2020年01月15日号
次回2月3日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

アートのお値段

ポロックやウォーホル、バスキアの作品が100億円を超す高値で売買される現代。よく聞かれる疑問が、本当にそれだけの価値があるの? そもそも美術品に適正価格はあるの? ってこと。これに対する答えは、美術品(に限らないが)の価格は需要と供給の関係で決まるということだ。つまり、その作品を欲しい人が2人以上いれば価格はいくらでも上がるが、1人もいなければゼロに等しい。そしておそらく、2人以上がほしがる作品は全体の1パーセントにも満たず、大半の作品は値がつかないか、つけても売れないということだ。この極端な格差がごく一握りの作品を超高額に押し上げる一方、99パーセントのゴミを生み出している。これを聞いて思い出すのが、世界の富豪上位26人が有する資産の合計(約153兆円)が、下位半分(38億人)の資産とほぼ同額という統計だが、アートの世界はもっと極端かもしれない。

この『アートのお値段』は、高騰を続ける現代美術の価格と価値を巡るドキュメンタリー映画。そもそも現代美術の価格が高騰し始めたのは、日本のバブルがはじけてアートマーケットが縮小した90年代のこと。日本人が近代美術を買い漁って底をついたため、今度は作品がいくらでも供給できる現代美術にスライドしたというのだ。だれが? ごく一部のギャラリスト、オークショニア、コレクター、そしてアーティストだ。言ってみれば、アートマーケットは彼ら数十人のプレイヤーが動かすゲームみたいなもの。その最優秀プレイヤー(?)として登場するのが、広大なスタジオでスタッフに絵を描かせ、自分は指示を出すだけのアーティスト、ジェフ・クーンズであり、その対極として描かれるのが、かつてドットを使ったオプ・アートの旗手として名を馳せ、現在は郊外の一軒家で目の覚めるようなペインティングに取り組むラリー・プーンズ。その中間に位置するのがゲルハルト・リヒターだ。

『アートのお値段』というタイトルは身もふたもないが、原題は『THE PRICE OF EVERYTHING』で、これはオスカー・ワイルド著『ウィンダミア卿夫人の扇』のなかの「皮肉屋というのは、あらゆるものの値段を知っているけど、そのものの本当の価値を知らない人のことさ」というセリフから来ている。つまり価格と価値は別物だということであり、ここではクーンズは価格派、プーンズは価値派であり、リヒターは価値を重視しながら価格に乗る派、に分類できる。いずれにせよ、アートのお値段は芸術性とは関係ないということだが、実は無関係というだけでなく、美を感じる脳と欲望により活発化する脳とでは正反対の反応を示すと、精神科医でコレクターの高橋龍太郎氏はパンフレットのなかで指摘する。どうやら価値(美)と価格(欲望)は別物どころか、対極に位置しているらしい。なんとなくアートマーケットに感じていたモヤモヤ感が、少しすっきりした。

この映画でもうひとつおもしろかったのは、プーンズのほか、美術評論家のバーバラ・ローズやギャラリストのメアリー・ブーンなど、1970-80年代に活躍した過去の人たちが登場すること。もっとも、すっかり別人のようになったメアリー・ブーンはつい最近、脱税で捕まって名前が出たばかりだが。新表現主義をマーケットに乗せた彼女も、結局「アートのお値段」に振り回されたのか。

公式サイト:http://artonedan.com/

2019/09/22(日)(村田真)

不思議の国のアリス展

会期:2019/09/21~2019/11/17

そごう美術館[神奈川県]

19世紀にイギリスで書かれた『不思議の国のアリス』は、現在170以上の言語に訳されている世界的ベストセラー。作者のルイス・キャロルは、まさか日本語やスワヒリ語に訳されるなどとは思ってもみなかったに違いない。英語でしか通用しない言葉遊びや、ヴィクトリア朝の文化を知らなければおもしろさも半減するはずなのに、なぜ世界中でこんなに人気を呼んだのか不思議な気もするが、たぶんアリスの持っているナンセンス(高橋康也風にいえばノンセンス)は、そんな文化の違いを超えたグローバルなものだからかもしれない。

