2021年07月15日号
次回8月2日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

Fever! Akiyama 秋山祐徳太子回顧展

会期:2020/12/04~2020/12/26

ギャラリー58[東京都]

2020年4月3日に亡くなった稀代のアーティスト、秋山祐徳太子を偲ぶ回顧展。秋山は1935年生まれだから享年85。1歳で父と兄を失い、以後母が亡くなるまで60年以上にわたり母子家庭を貫く。長身でイケメンでモテそうなのになんで結婚しなかったんだろう、余計なお世話だが。都立工芸高校を出て東京藝大を5回受験するも不合格。武蔵野美術学校で彫刻を学び、卒業後は電機メーカーのデザイナーとして勤務。組合活動から前衛芸術に軸足を移し、反万博闘争に参加したり、グリコのランナー姿で走るパフォーマンス「ダリコ」を行なう。退社後は、チープでポップなブリキを使った彫刻を制作しながら、1975年と79年には東京都知事選に立候補し、政治のポップ化を目指したが落選。その後も、赤瀬川原平や高梨豊とライカ同盟を結成したり、『通俗的芸術論』や『泡沫桀人列伝』を著すなど、泡沫精神あふれる活動を続けてきた。

ギャラリー入り口には石内都、篠原有司男、吉野辰海の連名による大きな花輪が掲げられ、会場には幼少期の写真から中学高校の卒業証書、東京藝大の受験票、デザイナー時代に図面を引いたオーディオ部品の設計図、労働組合の資料やデモの写真、ダリコのランニングシャツ、都知事選のポスター、畑中葉子との対談「後から前から」のポスター、母との東北旅行の記念写真、長年住んでいた高輪地区の防犯連絡所責任者の委嘱状など、200点以上がところ狭しと並んでいる。あ、もちろんブリキ彫刻などの作品もあるが、ここではいささか影が薄いなあ。これらの資料は自宅に残された遺品の一部というから、断捨離とは縁遠い人生だったようだ。いや断捨離とは不要なものを断つことだから、これらの「ガラクタ」は必要不可欠どころか、秋山の血肉だったに違いない。まさに泡沫桀人!

2020/12/09(水)(村田真)

青春と受験絵画

会期:2020/11/28~2020/12/06

パープルームギャラリー[神奈川県]

ぼくが横浜の黄金町で毎月やってる定例講座で、10月と11月に「日本の美術教育」について連続で取り上げ、荒木慎也の『石膏デッサンの100年』(三重大学出版会、2016)を参考に、石膏デッサンをはじめとする「受験絵画」についても話した。最後に、「こういう受験絵画だけ集めて展覧会をやったらおもしろい」と締めくくったら、本当に開くところがあるというので喜んで見に行った。やはり芸大受験をテーマにした会田誠の『げいさい』や、山口つばさの『ブルーピリオド』などが話題になったことが大きいだろう。

会場のパープルームギャラリーは初めてで、相模原からとぼとぼ歩いて20分ほど。ガラス戸を開けると、壁3面に受験絵画が2段がけ3段がけで飾られている。石膏デッサンはなく、F15号前後の油彩画のみ。計27点のうち19点は新宿美術学院から借りたもので、いずれも合格者の作品だ。1966年から現役高校生のものまで幅広く、川俣正の油絵もある(1974年)。しかし60-80年代は少なく、大半は90年代以降の作品だ。展示は年代順ではなく一見ランダムだが、モチーフや描き方が似たものを近くに並べているようだ。受験絵画の変遷はわかりにくいが、このレベルなら(でも)受かるんだというのはなんとなくわかる。逆に不合格作品も並べたらもっとわかりやすいが、それをやると「落選展」みたいになってしまうか。

ちなみに、ぼくが思い浮かべる受験絵画は濁った色彩のセザンヌ風だが、それはせいぜい80年代までで、90年代から明らかに変わり、シュルレアリスム風から表現主義、コラージュ、抽象となんでもあり状態。なかには受験絵画を超えてレッキとした芸術作品といえそうな絵もある。どうやら80年代に芸大で受験改革が行なわれ、それにつられて予備校も対策を練り、芸大はそんな「対策絵画」から逃れるために毎年課題を変え……というイタチごっこを繰り返してきたらしい。哀れなのはそれに翻弄される受験生だが、それをうまくくぐり抜けてきた人たちがいまの日本の現代美術を支えていると思うと、いささか複雑な気分にもなる。

ありがたいことに、この規模の展覧会では珍しく20数ページのパンフレットを制作している。全出品作品の図版のほか、パープルームを主宰する梅津庸一や受験絵画研究者の荒木慎也によるエッセイを掲載するなど、資料としても貴重だ。最後のページにはしっかり新宿美術学院とパープルーム予備校の広告も載っていた。

2020/12/03(木)(村田真)

岩間玄『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道』

雪山で樹木が伐採される場面から映画は始まる。写真家・森山大道には似つかわしくない風景だ。2018年の秋に開かれる世界最大級の写真フェア「パリ・フォト」に向けて、半世紀前の森山のデビュー作『にっぽん劇場写真帖』(室町書房、1968/フォトミュゼ・新潮社、1995/講談社、2011)を復刊(月曜社、2018)させるプロジェクトがスタートした。その写真集の完成までと、森山自身の日々の活動を追ったドキュメンタリー映画。

