artscapeレビュー
五十嵐太郎のレビュー/プレビュー
アテネの新古典主義と現代建築
[ギリシア]
正月は博物館が閉まるので、街中の建築を見学した。まずパネピスティミオウ通り沿いの北側は貨幣博物館など、注目すべき建築が点在するが、とりわけアカデミー、アテネ大学、国立図書館が並ぶエリアは壮観である。これらは19世紀にデンマークのハンセン兄弟が手がけた新古典主義群による学術的な場だが、やはりギリシアの古代神殿を意識しつつも、ポリクロミーのテイストや、バロック的なダイナミズムの構成を加味したものだ。考えてみると、ギリシアの近世はイスラム国家の支配下だったため、いわゆる西欧的なルネサンス(=古代の再発見)を経験せず、いきなり新古典のデザイン(=18世紀以降のギリシアの考古学的調査に影響を受けたグリーク・リバイバル)となったが、しかも北欧の建築家の作品というのは興味深い。
現代建築としては、ミース・ファン・デル・ローエの《シーグラム・ビル》(1958)からもろに影響を受けたシンタグマ広場に面するビルや、抽象化された列柱が並ぶクリストファー・アレグザンダーによる巨大なコンサートホールなどをまわったが、これらに限らずいろいろなビルが、壁の表面を大理石で被覆しているのが、ギリシアらしい。
サンティアゴ・カラトラバが増改築を手がけた建築群がある郊外の、アテネ・オリンピック2004のスポーツ・コンプレックスはとても良かった。事前に詳しい情報が得られず、閉まったゲートを見て引き返すかもしれないと覚悟していたが、エリアは開放されており、近くの住民が思い思いに過ごしていた。吊り構造の屋根を増築したスタジアム、競輪場、エントランス・プラザ、巨大なアーチ群による弧を描く水辺の遊歩道、線状の部材がそれぞれ動き、波のようにふるまうナショナル・ウォールなど、東京オリンピック2020と違い、複数の施設と配置計画を手がけ、ここまで思い切り躍動感をもつデザインを全域に実現できると、建築家として気持ちよいだろう。改修した建築は、紛れもない彼の作品になっている。ちなみに、それぞれ単体の建築としては過剰な造形に見えるかもしれないが、遠くに山々が見え、屋根のシルエットが呼応していた。
2023/01/01(日)(五十嵐太郎)
アテネのビザンティン建築
[ギリシア]
アテネといえば、どうしてもギリシア時代の神殿のイメージが強いが、実はビザンティンの教会が街のあちこちに数多く存在することも見逃せない。東ローマ帝国のもとでビザンティン文化が栄え、イスタンブールのハギア・ソフィアやイタリア・ラベンナのサン・ヴィターレ聖堂がよく知られている建築だが、ギリシアにも小さい名建築がつくられている。外観は、中央にぽこんとかわいらしいドームが飛びだし、正面や両サイドはペディメント状の妻をもつタイプが多い。おおむね古い教会は、現在の地面よりも低くなっており、サンクンガーデン状になった空間の階段を降りて、半地下のレベルから室内に入る。なまじ西ヨーロッパのゴシックの大聖堂に慣れていると、大きな開口がなく、中央ドームの上部からのわずかな採光による薄暗い内部の空間がもつ雰囲気との違いに驚かされるだろう。特に古い教会は、外壁も統一されたデザインではなく、古代の円柱などを転用し、組み込む手法、すなわちスポリアがよく使われている。
アテネのキリスト教の歴史を学べるのが、ビザンティン&クリスチャン博物館だ。中央に19世紀のヴィラ風の建築があり、両サイドの主に地下空間に展示室が続く。向かって右側が展示の什器やデザインが洗練された常設、左側が企画展示のエリアになっている。ここは美術品だけでなく、柱頭や床のモザイク画など建築の部位を展示したり、壁画を空間ごと再現しており、建築史を知るのにも絶好の場所だ。一般的に中世を迎えると、人間や動物のモチーフが入り、柱頭は自由なデザインになるが、注意深く観察すると、キリスト教の建築に変化したからといって、イオニア式やコリント式など、古典の細部がいきなり消えたわけでなく、かつてのモチーフが変容しつつ、薄れていった経緯がわかる。もちろん、前述したスポリアによる混入もあるだろう。一方で柱頭の意匠のなかに、さらにミニ柱頭が含まれるという古代ではありえないようなデザインも見いだせて興味深い。また組紐文様など、ケルトの装飾を連想させるものも散見された。
*artscapeレビュー「アクロポリスの丘」に本項に掲載すべき画像が誤って掲載されておりました。修正し、謹んでお詫び申し上げます。(2023年2月6日編集部追記)
