2021年07月15日号
次回8月2日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

岡本光博 「オキナワ・ステーキ」

会期:2021/02/06~2021/02/27

eitoeiko[東京都]

「オキナワ」をモチーフにした岡本の個展。岡本と沖縄といえば、2017年に沖縄の伊計島にあるスーパーのシャッターに、墜落するヘリコプターやパラシュートなどを黄地に黒でペイントした《落米のおそれあり》(2017)を発表して物議を醸したことが記憶に新しい(その2年後、同作品は「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」に出品され、さらに有名になった)。しかし岡本と沖縄の関係はさらに10年以上も前に遡り、2004年から2年ほど岡本が沖縄の大学の非常勤講師を務めていたときに始まるという。今回の出品作品も《落米のおそれあり》を除き、大半はこの時期につくられたものだ。

展覧会名にもなった《OKINAWAN STEAK》(2005)は、日米のコックが巨大なステーキを料理する姿をポップに描いた作品で、このコックは沖縄の有名な2店のステーキハウスの看板から引用したものだという。ステーキは沖縄本島のかたちをしており、日米に翻弄される現状を表わしている。街で見かける「工事中」の看板が「演習中」に書き換えられている作品も2点ある。「ご迷惑をおかけします」と書かれた言葉の下には、それぞれ兵士姿の白人と黒人がおわびしている。床には赤く塗られた紙が数百枚、赤絨毯のように敷かれているが、これは摩文仁の丘に建つ戦没者24万人の氏名が刻まれた「平和の礎」を赤鉛筆でフロッタージュしたもの。そのとき削った赤鉛筆のカスを泡盛の小瓶に詰めた作品もある。

《to MANKO》(2005)と題された映像は、那覇にある前島アートセンターから漫湖までボートで川沿いに遡上するパフォーマンスを記録したもの。しばらく見ていたけど、映像そのものはおもしろくもなんともない。漫湖は現在ラムサール条約にも登録される干潟になっているが、別に環境保護を訴えるわけでもなく、ただ漫湖に行ってそれをタイトルに使いたかっただけなのでは? こういう下ネタも岡本の得意とするところだ。ちなみに同展をキュレーションした工藤健志氏は展覧会名を「to MANKO」にするつもりだったが、広報がやりにくくなるのでやめたらしい。「オキナワ・ステーキ」なら「沖縄・素敵」とも読めるし。

この個展にあわせ、渋谷の水野学園に併設されたHOLE IN THE WALLという展示スペースでも「MUNI」と題する個展を開催しているので(2/15-27)、ついでに足を伸ばしてみた。こちらは岡本のもうひとつの得意技であるブランドいじり。「MUNI」とは無印良品とユニクロを合体させた偽ブランドで、実際に両製品を半分ずつ使ってシャツやパンツを仕立て上げている。ほかにも、サンローランやポール・スミスなどブランドタグをつぎはぎして一枚のシャツに仕立てたり、ルイ・ヴィトンのロゴの入った革でバッタをつくったり、いじり放題。さらにブランド企業から送られた抗議や警告文をそのまま大理石に刻字した「作品」もあって、とても楽しめる。


MUNI

会期:2021年2月15日(月)〜27日(土)
会場:HOLE IN THE WALL(東京都渋谷区渋谷1-20-5)

2021/02/24(水)(村田真)

岩岡純子 個展

会期:2020/12/19~2021/02/20

オークウッドアパートメンツ六本木セントラル ロビー[東京都]

六本木の長期滞在型アパートメントのロビーで作品を展示している。セキュリティがかかっているため、あらかじめ日時を予約して案内してもらわなければならない。作品は名画のコラージュと風景画シリーズの2種類だ。コラージュのほうは、ブリューゲル、ゴーガン、ゴッホ 、ロートレックの複製画を使ったもの。横長のキャンバスを2分割して左半分に複製画を貼り、そこから切り抜いた人物を、右半分に描いた風景の中に登場させるという趣向だ。右側の風景はこのアパートメントの室内だったり、ドン・キホーテ六本木店だったり、小山登美夫ギャラリーだったり、いずれも六本木界隈が選ばれている。

