2021年10月15日号
次回11月1日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

アナザーエナジー展:挑戦しつづける力 ─世界の女性アーティスト16人

会期:2021/04/22~2021/09/26

森美術館[東京都]

会場に入って最初に出会うのは、数十本の角材を立てた上にピンクやオレンジの布をかぶせ、大きな石の塊(に見せかけたハリボテ)を載せたインスタレーション。頭でっかちで崩れそうだが、ハリボテ感がありありで危機感がなく、むしろポップな色彩も相まってユーモラスでさえある。フィリダ・バーロウの《アンダーカバー2》という作品だ。その次は、ブラジルの地図や北斎の浮世絵などをコラージュした版画や映像を見せるアンナ・ベラ・ガイゲル、その次は、巨大な樹皮布に南洋の装飾パターンを描いたロビン・ホワイト、さらに、街頭で365人の参加者が議論している映像を流すスザンヌ・レイシー、と続く。

これだけでは、いったいなにがテーマなのか、どんな基準で作品が選ばれたのか見当がつかない。が、16人の出品作家がすべて女性で、年齢は満でいうと72歳から106歳までと高く、いずれも半世紀かそれ以上のキャリアがあり、にもかかわらず草間彌生のような著名作家が少なく、出身地は欧米に限らずアジア、中南米など14カ国にまたがると聞くと、なんとなく企画の意図が浮かび上がってくる。つまり、西洋の白人男性が築き上げてきたマッチョな美術史からこぼれ落ちた、もうひとつの現代美術にスポットを当てようとの意図が。

例えば、最年長のカルメン・ヘレラの絵画と彫刻は、半世紀以上前に抽象表現主義から派生したカラーフィールド・ペインティングやミニマルアートを彷彿させるが、彼女はまさにその世代。しかも驚くことに、1950年代と2010年代の作品を並べてもどちらが新作か旧作か見分けがつかないほど、一貫した姿勢を保ち続けているのだ。だがそれはモダニズムの進歩史観には逆流するものであり、キューバ出身の彼女の名前を知る人は少ない。古新聞や空き缶などの廃棄物を陶で再現した三島喜美代の立体は、ポップから派生したスーパーリアリズム彫刻の一種と見ることもできる。しかし、陶芸と現代美術にまたがる越境性やトリックアートのような表現、そして関西を拠点とするせいか、彼女もアートシーンの表舞台に立つことはなかった(もっともこれを機に急激に注目が集まりつつあるが)。

同様に、リリ・デュジュリーはミニマルアート、キム・スンギはコンセプチュアルアート、最年少のミリアム・カーンは新表現主義といったように、彼女たちがデビューした時代の美術動向に影響を受けたことは明らかだが、それぞれの運動の中心にいたわけではない。それはもちろん才能がなかったからではなく、彼女たちが「女性」だったからであり、欧米の白人男性が紡いできたモダニズムの理論からはみ出していたからにほかならない。ではなにがはみ出していたのかといえば、モダニズムによって軽視されてきた社会性であり、排除されてきた地域性であり、そしてなにより長らく抑圧されてきた女性性だろう。

 例えば、三島の作品は忠実に再現されたゴミの存在感に目を奪われがちだが、それを大量消費社会への警鐘と読むこともできるし、ロビン・ホワイトの巨大な平面作品は、南太平洋の伝統工芸の素材と手法を用いた女性たちの共同作業によってつくられていることに意味がある。また、スザンヌ・レイシーの映像《玄関と通りのあいだ》は、まさに女性問題を話し合うドキュメントだし、反戦や反核運動にも関わるミリアム・カーンの《美しいブルー》という作品は、題名どおり美しい青が印象的だが、じつは海に沈んでいく難民を描いたものだ。こうしたモダニズムが削ぎ落としてきた「余剰分」を、彼女たちは美しさ、豊かさとして採り入れ、拡大してきた。驚くべきは、みんなそれを半世紀にわたって継続してきたことだ。「アナザーエナジー」とはその持続力を指すのだろう。

2021/07/08(木)(村田真)

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三菱創業150周年記念 三菱の至宝展

会期:2021/06/30~2021/09/12

三菱一号館美術館[東京都]

三菱創業150年、一号館美術館開館10年を記念した展覧会。三菱初代社長の岩崎彌太郎、その弟の彌之助、彌太郎の息子の久彌、彌之助の息子の小彌太と、兄弟で社長リレーを繰り返していた岩崎家4代にわたるコレクションを披露している。出品は主に、彌之助の創設した静嘉堂と久彌が設立した東洋文庫からで、そのコレクションは美術に特化することなく文化・学術全般におよび、フィランソロピー精神に貫かれていることがわかる。だからまあ、美術館で鑑賞してもあまり楽しいものではない。茶道具、刀剣、漢籍などは興味ないし。