一方、言語や文化の違いを超えてアリスのイメージを広めるのに大きな役割を果たしたのが、ジョン・テニエルの挿絵だろう。そのイメージがあまりにハマってしまったため、アリスといえばテニエルの挿絵を思い出すほど、物語より挿絵のほうが有名になってしまった。今回もアーサー・ラッカムはじめテニエル以外の挿絵や、現代アーティストの描いたアリスの絵も出ているが、どこかテニエルのイメージを引きずっているか、逆にテニエルに似ていないものはアリスらしくないと思えてしまうのだ。これは幸なのか不幸なのか。テニエルのおかげでアリスの物語は世界中で親しまれるようになった反面、テニエルのせいでアリスのイメージが固定化してしまったとも言えるのだから。同展にはダリ、シュヴァンクマイエル、草間彌生らの作品も出ているが、彼らの強烈な個性が前面に出てしまい、アリスのナンセンスぶりが視覚化しきれていない。

2019/09/19(木)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00050256.json s 10158220

TOKYO 2021 美術展「un/real engine─慰霊のエンジニアリング」

会期:2019/09/14~2019/10/20

TODA BUILDING 1F[東京都]

京橋の戸田建設本社ビルの1階で「TOKYO 2021」と題するアートイベントが行われている。どういう経緯か知らないけれど、アーティストの藤元明が進めるアートプロジェクト「2021」と、建て替えのため今年いっぱいで本社ビルを取り壊す戸田建設の思惑が一致した地点に成立したアートイベントらしい。「TOKYO 2021」とはオリンピック後の東京を考えようとの趣旨で、すでに8月に建築展が開かれ、9月から始まるのが「慰霊のエンジニアリング」と題した美術展だ。全体を藤元が統括し、美術展のほうは黒瀬陽平がキュレーターを務めている。

黒瀬は、東京オリンピックも大阪万博も大きな祭りと捉え、ここでは単に祭りを盛り上げるのではなく、祝祭とはなにかを考える機会にしたいとのこと。そこで、前回の東京オリンピックと大阪万博の前に日本の敗戦があり、次のオリパラと万博の前には東日本大震災があったように、国家的祝祭の前には必ず大災害があることに着目し、「祝祭」と「災害」をテーマに掲げたという。

大きく「2021」と掲げられたビルの玄関を入ると目に入るのが、車椅子や蛍光灯を荒々しく積み上げ、正面に《太陽の塔》の顔の縮小版を据えた檜皮一彦のインスタレーション。1970年の大阪万博が参照されている。その後ろには、お面をかぶって踊る人たちの人形と黒い提灯を並べた弓指寛治の《黒い盆踊り》、さらにその奥の壁には、同じ弓指によるウジ虫に覆われた馬の死体を描いた《白い馬》が展示されている。どちらも「死」をテーマにした作品で、とくに後者は岡本太郎の戦争体験に基づいた絵。その横には床や壁をはがした廃材でつくった藤元明の《2026》、反対側には地下室を水没させたHouxu Queの《un/real engine》などがある。ほかにも「エキスポ70」で使われたベンチや、同じく万博の今野勉による幻の企画なども出ている。以上が「祝祭の国」の作品。



藤元明《2026》展示風景


入り口の異なる「災害の国」のほうをのぞくと、中央にキノコ雲を思わせる閃光を宿した梅沢和木のカタストロフィックなコラージュ《Summer clouds》をはじめ、東海道五十三次の東西を逆転させ、「京都アニメ」を終着点とするカオス*ラウンジの《東海道五十三童子巡礼図》、その53宿で採集した土を詰めた座布団53枚を京都方向に敷いた梅田裕の《53つぎ》、10年前のビデオ・インスタレーションを再現した高山明の《個室都市東京》など盛りだくさん。傍らでずっとサボってる作業員がいるなあと思ったら、飴屋法水だったりして。



高山明《個室都市東京》展示風景


出品作家は約30組で、旧作も含めて見応え十分。なにより建設会社の新たな門出を祝い、東京の未来を占う「祝祭的」アートイベントに、これほど不穏な「災害的」作品を結集させたことに脱帽する。よくやったというより、よくやらせてくれたもんだ。偉いぞ戸田建設! 文化庁とは大違いだ。しかし不満がないわけではない。東京オリンピック後とはいえ「TOKYO 2021」が主題なのに、なぜか1970年の大阪万博ネタが目立つこと。そして万博、岡本太郎、東日本大震災とつなげると、椹木野衣氏の路線を踏襲していることに気づく。一見、新しいようでなにか既視感が否めないのはそのせいか。

