2020年07月01日号
次回7月15日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

坂田一男 捲土重来

会期:2019/12/7~2020/01/26

東京ステーションギャラリー[東京都]

坂田一男というと、たしか日本のキュビスムの第一人者で、作品もその文脈で何点か見たことがあるだけだった。そんな画家の回顧展なのでスルーしかけたが、監修に岡﨑乾二郎の名前があるので見に行くことにした。たぶんそういう人は多いと思う。はっきり言って坂田一男の名前だけじゃ入らないでしょ。そして展覧会も坂田の作品を見るというより、岡﨑の解説を読みに行ったようなもんだった。

坂田一男は1921年に渡仏。レジェに師事し、オザンファンらキュビスム周辺の画家たちと交流し、1933年に帰国。以後、第2次大戦を挟んで、地元岡山でキュビスムを発展させた抽象絵画を追求し続けた。作品を見る限り、レジェやコルビュジエらの影響に始まり、抽象的な画面構成のなかに壷や鯉のぼり、シリンダーみたいなものを描いたりしているのが目を引くが、特に色彩が美しいわけでもないし、仕上げも粗く、けっしておもしろいものではない。だが、岡﨑に言わせれば、坂田は帰国後もブレることなくキュビスム以降の西洋絵画の核心に迫ることができた、日本では例外的存在ということになる。

例えば、師匠のレジェが対象を図として描き、背景を余白として残したのに対し、坂田は地(背景)も図(対象)も等価に描こうとしたとか。あるいは、画面に好んで描いた壷や鯉のぼりやシリンダーは、内部に別の空間を宿しており、それを描くことによって画面を重層化し、絵画に厚みをもたせることができたとか。さらには、洪水により作品の一部がダメージを受けたとき、絵具の剥落やその修復も創作行為に採り込んで、絵画における時間性を攪乱しようとしたとか……。なるほど、そういわれれば納得するし、大いに共感もするのだが、しかしそういわれて作品を見直したところで、多少よく見えるようになったとしても、やっぱり感激するほどの絵ではないよなあ。

タイトルの「捲土重来」とは、忘れられた画家の作品を読み直して再評価するといった意味だろうが、果たして坂田が生きていたら、岡﨑の解説をどのように読んだだろう。よくぞ読み解いてくれたと感激するか、誰の絵の話? と訝しむか。余談だが、友人の画家は展覧会を見て、自分の作品も50年後、100年後に新たな視点で再評価してくれる人がいるだろうか、いや、いることを信じて描いている。なぜなら絵画は時空を超えた人たちと対話できるメディアだから、と述べていた。岡﨑は迷える画家に希望をもたらす伝道師かもしれない。

2020/01/05(日)(村田真)

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心ある機械たち again

会期:2019/12/28~2020/02/02

BankART Station+BankART SILK[神奈川県]

2008年に開かれた「心ある機械たち」の続編。機械といってもハイスペックなITやAIとは無縁の、どちらかといえばローテクで、思わず笑ってしまうユーモラスな動きを見せ、突拍子もない音を奏でる、なんの役にも立たない愛すべき機械たちだ。

役に立たない機械といえば、やっぱり牛島達治だ。今回も役立たずの意味不明な作品をいくつか出している。《まっすぐなキュウリたちの午後(競争)》というタイトルからして意味不明の作品は、細長いサーキット上をモニター搭載の2台の貨車が追いかけっこをする装置。なにが目的なのかさっぱりわからないが、そのモニターに映し出されるのは、隣にある《まっすぐなキュウリたちの午後(砂の街)》という対作品に仕掛けたカメラの映像だ。こちらの作品は、西洋風の街のミニチュアを回転させ、その上からレール上を往復する貨車が砂をかけるという、これまたワケのわからない機械。考えるだけ無駄なようだ。

西原尚もレールを敷いて2台の車を往復させる《まじめなキカイ》を出している。こちらは太鼓代わりのドラム缶とノイズを発するスピーカを載せて、調子はずれのアジテーションを奏でながらゆっくり進む。レトロな味わいのあるポンコツ機械だ。武藤勇の《不測の事態》は、台座の上に小さなベルトコンベアを載せた作品で、ボタンを押すと作動する仕掛け。手前には壷や皿やハニワなどが台座の上に置かれ、床には陶器の破片が散らばっているので、誰かが陶器を載せてボタンを押したに違いない。

