2020年01月15日号
次回2月3日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

手塚愛子展「Dear Oblivion ─親愛なる忘却へ─」

会期:2019/09/04~2019/09/18

スパイラルガーデン[東京都]

織物の糸を部分的に抜くことで織物に別の価値を与える、そんな織物の解体と再構築をテーマにしてきた手塚の個展。今回はスパイラルの大空間に大作を吊るしている。幕末に討幕運動の軍資金を得るため輸出用につくられた薩摩ボタンをモチーフにした《必要性と振る舞い(薩摩ボタンへの考察)》をはじめ、明治時代に洋装を初めて採り入れた昭憲皇太后の大礼服にヒントを得た《親愛なる忘却へ(美子皇后について)》、インド更紗にレンブラントの大作を重ねた《華の闇(夜警)》など、見応え、読み応えのある作品が並ぶ。初期のころは解体された織物の色彩と形態に目を引かれたが、最近は美術史や女性史との関わりへと彼女自身の関心が広がっているように感じる。手塚の関心は絵画にあるはずなので、これらは織物の解体と再構築というより、シュポール/シュルファスにも通じる絵画の解体・再構築と見るべきだろう。まだまだ化けそうだ。

2019/09/07(土)(村田真)

話しているのは誰? 現代美術に潜む文学

会期:2019/08/28~2019/11/11

国立新美術館[東京都]

サブタイトルに「現代美術に潜む文学」とあるが、いわゆる文学作品を視覚化した美術ではなく、現代美術から読み取れる物語性、あるいはそれを読み解くリテラシーといった意味だろう。つまりここでは視覚的なおもしろさより、作品に秘められた意味や物語をいかに読み解くかが問題になる。出品作家は展示順に田村友一郎、ミヤギフトシ、小林エリカ、豊嶋康子、山城知佳子、北島敬三の6人。

最初の田村友一郎は、導入で車のナンバープレートを掲げている。なんだろうと思いながら次の部屋に行くと、ハンバーガーショップらしき建築模型が置かれ、隣の部屋にはナンバープレートがたくさん横たわり、最後の部屋にはハンバーガー店のロゴマーク、櫂、コーヒーカップの写真が展示されている。そこで流れてくるナレーションを聞くうちに、バラバラだった要素がひとつの物語としてつながってくるというインスタレーションだ。



田村友一郎《Sky Eyes》展示風景


小林エリカは暗い部屋のなかで、蛍光色のウランガラスによる$マークの彫刻や、手の先から炎が発する写真や映像、1940年の幻の東京オリンピックで計画された聖火リレーの地図などを展示。これも部分的に見ただけではわからないが、全体を通して戦争と核について物語っている作品であることが了解される。どちらも現代美術の見方(読み方)を知らなければ理解しにくい作品だが、読み解けば世界の見方が少し変わったような気になるだろう。逆にいえば、個々の写真や映像だけ見てもおもしろいものではないし、クオリティが高いわけでもない。



小林エリカ《わたしのトーチ》展示風景


これとは対照的なのが、豊嶋康子と北島敬三だ。豊嶋はほぼパネル作品のみの展示。パネルの上に絵を描くのではなく、表面を削ったり、裏面に角材を貼り付けたりしている。なんだかよくわからないが、支持体であるパネルが作品になっていたり、裏表が逆転していたり、あれこれ考えているうちにおかしさがこみ上げてくる作品だ。これは全体としてひとつのストーリーを構成しているわけではないので、1点1点の作品と向き合う必要がある。

最後の北島は、東西冷戦時の東欧の人々、崩壊前のソ連の共和国、日本各地の風景を記録した3つの写真シリーズを展示。冷戦前後の東側の空気と、3.11前後の日本の風景の変化が読み取れる。それだけでも強く訴えかける力があるが、なにより目を引くのは1点1点の写真のもつ美しさだ。これまで北島の写真をまとめて見たことがなかったが、失礼ながらこんなに美しいとは思わなかった。それはこの展覧会の最後に置くという順序も関係しているに違いない。現代美術は読解力がなければ理解しにくいが、理解できればそれで終わりというわけではない。最後の砦はやはり芸術性なのだ。



北島敬三「UNTITLED RECORDS」展示風景


2019/09/07(土)(村田真)