もちろん、そそられるコレクションもいくつかある。まずなんといっても、黒田清輝の《裸体婦人像》だ。黒田がちょうど120年前の1900-01年に再渡仏したときに描かれたヌード画で、帰国後、白馬会に出品したところワイセツと見なされ、警察の指示により下半身を布で覆われてしまった。いわゆる「腰巻事件」ですね。しかし下半身にはワレメはおろか毛の1本さえ描かれていない、いわば空白地帯。これならふっくら隆起したオッパイのほうがそそるだろうに、なんでなにもない部分を隠さなければならなかったのか、いまとなっては理解に苦しむ。でもなんでそんな問題作が岩崎家に入ったんだろうね。そそられたのかな。

ちなみに、黒田の師であるラファエル・コランの《弾手》も所蔵していたようだが、モノクロ写真しか残っていないところを見ると震災か戦災で焼失したのだろうか。また、パリで黒田に画家になることを勧めた山本芳翠の怪作《十二支》は、彌之助の依頼で制作され、三菱重工が所蔵しているはずだが、残念ながら今回は出ていない。この連作は見る機会がきわめて少なく、10年前の三菱一号館美術館の開館記念第2弾「三菱が夢見た美術館」展に一部が出たそうだが、ぼくは見逃してしまった。ともあれ、油絵は今回《裸体婦人像》と、原撫松の《岩崎彌之助像》しか出ていない。

もうひとつ興味をそそられたのは西洋の古書だ。特に15世紀後半のインキュナブラ(初期印刷本)であるマルコ・ポーロの『東方見聞録』や、14世紀のコーランの写本、17世紀の重厚な金具付きの聖書などは落涙ものだし、シーボルトの『日本動物誌』やグールドの『アジアの鳥類』といった博物誌は垂涎もの。いずれもアジアに関係しており、東洋文庫の所蔵だ。印刷関連でいうと、日本最古の印刷物である《陀羅尼》(仏教の呪文が書かれている)と、それを収めるカプセルの《百万塔》も興味深い。これは静嘉堂の所蔵。

そして最後に、これひとつだけで一部屋とっていた《曜変天目》にも触れなければならない。これはつい先日、静嘉堂文庫美術館最後の展覧会「旅立ちの美術」で初めてお目にかかったばかり。地味な作品の多いコレクションのなかでは見た目にも異彩を放つ、人気ナンバーワンの国宝だ。おもしろいのは展示形態。ふつう茶碗は側面を見せるものだが、これは内側を見せるため、四方から見下ろせるように低い位置に置かれている。確かに見るべきものは内側のグロテスクな模様だけで、外側は黒っぽくてなんの変哲もない。周囲をめぐりながら思ったのは、鑑賞するのに最適な角度というのはあるのか、ということ。器内の模様さえ見られればどこから見ても大して変わらないように思うのだが、カタログに載っている4点の写真を見るとすべて同じ角度というか、同じ部分が写っている。うち1点は茶碗を横倒しにして内部を撮っているが、肝心の部分が天に来るように置かれているのだ。これが《曜変天目》をもっとも美しく見るための角度ということだろう。どうでもいいけど、気になるのだった。

2021/06/29(火)(村田真)

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コレクター福富太郎の眼 昭和のキャバレー王が愛した絵画

会期:2021/04/24~2021/06/27

東京ステーションギャラリー[東京都]

これは見たい、と思ったら緊急事態宣言ですぐに休館してしまい、再開しても予約するのがウザくてなかなか行けず、ようやく見ることができた待望の福富太郎コレクション展。なぜそんなに見たかったのかというと、似たような人気作家ばかり集める近ごろの無個性なプチコレクターと違い、また美術史に沿って満遍なく集めようとする無趣味な大コレクターとも違って、福富は自分の好みがはっきりしていたからだ。しかもその趣味がほぼ一貫して「悪趣味」といえるほど際立っていたからでもある。

展示は約80点で、前半は鏑木清方を中心とする美人画に占められている。ここらへんはあまり興味ないが、それでも人魚を描いてベックリンとの類似を指摘された清方の《妖魚》をはじめ、日劇ミュージックホールの楽屋に取材した伊東深水の《戸外は春雨》、北野恒富の心中もの《道行》など、裏街道をいく異色作が目につく。もっと興味深いのは後半、明治初期の油絵からだ。高橋由一の初期の肖像画《小幡耳休之肖像》を皮切りに、水墨画の龍を油絵に翻案した川村清雄の《蛟龍天に昇る》、ワーグマン、メンぺス、ビゴーら滞日外国人の描いた日本の風物の絵など、マージナルな作品が並ぶ。

