artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

建築学生ワークショップ宮島2022

会期:2022/08/27~2022/08/28

嚴島神社とその周辺[広島県]

毎年、楽しみにしている建築学生ワークショップ宮島2022の講評に参加した。今回は朝早くに集合するのが難しいため、初めて前泊する形式を採用し、池原義郎が設計した《グランドプリンスホテル広島》(1994)を堪能することができた。エントランスのホールでは、装飾的な天井の吹き抜けの中央に水盤をはり、螺旋スロープが囲む。まだお金が使えた時代の建築とはいえ、デザインの手数が多く、村野藤吾を想起させる細部も認められる。このホテルからは直接、宮島への高速艇が出発する。

今年は嚴島神社とその周辺が敷地となって、学生の10チームによる1日だけの仮設の構築物が制作された。限られた条件でのインスタレーションは、どうしてもワンパターンになりがちだが、今年は蝋燭、牡蠣、FRP、水そのものなど、これまでにない素材を導入したデザインに注目作が多い。一方、構造ぎりぎりの緊張感ある作品が少なかったのは残念である。このワークショップの見ものは、構造系のクリティークだからだ。もっとも、最優秀となった蝋燭の作品は、あとで熱で溶けて、倒れたらしい。



group 1 移ろいを織りいだす




group 4 源




group 7  うやむや(蝋燭の構築物)


さて、講評の会場となった千畳閣という木造の巨大な吹き放ちの空間の使い方は圧巻だった。このワークショップは、回を重ねるごとに、伊勢神宮、東大寺を含む各地の寺社関係者など、ゲストが豪華になっているが、今年は複数のSPに警護されながら、国土交通大臣の斉藤鉄夫が来賓として訪れたことに驚く(コロナに感染していなければ、広島ということで、岸田首相があいさつする可能性もあったらしい)。最後の締めくくりには県知事も登場した。

翌日、三分一博志による《弥山展望休憩所》(2013)を見学するために、宮島に残り、もう一泊した。ロープウェイを乗り継いだあと、30分以上山道を登るため、往復で最低2時間が必要となることから、広島に来て、何度も訪問を断念していたからである。参拝中の滑落でときどき本当に人が死ぬ、投入堂(鳥取県)に比べると、だいぶ楽だったが、それでも到着すると、空気や景色が心地よく、よくここに建てたと思う(建設では、ヘリコプターを使ったようだ)。たどり着くまでの過程も含めた体験の空間であり、そこに存在するだけで感動をもたらす建築だ。




《弥山展望休憩所》




《弥山展望休憩所》


建築学生ワークショップ宮島2022 公式サイト:https://ws.aaf.ac

2022/08/28(日)(五十嵐太郎)

国際芸術祭「あいち2022」 常滑市エリアとその後の岡崎

会期:2022/07/30~2022/10/10

[愛知県]

今回の難関は、常滑市エリアかもしれない。一宮市エリアのようには自動車を使えない複雑な小径が続き、有松地区とは違い、地形の変化が激しく、登り降りが多い。夏だと猛暑のなかを歩くしかないから、秋に行くチャンスがある人は後まわしにすることを勧めたい。旧丸利陶管や廻船問屋 瀧田家など、焼き物の街並みをめぐる経験は楽しいが、迷いやすいので、もともと設定されていたやきもの散歩道の看板に加えられたあいち2022のサインが重要な道しるべになるだろう。



デルシー・モレロス《祈り、地平線、常滑》(2022) 旧丸利陶管での展示風景



常滑市のサイン


筆者はあまりの暑さにギブアップし、作品をひとつだけ飛ばして、冷房が効いているINAXライブミュージアムに涼みにいった。ここにもあいち2022の作品は展示されているが、充実した常設コレクションのほか、日本で「タイル」の名称に統一することが決まった百周年にあわせた「日本のタイル100年──美と用のあゆみ」を開催している。実はINAXライブミュージアムだけで半日は過ごせる内容をもつので、あいち2022の展示だけで帰るにはもったいない。全体としてあいち2022は、2日間だと、全エリアをまわるのは難しいだろう。作品を制覇するには、2日半から3日は欲しいところである。



「日本のタイル100年──美と用のあゆみ」展の展示風景


さて、この日、筆者はあいちトリエンナーレ2013の会場になった岡崎市にも足を運び、桜城橋などの河川空間、強烈なインテリアをもつ喫茶レストラン「丘」、エウレカによる《Dragon Court Village》(2013)、studio velocityの《山王のオフィス》(2018)などを再訪し、いろいろな動きが起きていることを確認した。また岡崎市の非公式キャラクター、オカザえもんの人気も続く。新しい建築としては、まず英語、中国語の教育を行なう保育園、《クローバーハウス》(2016)を見学した。これは世界的に活躍する北京の建築事務所、MAD Architectsとしては、最小のプロジェクトだろう。室内に家屋のフレームを残しつつ、それを白い皮膜で包み、中間領域をつくる。手前は田んぼが広がり、この建築にとってまわりの風景も重要である。また地元の建築家、西口賢による《大地の家》(2018)にも立ち寄った。巨石群と樹のある半屋外は、一見アジアのリゾート風だが、しっかりと「建築」になっている。そして内部も、素材や光を絶妙にコントロールしており、知られざる名作だった。地方都市の岡崎における驚くべき豊かな建築シーンに唸らされた。