2022/12/31(土)(五十嵐太郎)
アクロポリスの丘
[ギリシア]
四半世紀ぶりにギリシアに滞在した。アテネに到着した翌日、アクロポリスの丘に登り、筆者がインタビュアーをつとめた『磯崎新の建築談義02 ギリシャ時代』(六耀社、2001)において、大文字の建築としてのパルテノン神殿について語ってもらったことを思い出していたあと、彼の訃報が届き、そのまま深夜に追悼文やコメントを執筆した。
共通チケットを購入すると、ほかにも劇場、古代アゴラ(ストアや音楽堂)、リュケイオン(運動施設)、ケラコミス(墓地)、 ゼウス神殿や浴場跡、 ハドリアヌスの図書館、ローマン・アゴラ(風の塔や市場)などをまわることができる。ギリシア時代だけではなく、ローマ時代の遺跡も少なくないが、これらをコンプリートすると、古代都市のイメージが浮かびあがる。
アクロポリスは最終日にもう一度訪れたが、街を歩くと、ときどき通りの向こうにアクロポリスが見える。昔は高いビルがなかったから、もっと目立ったはずだ。明らかに異形の岩山として存在し、要塞として使われたり、聖なる場所として認識されていたことが納得できる。ちなみに、19世紀に復元された第一回近代オリンピックの会場になったパナティナイコ・スタジアムの観客席からも見えるのは興味深い。
ルネサンスの時代はオスマン帝国のエリアだったため、18世紀に弱体化するまで、パルテノン神殿の正確な建築情報はあまり知られておらず、建築のチャンピオンという位置づけになったのは、19世紀からである。20世紀になると、ル・コルビュジエほか、さまざまな建築家がここを訪れ、自身の立ち位置を確認した。堀口捨己のように、西洋の模倣をやめて、日本回帰するきっかけになったケースもある。
ところで、立派な大理石の建築をつくると、社会が変化しても簡単に壊されず、パルテノン神殿が教会、モスク、火薬庫などに転用されながら、残ったことは興味深い。言うまでもなく、現代では外貨を稼ぐ重要な観光資源となり、この状態は今後もずっと続くだろう。すなわち、アテネの守護神アテナイ神を祀る神殿という本来の用途として機能した時間の方が、もはや圧倒的に短い。絶対的な存在として神格化するのではなく、長い歴史をサバイバルするリノベーションという視点から、もっと研究すべき建築だろう。
*artscapeレビュー「アテネのビザンティン建築」の画像が誤って掲載されておりました。謹んでお詫び申し上げます。正しい画像を掲載いたしました。(2023年2月6日編集部追記)
2022/12/30(金)(五十嵐太郎)
「ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台」「クリスチャン・ディオール 夢のクチュリエ」
東京都現代美術館[東京]
夕方に東京都現代美術館に到着したため、「ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台」展は、映像作品をフルに鑑賞できず、その内容についてはあまりコメントできない(モダニズムの集合住宅をめぐる社会的な問題を扱う作品は興味深いものだった)。これは鑑賞に時間を要する映像系の展示の悩ましいところだが、会期中に再入場できるウェルカムバック券が出るようになっていた。感心したのは、映像を見せるための会場デザインがとても良かったこと。映像がメインになると、しばしば暗室が並んだり、空間がなくなってしまうこともあるが、ここでは相互に浸透する魅力的な空間が出現していた。特にデザイナーは明記されず、展覧会のチラシでは「これまでの代表的な5作品を、複数の視点と声が交差する舞台のような、ひとつのゆるやかなインスタレーションとして展示します」と書かれていたように、会場の構成も作家によるものだ。
