artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

バーネット・ニューマン──十字架の道行き

会期:2015/03/14~2015/06/07

ミホミュージアム[滋賀県]

一度行った者は二度と行けないとされる桃源郷……をイメージしたミホミュージアム、また来たよ。でも最初に来たときには気づかなかったけど、チケット売り場やレストランのあるレセプション棟から、トンネルを抜けて橋を渡り美術館棟に到る道のりは、臨死体験とよく似ている。桃源郷とは死後の世界だったのか。いきなり死後の世界に来てしまいましたが、こんなところでバーネット・ニューマンに出会えるとは思わなかったなあ。
作品はワシントン・ナショナルギャラリーが所蔵する全15点の連作《十字架の道行き》。15点のうち14点は同じサイズ(198×153cm)で、1点だけサイズがひとまわり大きく(205×185cm)、正方形に近いかたちをしていて、これらを8角形の部屋にグルリと並べている。このうち10点には黒の、4点には白の線(または面)が垂直方向に塗られ、大きめの1点には画面の両端に黒とオレンジの垂直線が引かれている。したがってグルッと見回すと、壁の白に矩形のクリーム色がかった白いキャンバスが置かれ、その上に不規則な間隔で黒と白の線(面)が立っている感じだ。色らしい色は1本のオレンジの線のみ。いったいこの連作、どのように見ればいいのか。そもそもなぜ連作なのか、なぜ横長の1枚の画面ではいけなかったのか。そこで完成まで8年を要したという制作プロセスをたどっていくと、おもしろいことがわかる。最初は黒と白のリズムの変化を楽しんでいるようだったが、半分を過ぎたころから絵具を白に変えたり線を面に広げたり、明らかにパターンから外れて冒険し始める。最後のほうの作品(とくに13枚目)はまるで前半の白黒が反転したネガのようだ。つまりここにはモネの連作と同じく時間の推移が表わされており、絵画というものがいかに生成し発展していくかということが見てとれる。言い換えればこの連作のプロセスそのものが連作の主題になっているのだ。
それにしても、なぜ若冲や蕭白など日本美術で知られるこの美術館で、対極ともいえるアメリカ抽象表現主義の作品が展示されてるのか。そのヒントは建築にあった。かつてミホミュージアムを訪れたワシントン・ナショナルギャラリーの館長は、自然に溶け込んだ美術館建築に強く印象づけられ、自館のニューマン作品を貸し出すことになったとき、このミュージアムを思い出したのだという。でもなぜワシントンの館長がわざわざ滋賀県の山奥まで行ったのかといえば、ナショナルギャラリーの東館(現代美術部門)を設計したのが、ミホと同じ中国系アメリカ人I・M・ペイだったからであり、そもそもペイにミホの設計を依頼したのは、創立者がワシントンを訪れたときナショナルギャラリーの東館を見て感銘を受けたからにほかならない。つまりペイの建築を仲介に、ミホミュージアムとナショナルギャラリーは互いにラブコールを送っていたわけ。でもこんな山奥で公開してもヒマなおばちゃんくらいしか見に来ないと思うよ。

2015/03/18(水)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00029653.json s 10109267

第7回絹谷幸二賞贈呈式

会期:2015/03/16

学士会館[東京都]

絹谷幸二賞はかつての安井賞の精神を受け継ぐ(?)具象系絵画の登竜門だが、賞の贈呈式があるだけで展覧会がないのが残念なところ。ぼくは2回目から作家を推薦してるけど一度も贈呈式に出たことがなかったが、今回初めて推薦作家が奨励賞を受賞したので出ざるをえなくなった。ぼくの推薦したのは、近代日本の画家や評論家を群像として描いた《日本の美術を埋葬する》で話題を呼んだ、久松知子さん。今年の岡本太郎現代芸術賞展でも岡本敏子賞を獲得するなど急上昇中だ。ちなみに絹谷幸二賞はベルベット地に土俗的な図像を油彩で描く谷原菜摘子さん。贈呈式にはもちろんふたりとも出席していたが、驚いたのは谷原さんが艶やかなピンクの和服姿なのに、久松さんはいつも着ている赤と緑のジャージ姿で現われたこと。でもこれは絵のなかの彼女自身(群像のなかに自画像として描き込んでいる)のスタイルに合わせたもので、彼女のトレードマークなのだ。それにしても出席者の大半が正装なので浮きまくってる! 大した度胸だ。

2015/03/16(月)(村田真)

贋造と模倣の文化史──大ニセモノ博覧会

会期:2015/03/10~2015/05/06

国立歴史民俗博物館[千葉県]