器といえば、今村源の《まわってアルコト・ウツワ》は、パッと見お椀が置いてあるだけ。でもよく見ると高速回転していることに気づく、後日もういちど見に行ったらお椀がブレて、回転しているのがバレバレだった。機械はメンテナンスが必要だから大変だ。回転といえば、タムラサトルも《回転する3頭のシカ(前)》と《回転する3頭のシカ(後)》を出品。シカの上半身3頭分と下半身3頭分を型どって青く塗り、それぞれ放射状につなげて回転させるのだが、なぜシカが3頭なのか、なぜ前後で分かれているのか、ナゾだ。例えば、上半身が馬で下半身が鹿なら「3馬鹿大将」でわかりやすいが、アーティストはそんな安易な発想はしない。

もう1人、回すのが好きなのが片岡純也だ。カフェのカウンターに置かれた《Coffee cup》は、一見ただのコーヒーカップだが、中をのぞくと、なんとコーヒーが渦を巻いているではないか! カウンターの下から機械で回しているのだが、思わずミルクを注ぎたくなる。《ソファーの足を回る電球》は、文字どおりソファの脚の周囲を電球がクルクル回転しているし、《回る時計・進まない秒針》は、掛け時計の秒針だけ天を指したまま止まり、時計本体を回転させている。時計・秒針といえば、三浦かおりの《秒の音》は、秒針だけの時計を60個ずらりと並べたもの。針の先に小さな鈴をつけているのでシャラシャラかまびすしい。このように同展は、作者を超えて作品同士が共鳴し合っているのが特徴だ。

三浦はほかにも、本を細かく刻んで箱に入れ、文字(の書かれた紙片)を撹拌する二つの作品、《うごめく》と《機微―百科事典13巻/subtleties-encyclopedia vol.13》を出品。たしか、夜中に本の文字が混ざり合い、意味を失ってしまうんじゃないかと心配した文学者がいたが、この作品は文字を分子に見立ててシャッフルし、意味のない混沌スープに仕立て上げた優れものだ。

2019/12/27(金)(村田真)

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青木野枝 霧と鉄と山と

会期:2019/12/14~2020/03/01

府中市美術館[東京都]

青木はこれまで美術館で何度も個展を開いてきたが、これは並大抵のことではない。なんてったって美術館は広いから、展示室を埋めるだけの作品がなければいけない(もちろんそれ以前に、質の高い作品をつくって美術館に認めてもらわなければならない)。特に青木は鉄の彫刻で、しかも場所に応じてサイズも形態も変えるから、搬入・設置・撤去も大変な作業になる。ほんと、彫刻家はつらいよ。

でも今回の個展を見て、なるほどと思った。彫刻は全部で17点ほどあるが、インスタレーションとして見れば8点と数えることもできる。特に三つある企画展示室には各1点ずつ。たった1点でも「もつ」のは、作品自体がデカイこともあるが、なにより空間全体をひとつのインスタレーションとして成立させているからだ。まず展示室1では、溶断した鉄の環を二つ組み合わせ、一部にガラスをはめ込んだユニットを数百個つなぎ合わせて、直径7、8メートルほどの巨大ドームをつくる。大きすぎて搬入できないので、その場で組み立てたはず。これが彫刻作品《霧と鉄と山―I》だが、それだけでなく、周囲のガラスの陳列ケースに波形の板を掛け軸のように掛け、全体でひとつのインスタレーションとしているのだ。

展示室2には、石膏によるやはりドーム型をした《曇天I》《曇天2》の2点が置かれている。彫刻としては2点だが、この部屋も周囲をガラスの陳列ケースが囲んでおり、ひとつのインスタレーションとして捉えることができる。展示室3も同じく空のガラスケースに囲まれ、1にあった鉄の環のドームを少し扁平にして耳を生やしたような、どことなくユーモラスな形の《霧と鉄と山―II》が鎮座する。これでインスタレーションとしては3点。数は少ないが見応えはある。

