2024年02月15日号
次回3月1日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

小磯良平生誕120年 働く人びと:働くってなんだ? 日本戦後/現代の人間主義(ヒューマニズム)

会期:2023/10/07~2023/12/17

神戸市立小磯記念美術館[兵庫県]

初訪問の小磯記念美術館は、昭和を代表する洋画家のひとりである小磯良平(1903-1988)の画業を記念して、六甲アイランドに建てられた美術館。神戸市にあったアトリエを移築・復元し、その周囲を3つの展示室と付帯施設が囲むという、個人美術館としては異例の大きさだ。その小磯の生誕120年を記念して開かれているのが「働く人びと」。小磯は1953年、神戸銀行の壁を飾るために幅4メートルを超す大作《働く人びと》を制作した。以後《麦刈り》(1954)、《働く人と家族》(1955)、《働く人》(1959)など多くの労働者の姿を描いてきた。今回は小磯の働く人をモチーフにした作品を中心に、主に1950年代の小磯以外の画家による労働をテーマにした作品も含めて展示している。

敗戦直後は田中忠雄《鉄》(1948)や大森啓助《新生平和国家(群像)》(1948)など、戦前のプロレタリア美術を受け継ぐような作品が見られるが、やがて内田巌《歌声よ起これ(文化を守る人々)》(1948)や新海覚雄《構内デモ》(1955)のような労働争議や、桂川寛《小河内村》(1952)や中村宏《砂川五番》(1955)のような反対闘争を描いたルポルタージュ絵画が登場する。そんななか現われたのが小磯の《働く人びと》だ。

この横長の大作は左から農業、漁業、建設業という3つの場面に分かれ、それぞれに労働者と子育てする母子を描いたもの。ほかの画家による労働者の絵と比べて際立つのは、見惚れるほどの線描の的確さであり、ルネサンス絵画を思わせる均衡のとれた構成だろう。一言でいえば「古典的」。こうした傾向は同作に限らず小磯芸術の特質であり、極端にいってしまえば労働者への共感とか母子の愛情なんてことはどうでもよく、なにを題材にしようがひたすら絵画としての完成度だけを目指したんじゃないかとさえ思えてくる。戦争画だろうが、労働者だろうが、皇室からの依頼だろうが、なんでも引き受け、見事に描き上げてしまったのではないだろうか。

この卓越した技巧は首席で卒業した東京美術学校で培ったものだが、同級生だった猪熊弦一郎や岡田謙三らがスタイルをどんどん発展させて抽象に至ったのに対し、優等生の小磯は時代が移ろうが社会が変わろうが、終始この卓越技巧を捨てることなく保持し続けた。逆にいえば、技巧に縛られて抜け出せなかったのかもしれない。

東京美術学校=東京藝術大学はたまにこういう「天才」を輩出する。同展の最後のほうに唐突に登場する会田誠がそうだ。会田はここに、何千何万というサラリーマンの屍が山積みになった《灰色の山》(2009-2011)を出品しているが、「働く人びと」のテーマにこの作品を選んだ学芸員もなかなか趣味がいい。この群像表現というにはあんまりな死屍累々風景を描けるのは、現代では会田をおいてほかにいるまい。いや描ける描けない以前に、こんなバチ当たりな発想をするやつは会田以外にいないだろう。小磯と会田の違いは、その卓越技巧を正しく使うか、間違って使うかだ。小磯は正しく使い、王道としての群像表現を実現させたが、会田は間違った使い方をして邪道としてのスキャンダル絵画を連発している。だから会田の絵はおもしろいのだ。


小磯良平生誕120年 働く人びと:働くってなんだ? 日本戦後/現代の人間主義(ヒューマニズム):https://www.city.kobe.lg.jp/a45010/kanko/bunka/bunkashisetsu/koisogallery/tenrankai/hatarakuhitobito.html

2023/11/14(火)(村田真)

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MUCA展 ICONS of Urban Art 〜バンクシーからカウズまで〜

