2023年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

学年誌100年と玉井力三 ─描かれた昭和の子ども─ 

会期:2022/09/16~2022/11/15

日比谷図書文化館 [東京都]

子供のころ親しんだ『小学一年生』などの学年別の雑誌を「学年誌」と呼ぶ。その黄金期ともいうべき昭和30-40年代の表紙を飾ったのが、画家・玉井力三の描いた少年少女たちだ。同展は小学館が学年誌創刊100年を記念して、玉井の原画を中心に表紙画の変遷をたどるもの。ぼくもこの世代に属するので、昔好きだった娘に久しぶりに会うような気分で見に行った。

学年誌は『幼稚園』から『小学六年生』まであるが、玉井が担当したのは主に一~三年生。同展ではそれを学年順でも制作年代順でもなく、新学期が始まる4月から5月、6月と月ごとにまとめて展示している。こうすれば入学式とか運動会とかクリスマスといった年中行事がわかり、季節感や時代の変化も比較しやすい。原画はキャンバスに油彩で描かれ、画面上のタイトル部分が空白になっている。制作手順は、東京のスタジオで玉井の立ち会いの下にモデルを撮影し、その写真をもとに新潟の自宅で制作。完成したら東京に持参して、次号の撮影に立ち会うというサイクルだったという。作画も受け渡しも完全アナログだった。

描かれる少年少女たちは一様に笑顔で明るくかわいい。子供心にもなんてかわいい女の子だろう、なんでこんなにうまく描けるんだろうと感心したのを覚えている。が、いまこうして数百枚も並べてみると、ふと不気味にも感じてくる。それは「明るい未来」を描いた中国や北朝鮮のプロパガンダ絵画とどこか通じるものがあるからかもしれない。もちろん子供のころはそんなこと考えもしなかったが。

玉井は1908年、新潟県生まれ。美術学校には行かず中村不折に師事し、戦前は戦争画を手がけたこともある。同展には洋画家としての作品も出ているが、小磯良平ばりの卓越した描写力を持ち、表紙絵に時間を割かれなければ具象画家としてそれなりに名を成しただろう。雑誌の表紙の仕事が来るようになるのは戦後のこと。1954年から小学館の学年誌の表紙絵を始め、最盛期には『幼稚園』や『めばえ』も担当し、さらにライバルである講談社の学年誌の表紙まで引き受けたというから呆れる。表紙絵の仕事は約20年続いたので、総数は軽く千点を越すに違いない。

展示の最後に、小学館が学年誌を創刊してから100年間の表紙コピーがズラーっと並んでいるので、時代の移り変わりがよくわかる。大正時代の素朴な童画調に始まり、戦中・戦後はさすがに表紙絵もお粗末になるが、玉井が手がけた1950年代後半から70年代前半までは明るくカラフルで、部数も伸びたという。ちょうど高度経済成長と軌を一にしていたのだ。玉井が最後の表紙絵を描いたのは1974年で、その翌年から表紙は写真になり、80年代からドラえもんなどのキャラクターが侵出。90年代には文字情報が増え、最近は以前のような定型的な表現が崩れ、混沌とした様相を呈している。てか、まだ学年誌って出ていたの?


公式サイト:https://www.library.chiyoda.tokyo.jp/information/20220916-hibiyaexhibition_gakunenshi/

2022/09/23(金・祝)(村田真)

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ポーラ美術館開館20周年記念展 ピカソ 青の時代を超えて

会期:2022/09/17~2023/01/15

ポーラ美術館[神奈川県]

ピカソほど多作な画家もいない。油絵と素描だけで1万3500点、そこに版画、挿絵、彫刻、陶器なども加えれば15万点にもなるらしいから、100点を集めた「ピカソ展」が1500も成立することになる。だからいまどき単なる「ピカソ展」をやっても見向きもされないだろう。なにがいいたいかというと、今回の「ピカソ展」はただピカソ作品を集めたのではなく、テーマ性を重視しているということだ。それがサブタイトルの「青の時代を超えて」だ。

