artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

画鬼暁斎──幕末明治のスター絵師と弟子コンドル

会期:2015/06/27~2015/09/06

三菱一号館美術館[東京都]

なぜ三菱一号館で暁斎の展覧会を開くのか、というのは会場に入ってみればわかる。三菱一号館(のオリジナル)を設計したジョサイア・コンドルが暁斎に弟子入りし、絵を学んでいたからだ(逆に暁斎はコンドルから西洋絵画について教わったという)。そのため展覧会の序盤は、コンドルによる建築の設計図や暁斎ゆずりの水墨画、日本研究の書籍なども出品され、まるで2人展。ところが中盤以降はおびただしい量の暁斎作品に圧倒され、結果的にコンドルは付け足しだったか、みたいな印象は否めない。もちろんコンドルが出ていたおかげで展覧会に厚みが増したのは事実で、とくにコンドル設計の上野博物館(東博の前身)の遠景図と、その上野博物館も描かれた暁斎の上野の山のパノラマ的錦絵との比較などは、同展ならではの芸当だ。それにしても暁斎はすごい。雪舟ばりの山水画から、鳥獣を描いた水墨画、モダンな舞台絵、風俗画、妖怪図、春画まであり、そのレパートリーの広さ、器用さが幸いして、暁斎を近代美術史の傍流に押しやることにもなったようだ。また、ひと回り下の“最後の浮世絵師”と呼ばれた小林清親に比べると、清親が近代的なモチーフとスタイルを浮世絵という形式に融合させたのに対し、暁斎は明治なかばまで生きたにもかかわらず絵は江戸のままだったことも、時代に埋もれた要因かもしれない。しかしこういう激動の時代を生きたマージナルなアーティストというのがいちばんおもしろい。

2015/08/28(金)(村田真)

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試写『わたしの名前は...』

これまでにも映画のプロデュースや衣装デザインを手がけたことのあるアニエス・ベーが、アニエス・トゥルブレの本名で監督した初めての作品。父親から性的虐待を受けた少女が失踪し、トラック運転手と各地を放浪したあげく、最後はちょっと意外な終わり方をする。途中で暗黒舞踏が挿入されたりアントニオ・ネグリが登場したり、突然映像が切れるように場面が変わったりして、必ずしもスムーズに話が展開していくわけではないし、けっして後味のいい映画でもない。そんな映画を、有名ファッションブランドの創設者・デザイナーが撮ること自体、尊敬に値する。


映画『わたしの名前は・・・』予告編

2015/08/28(金)(村田真)

緑の森の一角獣座 1995-2015 記録

会期:2015/08/03~2015/08/29

ギャラリー福果[東京都]

《緑の森の一角獣座》は、東京・日の出町のゴミ処分場建設に疑問を抱いてトラスト運動に参加した彫刻家の若林奮が、建設予定地の森のなかにつくった作品のこと。作品といっても森の下生えを整備して道や階段をつけ、石を積んで椅子とテーブルにし、せせらぎに橋を渡すといったように、その土地全体を作品化したもので、どっちかというと作庭に近い。こうした方法をとったのは、作品の撤去命令が出ても土地と作品が一体化したものだから撤去できないし、もし撤去(破壊)されたら著作権侵害に当たるという論理で戦うため。文字どおり「地の利」を生かした不動産美術の闘争だったといえる。ところが、作品がつくられたのは事業認定後なので訴えは無効とされ、最終的に行政代執行により「庭」を構成する石や木は撤去されてしまう。この間に「日の出の森と作品を守る会」が結成され、現地を訪れる鑑賞会が何度も行なわれ、ファクスによる『UNICORN NEWS』が配信され、各地で展覧会が開かれてきた。同展ではそれらの写真、映像、文書のコピーなど関連資料を公開している。敗れた(といっていいのか)とはいえ、「芸術の著作権」を盾に戦った日本では珍しい例として、これらの記録は今後ますます重要性が増すだろう。

2015/08/27(木)(村田真)

TODAY IS THE DAY:未来への提案

会期:2015/07/26~2015/09/27

アートギャラリーミヤウチ[広島県]

現美から広島駅に出てJRで宮内串戸まで行き、そこからバスのはずだったが、ちょうど行ったばかりなのでタクシーに乗る。ここは財団法人の運営するギャラリーで、モダンなビルの2、3階を占めている。展示はさらに周囲の2軒の民家も使っているので、けっこうなボリューム。わざわざ見に行くだけの価値はある。同展は平川典俊とデイヴィッド・ロスが企画し、飯田高誉が監修したもので、第2次大戦から3.11まで繰り返される悲劇に対して、芸術は肯定的なヴィジョンを示すことができるかを問う試み。出品はヴィト・アコンチ、ピピロッティ・リスト、リュック・タイマンス、ビル・ヴィオラ、アピチャッポン・ウィーラセタクン、奈良美智、小沢剛ら16人で、驚くべきは大半の作家が今回のために新作を出してることだ。アコンチは最近日本で、カメラに向かって指を指し続ける映像《センターズ》が注目されているが、今回はそれを44年ぶりにリメイクした《リ・センターズ》を公開。指を指してるのが映像を見る観者に向かってではなく、カメラの下のモニターに映る自分に対してであることを明確にしたとのことだが、髪が薄くなってるのが気になる。小沢は、福島の子どもが描いた人の顔を小沢自身が模写して横一線に並べている。子どもの絵を模写するというのが意表を突く。いちばん感心したのは伊藤隆介の2点で、1点は破壊された原子炉に出入りする映像がスクリーンに映し出され、手前にはお菓子の箱などでつくったちっちゃな原子炉と、前後に動くマイクロカメラが置いてあるという仕掛け。もう1点は、核爆弾が雲を貫いて落ちてくる映像とその装置で、映像には映らない位置に恐竜のフィギュアが置いてあったりして、思わず笑ってしまう。彼の作品は何度か見たが、見るたびに感心する。

2015/08/21(金)(村田真)

コレクション展──われらの狂気を生き延びる道を教えよ

会期:2015/07/25~2015/10/18

広島市現代美術館[広島県]

核関連の作品を公開する被爆地ヒロシマならではのコレクション展。本田克己《黒い雨》とか細江英公「死の灰」シリーズなど、直接ヒロシマの災禍を表わした作品もあれば、イヴ・クライン《人体測定170》とか高松次郎《影の母子像》など、なぜヒロシマと関係があるのか一見わかりにくい作品もある。おもしろいのは後者のほうで、いってしまえば解釈次第ということでもある。たとえばヘンリー・ムーアの彫刻《アトム・ピース》は、ヒロシマでは反核のモニュメントとされているのに、同じ形状の《ニュークリア・エナジー》が置かれたシカゴでは、核エネルギー開発の成功を記念するモニュメントになっているという。同じ作品がまったく正反対の意味を担わされることもあるのだ。これこそ芸術の恐ろしいところであり、またおもしろいところでもあるだろう。同じようなことは戦争画(なかでも藤田嗣治の《アッツ島玉砕》)にもいえることで、そうした多義的な解釈が可能な作品こそ傑作と呼ぶべきかもしれない。

2015/08/21(金)(村田真)