2019/09/13(金)(村田真)

見たことがないブリューゲル〜巨大3スクリーンによる映像の奇跡〜

会期:2019/09/10~2019/09/16

六本木ヒルズヒルズカフェ/スペース[東京都]

絵にもさまざまなタイプがあって、写実的に描かれた人物や情景から背後の意味や寓意を読み解く物語画から、純粋に色彩や形態を楽しむ印象派や抽象画まで千差万別だが、何十人もの人物がそれぞれの仕草をしている様子を細かく描いたブリューゲルの絵などは、さしずめ前者の代表例といえるだろう。特にブリューゲルのように細密な物語画の場合、美術館などでざっくりながめるより、複製であっても大判の画集で丹念に見たほうがわかりやすい。もちろんじっくり観察したい部分を拡大して見ることができれば、なおいいのだが。

そんな夢を実現してくれるのがこれ。って、陳腐なCMのフレーズみたいだけど。ブリューゲルの代表作3点を、ス-パー解像度のデジタル画像で3面スクリーンに投影し、部分的に拡大したり比較したりして作品を解読していくというもの。その3点とは、《反逆天使の転落》《ネーデルラントのことわざ》《洗礼者聖ヨハネの説教》で、それぞれ主題はまったく異なるものの、いずれの画面も人物や動物や怪物が数十数百と入り乱れ、だれが主役なのか、なにが主題なのかわかりにくい混沌状態。ブリューゲル作品のおもしろさは、このように主役や主題を絵のなかにちりばめ、紛れ込ませることで、1枚の絵を謎解きの読み物にしてくれる点だ。だから「ウォーリーをさがせ!」みたいにつぶさに見てしまうし、いつまでも見飽きないのだ。

それを巨大な画像で解読してくれるのだから……あれ? なんか矛盾してないか。絵解きを楽しむのがブリューゲル作品の正しい見方なのに、デジタル画像で痒いところに手が届くように見せられると、あらかじめ答えを教えてもらうみたいで楽しみが半減しかねないではないか。やっぱり夢を実現してくれるのは大きなお世話かもしれない。でもおもしろかったし、一度は見ておくべきだ。

2019/09/12(木)(村田真)

コートールド美術館展 魅惑の印象派

会期:2019/09/10~2019/12/15

東京都美術館[東京都]

ロンドンのコートールド美術館が改修工事による休館のため、印象派をはじめとする名作がごっそり借りられたそうだ。コートールド美術館は、サミュエル・コートールド(1876-1947)が集めた美術品を公開・研究する美術研究所の中核をなす美術館。

コートールドは松方幸次郎(1866-1950)とほぼ同時代の実業家で、印象派を中心に買い集めたのも同じ。違うのは、コートールドが松方より遅い1920年代の数年間に大半の作品を収集したこと。そして、松方が不況に陥ってコレクションを手放したのに対し、コートールドは1932年に美術研究所を設立してコレクションを寄贈したこと。この早業が決定的だったかもしれない。あ、もう1つ、松方よりコートールドのほうがはるかに見る目があったことだ。

今回も、ポスターやチラシにも使われているマネの《フォリー・ベルジェールのバー》をはじめ、ルノワール《桟敷席》、セザンヌ《カード遊びをする人々》、ゴーガン《ネヴァーモア》、モディリアーニ《裸婦》など、画集や教科書で見たことのある名画がずらりと並んでいる。でもいくら目利きとはいえ、コートールドが名画ばかりを選んで買い集めたわけではない。そうではなく、彼が集めた絵画をみずから建てた美術館で公開し、研究対象にし、画集に使ってもらうことで世界的に有名にしたと考えるべきだろう。美術品は個人的に楽しむものではなく、公共の財産だという信念がここにはある。もちろんそのことで作品の価値も上がるのだから、イギリス人の戦略勝ちである。

2019/09/09(月)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00050316.json s 10157565

文字の大きさ