいなモノクロームの斜線が走る正方形の絵画。一見、名和晃平の作品と間違えそうだが、おそらく「黒い雨」を暗示しているのだろう。しかしそれで終わりではない。画材に光学実験用ガラスビーズを用いているため、見る位置によって画面の下方にうっすらと虹が浮かび上がるのだ。なるほど、黒い雨に虹をかけるとは。ことほどさように、平川の作品は解説を聞き、意味を考えながら見ればいちいち納得するものの、言葉なしで見ると近ごろ珍しいほど無愛想な作品ばかりで、取りつく島もない。その落差もまた魅力だといっておこう。

2021/11/07(日)(村田真)

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関口敦仁展 手がとどくけど さわれない

会期:2021/10/16~2021/11/23

O美術館[東京都]

O美術館へは、たぶん4半世紀ぶりぐらいの訪問となる。学芸員の天野一夫さんがいた90年代前半まではよく通っていたが、行かなくなった理由はただひとつ、おもしろい企画展をやらなくなったからだ。最近はせいぜい品川区にゆかりの作家を企画展として取り上げるくらいで、あとは貸し会場化していたらしい。そんな「美術館」で関口敦仁の個展が開かれるというから唐突に感じたが、なんのことはない、関口は品川区大井の出身、地元ゆかりの作家なのだ。

関口敦仁といえば、80年代のアートシーンを牽引した作家のひとり。「ニューウェイブ」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは関口の名前と作品だ。もの派やミニマルアートを引きずったような70年代の禁欲的な表現(非表現といってもいい)を払い除けるように、既視感のない流動的なイメージを奔放な色彩と構成で表現してみせ、新しい時代の到来を予感させたものだ。しかし1990年前後からメディアアートに軸足を移し、またパリに長期滞在した後、岐阜のIAMAS(情報科学芸術アカデミー)の教授に就任してからは、少なくともぼくの視界から消えてしまった。同展には1979年の《水中花1》《水中花2》から新作まで、約60点の作品が時代順に並んでいるが、ぼくになじみがあるのは前半を占める80年代の絵画、レリーフ、半立体状の作品たちだ。

最初の《水中花》の連作は学部生のころの作品で、波紋のような青と白の円弧が画面を埋め尽くし、画面の左右には垂直線、上方には2本の斜線が入ってている。円弧はフリーハンドで奔放に絵具を滴らせ、左右の垂直線はそれを制御するような役割を果たす一方で、上方の斜線と相まってどこか日本の伝統絵画を想起させもする。当時の絵画に対する関心ごとを見事に反映させた作品といえる。1981年の《自画像》でセザンヌ風のモチーフとシェイプトキャンバスが現われ、《食卓の夢》や《水の中から》では、金属や樹脂など異素材を組み合わせたレリーフ状の作品に発展していく。

しかし1990年前後からCGプリントや映像インスタレーションなどメディアアートに移行し、作品自体も少なくなっていく。作品リストで数えてみたら、80年代までが26点、90年代が16点、2000年代が7点、10年代以降が18点と、徐々に減りつつ近年再び増加に転じているのがわかる。もっともこれは出品点数であって制作点数ではないが、おおむね作品量を反映していると見ていい。

ところで、1990年前後に作品形態は大きく変わったと書いたが、コンセプトはほとんど変わっていないようだ。それはなにかというと、関口の場合とても難しいのだが、カタログの言葉を援用すれば、「自身の存在自体に目を向けようかと思ったり、創造衝動と存在の確認を重ねてみたりと、極めて内向きな視線を外の世界に接続させよう」とすることだろう。それがタイトルの「手がとどくけど さわれない」感覚につながるのではないか。

もうひとつ変わっていないものがある。それはコンセプトにも関係するかもしれないが、「円」への偏愛だ。もちろんお金じゃなくて丸のほう。最初期の《水中花》の連作では円弧の連なりとして現われ、《自画像》《ピークトルク》では赤いリンゴとして描かれ、その後も《みぬま》《食卓の夢》《ガラス球》など大半の作品に円が登場する。メディアを変えてからも、「笑いの回転体」シリーズは円形をしているし、《地球の作り方 赤道》は赤道という円環だし、《景観新幹線》は円環状のレールの上を模型の鉄道が走り、《知覚の3原色123》は3色の円形だけで成り立っている。最後の《赤で円を描く》はタイトルどおり、画面を赤い円で埋め尽くした絵画だ。そしてこの作品が、会場を一周して最初の《水中花》の連作に向かい合うように展示されているのは偶然ではないだろう。彼自身の制作もぐるっと回って円環状につながっているに違いない。

2021/11/06(土)(村田真)

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