パリ、上海、ロンドン、ニューヨークなど世界巡回した「クリスチャン・ディオール、 夢のクチュリエ」展は、館外の企画なのに、なんで会期が半年もあるのかと実は訝しがったが、実際に展示を鑑賞し、これだけ作り込んだものなら、それに見合う価値をもつと思わされた。一昨年は福岡で天神ビジネスセンターを完成させ、今年竣工する予定の虎ノ門ヒルズ ステーションタワーにも関わる、OMAの重松象平が、展覧会の空間デザインを担当しており、企画展とは思えない、常設並みの仕上がりになっていたからである。精度が高い鏡面を多用しつつ、複数のパターンの空間が展開しており、端的にいって、ものすごい費用がかかっているはずだ。近年は、安ければ良い、コスパばかりが求められるが、それだけがデザインの可能性ではない。ディオールに興味がなくとも、良い意味で桁違いにお金をかけると、正しく、ここまで徹底したディスプレイが可能になるのを体験するだけでも訪れるべき展覧会である。天井まで可燃に見えるような造作物で覆い、消防法など、どうやってクリアしたのだろうと思うエリアも存在した。(もちろん、東京オリンピック2020の開会式のように、大金をかけたはずなのに、ダメだったものは批判されるべきだ)高木由利子が撮影した写真も魅力的である。ゴージャスな夢の世界を演出する展覧会が、ディオールのブランド・イメージを上げることを目的としているなら、完全な成功と言えるだろう。
ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台
会期:2022年11月12日(土)〜2023年2月19日(日)
クリスチャン・ディオール 夢のクチュリエ
会期:2022年12月21日(水)~2023年5月28日(日)
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2022/12/25(日)(五十嵐太郎)
鉄道と美術の150年
会期:2022/10/08~2023/01/09
東京ステーションギャラリー[東京]
アーティストの世界観にどっぷりと浸かるのは美術館の醍醐味だが、特定のテーマを設け、博物館的な内容と交差させた企画も、歴史の深さと表現の多様性を大いに楽しむことができる。タウトに始まり、柳宗悦、ペリアン、今和次郎という安定のラインナップに玩具収集、今の弟純三による青森の考現学的なスケッチ、前衛弾圧後の吉井忠などの美術を加えた前回の「東北へのまなざし1930-1945」展と同様、鉄道開業の150周年を記念した東京ステーションギャラリーの今回の展覧会は、美術の外側、すなわち歴史に対するさまざまな補助線を引いていた。初期の鉄道絵画は、「電線絵画展─山口晃まで─」展(練馬区立美術館、2021)ともかぶり、必然的に電線・電柱が多く登場し、美醜を超えたテクノスケープへのまなざしを追跡できる。が、この展示はさらに日本の近代史を照らしだす。例えば、満洲写真作家協会によるロマンティシズムあふれる大陸の風景、かつて存在した踏切番の写真、機関紙の過酷な労働や東京駅で弁舌を振るった運動家の絵画、1930年代の外国人誘致のための宣伝ポスターなどである。
敗戦後の東京駅に関しては、連合国軍の専用待合室として、建築家の中村順平が指揮し、建畠覚造ら5人の彫刻家に制作させたグレートモニュメントRTOレリーフ(1947)が紹介されている。これは駅の改装に伴い、1974年に壁板で覆われたが、保存復元工事の際に再発見され、現在は京葉線改札口の外に設置されており、すぐに見に行った。中村はパリに留学し、横浜高等工業学校建築科(現横浜国大)で教鞭をとり、客船のインテリアや銀行のレリーフなどを手がけた(そのひとつは馬車道駅に移設)。ほかにも今回、福沢一郎の《天地創造》を原画とする大きなステンドグラス(1972)が、東京駅内にあることも初めて知った。
展覧会の後半は、ハイレッドセンターの山手線のパフォーマンス、満員電車の写真、シベリア抑留の記憶を描いた香月泰男、1970年代の「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーン・ポスター、中村宏や立石大河亞らをとりあげる。現代史の記憶を刻む作品としては、地下鉄サリン事件に関して小沢剛の「地蔵建立」、阪神・淡路大震災を受けた島袋道浩の《人間性回復のチャンス》(1995)、そして原発事故をモチーフとしたChim↑Pomによる渋谷駅の《LEVEL 7 feat.『明日の神話』》(2011)が登場した。まさに鉄道と美術を通じて、日本の近現代史を駆け足でめぐるものだった。
公式サイト:https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202210_150th.html
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電線絵画展─小林清親から山口晃まで─|五十嵐太郎:artscapeレビュー(2021年05月15日号)
2022/12/21(水)(五十嵐太郎)