会期:2023/10/20~2024/01/08

京都市京セラ美術館[京都府]

MUCAとは「Museum of Urban and Contemporary Art」の略称で、コレクターのクリスチャン&ステファニー・ウッツが2016年にドイツ・ミュンヘンに開設した、アーバンアートと現代美術に特化した美術館。今回は1,200点を超えるコレクションから、バンクシー、JR、バリー・マッギー、カウズら10組の約60点を選んで展示している。ここでいう「アーバンアート」とは都市に介入するアートのことだろうから、グラフィティを含むストリートアートと同じと考えていい。

バンクシーは、エドワード・ホッパーの《ナイトホークス》を手描きでパロディ化した大作《その椅子使ってますか?》をはじめ、人魚姫を水面に映ったように歪めて立体化した《アリエル》、玄関マットに粗末なライフジャケットの布で「Welcome」と縫い込んだ《ウェルカム・マット》など、資本主義や西欧中心主義への批判精神を発揮している。しかしこれ以外は、有名な《少女と風船》や《愛は空中に》など大量生産された口当たりのいい小品が多く、彼の不穏かつ諧謔的な世界観はなかなか伝わらない。

このバンクシーの展示だけで会場全体の3分の1を占めるだろうか。その分ほかの作家たちが追いやられ、JRやスウーンなど2、3点しか出してもらえず、ショボい作家と勘違いされかねない。彼らの多くはバンクシーと同じく、お金のかかるアーバンアートを実現するために自作を切り売りして資金を得ている面もあるから、そんな商品=小品を展示して「これがアーバンアートだ」みたいにいわれても、そりゃ違うだろと。

そもそもアーバンアートを集めて美術館をつくる発想自体、矛盾している。彼らがストリートを活動の場にするのは美術館やアートマーケットに取り込まれないためであり、もっと多くの人たちに作品を見てもらいたいからだ。今回のカタログをざっと見ても、バンクシーは「ギャラリーやアートビジネスを拒絶している」し、JRは「美術館のない場所にアートをもたらす」ことを目標としている。また、バリー・マッギーは「作品を公共の場に置くことで、ギャラリーや美術館で展示するよりも多くの人に見てもらうことができると考えた」というし、スウーンは「自分の絵がリビングルームに飾られ、持ち主を喜ばせるだけになってしまうことを懸念し、在学中から公共の場に作品を置くようになる。さらには、自身の絵が美術館やギャラリーに飾られ、そこを訪れる人たちしか見ることができないことを危惧した」とのことだ。

ちなみに彼らの多くは1970年代生まれで、年齢が上がるほど美術館やアートマーケットに対する拒絶反応は強くなるようだ。同展で飛び抜けて年長のリチャード・ハンブルトン(1952-2017)は、みずからをコンセプチュアルアーティストと見なし、ニューヨークのストリートで不気味な「シャドウマン」を描き続け、名声が高まるにつれドラッグやヘロイン中毒に陥り、65歳で亡くなってしまった。キース・ヘリングもジャン=ミシェル・バスキアもそうだが、1980年代に活動したグラフィティ世代はさまざまな矛盾を抱えながら葛藤し、早逝する者が多かった。今回、ニューヨークの街角で見かけて以来40年ぶりにハンブルトンの「シャドウマン」を(美術館内とはいえ)見ることができ、悲惨ではあるけどその後を知ることができたのが最大の収穫かもしれない。


MUCA展 ICONS of Urban Art 〜バンクシーからカウズまで〜:https://www.mucaexhibition.jp

2023/11/14(火)(村田真)

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西野達《ハチ公の部屋》

会期:2023/11/12

渋谷駅前 忠犬ハチ公像[東京都]

