artscapeレビュー

山元町の復興建築

2022年08月01日号

[宮城県]

311の被災地となった宮城県の東南部にある山元町を久しぶりに訪れた。現在は、CAtが設計した明るく開放的な空間、《山元町役場》(2019)や、ユニセフの復興プロジェクトとして25間に及ぶ細長い木造平屋、手塚建築研究所の《ふじ幼稚園》(2012)などが完成している。とりわけ、注目すべきは、グッドデザイン賞のベスト100に選ばれた震災遺構 中浜小学校だろう。2020年から公開され、一時は落雷を受けて、しばらく休館した施設だが、地震、津波、落雷に耐えた建築でもある。すでに当時の被害状況が除去された震災遺構 仙台市立荒浜小学校と違い、ここでは破壊の状況がかなり保存された内部空間をまわる体験が強烈である。すなわち、用途を博物館に変更せず、条例を制定して建築基準法の適用除外となる保存建物とすることによって、破壊された学校という特殊な状態のまま、来場者が瓦礫が残る教室に立ち入ることも可能にした。またこうした震災遺構は、過剰な情報によって混沌としがちだが、1階は必要最小限のキャプションにとどめ、展示のデザインも統一されている。東北大学の本江正茂らがディレクターとなって実現したプロジェクトである。



《山元町役場》



《ふじ幼稚園》


中浜小学校の位置は、海岸線から400m程度であり、約10mの津波に襲われたが、90人の児童、教職員、保護者が避難し、全員が助かった場所だった。もともと敷地全体を約2mかさ上げしていたことも大きいが、傾斜した屋根をもつ外観からは存在がわかりにくい屋上があったことが幸いした。実はそこは子どもも存在を知らない空間であった。住民は資料室に隠れていた狭い階段からいったん屋上に逃げ、そこからさらに移動し、電気が途絶えた屋根裏で震える一夜を過ごしたあと、翌日にヘリコプターで救助されたという。1989年に竣工した中浜小学校は、シンボリックな屋根や装飾をもち、金のある時代につくられたポストモダン建築だった。が、それゆえに、三角の切妻屋根の下に、ほとんど物置くらいの用途しかない無駄な空間が存在している。おそらく設計者も最後の避難所になるとまでは考えていなかったと思われるが(震災時、建築家はすでに死去)、結果的にポストモダン建築の冗長性が功を奏した。



震災遺構 中浜小学校



中浜小学校 資料室、屋上への階段



震災遺構 中浜小学校 屋上、コンクリートのフレームに落雷



震災遺構 中浜小学校 図工室



震災遺構 中浜小学校 多目的ホール


2022/07/12(火)(五十嵐太郎)

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