同展はポーラ美術館とひろしま美術館の主催で開かれるもの。なぜこの2館かといえば、ポーラは青の時代の《海辺の母子像》(1902)をはじめ27点、ひろしまは同じく青の時代の《酒場の二人の女》(1902)はじめ9点のピカソを所有するからだ。周知のようにピカソは多作なだけでなく、時代ごとに表現スタイルをコロコロと変えたことでも知られているが、その始まりが青の時代。だから青の時代を起点として、そこから長い画業をたどってみようというのが展覧会の狙いだ。ただ時代ごとにスタイルを変えたといっても、何年から何年まではキュビスム様式で、何年から何年までが新古典様式みたいにスタイルが交代していったわけではなく、青の時代に新古典主義時代を特徴づける母子像や海の背景を先取りしたり(たとえば《海辺の母子像》)、逆に、新古典主義時代にキュビスム風の静物画が再臨したり(たとえば《新聞とグラスとタバコの箱》[1921])、スタイルやモチーフがしばしば時代を超えて飛び火しているのがわかる。

もっとおもしろいのは、青の時代には画家が貧乏だったこともあって、いちど描いたキャンバスの上から別の絵を上描きしていたこと、そして近年の科学調査によって、下に描かれた絵がどんな絵柄であったかが明らかになってきたことだ。その代表例が先述の2点で、《海辺の母子像》の下層からは酒場で飲む女性が現われ、《酒場の二人の女》の下層から母子像が見つかったのだ。つまりこの2点は互い違いにモチーフを隠し持っていたということになる。この発見こそ両館が「ピカソ展」を共同企画することになった理由だろう。ちなみに、出品作品81点のうち36点がこの2館のコレクション、23点がそれ以外の国内の美術館の所蔵作品なので、7割強が日本にあることになる。そんなにピカソを持っていたのか。でもピカソ全作品から見れば0.04パーセントにすぎないけどね。


公式サイト:https://www.polamuseum.or.jp/exhibition/20220917c01/

2022/09/17(土)(村田真)

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メディウムとディメンション:Liminal


会期:2022/09/03~2022/09/27

柿の木荘[東京都]

1960年代の高度成長期に雨後の竹の子のように建てられ、いまは激減している木造モルタル2階建ての賃貸アパート。この展覧会の会場となる神楽坂の柿の木荘も、1966(昭和41)年に建てられた昭和の典型的な木造アパートだが、半世紀のあいだ壊されることなく、2016年にはアーティスト・イン・レジデンスとして再生した。しかし長引くパンデミックには勝てず、新たな用途のために改修されて再々出発することになったという。今回はその間隙を縫って、美術評論家の中尾拓哉氏のキュレーションの下、12組のアーティストがかつて4畳半だった各部屋に作品を展開している。

髙田安規子・政子は、古い引き出しにドアと窓のような穴を開けて整列させ、ビルに見立てたり、数十個のバケツやグラスを小さい順に並べたり、柿の木荘に残されていた廃品を使って遊んでいる。鈴木のぞみは窓ガラスを外して乳剤を塗り、その窓に映る風景を焼き付けた「窓ガラス写真」3点を展示。それぞれ朝、昼、夜の風景だそうだ。津田道子は柿の木荘で撮った映像と、ここで集めた鏡を並置。映像のなかに鏡が映っていたり、映像を鏡と勘違いしたりしそうだが、改めて映像は過去、鏡は現在を映し出すことを思う。このようにアパートに残されたものを使いながら、時間と空間、過去と現在、記憶と記録を往還していくサイトスペシフィックな作品が多い。



高田安規子・政子《Inside out》
上に鈴木のぞみ《Oter Days, Oter Eyes : 柿の木荘101号室東の窓》も。




津田道子《柿の木荘202号室》 映像(左)と鏡(右)