渋谷駅前にあるハチ公が、こぎれいな部屋のなかでふかふかベッドに座っている。ハチ公像を取り込んだ西野逹の今日1日だけのインスタレーションだ。西野は有名なモニュメントを囲むように部屋をつくり、ホテルとして泊まることもできる空間に変えてきた。これまで実現したプロジェクトは、横浜トリエンナーレにおける中華街のあずまやをはじめ、シンガポールのマーライオン、ニューヨークのコロンブス像など世界数十カ所に及ぶ。今回はハチ公生誕100年記念ということで、銅像を管理する渋谷区が西野に働きかけたのかと思ったら、それ以前から西野はハチ公に目をつけていたそうで、両者の思惑が合致して実現の運びとなった模様。ただし1日のみの公開なのでホテルにはできず、片面を開けたコンテナでハチ公を囲むようなかたちで見せることになった。

昼過ぎに行ってみた。周囲にフェンスが設けられ、近づいて写真を撮りたい人は列に並ばなければならず、ぼくは10分ほど並んで正面に立つことができた。設営から撤去までわずか1日しかなく、しかもハチ公は動かせないので、あらかじめコンテナ内部に壁紙を貼り、ベッドやテーブル、椅子、照明などをセットした状態で夜中に運び込んで設営したという。銅像がつくられて約90年、たまにはベッドの上で休んでもらおうというアイデアだが、見事にハマっている。このコンテナを劇場に見立てれば、ハチ公の一人舞台という風情であり、コンテナを額縁に見立てれば、ベッドという台座に載ったハチ公の立体絵画と見ることもできる。また、ハチ公を一種のパブリックアートと見なせば、パブリックアートのパブリックアート化といえなくもない。



西野達《ハチ公の部屋》[筆者撮影]


ハチ公(1923-1935)はよく知られているように、東京帝大教授の上野英三郎が飼っていた秋田犬で、名前はハチ。主人の帰りを渋谷駅まで迎えに行っていたが、上野の死後も変わらず駅前で待ち続けていたため、「忠犬ハチ公」と呼ばれるようになったという。これが美談として新聞に取り上げられて有名になり、1934年には彫刻家の安藤照による銅像が設置された。動物の銅像建立は異例のことだが、それだけ当時は忠誠心が尊ばれていた時代であり、また銅像がポピュラーなメディアとして機能していた時代だったのだ。

第2次世界大戦末期には金属供出によりいちど溶かされたが、戦後、安藤の息子の士によって再建された。しかし物資不足だったため、父照の代表作である《大空に》を溶かして使ったという。ちなみに、コンテナ内部に貼られたライラック色の壁紙には、この《大空に》をはじめ、上野博士や銅像建立当時の渋谷駅などの図像があしらわれているが、これも西野が描いたもの。細かいところまでおろそかにしない完璧な仕上げである。

関連レビュー

「西野達 別名 大津達 別名 西野達郎 別名 西野竜郎」西野達作品集出版記念展|村田真:artscapeレビュー(2011年01月15日号)

2023/11/12(日)(村田真)

アニッシュ・カプーア in 松川ボックス

会期:2023/09/20~2024/03/29

松川ボックス[東京都]

西早稲田の住宅街の一角に建つ松川ボックスは、コンクリート製の箱=ボックスに木組の住宅を嵌め込んだ和洋折衷というか、和魂洋才みたいな建築。宮脇檀の設計で1971年に竣工し、1979年には建築学会作品賞を受賞した(同時受賞したのは安藤忠雄の「住吉の長屋」)。インディペンデントキュレーターの清水敏男氏は10年以上前からそのA棟をオフィスとして使っていたが、コロナ禍によりオフィスを整理し、吹き抜けを含む一部をギャラリーとして公開することにしたという(ただし日時限定予約制)。その最初の展示がアニッシュ・カプーアだ。

作品は1階の吹き抜けと2階の部屋に絵画が1点ずつ、1階の座敷に彫刻が1点の3点のみ。絵画は赤と黒を基調とした表現主義風で、1点は画面中央に赤い溶岩を噴出する火山のような三角形が屹立し、下のほうには余白が残されている。激しいタッチで描かれているが、奥行きも陰影もあるので風景にも見える。もう1点は中央に赤い割れ目のようなものが描かれ、それを囲むように赤と黒の絵具が塗られている。まるでロールシャッハ・テストで使う図像のようだ。これがなにに見えるか問われれば、真っ先に思い浮かぶのは女陰だなあ。だとすれば先の1点は「屹立する火山」から男根を連想するしかない。そういう作品なのか?