ほかにも企画展示室の前室とロビーに、デビュー当時の作品や使い古しの石鹸を積み重ねた新作を展示している。驚くのは、版画やドローイングも含めて大半が2019年の制作であること。青木は制作時間の9割方を鉄板の溶断に割くとどこかで述べていたが、アトリエではひたすら溶断し、部分的に溶接もするが、作品の全体像が姿を現わすのは展示場所においてだという。美術館を新作で埋めることができるのも、こうしたユニークな制作方法を確立しているからだろう。

2019/12/20(金)(村田真)

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増山士郎展覧会「毛を刈ったフタコブラクダのために、そのラクダの毛で鞍を作る」

会期:2019/11/02~2019/12/01

Bギャラリー[東京都]

増山は10年ほど前から北アイルランドを拠点に活動するアーティスト。アイルランドには羊が多いが、かつては羊毛を採るために飼われていた羊も、現在では需要が減って食肉用になっているという。そこで増山は、捨てられてしまう羊毛を刈って昔ながらの技法でセーターを編み、それを裸の羊に着せるというプロジェクトを行なった。刈り取られた毛で編んだセーターを着せられて、羊は喜んだだろうか(たぶん迷惑だったに違いない)。展覧会には刈られる前、刈られた後、そしてセーターを着せられた羊の3点の写真が並んでいる。

次に増山は、羊に似たアルパカのいる南米ペルーに飛ぶ。アルパカが羊と違うのは首が長いこと。そこで増山はアルパカの首周りの毛を刈り、マフラーを編んで首に巻きつけた。これも3点セットの写真で見られる。最後に白羽の矢を立てたのが、タイトルにあるラクダ。ラクダといえば中東のヒトコブラクダが有名だが、ヒトコブは毛が短いので、ロン毛のフタコブを求めてモンゴルへ。ラクダは羊やアルパカとは違って乗り物として機能するので、刈った毛で鞍を制作。増山は実際にその鞍に乗って旅をした。写真の3点セットに加え、旅する映像、実物の鞍も出品し、これが展示のメインとなる。

アイルランドでは廃れてしまった毛織りの技法を復活させ、ペルーでは文明社会から切り離された高地で住人の協力をあおぎ、モンゴルでは遊牧生活をともにしながら自然と一体化できたという。未知の社会に入り込んで住人と協働するアート・プロジェクトでもあるが、やってることは自給自足というか、地産地消というか、一期一会というか、笑止千万というか……。意味を見出そうと思えばいくらでも見出せるが、ここはやはり笑い飛ばすのが礼儀かと。

2019/12/01(日)(村田真)

チェ・ジョンファ個展 花ひらく森

会期:2019/11/15~2020/02/24

GYRE GALLERY[東京都]

チェ・ジョンファといえば、チープなプラスチック製品をブランクーシよろしく垂直に積み上げたり、蛍光カラーのハリボテの花や動物を街角に設置したり、日本でも作品をしばしば見かける韓国のアーティスト。今年の六本木アートナイトではメインアーティストとして、六本木の夜を極彩色に彩ってくれたのが記憶に新しい。

チープな素材とポップな色彩がトレードマークだが、今回はそんな予想を覆す意外な素材も使っている。たとえば、工芸品と見まがう年代物の洗濯板、角の丸くなった発泡スチロールの浮子、さまざまな色とかたちのボルト、使い古した鍋・やかん、工事で使用済みの鉄筋など、およそチープ、ポップからほど遠い質実剛健な素材ばかり……と書いて、いま気がついた。これらは年季が入って民芸化しているように見えるけど、本を正せばチープでポップなものばかりじゃないか。彼はなんでもいいからたくさん集めているわけではなく、素材を周到に選りすぐっているのだ。ぱっと見変わったように見えるけど、そして古いものに目を向けた点で作家として老成したように装いつつ、実はなにも変わってないよと舌を出しているのかもしれない。

2019/11/30(土)(村田真)

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