今回のメインである風景画シリーズのほうは、文字どおり風景を描いたもの。といっても山でも海でも街でもなく、タイルやガラス窓やカーテンや座布団など、それだけでは主役にならないだろう背景の脇役をズームアップして描いているのだ。いずれも実物の何倍も拡大してオールオーバーに描写しているので、表面の模様がクローズアップされ、ほとんど抽象画と見紛うばかり。これはおもしろい。でもこれ1点だけ飾ってもなんだかわからないし、おもしろくもなんともない。そこがまた一周回っておもしろい。



岩岡純子《窓》(2018)西治コレクション [筆者撮影]


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2021/02/16(火)(村田真)

丸山純子「いきて展」

会期:2021/02/04~2021/02/11

ギャルリーパリ[神奈川県]

BankARTのR16にスタジオを構える丸山の、ドイツ渡航前の個展。ギャラリーの壁に沿って簡素な棚をつくり、その上に木の枝や針金、陶片、プラスチック片などの拾いものを縄で結んだり、ワックスで固めたりしたオブジェを数十個並べている。すべて黄ばんだり褐色に変色したガラクタなのだが、こうして並べるとそれなりに価値あるものとして見えてくるから不思議だ。壁にはワックスや鉛筆で描いたドローイングがかけられ、奥のスペースにはJの字型の白い物体が鎮座している。一見、建築のマケットのようなこの物体、石鹸の塊だという。その向こうの窓の下には、丸山の代表作ともいうべきレジ袋の花が顔をのぞかせている。

ぼくが最初に見た丸山の作品は、女体をかたどったアイスキャンディだった。女体をペロペロなめて溶かしていくというキワドいもので、フェミニズムなのかアンチフェミニズムなのか判断しかねた。その後、レジ袋を再利用した花のインスタレーションで評価を得たが、そこにとどまることなく、試行錯誤しながら石鹸を使った作品を制作し続けている。以前、丸山に「なぜ石鹸か」を問うたとき、「人間に近いから」という答えが返ってきた。確かに石鹸の成分は脂肪だし、肌と親和性があるから人間に近いといえるが、でもそのときぼくが連想したのは、ナチスがユダヤ人の人体から石鹸をつくったというおぞましい蛮行だった。丸山の作品は、本人がどこまで意識しているかは別にして、つねに両義性をはらんでいる。そこがおもしろい。

今回の作品に共通しているのは、廃物を利用していること。きれいは汚い。汚いはきれいであること。そしてレジ袋の花を除くと、ヨーゼフ・ボイスを彷彿させることだ。いまはどうか知らないけれど、かつてドイツの大きな美術館に行くと、必ずといっていいほどボイスの部屋があり、古びた脂肪の塊やフェルトや得体の知れない液体の入った瓶など、それこそガラクタが無造作に並べられていたものだ。ボイスが脂肪やフェルトを使うのは、人間の生命維持に欠かせない素材だからだと聞いたことがある。丸山は知ってか知らずか、ボイスの近くにいる。彼女がドイツを選んだのか、ドイツが彼女を選んだのか。

2021/02/11(木)(村田真)

BankART AIR 2021 WINTER オープンスタジオ

BankART Station、R16 studio[神奈川県]

みなとみらい線新高島駅に直結したBankART Stationと、旧東横線高架下の空間を利用したR16で、昨年12月から制作を行なってきたアーティストたちが成果を発表した。ステーションは16組、R16は7組の計23組。素人からプロまでピンキリのなか、目立ったものをいくつか紹介したい。まずはステーションの庄司朝美。作品は、暗い背景に手の長い人物や骸骨を描いた幻想的な絵画だ。イメージそのものは新表現主義華やかなりしころに見かけたような既視感を覚えるものだが、アクリル板に油彩で描いた画面を裏返して見せるため、絵具の滑りがよく、一風変わった筆触になっている。大学で銅版画をやっていたそうで、そういわれれば黒っぽい絵具のかすれ具合は銅版画のイメージにも通じる。