アニッシュ・カプーア《PK100641》[筆者撮影]


畳部屋に鎮座する彫刻は、上半分が半球状で下半分がハの字型に広がった形状をしている。タコがスカートを履いたような、あるいはオバQみたいなかたちといえばわかりやすいか。余計わかりにくいか。表面が鏡面仕立てなので見ている自分が映るのだが、なめらかな凹凸のある曲面なので動くと伸びたり縮んだりするし、座ってみるとちょうど死角に入って自分の姿が見えなくなる。本人が映らないので写真撮影にはもってこいだが、これだけは売り物ではなく借り物なので撮影禁止という。絵画からの連想で、これも男根か陰核に見えてきたぞ。

※毎週水曜、木曜、金曜のみ開廊。彫刻作品は11月24日(金)まで展示。


アニッシュ・カプーア in 松川ボックス:https://coubic.com/themirror/4453019#pageContent

2023/11/06(月)(村田真)

CET23 OPEN START

会期:2023/10/23~2023/11/05

東日本橋・馬喰町エリア各所[東京都]

そういえば東京ビエンナーレは今日までだったな。会場があっちこっちに散らばっているから、どこか無料でたくさん見られるところはないかと調べたら、東日本橋・馬喰町エリアに集中していた。エトワール海渡リビング館という会場は有料だったのでパスし、それ以外の10カ所ほどを回ったのだが、後でよく見直したらエトワール海渡だけが東京ビエンナーレの企画で、それ以外はCET(セントラルイースト・トーキョー)によるイベントだった。CETは空洞化していたこのエリアを活性化するために20年ほど前から始めた「アート・デザイン・建築の複合イベント」で、2010年にいったん終了したが、東京ビエンナーレの開催を機に再起動させたという。つまりCETが東京ビエンナーレの企画に乗ったかたちらしい。まあ見る側にとってはどっちでもいいんだけど。

期待に違わぬ力作を見せてくれたのが宇治野宗輝だ。廃屋となった3階建ての一軒家を丸ごと使い、「建築物一棟をグルーヴボックスにするプロジェクト」を展開している。各階ごとに廃車や机や照明などを用いて、動いたり光ったり音が出たりするインスタレーションを構築し、それぞれを垂直に連動させているのだ。これは見ていて飽きない。その近くの古いビルの側壁にドローイングしたのは小川敦生。渦巻きや曲線に雪の結晶のような枝葉がついたパターンで、昔流行ったフラクタル図形を思わせる。工事用蓄光チョークを使っでいるので、夜見たほうがきれいかも。こういうグラフィティやストリートアートはもっとあってもいい。



宇治野宗輝《dormbeat》[筆者撮影]


その向かいのビルでは委細昌嗣と渦波大祐の《Silent City》(2020)を上映。人ひとりいない東京の繁華街を写した映像作品で、おそらくコロナ禍の早朝にでも撮影したのだろう、見事に人も車も写っていない。思い出したのは、台湾の袁廣鳴(ユェン・グァンミン)による《日常演習》(2017)という映像。だれもいない静まり返った台北の街をドローンで撮影したもので、CGかと思ったら、年にいちど行なわれる防空演習日の外出禁止時間に撮影したのだという。戦争やパンデミックにはこうした非現実的な無人の都市が出現するのだ。でも最近ではCGやAIでいくらでも人を消せるから、だれも驚かなくなるかもしれない。いま「人を消せる」と書いたけど、映像とはいえ簡単に人を消せるというのもどうなんだろ。ともあれ映像に限らず、これからの芸術表現にはAIに負けないリアリティが必要となるだろう。



小川敦生《測量標》[筆者撮影]


CET23 OPEN START:https://centraleasttokyo.com

2023/11/05(日)(村田真)

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