2020年11月15日号
次回12月1日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

本間純 「I saw a landscape」

会期:2020/06/26~2020/07/22

void+[東京都]

大きな金属板にプリントした風景写真の中央部をヤスリで帯状にこすり、その中心部分を鏡面のように磨き上げた《侵食の風景―オラニエンブルグ》。オラニエンブルクとはベルリンの街区名で、そこにかつてナチスの強制収容所があり、そこから見た風景だそうだ。こすった部分とプリントの境界はグラデーションになって、煙が立ちこめているようにも見え、また、鏡のように磨いた面には自分を含めた現在のこちら側が映し出される。もう1点、上辺を固定した立て看のような2枚の金属板も、同じくプリントした画像を上からヤスリでこすりとり、下のほうだけ残している。そこに写っているのはなんの変哲もない階段のようだが、これもやはり《侵食する風景―富岡町》というタイトルを聞くと、オラニエンブルクと同じく見え方が変わってくる。でもね……。

本間はコメントの冒頭で、「東京郊外の住宅街で生まれ育った私の原風景は、高度経済成長期の風景である。周りの環境が効率的で均質な方向に変化し開発されていく中で、かつての風景が見えない残像のように残っているのを見た」と、制作のモチベーションを述べている。であるならば、わざわざベルリンや富岡町のような、誤解を恐れずにいえば使い古され、陳腐にすらなった「名所」を求めるのではなく、もっと身近な場所を選ぶべきではなかったか。その意味でもっとも説得力があったのは、コロナ禍で本展が開けられないあいだに制作したという《侵食の風景―世田谷の桜》であった。思わず買っちゃいそうになった。

2020/07/11(土)(村田真)

盗めるアート展

会期:2020/07/10~2020/07/19(2020/07/09に終了)

same gallery[東京都]

タイトルどおり、展示作品を盗むことができるというトンデモ展覧会。会期は10日午前0時から19日まで10日間の予定で、すべて盗まれた時点で終了というルール。初日の朝9時40分、もうカスしか残ってないかもしれないと思いながらに行ってみたら、カスどころか扉も閉まり「盗めるアート展は終了いたしました」の紙が貼ってあるだけ。ぼくは別に盗みにきたわけじゃなく(もちろんいい作品が残っていたらいただきましたが)、どんなことになってるか確かめにきただけなんで、むしろおいしいネタにありつけてごっつぁんなんだけど、ぼくより一足先に来た3人の青年はさすがにがっかりしていた。



[筆者撮影]


これが売り物なら開催前に完売で大喜びだろうけど、開催前にすべて盗まれるって、主催者としてはどうなんだろう。聞くところによると、前夜11時すぎから会場前に人が押し寄せ、住民から苦情が出て警察も駆けつけ、仕方なく11時半ごろに開場したとたん人がなだれ込んで、ものの10分ほどで全作品が盗まれたという。SNSだけでなくテレビでも紹介されたらしく、事後も含めて話題になったという点では大成功といえるかもしれないが、約束を守って12時に来た人たちからは大ブーイングを浴びたはず。いったい、アートはタダなら喜んでもらうけど、金を払うのはいっさいゴメンてことなのか、それともアートだろうがなんだろうが、合法的に盗めることがうれしいのか。ちょっと考えさせる「事件」ではありました。

2020/07/10(金)(村田真)

気になる、こんどの収蔵品―作品がつれてきた物語

会期:2020/07/04~2020/08/27

世田谷美術館[東京都]

2階では近年コレクションに加えられた作品を、エピソードを交えて紹介している。点数は122点と多いが、大半は版画や水彩などのペーパーワークで、油絵も小品が中心。そんななかでも目に止まった作品が何点かあった。宮本三郎の「国立競技場モザイク壁画《より速く》下絵」は、1964年の東京オリンピックの前に描かれたもの。チラシにも使われるだけあってさすがにうまい。戦争画からヌード、公共デザインまでなんでもござれだ。『暮しの手帖』を創刊した花森安治は書画も達筆で、味わい深い。第2次大戦末期、日本に帰らずフランスの収容所に入れられたという末松正樹のドローイングも貴重だ。

でもいちばん惹かれたのは、花澤徳衛という人の4点の油絵。ぜんぜん知らなかったが、岡本太郎と同じ1911年生まれで、家具職人からスタートし、斎藤与里に油絵を習ったと思ったら、なぜか東宝専属の映画俳優に転身。戦後はフリーの俳優となり、2001年に没という破天荒な経歴の持ち主だ。その絵は一見稚拙に見えながらも、油絵の基礎を身につけているため鑑賞に堪える、というだけでなく、かなりユニーク。出品された4点はいずれも80歳前後の作品だが、そのポップなデフォルメは同世代にも同時代にも例を見ない。この4点だけだろうか、もっとあったらまとめて見たい。

2020/07/08(水)(村田真)

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作品のない展示室

会期:2020/07/04~2020/08/27

世田谷美術館[東京都]

最近は足が遠ざかっているとはいえ何十回も通った世田美だが、空っぽの展示室を見るのは初めて。コロナ禍でスケジュールに穴の開いた美術館の苦肉の策か、ただの開き直りか、作品を置かない展示空間だけを公開したのだ。これを「Days Without Art」なんてするとプロテスト感が出るのだが、ここは政治性を排してあっけらかんと「作品のない展示室」。入館するとさっそく検温だが、ほかのところもそうだけど、ピストル型の体温計を頭に向けるのはやめてほしい。わかってるけど、せめて腕にしてもらえないかなあ。でも入場無料だから許してやる。

