artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
FACE展
会期:2015/02/21~2015/03/29
損保ジャパン日本興亜美術館[東京都]
数ある絵画コンクールのひとつ。これを見に行った理由はただひとつ、チラシに載ってた下野哲人の実物を見たかったから。一見、白黒のストライプ模様だが、よく見ると白い画面に黒い絵具を、黒い画面に白い絵具を上辺から等間隔に流している。だから上のほうだけ見るときれいなストライプだが、下のほうに行くにつれ間隔が開いたりくっついたり、絵具が途中で止まったり、さまざまな表情を見せるようになる。これは見事。あとは画面いっぱいにチューリップを勢いよく描いた児玉麻緒、マンガにフィギュアを組み合わせたオタク的ポップな戸泉恵徳が目を引いた。
2015/02/20(金)(村田真)
今井祝雄 タイム・コレクション
会期:2015/01/14~2015/03/11
ユミコチバアソシエイツ[東京都]
同ギャラリーでは最近、高松次郎に若江漢字と60-70年代作家の個展が多いが、今井祝雄もそのひとり。今井は1964年、弱冠17歳で具体美術協会に参加し、70-80年代にはコンセプチュアルアートやビデオアートを手がけてきた。たとえば、裸の本人が自写撮りしたポラロイドを体に貼りつけていき、肌が隠れるまで繰り返すといった作品。この作品に対して、裸の写真で裸を覆うという矛盾も指摘できるし、また徐々に露出度が減っていくという時間の推移を読み取ることもできる。さらによく見れば、1枚目の写真には裸の本人が写ってるだけだが、2枚目の写真には1枚目の写真が入れ子状に写り込んでおり、3枚目の写真には1枚目の写真が入れ子状に写り込んでるだけでなく、1枚目の写真が入れ子状に写り込んだ2枚目の写真が入れ子状に写り込んでおり、4枚目の写真には……といった具合に、最終的には体に貼りつけた枚数分だけ入れ子状に写真が写り込んでおり(もちろん実際には見えないが)、しかもポラロイドの性質から新しい写真ほど薄く不鮮明であることも指摘しなければならない。ほとんど迷宮のような世界。そういえばこの時期マニエリスムへの関心が高まっていたなあ。
2015/02/20(金)(村田真)
旅をするまなざし
会期:2015/01/31~2015/02/22
横浜市民ギャラリーあざみ野[神奈川県]
「石川直樹展」の上のフロアで同時開催されているコレクション展。19世紀の観光写真やステレオ写真、時代がかったカメラセットや自転車に取りつけられたカメラなど、約200点を紹介。なるほど、これを見れば旅と写真が昔から深い関係にあったことがわかる。世界は写真に撮られることを待っていた、なんて思わずいっちゃいそう。でも19世紀にトランクほどもある写真機一式を携えて世界を旅しようなんて人は大金持ちだったはずだから、撮る側は支配し収奪する側でもあったわけだ。なるほど、写真を「とる」というのはそういうことでもあるのか。
2015/02/19(木)(村田真)
石川直樹 NEW MAP──世界を見に行く
会期:2015/01/31~2015/02/22
横浜市民ギャラリーあざみ野[神奈川県]
17歳の夏休みに旅行し、作者の目を世界に向けさせることになったという「INDIA」に始まり(ただし写真はその後のもの)、北極から南極までを踏破した「POLE TO POLE」、それぞれの風土に根ざした世界中の建築を撮り歩いた「VERNACULAR」、日本を取り巻く南西諸島から北方の島々までを旅した「ARCHIPELAGO」、世界最高峰エベレストに2度目の登頂を果たした「8848」など、石川直樹の代表的な写真シリーズを展示。既存の地図に頼らず、自分の足と目で未知の地を歩いて写真に撮り、自分なりの世界地図を描いていこうという姿勢がタイトルの「NEW MAP」に示されている。しかしこういうのを見るとつい、「写真を撮るために旅に出るのか」「カメラを持たずに旅行できないのか」などと意地悪く思ってしまうが、石川にいわせれば旅と写真は最初から分ちがたく結びついているそうだ。たとえば登山したとき写真を撮らなければ登頂した証にならないように、旅と写真はもともと不可分の関係にあるという。そんな石川のインタビューや解説が載ってるリーフレット(マップみたいに開くと大判のエベレスト写真が現れるスグレもの)がタダでもらえる。しかも入場無料。こういう好企画はもっと宣伝したほうがいい。
2015/02/19(木)(村田真)
中谷ミチコ展/漕ぐ、彫刻
会期:2015/01/22~2015/03/15
横浜市民ギャラリーあざみ野エントランスロビー[神奈川県]
エントランスロビーのショーケースのなかに1点、中谷ミチコの作品が置かれている。長さ1メートルくらいの舟のかたちをした白い彫刻だが、舟本体がなく、その表面にへばりついた人や動物だけが残ったような、あるいは舟に施されたレリーフだけを切り離したような感じ。かつてクリストや赤瀬川原平が試みた梱包芸術において、あるモノを布で覆い隠すことによって逆にその形状からモノの正体を浮かび上がらせたように、中谷は人や動物のかたちづくる中空の形状から舟の不在を意識させる。その舟はやっぱりノアの方舟でしょうね。だとすれば、いまこそノアの方舟の教訓を思い出せというメッセージなのか。まあそこまで意味づけするとクサイけど。
2015/02/19(木)(村田真)