喫茶「丘」



《山王のオフィス》屋上



《クローバーハウス》



《大地の家》


「国際芸術祭あいち2022 STILL ALIVE 今、を生き抜くアートのちから」公式サイト: https://aichitriennale.jp/

2022/08/01(月)(五十嵐太郎)

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国際芸術祭「あいち2022」 一宮市エリア

会期:2022/07/30~2022/10/10

[愛知県]

今回の芸術監督をつとめた片岡真実の出身地でもある一宮市のエリアは、やはり力が入っていた。まず、オリナス一宮(様式建築の旧名古屋銀行一宮支店)の内部に入れ子状に空間をつくり、奈良美智の作品群を設営していることで、多くの人がこの街に足を運ぶだろう。

ここから一番遠いのが、県内唯一の丹下健三による建築、《尾西生涯学習センター墨会館》(1957)だが、きちんと保存された1950年代のモダニズムが素晴らしい。三角形の敷地に沿って、外部に対しては壁をはりめぐらせ、閉じており、戦艦風でもあるし、ル・コルビュジエの影響も感じられる。かつては道路を挟んで向かいに、ノコギリ屋根の工場が存在し、対峙していた。ここは強烈な空間を体験するためだけでも、訪れる価値が十分にある。



《尾西生涯学習センター墨会館》



レオノール・アントゥネス《主婦と彼女の領域》(2022)墨会館での展示風景


繊維業で栄えた一宮市は、今もノコギリ屋根の風景が残るが、塩田千春の作品はまさにその下で糸のインスタレーションを展開していた。ただし、ツァオ・フェイの映像も、ノコギリ屋根の下なのだが、こちらはすでに天井を塞いでいる。必見の作品としては、旧スケート場の巨大な空間を使ったアンネ・イムホフの映像と音だろう。こうした異空間を体験できるのが、街なか会場の醍醐味である。なお、一宮市エリアのアーキテクトを担当した栗本真壱によれば、看護専門学校を展示場に用途変更することが大変だったという。



塩田千春《糸をたどって》(2022) のこぎり二での展示風景


一宮は、各会場が離れているので、炎天下であれば、おそらく自動車でまわるのがベストである(美術関係者はタクシーを借り切ったという話も聞く)。筆者は自動車を使ったので、ついでにいくつかの建築も見学した。あいち2022の会場にもなった《豊島記念資料館》(1966)(もともとは図書館)は、清々しいモダニズムである。一方で内井昭蔵設計の《一宮市博物館》(1987)は、世田谷美術館の直後くらいの仕事で、脂がのった時期の超濃密なポストモダンだ(ノコギリ屋根の企画展示も開催していた)。無駄を排除する現代では、無理なデザインだろう。ほかにstudio velocityとしてはやや抑えたデザインの《一宮聖光教会》(2022)は、外観のみ見学した。こうした愛知県のさまざまな魅力を再発見させるのが、まさにあいちトリエンナーレから続く役割である。



《豊島記念資料館》



《一宮市博物館》



《一宮市博物館》



《一宮聖光教会》



「国際芸術祭あいち2022 STILL ALIVE 今、を生き抜くアートのちから」公式サイト: https://aichitriennale.jp/

2022/07/31(日)(五十嵐太郎)

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国際芸術祭「あいち2022」 愛知芸術文化センターと有松地区(名古屋市)

会期:2022/07/30~2022/10/10

[愛知県]

今回の「あいち2022」は、4つの会場で開催され、しかも常滑市と一宮市は名古屋から見ると反対方向なので、これまでと比べて、もっとも分散した芸術祭となった。またあいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展」を契機とした県知事と市長の対立の結果、初めて会場から名古屋市美術館が外れ、市の中心部は街なか会場がなく、愛知芸術文化センターのみであるために、名古屋市内のプレゼンスは減っている。なお、名古屋市美術館の「ボテロ展 ふくよかな魔法」は、新作ベースだったが、異様な比例によるデフォルメは、暗黙の了解とされた美/醜や男/女の枠組みを揺るがし、西洋美術史の名画をポストモダン的に読み替え、色使いも良かった。