一方で、柿の木荘とは一見無縁な作品もある。たとえば鎌田友介は、韓国に建てられた日本家屋をリサーチし、その映像を流すと同時に家屋の一部も展示する。時代や国を越え、戦争や植民地主義にもつながっていくテーマだ。磯谷博史は数字が左右逆転した(つまり針が左回りの)時計を壁に描く。時計の針が右回りなのは北半球では日時計が右回りだったからで、南半球で文明が発達していれば針も左回りになったかもしれないという仮説に基づく。まさに時間と空間を問題にした刺激的な作品。これらは柿の木荘とは直接の関係はないが、こうした作品が展覧会に幅をもたせ、意義を重層化させている。でもいちばんホメてあげたいのは、民間アパートをアートのために解放したオーナーの度量だ。


公式サイト:https://www.nest-a.tokyo/Liminal

2022/09/16(木)(村田真)

越後妻有 大地の芸術祭2022 再訪

会期:2022/04/29~2022/11/13

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ[新潟県]

先月に続き、再び越後妻有へ。今回は作品鑑賞が目的ではなかったので、見逃していたしんざ駅周辺の作品を見る。まず、古い大きな民家にインスタレーションした中﨑透の《新しい座椅子で過ごす日々にむけてのいくつかの覚書》。

中﨑は、長年使ってきた座椅子の調子が悪くなったので買い換えようと思いながら、会場となる新座地区の資料を漁っていたら、「新しい座椅子」と「新座」とがつながったという。そこでまず使い古した座椅子を民家の座敷に置くことから始めたら、結果的に民家内の大移動になった模様。座敷には座椅子に花瓶、造花、灰皿などが集められ、キッチンには人形やぬいぐるみ、廊下には木製の糸巻き機、2階の寝室には布団や衣服といったようにアイテムごとに集積され、ところどころカラフルなネオンが挿入されている。この民家の住人がどこに行ったか知らないが、これらを全部置いていったとすればどんだけ物持ちだったのかと呆れてしまう。ほかにも、書棚には手つかずの美術全集がホコリを被り、奥の間には先祖の肖像写真がかかり、一隅にはミニバーまで設えてある。われわれは中﨑の作品を鑑賞しつつ、田舎の生活の実態を目の当たりにすることができるのだ。



中﨑透《新しい座椅子で過ごす日々にむけてのいくつかの覚書》 手前に座椅子。


そこから5分ほど歩いた七和地区にある防災倉庫では、深澤孝史が《スノータワー》を建てている。これは、スノーダンプという除雪道具を数十個積み上げた高さ7、8メートルのモニュメント。スノーダンプはシャベルとチリトリを合体させて巨大化したような形状で、使用場所や用途によって素材やデザインが少しずつ異なるそうだ。ここで使われているのは、近所にある樋熊鉄工所の樋熊武氏が開発した「クマ武」と呼ばれるステンレス製のもので、いわば地域に特化した道具。そういえば以前「大地の芸術祭」で、あるアーティストが除雪車を何台か使って「ロミオとジュリエット」を踊らせたことがあった。冬しか出番のない除雪車を夏にも活躍してもらおうとの主旨だったと記憶するが、スノーダンプも夏のあいだはヒマそうだから、このようにアートの一部として動員されるのは望むところだろう。



深澤孝史《スノータワー》



公式サイト:https://www.echigo-tsumari.jp

2022/09/04(日)(村田真)

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開館15周年記念 李禹煥


会期:2022/08/10~2022/11/07

国立新美術館[東京都]

この展覧会、サブタイトルもキャッチコピーもない。「展」すらついていない。いちおう「開館15周年記念」と銘打ってはいるが、タイトルは「李禹煥」という名前だけ。つべこべいわずに見に来なさい、知らない人は見に来なくていいみたいな自負が感じられる。はい、見に行きました。正直、石や鉄板が置いてあったり、線が引かれているだけの退屈な展覧会を予想していたが、予想を裏切っておもしろかった。いや、おもしろがれたというべきか。

