artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

新国立競技場白紙撤回

安保が強行採決された直後、ザハ・ハディドによる新国立競技場のデザインの白紙撤回が発表された。コンペをしたプロジェクトのキャンセルはめずらしくないが、建設自体の中止でないにもかかわらず、ここまで図面を描き、着工直前まできて、つぶれた事例はまれだろう。その際、一方的に建築家とデザインが悪者にされたのは、きわめて残念である。本当は過剰なスペックとプログラムを押し込んだ発注者側の考え方を改めないと、根本的な問題解決にならない。ともあれ、数十年経って、後から日本の歴史を振り返ったとき、2015年はどう記述されるだろうか。近代的な法の概念が壊れ、「我が軍」の経費は増強する一方、大学の人文系は役立たないと切り捨てられる。建築も、90年代以降、バブル崩壊、2つの震災など、大きな事件はあったけれど、今回の決定はその後の展開によってはかなり大きなダメージを受けるかもしれない。愛知万博でも、当初、隈研吾・竹山聖・團紀彦らが共同で会場計画に関わっていたが、分断された挙句、最後は全員が外された。大阪万博と比べて、建築とアートの後退ぶりは凄まじかったが、2020年の東京オリンピックでも国家プロジェクトにおける「建築」の困難さが繰り返されている。もっとも、どれくらいのレベルで白紙撤回をするのかが実ははっきりしていない。

2015/07/17(金)(五十嵐太郎)

バケモノの子

細田守作品に外れなし。『バケモノの子』も傑作だった。母を失った少年と天涯孤独のバケモノ、それぞれに欠損を抱えた両者が、補いあうように、師弟となる。そして互いに教育し、高めあう。成長物語だが、直接的に役立つ「勉強」だけが推奨されるいま、学ぶことそのものの悦びに触れていることが素晴らしい(細田の前作『おおかみこどもの雨と雪』の前日譚にも感じられる)。また渋谷の街と、最終決戦の場となる代々木競技場の描き方もとてもリアルである。

2015/07/15(水)(五十嵐太郎)

被災地めぐり(女川・石巻)

[宮城県]

久しぶりに女川と石巻に足を運ぶ。3.11後に仙台への新幹線が復活したときと同様、バスを使わずとも、ついに電車だけで行くことができるようになったのが感慨深い。坂茂が手がけた新しい駅舎は浴場や販売所などの施設も備え、街のスケールとしては大きめのやわらかいランドマークとして出現していた。一方、女川の主な震災遺構は、交番以外すべて消えた。そして地形も道路も激しく変わり、別の町が生まれようとしている。

写真:上=石巻の将来模型、中上=派出所のみ残る(女川)、中下=地形や道路も変わる(女川)、下=女川駅

2015/07/15(水)(五十嵐太郎)

野田秀樹「障子の国のティンカーベル」

会期:2015/07/12~2015/07/20

東京芸術劇場 シアターウエスト[東京都]

野田秀樹が一気に書き上げた若き日の原作をもとにした、マルチェロ・マーニ演出による、毬谷友子のひとり舞台である。なお、彼女以外は人形使いによる人形が登場し、その声は毬谷の腹話術だった。古今東西のイメージが連鎖していくファンタジーである。大人にならない永遠の少年と妖精、そして日本人形。ある意味で、年齢を感じさせない毬谷の存在こそが、もっとも妖精的だった。

2015/07/13(月)(五十嵐太郎)

ロシア国立交響楽団 チャイコフスキー三大交響曲4.5.6連続独奏会

横浜みなとみらいホール[神奈川県]

ポリャンスキーの指揮で、第4番、第5番、第6番を一気に演奏する途方もないプログラムである。続けて聴くと、改めて6番の特異性がわかる。ドームやスタジアムで低音やドラムがよく聴こえない腑抜けたカラオケみたいな音響のロックより、二列目の交響曲のほうがロックだ。それにしても、聴くだけでも疲れるのに、これを日本各地で演奏する指揮者や演奏者の体力は相当なものである。

2015/07/12(日)(五十嵐太郎)