愛知芸術文化センターでのオープニング




展示初日朝のオープニングカット


愛知芸術文化センターの展示は、河原温や荒川修作など、物故作家も含み、クオリティは高く、ハイコンテクストである。その結果、祝祭性はやや抑え、一目見てわかるような作品は少ない代わりに、キャプションは例年よりも長い。やはり前回に対し、安全運転である。またアーティストは、非西洋・女性が多いように思われた。個人的には、カデール・アティアの映像作品が、もっとも2019年のアンサーになっている。彼はもともと身体欠損を作品化する作家だが、今回は幻肢痛に始まり、家族の死、戦争や民族紛争の苦い記憶に展開し、その心理的な治癒を探る。作品では、日本や韓国には一言も触れないが、これは間違いなく、我々の問題でもある。また欠損を補う鏡像を使ったイメージも興味深い。



最初の展示室の河原温の展示風景




ローマン・オンダック《イベント・ホライズン》(2016)展示風景




奥村雄樹《7,502,733》(2021-2022)展示風景


名古屋市内だが、中心部からはおよそ30分かかる有松地区は、恥ずかしながら、知らないエリアだった。ここは古い町並みと建築がよく残り、芸術祭ということで、その内部空間も体験できるのが醍醐味である。ミット・ジャイインやAKI INOMATAほか、街の産業だった織物や染物に関する作品で統一している。有松地区は、ナノメートルアーキテクチャーが会場を整備するアーキテクトとして関与しており、稼働中の工場(株式会社張正)における展示やバリアフリー対応、消防との調整などのエピソードをうかがった。もともと真夏のあいちトリエンナーレは街なか会場めぐりが辛いのだが、マスク付きはさらに厳しい。



有松地区




イワニ・スケース《オーフォード・ネス》(2022) 株式会社張正での展示風景




プリンツ・ゴラーム《見られている》(2022) 竹田家住宅での展示風景


初日の夜は、パフォーミングアーツのプログラムだったスティーブ・ライヒのコンサートを鑑賞した。静かにホロコーストに触れる「ディファレント・トレインズ」(1988)や、パット・メセニーのための「エレクトリック・カウンターポイント」(1987)をライブで聴けたことで十分に感動的なのだが、今回のテーマのもとになった河原温のミニマルな表現にも通じる音楽会である。


「国際芸術祭あいち2022 STILL ALIVE 今、を生き抜くアートのちから」公式サイト: https://aichitriennale.jp/

ボテロ展 ふくよかな魔法

会期:2022年7月16日(土)〜9年25日(日)
会場:名古屋市美術館
愛知県名古屋市中区栄2-17-25(芸術と科学の杜・白川公園内)

2022/07/29(金)-2022/07/30(土)(五十嵐太郎)

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バズ・ラーマン『エルヴィス』

映画『エルヴィス』(2022)は、後にマネージャーとなるトム・パーカー大佐が、若きスターが誕生する瞬間を目撃するライブのシーンがとても魅力的だし、金もうけに走り、プレスリーを消費するマネジメントとの確執が大きなテーマのひとつだが、個人的に印象に残ったのは、音楽と社会背景との密接な関係だった。今では考えられないが、プレスリーが腰を振って踊るだけで、卑猥とされ、良識派からは非難の対象となり、放送禁止が要求されている。また彼は、子供のときに貧しい住区に暮らしていたことから、身近にアフリカ系アメリカ人の音楽を吸収していた。それゆえ、リズム・アンド・ブルース+カントリー(白人サイドの音楽)という2つのルーツが融合し、希有な歌い手が登場したのである。だが、当時は人種の隔離を提唱する政治的な主張も根強く、公然と差別が行なわれていた。したがって、人種が交ざるような音楽そのものが、保守派にとっては不道徳であり、脅威とみなされていた。ロックはその起源において、政治的なものとして出現したのである。

晩年はラスベガスのショーが中心だったが、プレスリーが活躍した激動の時代は、キング牧師やケネディ大統領の暗殺事件とも重なる。日本でこの映画が公開された直後、安倍首相の銃撃事件が発生し、思わぬかたちで『エルヴィス』は今の時勢とつながりをもち、現代日本のロックについても考えさせられた。すなわち、その非政治性である。ほとんど政治的な発言をしないミュージシャンと、音楽に政治を持ち込むな、という聴衆の雰囲気だ。

ところで、3年ぶりに開催されたサマーソニックの初日、ZOZOマリンスタジアムのステージにおいて、イタリアのバンド、マネスキンの女性ベーシストによるジェンダーに関するステートメントとしてのニップレス着用をKing Gnuが揶揄し、ロサンゼルスの女性パンクバンドのリンダ・リンダズのカタコトの日本語をマキシマム ザ ホルモンがネタにしたという。外国の女性ミュージシャンに対する差別的な MCを平然としてしまうバンドは、ロックの末裔として恥ずかしい。アジア系、ラテン系のメンバーから構成され、人種差別に対抗する曲ももつ、リンダ・リンダズのバンド名は、もともとブルーハーツの楽曲にちなむ。筆者は、マウンテン・ステージでまだ十代の彼女たちの演奏を聴いたが、ガッツのあるロックだった。


公式サイト:https://wwws.warnerbros.co.jp/elvis-movie/

2022/07/24(日)(五十嵐太郎)