2019年09月01日号
次回9月17日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

横浜開港160年 横浜浮世絵

会期:2019/04/27~2019/06/23

神奈川県立歴史博物館[神奈川県]

幕末から明治初期にかけて、西暦でいえば1850年代末から1880年ごろまでの20年あまりのあいだに横浜で描かれた浮世絵を公開している。出品は、浮世絵コレクターとして知られる丹波恒夫と斎藤文夫が集めた計330点にも及ぶ(前期と後期で総入れ替えするので半分しか見ていない)。失われたものも相当あるはずだから、いったいどれだけ描かれたのか。浮世絵は1点ものの絵画と違って売れてなんぼの商売なので、次々と新しいモチーフを発掘して作品化しなければならない。その点、幕末の横浜は黒船来航から開港、異人さんの姿、洋館、鉄道まで目新しいモチーフにこと欠かなかったので、次々と出版することができたのだろう。横浜市史にとっての浮世絵も重要だが、近代浮世絵史における横浜の重要性についても再考する必要がありそうだ。

興味深い作品がいくつかあった。「横浜売物図絵」シリーズには、海を渡ってきた西洋画らしき画中画が描かれているが、どう見ても浮世絵。そりゃ、西洋画を浮世絵で描けといわれても西洋画にはならず、浮世絵になってしまうわな。また横浜ではなく、亜墨利加、英吉利、仏蘭西など西洋の都市風景を描いた絵もある。おそらく銅版画かなにかを参照したのだろう、稚拙ながら遠近法も試みているところがいじらしい。

ずっと見ていくと、野毛、馬車道、海岸通、吉田橋などなじみのある地名が出てきて、だいたいどこを描いているか推測できるが、現在も残っている建築がひとつもないことに気づく。あえて強調するが、開港からたった160年しか経っていないのに、ひとつも残っていないのだ。横浜は神奈川県本庁舎や開港記念会館といった歴史的建造物が残っているのが自慢だが、それとて関東大震災後に建てられたもので、まだ100年もたっていない。吹けば飛ぶような歴史の浅さ……。それだけになおさら、こうした紙媒体の記録は重要度を帯びていくに違いない。

2019/05/17(金)(村田真)

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The Nature Rules 自然国家:Dreaming of Earth Project

会期:2019/04/13~2019/07/28

原美術館[東京都]

その名を耳(目でもいい)にするのは久しぶりのアーティスト、崔在銀(チェ・ジェウン)の発案・構成による展覧会。朝鮮半島を南北に二分する非武装地帯(DMZ)を舞台に、何ができるか、何をすべきか。崔が李禹煥、オラファー・エリアソン、川俣正、イ・ブル、坂茂、スタジオ・ムンバイといったアーティストや建築家に声をかけ、自由に発想してもらったプランを紹介している。DMZは停戦ラインの南北2キロずつ立ち入り禁止の緩衝地帯になっており、300万個ともいわれる地雷が埋められていることもあって、100種を超える絶滅危惧種をはじめ5000種以上の生物が育まれているという。

崔は不要になった鉄条網を溶かして鉄板にし、飛び石状に並べてその上を歩いて行けるようにした。川俣は「ネスト(巣)」シリーズの延長で崖の上に木材を組んで鳥の巣状の展望台をつくり、坂は地雷に触れないように竹で遊歩道を渡して歩くプラン。どっちかというと海外のアーティストが自然科学的アプローチでプランを考えているのに対し、日本人はDMZを観光資源として捉えて提案していて、その違いはどこから来るんだろう。福島県の帰還困難区域で行なわれている「Don't Follow the Wind」にも似た「未完のプロジェクト」。

2019/05/15(水)(村田真)

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荒木悠「LE SOUVENIR DU JAPON ニッポンノミヤゲ」

会期:2019/04/03~2019/06/23

資生堂ギャラリー[東京都]

作品は全部で10点ほど出ているが、メインは《The Last Ball》という映像。ピエール・ロティの紀行文「江戸の舞踏会」を下敷きにした芥川龍之介の短編小説『舞踏会』に基づくという。スクリーンは壁面と宙づりの2面あるが、宙づりのスクリーンは表裏に映されるので計3面になる。まず壁面を見ると、西洋人の男性(ロティ)と日本人の女性(明子)がワルツを踊っているように見えるが、よく見ると2人はお互いに追いかけながらiPhoneで相手を撮っているようだ。宙づりスクリーンの片面には女性を撮っている男性が、もう一面には男性を撮っている女性が、それぞれiPhoneをこちらに向けながら逃げ回るように映っている。見る(撮る)者が見られ(撮られ)、見られる(撮られる)者が見る(撮る)。これがロティ(および明子)の視線だとすれば、それを見る(撮る)第三者の視線は芥川の視線に重なるだろうか。非常に重層した構造をもった作品。

2019/05/10(金)(村田真)

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ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち

