artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

画廊からの発言 新世代への視点2015

会期:2015/07/20~2015/08/01

ギャルリー東京ユマニテ+ギャラリイK+ギャラリー川船+ギャラリーなつか+藍画廊+ガルリソル+なびす画廊+ギャラリー現+ギャラリーQ+コバヤシ画廊+ギャラリー58[東京都]

炎天下、少し離れた1カ所を除く11画廊を訪問。内訳は絵画が6、彫刻・立体が5というバランス。ギャラリイKの福井拓洋は、床上1メートルほどの高さにフローリングの床をつくり、階段まで設けている。上ってみると頭が天井につきそう。床にはところどころ穴が開いてて、のぞくと真っ暗でなにも見えない。発想としてはありがちだが、よくここまで実現させたもんだ。藍画廊のカナイサワコはガラス瓶をヤスリで削り、穴が開くまで薄くしたものを台座に載せている。瓶は表面を削られたため白っぽく、台座も壁も真っ白なので、一瞬白内障にかかったんじゃないかと勘違いするほど視界が白くなった。コバヤシ画廊の藤浪美世は、チューブから絵具をブリブリッと気前よくひねり出して塗った絵画が気持ちいい。それだけでなく「あなた」に宛てた手紙や道端で撮った写真も展示しているが、作品を見せるのか作者の世界を提示するのかどっちかにしてほしい。

2015/07/31(金)(村田真)

試写「あえかなる部屋──内藤礼と、光たち」

会期:2015/09~(予定)

内藤礼を追いかけた映画。極度に繊細な(しかし強靭な)アーティストで、顔を出さないのが条件だったというが、途中で撮影を拒否されてしまう。それでも映画として成り立せるため、後半から5人の女性が出てきて豊島美術館を訪れる話になってしまう。いったい主役はだれなんだろう。内藤礼か、5人の女たちか、それとも豊島美術館なのか。主題がなにかを考える映画でもある。

公式ウェブサイト=http://aekanaru-movie.com/


映画『あえかなる部屋 内藤礼と、光たち』予告編

2015/07/31(金)(村田真)

Unknown VOID No.6 町野三佐紀

会期:2015/07/17~2015/08/02

void+[東京都]

エントランス横の小さなギャラリーでの展示がおもしろい。暗闇のなか、婆さんが首を振ってる映像がエンドレスで流れてる。魔女裁判で拷問にかけられる映画のシーンから5秒足らずを拝借し、うーんと引き延ばし、重ね合わせたものらしい。婆さん、苦しそう。オフィスのほうでは顔と波をダブらせた映像や写真の展示。

2015/07/31(金)(村田真)

伊藤一洋 no one knows Sculpture

会期:2015/07/10~2015/08/09

hpgrpギャラリートウキョウ[東京都]

サイズもかたちも頭蓋骨か帽子を思わせるブロンズ彫刻が10点ほど。いや頭骸骨や帽子というより、その色と質感は背骨と肋骨を残した生物の遺骸に近いかもしれない。どっちにしろ内部が空洞のシェルター状になってるのが特徴だ。これを「天體」シリーズと呼んでいるのは、内部から見るとシェルターが天蓋に見えるからだろうか。不思議な魅力を持った作品。奥には人体の一部を思わせるブロンズの小品もあって、ちょっとそそられる。

2015/07/31(金)(村田真)

20世紀日本美術再発見 1940年代

会期:2015/07/11~2015/09/27

三重県立美術館[三重県]

名古屋から近鉄急行で津まで行き、三重県美へ。こちらは「戦争」ではなく「1940年代」に焦点を当てた企画で、名古屋市美の「画家たちと戦争」と補完し合う展示になっている。三重ではこれまで20世紀美術を10年単位で検証してきており、40年代展もその続編に位置づけられるのだが、しかし1910年代展が95年、20年代展が96年、30年代展が99年に開かれたきり、40年代展は開かれてこなかった。それはたぶん1945年の敗戦を境に戦前・戦後で区切られる時代を、40年代でひとくくりに捉えるのが難しかったからではないかと思うのだが、だとすれば今回40年代展が実現できたのは、戦前(戦中)と戦後を断絶したものとしてではなく、そこに連続性を認めるような視点が定着してきたからだろう。もちろん連続性といっても、敗戦を境に勇ましい戦争画はばったり描かれなくなり、多くの画家は戦前に途絶えてしまった自由な制作を再開しようとしたが、いきなり描きたいものを描いてもいいといわれたって描けるはずもなく、直近の悲惨な戦争体験や目の前に広がる廃墟から始めるしかなかったのではないか。それが同展の第2章「占領下の美術」によく表われている。鶴岡政男《重い手》、阿部展也《飢え》、井上長三郎《東京裁判》、北脇昇《放物線》、香月泰男《埋葬》、松本竣介《焼跡風景》などだ。これらを仮に「敗戦画」と呼ぶなら、「勇ましい戦争画」と「痛ましい敗戦画」は45年を軸に反転しつつつながっており、その意味では敗戦画も戦争画に含めていいように思う。そう考えると40年代の美術は意外にもひとまとめにくくれそうで、戦後の新たな出発は50年代になるまで待たなければならないようだ。名古屋市美とダブる画家も多く、たとえば藤田嗣治が西洋絵画恋しさからか、戦時中にレンブラントかミレー風に描いた《嵐》や、戦前から抽象を試みた吉原治良が銃後の生活をリアルに描いた《防空演習》など、意外な作品も出ていて、両展併せて見に行かれることをおすすめする。

2015/07/26(日)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00031341.json s 10113493