美術館や博物館にとって「ニセモノ」は大きなテーマだが、ホンモノとニセモノは思ったほど白黒つけられるものではなく、両者のあいだにはグレーゾーンが広がってるらしい。だいたいニセモノというのは美術館にとっては最大の敵だが、博物館にとっては強力な味方にもなる。実際、歴博の展示物の約40パーセントはニセモノだという。この場合のニセモノとはレプリカ(模型)のことであり、世界にひとつしかない化石などは広く教育・研究用に役立たせるためレプリカが重宝される。反対に、美術館の敵であるニセモノはおもにフェイク(贋作)を指し、美術館にあったら大問題となる。ほかにもニセモノにはイミテーション(模倣)、コピー(複製)などがあり、必ずしもネガティヴなものばかりではないようだ。同展は「暮らしのなかのフェイク」「コピー・イミテーションの世界」「博物館の『レプリカ』と『コピー』」など5部に分かれ、20-30年前の安南陶器ニセモノ事件をはじめ、「伝雪舟」「伝狩野探幽」のように真作に疑いがある書画、武田信玄や徳川家康の偽文書、浮世絵の海賊版、大学教授もだまされた「ヴュルツブルクの嘘石」と呼ばれるニセモノの化石(のレプリカ)、人魚やオニのミイラ、三葉虫や始祖鳥の化石のレプリカまで幅広く集めている。人魚のミイラはもちろんニセモノだが、明治のころまでにつくられた古いものは民俗学的な価値があり、その意味ではホンモノといえなくはない。とても楽しめる展覧会だが、多くの美術館がだまされて購入し、持て余してるはずの名画の贋作も出ていたらさらに幅が広がっただろう。

2015/03/09(月)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00029782.json s 10109265

限界芸術百選プロジェクト#2 関係性の美学

会期:2015/11/15~2015/03/29

まつだい「農舞台」ギャラリー[新潟県]

芸術と日常を往還する限界芸術、その限界芸術と現代美術の関係性を探り出そうというプロジェクト。昨年の「田中みずき銭湯ペンキ絵展」に続く第2弾は「関係性の美学」だという。ん? どこかで聞いたことあるようなタイトルだけど、いわゆるコミュニケーションを重視する観客参加型アートはお呼びでなく、先の限界芸術と現代美術の関係性に親子の関係性も重ね合わせたものだそうだ。だからチラシのヴィジュアルも親子丼……。出品は、毎日自画像を描いたり新聞紙を丸ごと写生したりする吉村芳生と、その跡を継いで細密画を描いてる息子の大星くん、光や音を素材とするメディアアートを手がける小野田賢三と、日本のアーティスト100人を紹介するフリーペーパーを手書きで制作している息子の藍くん、ミシンの部品の製造業を営む西尾純一と、ファッションを媒介に内外でアートプロジェクトを展開する息子の美也くん。いちおう吉村と小野田は父が、西尾は息子がアーティストとして認められているが、限界芸術と現代美術は下克上の世界、いつ逆転するかわからない。

2015/03/07(土)(村田真)

雲の向こうに

会期:2015/01/11~2015/03/29

越後妻有里山現代美術館キナーレ[新潟県]

京都の翌日は新潟へ。交通費がバカにならない。上越新幹線で越後湯沢に出てほくほく線に乗り換えると、あきらかに鉄ちゃんとおぼしき人たちが車両の前に陣取り、いつもはだれも降りないトンネル駅の美佐島でゾロゾロ降りていく。そうか、もうすぐ北陸新幹線が開通してほくほく線の特急が廃止されるため、トンネル内を走る特急をカメラに収める最後のチャンスなんだな。しかし特急が廃止されると利用客が激減し、ほくほく線もホクホク顏ではいられまい。なーんてね。十日町の現代美術館キナーレでは冬の企画展として、小松宏誠、KOSUGE1-16、谷山恭子、長谷川仁、林剛人丸が常設展示の隙間で新作を発表している。谷山は会場に林立する木に虹色の布を巻き、その前に新潟県ゆかりの文学者の本を置いて自由に読めるようにした。ページをめくると、色に関する記述がある部分にラインが引かれている。谷山は冬の新潟をモノクロームの世界と捉え、来場者に少しでも色彩を感じてもらうためにプランを練ったという。一方、長谷川は会場の一画に赤いバラの花びらを散りばめた部屋をつくり、中央に太いチューブを設置。そこに受付でもらった花びらを入れるとシュッと吸い込んでいく。あれっと思う間もなく窓の上から花びらがひらひら舞い落ちていくのが見えるという仕掛け。と言葉で書く以上にインパクトがあるのは、赤い色のせいだろうか。どちらも色彩を意識した作品だが、谷山がジワリと染み入るのに対し、長谷川は強烈なカウンターパンチだ。

2015/03/07(土)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00029372.json s 10109263