artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
モニカ・ソスノフスカ展「ゲート」
会期:2015/01/20~2015/03/31
銀座メゾンエルメスフォーラム[東京都]
手前の部屋に3点、奥の部屋に1点、大きなジャンク彫刻が天井から吊るされている。鋼鉄製の門扉を押しつぶしたものだが、T字鋼や円筒鋼もグニャリと曲がっているので、よほど大きな圧力をかけたに違いない。門は内と外を分ける境界であると同時に、内外をつなぐ接点にもなる。つまり受容と拒絶の象徴でもある。さらに作者がポーランド出身であると聞けば、「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と書かれたアウシュヴィッツ収容所の鉄の門扉をつい思い出してしまうが、それは作者の本意ではないはず。やはり、本来の機能を失った建築の一部が「アート」になるかクズ鉄になるかの分かれ道を示したのだろう。それも違うか。
2015/02/26(木)(村田真)
山本基 原点回帰
会期:2015/01/30~2015/03/01
ポーラミュージアムアネックス[東京都]
奥行き15メートルほどの黒い床に、塩で渦巻き状のパターンが描かれている。渦潮のようにも銀河のようにも見えるけど、もっと卑近な連想では洗濯水や汚染されて泡立った河川を思い出してしまう。それは中心から等間隔に渦巻き線を広げていくのではなく、ところどころ淀みながら小さなウロコを重ねていくように塩を盛ってるため、白い泡の連なりに見えるからだろう。もちろん汚染水を思い出すからといって汚いというのではなく、清濁や聖俗、あるいは極大と極小といったスケールを超えた普遍的な美が感じられるのだ。それには塩という素材が大きく役立っているかもしれない。塩には穢れを払うとか浄めるといった意味があり、また生命を育む潮や海にも通じるが、そんな象徴性を省いても、塩そのものの「粒子性」に美しさの秘密があるんじゃないか。同じパターンを絵具で描くのとは違い、塩の粒子を手作業で盛ってるため、輪郭がボケてフラクタルに近くなっているのだ。だから遠目には白黒がはっきりしているが、近づくとややソフトフォーカス気味に見え、目に優しくなじむ。しかも平面ではなくわずかに盛り上がってるので、低い位置からながめると砂丘のような奇妙な風景のようにも見えるのだ。ちなみにここで使われた塩の粒子は約2億粒。これを1粒1粒並べていったらいつまでたっても終わらないので、たぶんひとつかみ1万粒ずつくらい盛っていったんだろう。それでも同じ行為を2万回は繰り返さなければならず、気の遠くなるような作業であることに変わりはない。
2015/02/26(木)(村田真)
平成26年度 第38回 東京五美術大学 連合卒業・修了制作展
会期:2015/02/19~2015/03/01
国立新美術館[東京都]
巨大美術館の2フロアを占める5美大の絵画・彫刻系の卒業生と修了生、目録をざっと数えたら943人いた。不参加の学生も含めて、毎年東京だけで千人を超すアーティストの卵が「排出」されてるわけだが、たぶん10年後に活躍しているのは10人にも満たないでしょう。絵画では、ズバリ「絵画性」を追求したもの、支持体や展示方式をイジるもの、マンガやイラストを採り入れたサブカルものなど、いくつかのパターンが見られた。まず絵画性を追求したものでは、ハデな色彩と多彩な技巧で内臓的イメージを集大成した橋口美佐、モノクロームの抽象なのに見ごたえある画面を構築した山野兼、ジグソーパズルみたいなキャンバスに額縁状の矩形を描いた黒木彩衣(以上多摩美)、ピンクや紫などの微妙な色彩を巧みに使った梅本曜子と舘あかね(武蔵美)など。支持体をイジったものでは、30-40個の小さめの段ボール箱の表面に動物や魚の絵を描いた石黒ゆかり(武蔵美)、ホストのつかの間の人気ランキングをモザイクで表現した吉本絵実莉(女子美)など。サブカル系では、巨大画面に山水画とモガを強引に組み合わせた奥村彰一(多摩美)、さまざまなマンガの目を40個くらい並べて描いた藤城滉高(日芸)などが印象に残った。彫刻では、隅のほうにできそこないみたいな木彫の天使像を置いた池田かがみ(造形)、大きな台座の上にティッシュやハンガーなどの取るに足りない本体を載せた木彫の内堀麻美(武蔵美)などが逆に目を引いた。ところで、第2次大戦末期につくられた陶器の手榴弾を再制作した成清北斗(武蔵美)の作品が、美術館の指示により撤去されたという。どういうことだ?