会期:2019/04/06~2019/06/23

パナソニック汐留美術館[東京都]

別に「ウィーン・モダン」展と同じ日に見ようと計画していたわけじゃなく、たまたまそうなっただけだけど、この2展を続けて見るのは悪くない。ギュスターヴ・モローは言うまでもなくパリの世紀末を彩った象徴主義の画家で、今回は特にサロメをモチーフにした作品を中心に展示しており、さまざまな意味でクリムトと比較できるからだ。ちなみに日本では10年に一度くらいモロー展が開かれているが、いずれもパリのギュスターヴ・モロー美術館からの出品。

展覧会は「モローが愛した女たち」から「《出現》とサロメ」「宿命の女たち」「《一角獣》と純潔の乙女」まで4章立てで、パレットやメモを含め計69点で構成されている。サロメを中心にすべて「女性」がテーマになっているのが世紀末っぽい。だいたい西洋美術に登場する女性は、聖母や聖女、良妻賢母、そして「宿命の女」の三つに分けられるが、世紀末に好まれたのが宿命の女、フランス語でいう「ファム・ファタル」であり、とりわけ男の首を獲ったサロメとユディトがもてはやされた。モローはサロメの挿話を何点も手がけており、今回は《サロメ》《ヘロデ王の前で踊るサロメ》《洗礼者聖ヨハネの斬首》など、油絵や素描を合わせて計26点が出ている。なかでも踊るサロメの前にヨハネの首が現れる《出現》は、表現主義的ともいえる描写の上に線描で装飾を加えたレイヤー表現で、きわめて斬新。

ほかにも《エウロペの誘拐》や《一角獣》など見ごたえのある完成作もあるが、大半は小ぶりの習作やスケッチ。なかにはなにが描いてあるのか判別できない抽象的な作品もあるが、そこにモローならではの多義性がある。クリムトが20世紀の表現主義に一歩踏み出したように、モローも視界の先にフォーヴィスムや抽象を見据えていたのかもしれない。会場となった汐留美術館は、フォーヴィスムの画家ジョルジュ・ルオーのコレクションで知られているが、意外なことにルオーはモローの弟子だったのだ。

2019/05/10(金)(村田真)

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ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道

会期:2019/04/24~2019/08/05

国立新美術館[東京都]

都美の「クリムト展 ウィーンと日本 1900」の主役が画家クリムトなら、こちら「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」の主役は、クリムトの名がタイトルに入ってはいるものの、やっぱりウィーンという都市でしょうね。出品物もほぼすべてウィーン・ミュージアムから借りたものなので、クリムトの絵を期待して行くとがっかりするかもしれない。なにしろ前半は時代遅れの田舎臭い絵画や工芸がこれでもかと並び、なかなかクリムトにたどり着けないからだ。まあ、ウィーンという都市自体がヨーロッパの端っこにあるもんだから、田舎臭いのは仕方ないか。

いくつか妙な絵もあった。マリア・テレジアの肖像画の額縁の上部に、息子ヨーゼフ2世の肖像画がはめ込まれていたり、フランツ1世の書斎を描いた画面内の壁に本物の時計が取り付けられていたり、トリッキーな細工が施されているのだ。おもしろいけど、こんな小細工で注目を集めてどうするみたいな。19世紀前半のビーダーマイアー様式の絵画も、基本リアリズムなのに現実味に乏しくウソっぽい。19世紀末のクリムトまで名の知られた画家はひとりも登場せず、とにかく美術史の主流から完全に外れているのだ。と、バカにしてみましたが、ウィーンは芸術の中心パリからは遠いけど、神聖ローマ帝国からオーストリア・ハンガリー二重帝国の時代まで中東欧の首都であり、モーツァルト、ベートーベン、シューベルトを育んだ音楽の都であり、東はオスマントルコ帝国と接するアジアの玄関口であり、そのずっと東の果てで長いあいだ鎖国していた日本などに比べれば、はるかに発展していたことは言うまでもない。

とはいえ、やっぱりパリに比べれば近代化が遅れていたことは確か。パリでは19世紀後半にレアリスムや印象派などのモダンアートが登場し、その反動として象徴主義やアール・ヌーヴォーなどの世紀末芸術が注目されたのに、ウィーンではモダンアートが到来したのが19世紀末だったため、世紀末芸術とモダンアートが混在した、というよりモダンアートが世紀末芸術だったのだ。だから結論だけいうと、クリムトは印象派もポスト印象派も、象徴主義もアール・ヌーヴォー(ドイツ語圏ではユーゲントシュティール)も、あまつさえ20世紀の表現主義までひとりで抱え込まざるをえなかったのだ。もっといえば、それ以前のビーダーマイアー様式のリアリズム表現や工芸的な職人技、ジャポニスムの影響も内面化しているため、単線的な美術史では捉えきれない複雑な多面性が見てとれるのだ。あーそうだったのか、ひとりで納得した。

2019/05/10(金)(村田真)

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