石川慎平の「彫刻」にも興味をそそられる。雨のなかをジャケットを被って歩くジャコメッティの有名な写真(ブレッソン撮影)を彫刻化した《statue of a sculptor》を中心に、チープな置物を金色に塗って大理石の台座にのせた《warp》、昨年のBLM(Black Lives Matter)運動によって倒されたテネシー州のエドワード・カーマックの銅像を、極少に再現して転がした《easy fall, easy stand》など、いずれも小品ながら彫刻の本源を問う作品ばかり。絵画を額縁ごと木彫した《DAYDREAM》や、表面に凹凸のある油絵をシリコンで型取りし、さまざまな色の素材で複製した《painting sculpture》など、絵画と彫刻の境界を綱渡りする作品もある。

細淵太麻紀の「八百万の神」シリーズも瞠目に値する。アマゾンの箱やマグカップ、キャンベル・スープ缶、マッチ箱、マグリットの画集、リンゴなど、身近にある容器に穴を開けて(リンゴは芯をくり抜いて)ピンホールカメラをつくり、その場で撮影した写真を展示している。露光に数分かかるし、画像も鮮明ではないものの、どれもちゃんと写っている! 次は脳内カメラとか胃カメラに挑戦しては?

R16では渡辺篤がすばらしい作品を見せている。渡辺は「ひきこもり」との協働プロジェクトで知られるが、現在は「同じ月を見た日」というプロジェクトを推進中。これは国内外を問わず、自粛生活という名目でひきこもりをなかば強制されている人たちに呼びかけ、それぞれの場所から見える月の画像を送ってもらい、それらをつないで大きな月を映し出そうというもの。月というのは地球上からならどこでも同じ面が見られるわけで、考えてみればそんな場所は月以外にない。太陽はまぶしくて見られないし、星は光の点にしか見えないからだ。このプロジェクトの肝は、地球上の人間が誰でも同じものを見ることができるという点にあり、それは月をおいてほかにないのだ。こうして内外から集めた画像をつなぎ、三日月から満月までの満ち欠けを円形ボードに投影。実際、暗くなると高架下に現われる月は圧巻で、平面上に映しているのに、月の陰影のせいかまるで球体のような立体感をもって現われるのだ。この作品は3月21日までの17時以降、改めて公開される予定。



渡辺篤の展示風景 [筆者撮影]

会期:2021/02/05~2021/02/07、2021/02/12~2021/02/14

2021/02/05(金)(村田真)

飯沼英樹「Symptoms / 兆候」

会期:2021/01/08~2021/02/06

SNOW Contemporary[東京都]

着色された木彫の女性像で知られる飯沼の個展。ギャラリーの入り口の前に、両手にバッグを抱えた女性像が1体たたずんでいる。目を引くのは、白いマスクを着けていることと、バッグにグラフィティ特有の文字が書かれていること。ギャラリーに入ると、今度は白衣に白いキャップとマスクを着けて(つまりナース風)、やはりバッグを持った女性像が6体、横に並んで出迎えてくれる。いずれも台座と一体に彫り出されたもので、台座を除くと高さは30-40センチくらいだろうか、彼女たちのマスクやバッグにもグラフィティが書かれている。時代を反映させた彫刻。といいたいところだが、マスクはともかく、グラフィティは80年代に流行した「ワイルドスタイル」と呼ばれる書体で、必ずしも「いま」を表わしているわけではない。

興味深いのは、マスクは彫刻で表現できるけど、グラフィティは彫刻できず、表面に書くしかないこと。つまり飯沼はひとつの作品のなかに、彫刻と絵画(グラフィティ)という2つの制作を行なっているのだ。現在を表わすマスクとオールドスタイルのグラフィティ、3次元の彫刻とその表面に付着する絵画。それらを一体化させた重層的な作品といえる。これらの彫刻とは別に、キャンバスにスプレーで書いたグラフィティも8点ほど出している。彫刻にグラフィティを書くだけでなく、絵画として独立させたかったのだろうか。

2021/02/05(金)(村田真)

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