展示は前半が主に立体、後半は絵画に分かれている(前半が「立体」なら後半は「平面」、あるいは後半の「絵画」に合わせて前半を「彫刻」としてもよかったが、後述の理由により「立体」「絵画」とする)。まず最初は、ピンクまたはオレンジ系の蛍光色を塗った3点の絵画と、トポロジカルな錯覚を催す2点の平面から始まる。こうしたオプティカルアート(オプアート)やトリックアートは当時の流行で、後に李とともに「もの派」の支柱となる関根伸夫や菅木志雄も試みていた。物そのものの存在感や物と物との関係性を呈示するもの派が、トリッキーな作品から出発したというのは意外だが、それはひとまず置いといて、ここではこの5点のうち4点が再制作であることに注目したい。実はこれに続く立体20作品のうち19点までが、つまり大半が再制作なのだ。

なぜ再制作なのかといえば、前提として李の立体は彫刻のように単体で完結するのではなく、石と鉄板のようにさまざまな素材をその場に合わせて配置するインスタレーションであること(これが彫刻ではなく立体と記した理由だ)。しかもそれらの素材は重量がある割に固有の価値は高くないため、運搬や保管を考えればそのつど素材を調達して組み立てたほうがリーズナブルなのだ(ちなみに再制作でない1点は近隣県の美術館の所蔵品)。いずれにしてもインスタレーションの場合、オリジナルと再制作の境界線をどこに引くかというのが問題になるだろう。

もうひとつ立体で興味深いのは、ときおり見え隠れするトリックだ。たとえば、ゴム製のメジャーを伸ばし石を載せて止めた《現象と知覚A 改題 関係項》(1969/2022)は、発想自体がトリッキーだが、オリジナルはともかく、再制作では目盛りの幅は伸びているのに数字は伸びていない。つまりゴムを伸ばしたのではなく、メモリの幅を変えることでゴムが伸びたように見せかけているのだ。いったい伸びたように見えればいいのか、それとも伸ばしたかったけどできなかったのでやむをえずごまかしたのかは知らないが、どっちにしろトリッキーな発想をトリッキーに解決したともいえる。また、屋外に置かれた《関係項―アーチ》(2022)は、アーチ型に曲げた鉄板の両脇に2つの石を置いた作品。まるで曲げた鉄板を両側の石が支えているように見えるが、この鉄板の分厚さからするとあらかじめ曲げられたものであることは明らかだ。これはさすがに石で支えたかったけどできなかったのではなく、石で支えているように見せるという例だろう。いずれにせよトリッキーな表現は初期の平面だけではないことがわかる。

後半の絵画はさすがに再制作もトリックもない。1970年代の「点より」「線より」シリーズは、クリーム色の下地に群青の岩絵具で点々を置いて(または線を引いて)いき、次第にかすれて途切れたら再び絵具を置いて(引いて)いくというもの。ある決められた規則に従って描いていくシステマティック・ペインティングの一種ともいえるが、その割に塗りムラがあったり、かすれが消えるまでの長さもまちまちだったりで、システムに支配されることはない。それがこれらの絵画の絵画たる由縁であり、初期のトリッキーな平面とは一線を画す理由がある。

それが80年代になると線が恣意的に折れ曲がり、90年代には画面がシンプルに整理され、まるで禅画を彷彿させる。描画がシステムから大きく逸脱し、奔放さを増していくのだ。そして2000年以降は、とうとう大画面に大きな点が1、2個打たれるだけ。ていうか、それはもはや一筆の点ではなく、陰影や色彩を施されて周到にかたちづくられたビーカー型の図になっているのだ。もはや点にこだわらず自由に描いてもよさそうなものなのに、あえてトリッキーにも感じられる点のかたちを残しているのは、「点」から始まった李芸術の連続性をどこかに留めておきたいがためだろうか。やはり半世紀以上一線で戦ってきたアーティストだけに、読み解きがいのある回顧展になっている。


公式サイト:https://leeufan.exhibit.jp/

2022/08/31(水)(村田真)

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