まず、長い通路を渡って扇形の部屋に出る。企画展のときはたいてい隠されているけど、正面に大きな窓が4つ開いて、緑豊かな砧公園が見渡せる。奥に赤茶色の屋根、右手すぐ手前に太い樹木。けっこうな借景でございます。設計者の内井昭蔵は「生活空間」「オープンシステム」「公園美術館」という、美術館としてはいささかジレンマに富んだコンセプトを掲げ、ほとんど使われないことを承知で窓を多く設置した。そのことがわかるのが次の大きなギャラリーで、左側の壁面にはズラッと窓が並んでいるではないか。展覧会のときは窓にも床にも仮設壁が立てられ、迂回しながら次の部屋に進んでいくだけなので、窓があること自体まったく気づかなかった。こうして見るとまるで体育館みたい。



[筆者撮影]



[筆者撮影]


次の部屋は明かりを落とし、過去の展覧会のポスターを投影している。その左側の壁が開いていて、レストランへの通路を隔てて大きな扉が見えるが、そこが作品の搬入口だそうだ。その部屋の右隣に小部屋があり、確かその奥に窓があったはずなのに、いまは壁になっている。ここに窓は必要ないと塞がれてしまったんだろうか。最後の部屋では、これまで館内で行なわれたパフォーマンスなどの記録映像を壁に映している。そのため部屋が暗かったこともあり、どんな空間だったか記憶にない。ほかの展示室は空間特性が際立って見えたのに、ここだけ映像作品が展示されたため、空間特性が消えてしまっていた。なるほど美術館建築というのは、少なくとも室内空間は、作品を映えさせるために空間自体が目立つことを極力抑えなければならないのだ。という当たり前のことを再認識させてくれた。


それなりに空間を味わいつつ、美術館建築についても思いをめぐらせつつ進んできたつもりだが、まだ20分もたってない。やっぱり展覧会と違って、作品がないとあっという間だなあ(笑)。

2020/07/08(水)(村田真)

ある画家の数奇な運命

あらかじめ言ってしまうと、これは3時間を超す大作であるにもかかわらず、初っぱなから物語に引きずり込まれて時間を忘れ、終わってみればまだまだ先を見てみたいと思わせるような映画だった。これはタイトルにもあるように、脚色しているとはいえ、実在する有名画家の半生を描いた作品。いったいどんだけ凄まじい時代を生きてきたことか。しかもまだ前半生の、画家としてデビューするまでしか描かれていないのだ。もっとも続きをつくるとなると、画家として成功した後半生は芸術と経済の話になるから(それに離婚問題も)、別の映画になっちゃうけどね。その画家とは、ドイツのゲルハルト・リヒター。

リヒター(映画ではクルト・バーナート)は1932年ドレスデン生まれ。この時代と場所だけで、もう波乱に富んだ物語が予想される。最初は、ドレスデンに巡回してきた「退廃芸術展」を、クルトが若い叔母に連れられて見に行く場面から始まる。オットー・ディクスの失われた作品《傷痍軍人》も映されるが、精巧に描き直した模写だそうだ。「退廃芸術展」は見せしめとして開かれたものの、その思惑とは裏腹に前衛芸術を見る最後の機会として訪れる人も多く、叔母もその1人だった。クルトはこの感性豊かな叔母に感化されるが、次第に叔母の「自由」がエスカレートして奇矯な行動をとり始め、強制的に入院。精神病と判断された彼女は、ナチスの政策によってガス室に送られてしまう。

戦後、ドレスデンは東ドイツ領となり、クルトは美術学校に入学。そこでエリーと出会い、恋に落ちる。彼女の父ゼーバントは、叔母を死に追いやったナチス親衛隊の医師だったが、誰も知るよしもない。ゼーバントは2人の交際を認めず、妊娠した娘の子を堕してしまう。リヒターの義父がナチス親衛隊だったことは本当かもしれないが、あとはつくり話だろう。クルトはプロパガンダ用の看板描きや壁画制作に才能を発揮するものの、社会主義リアリズムに疑問を持ち、自由な表現を求めて妻とともに西側へ亡命。ベルリンの壁が築かれる直前だった。

クルトはデュッセルドルフの美術学校に再入学し、自由な表現に触れる。キャンバスに切れ目を入れたり、ひたすら釘を打ち付けたりする前衛作品は、かなり戯画的に描かれていて笑える。とりわけフェルト帽にフィッシングベストを着けた議論好きの教授には吹き出してしまった。この教授から「君の作品が見たい」と言われ、前衛表現を試みたものの「これは君じゃない。君は誰だ?」と問われ、悩み抜いた末、新聞に出ていた逮捕されたナチス残党の男の写真を模写。同じく西側に逃れていたゼーバントがたずねてきて、この絵を見て取り乱してしまう。男はナチス時代の元上司だったのだ。クルトは初個展を成功させ、かつて叔母がやっていたように、何台ものバスのクラクションを一身に浴びるシーンで終わる。

映画は以上のように、戦前のナチス時代、戦後の東ドイツ時代、亡命後の西ドイツ時代の3部に分かれるが、すべてに登場するのはクルトとゼーバントだけ。しかもクルトは少年時代とそのあとで役者が変わるが、ゼーバントのみ冷徹な表情のセバスチャン・コッホが通しで演じている。クルトの背後に黒い影のようにつきまとって離れないこの男こそ、リヒターの前半生を翻弄した時代そのものを象徴しているのだろう。影の主役と言うべきか。その影を祓ったのが、デビュー作のフォト・ペインティングだったというわけだ。というと重苦しそうな映画に思われるかもしれないが、退廃芸術や社会主義リアリズムや前衛芸術など、いまでは新鮮に感じられる美術ネタも多く、意外なことに濡れ場も随所に差し挟まれているので、いろんな意味で楽しめる映画になっている。


公式サイト:https://www.neverlookaway-movie.jp/

2020/06/30(火)(村田真)

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