artscapeレビュー
ワラッテイイトモ、
2013年11月15日号
「笑っていいとも」の放送終了のニュースを聞いて、ある作品を思い出した。実は10年前、キリンアートアワードの審査で、「ワラッテイイトモ、」という衝撃的な映像作品と出会って以来、この番組が気持ち悪くなり、一度も見ていない。このとき作品自体が公開されない恐れを感じ、『10+1』に「白昼の怪物」という文章を寄稿した。いまや「ワラッテイイトモ、」は、ネットでも簡単に見ることができるが、当時はyou tube前夜だった。このキリンアートアワード2003のとき、一緒に審査員として「ワラッテイイトモ、」に魅せられたひとりがヤノベケンジ。同時に受賞していたのが、ブレイク直前の名和晃平。問題を受けて、アワードがキリンアートプロジェクト2005に変わり、筆者が選んだのが石上純也。キリンのアーティストが、あいちトリエンナーレにつながっている。当時「ワラッテイイトモ、」は、肖像権と著作権の問題から、展覧会では修正版が公開されることになった。が、それがもうひとつの奇蹟を起す。拙稿「なぜ『ワラッテイイトモ、』のアラン・スミシー・ヴァージョンは、かくも猥褻で、美しく、そして笑えるのか」(『インターコミュニケーション』47号、2003)で論じたように、三種類の修正版があり、そのひとつは曜日ごとに異なる修正パターンを試み、それがあたかも近代美術史の歴史を想起させるものになっていたことだった。ぼかし、モザイク、スクラッチなど、こうした具象の修正=抽象化は、まさに近代美術が歩んだ道ではないか。
2013/10/22(火)(五十嵐太郎)