「街を徘徊しながらポケットカメラでスナップショットする森山、復刊プロジェクトの編集部で森山にインタビューする編集者と造本家、随所に挟まれる通称「三沢の犬」をはじめとする写真、伐採された木などの映像が入れ替わりながら進んでいく。そのなかで何度も出てくる名前が盟友だった写真家、中平卓馬だ。その中平の『なぜ、植物図鑑か』(晶文社、1973)をかつて読んだとき、もの派と同じではないかと思ったものだが、そのもの派の理論的支柱である李禹煥が中平だとすれば、それを実践し続けている菅木志雄が森山に重なるかもしれない。2人とも50年間ブレることなく活動してきたし、スタイリッシュだし、内外でますます再評価の機運が高まっていることも共通している。

森山はこの映画が撮られたとき、すでに80歳。にもかかわらず、Tシャツにジーンズで背筋をピンと伸ばし、ややガニ股気味にうろつきまわり、ときに片手でシャッターを切り、なにごともなかったかのように歩き去る。シャツの背中には「On the Road」のロゴ。こんなジジーになりてえよ、と思わせる映画だ。いや、そーゆー映画じゃないんだけど。ところで冒頭に伐採された木材は、その後、洗浄されてパルプになり、紙になって写真集に化けるという映画の流れの進行役を務めていたのだ。


公式サイト:https://daido-documentary2020.com/

2020/12/01(火)(村田真)

池内晶子「atomized / inside out」

会期:2020/11/19~2020/12/06

gallery 21yo-j[東京都]

ドアを開けると、展示室の前にロープが張ってあってすぐには入れず、作品も見えない。まずスタッフの注意を聞く。中央付近に作品があるので、気をつけて、周囲から見てくださいと。入場を許されて近づいていくと、クモの糸のようなものが見えてくる。壁が白いので見えにくいったらありゃしないが、よく見ると、何本かの絹糸を上から吊るし、下のほうにいくにつれ束ねるように収束させているのがわかる。竜巻型というか、双曲面の上半分というか、急峻にした富士山を逆さにしたような末広がりの逆三角形だ。この形態は池内が制御してバランスを保っているものの、人工的な造形というより、自然の織りなす形であり、重力の生み出す美といえる。

近年、空間全体に糸を張り巡らせたり、上から糸でなにかを吊ったりするインスタレーションが多い。それはものを宙に浮かせる1つの方法であり、また、少ない量で空間全体を埋めるための方便でもあるだろう。しかしそこでは糸は脇役か、さもなければ必要悪として用いられる。言葉は悪いが「上げ底」の発想であり、一種のトリックにほかならない。ところが池内は、あくまで糸を主役として使い、糸の属性に従う。作者が語るのではなく、糸に語らせているのだ。

2020/11/28(土)(村田真)

生命の庭―8人の現代作家が見つけた小宇宙

会期:2020/10/17~2021/01/12

東京都庭園美術館[東京都]

「緑豊かな自然に囲まれた旧朝香宮邸を舞台に、日本を代表する8人の現代作家たちの作品を通して、人間と自然との関係性を問い直す試み」だそうだ。出品作家は、青木美歌、淺井裕介、加藤泉、康夏奈、小林正人、佐々木愛、志村信裕、山口啓介の8人。ありがちなタイトル、誰もが考えそうなテーマ、意外性のない顔ぶれだが、思ったより退屈しなかったのは、旧朝香宮邸の展示空間に負うところが大きい。もちろんインテリアがすばらしいとか、現代美術とのコラボレーションが斬新だとかではなく、ドントタッチな空間とアーティストの攻防が見ものだったのだ。

例えば、現場制作のウォール・ドローイングが持ち味の淺井裕介は、ここでは泥絵具を壁に塗りたくることなどもってのほかなので、あらかじめつくった作品を持ち込むという、らしくない展示に甘んじるしかなかった。しかも作品が直接壁や床に触れないように注意が払われている。つまり「浮いている」。木枠を組む、キャンバスを張る、絵具を塗るという行為を同時進行する小林正人も、まさかこの場所で絵具と格闘するわけにはいかず、一見できそこないみたいな完成作を壁や床に接しないように養生しつつ展示していた。きっと、室内を汚したり傷つけたりするなとうるさく言われたんだろうなあ。なにしろ重要文化財の建物だからね。でも2階奥の部屋のひしゃげたキャンバス作品は、インスタレーションとして秀逸だった。

美術館みたいに展示できないのなら、美術館にはない空間を探して展示しちゃえ、というのが加藤泉だ。まず、玄関前の狛犬みたいな一対の彫刻の横にちゃっかり石像を設置。エントランスホール脇の待合室や、物置みたいな空間にも作品を置いている。へーこんなとこにも部屋があったのかと感心した。これじゃアートを見にきたのか、家捜しにきたのかわからない。しかもたくさんの部屋を開放したため、監視員がやたら多かった。なんか見張られているようで居心地はよくない。

そんななか、いちばん感銘を受けたのが志村信裕の映像だ。メンデルスゾーンの楽譜の上に木漏れ日を映したり、円天井にリボンの舞う映像を流したり。なるほど映像なら壁も床も汚さずにイメージを映し出せるわけだ。なかでも傑作だったのが、バスルームの磨りガラスに投影した花火の映像。直径10センチくらいのボケた映像で、最初なんだかわからなかったが、花が開くような様子を見ていて打ち上げ花火と気がついた。手のひらサイズのプチ花火、これはいい。ちなみに、思いきり大作を発表する人が多かった新館の展示は蛇足でしょう。

2020/11/27(金)(村田真)

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