そして最後にくるのが戦争画関連。美人画とは対極にありそうなジャンルだが、彼自身の原点ともいうべき戦時期の絵だけに、これは好みで集めたというより、後世に伝えるためになかば義務として収集・保管してきたのだろう。日露戦争で戦死した夫の遺品に涙ぐむ満谷国四郎の《軍人の妻》、阿部合成の代表作《見送る人々》にもつながる不気味な《顔》、藤田嗣治の戦争関連画としては最初期の銃後の風景を描いた《千人針》、中国の都市に戦闘機の巨大な影を落とす向井潤吉の《影(蘇州上空にて)》、藤田と並んで戦争画の大家といわれた宮本三郎と中村研一による2点の若い航空兵の肖像画など、珍しい作品が多い。ちなみにこれらのうち第2次大戦時の作品96点は、福富の死後一括して東京都現代美術館に寄贈された。このことからも、福富にとってこれらの戦争画がほかのコレクションとは違った意味を持っていたことがうかがえる。

この戦争画を除けば、コレクションの大半は風俗画といえるが、福富はこれらを「物語画」として楽しんでいたのではないか。彼は1点1点の作品のなかにそれぞれ人情話を見出すのが好きだったようで、つまり絵を物語画として読み解いていた。それだけでなく、作品を購入するときのプロセスやエピソードもひとつのドラマとして語っていた。だから彼のコレクションは、福富自身の言説込みで「福富太郎コレクション」という大きな物語を形成していたのだ。こんなコレクター、ほかにいるだろうか。ところで、戦争画以外のコレクションは今後どうなるのか、その行方を知りたいところだ。

2021/06/16(水)(村田真)

角文平 The garden / Secret room

会期:2021/05/21~2021/06/20

アートフロントギャラリー[東京都]

壁に、龍安寺の石庭みたいな枯山水のレリーフが取り付けられている。《The garden》という作品だ。石の周りに波紋のような同心円までつくられているが、枯山水にしてはずいぶん色がケバいと思ったら、石の部分はボルダリングのホールドが使われているではないか。壁面を登っていくときにつかむ出っぱったアレ。色もかたちもサイズもさまざまだけど、もともとホールドは岩の出っぱりを想定しているのだから、こうやって使うのは理にかなっている。ちなみに、ボルダリングがオリンピック競技になったのは今回からだそうで、時宜にかなった企画というか、機を見るに敏というか。これからボルダリングを見るたびに枯山水を思い出しそう。

奥の部屋は《Secret room》というインスタレーション。暗い部屋の中央にアンティークな照明が床から数十センチの高さに垂れ下がり、その周囲に置かれたテーブルや柱時計など年季の入った家具を照らし出している。床には同心円の書かれたカーペットが敷かれ、古びたロボット掃除機が1人?で右往左往している。「ゲンビどこでも企画×ゲンビ『広島ブランド』デザイン スペシャル公募2020展」に出品された作品の東京バージョンということで、ときおり点灯する照明は核爆発を、床の同心円は爆心地からの距離を暗示しているようだ。核戦争後、人のいなくなった世界にロボット掃除機だけが部屋を清掃し続けるという悪夢を表した作品。どちらも文明批評としてきれいにまとめているが、手際がよすぎて器用貧乏にならないか気がかりだ。



[筆者撮影]


2021/06/13(日)(村田真)

「CAFAA賞2020-2021」ファイナリストによる個展 AKI INOMATA 「彫刻のつくりかた」

会期:2021/06/01~2021/06/14

公益財団法人現代芸術振興財団 事務局[東京都]

六本木ピラミデビルにもずいぶんギャラリーが増えてきた。ビル全体をギャラリーコンプレックスにしてまえという森ビルの思惑か。ぐるっと回ってみたが、ここ以外は予約制になっていたのでスルーした。ギャラリー巡りにいちいち予約なんかしてられるか!

「CAFAA」は現代芸術振興財団が主催するアーティスト・アワード。2015年から始まり、今回はAKI INOMATA、田口行弘、金沢寿美の3人が受賞、それぞれここで2週間ずつ個展を開いていく。今回はその第1弾。INOMATAはヤドカリのヤド(建築)を3Dプリンタで製作し、実際にヤドカリに住まわせるという作品で知られるが、今回は無骨なかたちの木塊を何本か置いている。ヘタクソ以前の造形だが、それもそのはず、これはビーバーに角材をかじらせた彫刻なのだ。いや正確にいえば、これを「彫刻」と呼ぶのかと問題提起しているのだ。

ビーバーもただでたらめにかじっているわけではなさそうで、硬いところやまずい部分は避けるため、結果的に人物像に見えなくもない木塊もできる。もちろんそれはビーバーの美意識の反映ではないけれど、それなりに必然性のあるかたちであることは確かだろう。木の表面を年輪に沿って削ったジュゼッペ・ぺノーネの作品を思い出すが、ぺノーネが明確な芸術的意図の下に彫っているのに対し、ビーバーはただ本能に任せてかじっただけ。だからビーバーがつくった造形というより、木に内在する秩序がビーバーをして彫らせたかたちというべきだが、それを芸術的意図の下にやらせたのはINOMATAにほかならない。それは果たして「彫刻」なのか、「芸術」なのか。

2021/06/05(土)(村田真)

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