artscapeレビュー

20世紀日本美術再発見 1940年代

2015年08月15日号

会期:2015/07/11~2015/09/27

三重県立美術館[三重県]

名古屋から近鉄急行で津まで行き、三重県美へ。こちらは「戦争」ではなく「1940年代」に焦点を当てた企画で、名古屋市美の「画家たちと戦争」と補完し合う展示になっている。三重ではこれまで20世紀美術を10年単位で検証してきており、40年代展もその続編に位置づけられるのだが、しかし1910年代展が95年、20年代展が96年、30年代展が99年に開かれたきり、40年代展は開かれてこなかった。それはたぶん1945年の敗戦を境に戦前・戦後で区切られる時代を、40年代でひとくくりに捉えるのが難しかったからではないかと思うのだが、だとすれば今回40年代展が実現できたのは、戦前(戦中)と戦後を断絶したものとしてではなく、そこに連続性を認めるような視点が定着してきたからだろう。もちろん連続性といっても、敗戦を境に勇ましい戦争画はばったり描かれなくなり、多くの画家は戦前に途絶えてしまった自由な制作を再開しようとしたが、いきなり描きたいものを描いてもいいといわれたって描けるはずもなく、直近の悲惨な戦争体験や目の前に広がる廃墟から始めるしかなかったのではないか。それが同展の第2章「占領下の美術」によく表われている。鶴岡政男《重い手》、阿部展也《飢え》、井上長三郎《東京裁判》、北脇昇《放物線》、香月泰男《埋葬》、松本竣介《焼跡風景》などだ。これらを仮に「敗戦画」と呼ぶなら、「勇ましい戦争画」と「痛ましい敗戦画」は45年を軸に反転しつつつながっており、その意味では敗戦画も戦争画に含めていいように思う。そう考えると40年代の美術は意外にもひとまとめにくくれそうで、戦後の新たな出発は50年代になるまで待たなければならないようだ。名古屋市美とダブる画家も多く、たとえば藤田嗣治が西洋絵画恋しさからか、戦時中にレンブラントかミレー風に描いた《嵐》や、戦前から抽象を試みた吉原治良が銃後の生活をリアルに描いた《防空演習》など、意外な作品も出ていて、両展併せて見に行かれることをおすすめする。

2015/07/26(日)(村田真)

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