2015/02/23(月)(村田真)
第8回 展覧会企画公募の真髄
会期:2015/01/24~2015/02/22
トーキョーワンダーサイト本郷[東京都]
展覧会の企画そのものを公募するプログラム。入選したのは4組で、今回はニューヨークを拠点とするラザフォード・チャンと、淀川テクニックのひとり柴田英昭の2組の発表。チャンは「We Buy White Albums」と題し、1968年に発売されたビートルズの「ホワイト・アルバム」の初版プレスを収集、うち100点を壁に並べ、数百点をテーブル上で見られるようにしている。同じレコード(ジャケット)を並べてなにがおもしろいかというと、「ホワイト・アルバム」は文字どおり真っ白なジャケットなので(隅にシリアルナンバーが記されている)、日焼けしたり、シミや汚れがついたり、購入者が落書きしたりするなどして半世紀近い経年変化がよくわかるのだ。さらに、壁に並べた100枚のレコードの音を重ねて録音し、100枚のジャケットを重ねて印刷したジャケットに入れて3000円で売っているのだが、これがグラフィティのようなジャケットに入った現代音楽のレコードになっている。一方、柴田は「すもうアローン」と称して、他人には理解しがたい3組の風変わりな表現者を紹介している。つまり「ひとり相撲」を集めたってわけ。展示されるのは、両親の自殺という過去を知らなければごくありふれた家庭風景にしか見えない上田順平の家族写真、京都市役所前などで毎回異なるパフォーマンスを5年間で約500回行なったミネマルヒゲ代表・峯奈緒香、キノコやこけ類の研究から野糞を始め、大便が土に還るまでの過程を調査している伊沢正名の記録写真。これらは解説がなければ、いや解説があってもなかなか受け入れがたいものがある。ぼくが会場を訪れたとき、ウンよくというか悪くというか、伊沢氏の「うんこはご馳走」のトークをやっていた。興味ないわけではないが、時間がないのでスルーした。両展とも美術展の隙間を突いたいい企画だと思う。
2015/02/22(日)(村田真)
ルーヴル美術館展 日常を描く──風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄
会期:2015/02/21~2015/06/01
国立新美術館[東京都]
ルーヴル美術館の厖大なコレクションのなかから、日常生活を描く風俗画を特集した展示。そもそも絵画とは「絵空事」というように、神や英雄など非日常的なイメージを現出させる装置だったから、風俗画は絵画のジャンルのなかでも地位が低く、またジャンルとして認められるのも遅かった(そのせいか、風俗画は英語で「ジャンル・ペインティング」という)。ここではまず「風俗画とはなにか」を知るために、プロローグとして日常的な情景が描かれた古代の墓碑や壷絵を紹介し、さらに歴史画、肖像画、風景画などを並べて絵画のジャンルについておさらいしている。なかなか啓蒙的な構成だ。肝腎の風俗画は時代順に並べると、16世紀のティツィアーノ、クエンティン・マセイス、ピーテル・ブリューゲル1世から、全盛期の17世紀のルーベンス、ル・ナン兄弟、レンブラント、デ・ホーホ、そしてフェルメールを経て、18世紀のヴァトー、シャルダン、ブーシェ、19世紀のドラクロワ、コロー、ミレーまでおよそ3世紀におよんでいる。そこに描かれているのは、金持ちも貧乏人もおおむねケチで下品でスケベなどうしようもない人間像だが、唯一の例外がフェルメールの《天文学者》だ。つーか、この天文学者が超俗してるというより、絵そのものが一段上の世界に属している感じ。まあ風俗画というなら、ルーヴルにあるもう1点のフェルメール、《レースを編む女性》のほうがふさわしいかも。ともあれ、これらの作品を「労働」「恋愛」「女性」といったテーマ別に展示しているのだが、なかでも興味深いのが最後の「アトリエの芸術家」で、絵を描く画家本人(サルが描いてるのもある)を自己言及的に描いた作品を集めているのだ。これも風俗画か。最後の最後は、開館間もないルーヴル美術館を描いたユベール・ロベールの《ルーヴル宮グランド・ギャラリーの改修計画、1798年頃》で終わってる。風俗画の最後というより、「ルーヴル美術館展」のシメですね。
2015/02/20(金)(村田真)