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メガロマニア植物学

会期:2019/05/21~2019/10/06

JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテク[東京都]

人が乗れるほどのオニバス、直径1メートル近いフキの葉、長さ2メートルもあるタビビトノキの葉……。巨大植物の標本ばかりを集めている。生物の姿をできるだけ実物のまま博物館で見せるにはどうすればいいか? 動物なら剥製や骨格標本にできるが、植物の場合は組織が柔らかいためオリジナルの形状や色彩を保つのは難しい。押し花程度ならまだしも、巨大植物を無理に標本化しようとすると、パリパリにひからびて形が崩れてしまいかねない。それなら絵に描いたほうがオリジナルに近いし、なにより美しい。でも博物館屋はあくまで実物標本にこだわる。その結果、なにやら現代美術に近づいたような……。これを延長させると、ボルヘスの「原寸大の地図」にいたるかもしれない。

2019/09/06(金)(村田真)

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松山賢展─縄文風時代─

会期:2019/08/28~2019/09/09

高島屋新宿店10階美術画廊[東京都]

縄文をモチーフにした絵画と土器の展示。もちろん素直に縄文風の土器を描いたり焼いたりしているわけではない。ウルトラマン風があったりいまどきのタトゥーねーちゃんがいたり、イノシシやツチノコや地球の土偶(?)があったり、今年「土器怪人 土偶怪獣 松山賢展」を開いた新潟県・津南町の風景画があったり。サービス精神旺盛な作者らしく、ヴァラエティに富んでいる。なかには、人のかたちをデフォルメしているうちに飛行機みたいな流線型になり、やがてジェット機、ロケットと進化していく過程を土器化したものもある。縄文のロケット土器。そのうちIT土器とかブラックホール土器なんかもできるんじゃないか。

2019/09/06(金)(村田真)

小早川秋聲─無限のひろがりと寂けさと─

会期:2019/08/31~2019/09/16

加島美術[東京都]

関東では初めてという回顧展。小早川秋聲(1885-1974)といえば、ぼくは戦争画の《國之楯》と《日本刀》しか知らないし、同展も《國之楯》を中心に展示されているので、これが代表作といっていい。でも戦争画が代表作といわれるのは、画家にとってどうなんだろう。ましてや住職の家に生まれ、敗戦後30年近くも生きた日本画家としては忸怩たるものがあったに違いない。おそらくそうした葛藤が《國之楯》に先取りされているからこそ、代表作といわれるのかもしれないが。

《國之楯》は1人の兵士の遺体が軍服姿のまま横たわり、顔には寄せ書きされた日の丸の旗が掛けられている。背景は漆黒で身体が宙に浮いているようにも見え、頭上には光輪のような輪が掛かり、よく見ると身体の上にも大きく弧が描かれているのがわかる。息子を寝かせて描いたとされ、秋聲の妻は縁起が悪いと嫌がったという。秋聲はこれを陸軍省に依頼されて制作したにもかかわらず、日本兵の死体を描いたため、厭戦気分が広まるのを恐れた軍部から受け取りを拒否されてしまう。そこで彼は身体の上に降り積もっていた桜の花を黒く塗りつぶし、題も当初の《軍神》から《大君の御楯》に変え、さらに戦後《國之楯》に改題し、絵にも手を加えたという。身体の上には桜花の痕跡が残り、うっすら見える円弧は塗りつぶした跡らしい。戦争に協力したことを後悔していた証だろう。

この作品は京都霊山護国神社の所蔵で、鳥取県の日南町美術館に寄託しているため、なかなか見る機会がなかった。今回は同作品を含めて計40点を集めているが、絵の放つオーラといいサイズといい《國之楯》が圧倒的。それ以外の戦前の作品は花鳥風月のほか、渡欧した際のパリのサーカスを描いた《巴里所見》など日本画には珍しい画題もある。満州事変の翌1931年には早くも従軍画家として名乗りを上げ、計45回中国に渡ったというから当初はやる気満々だったのだ。明らかな戦争画としては《日本刀》《軍艦》などがあるが、あからさまに戦闘を描いていない《明けゆく蒙古》《祖国日向之秋》《三日月兜之譽》なども、拡大解釈すれば戦争画の範疇に入るだろう。逆に《國之楯》は見ようによっては「反戦画」と見ることもできる。

2019/09/04(水)(村田真)

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